プロローグ
『高橋茉奈果は、"まんなかまなか"』

誰が最初にそのあだ名で私を呼んだのか、今となっては覚えていない。

たしか、中学二年生になったばかりの頃。
保健の授業で、前の週に行われた健康診断の結果が配られた。それをもとに、先生が中学二年生の平均身長や体重について話をして、自分のデータと比較をすることになった。

正確な数値は覚えていないけれど、その時の私の身長と体重がまさしく平均値だったのだ。それに気づいた隣の男子がおもしろがって騒ぎ出し、その話題が水面に小石を落としたように広がっていった記憶がある。

ひとつ前の授業で、国語のテストが返却され、
『平均点は六十八点。高橋がまたその点数だったな』 と、先生が笑い、私に"まんなか"という印象が残っていたのも災いしたと思う。
誰かが私を『まんなかまなか』と命名し、その愛称は瞬く間にクラスに浸透した。
普段は名前で呼んでいた友達でさえも、テストや体力測定で平均点が発表されると、おもしろがってそのあだ名で呼んできた。
そして、あだ名にふさわしくいつだって私は、平均点のあたりをさまよっていた。
たまに平均点以下になると、『まんなかまなからしくない』と批判されることもあった。
そのあだ名で呼ばれる時、私はいつも笑っていた。恥ずかしさと悲しい心を隠して、それでも笑うしかできなかった。
どんなにがんばっても平均点を大きく上回ることはなく、私は『まんなかまなか』 のまま、中学校を卒業した。

あだ名をつけられてから、もうすぐ三年が経とうとしている春。 私はまだ、『まんなかまなか』のまま、楽しいフリをして笑っている。
第一章 雨に溶けて、消える
「毎日雨ばっかりだね」

島田真梨が話しかけてきた時、私は窓の向こうで糸のように落ちる雨を見ていた。

「おはよう。ほんとだね」

湿気で広がる髪を押さえながら顔を向けると、横顔の真梨は

「だね」

と恨めしそうに梅雨空をにらんでいる。

ついこの間高校生になったと思ったら、もう二年生の初夏。最近では、会話のなかで『受験』をにおわす大人も増えていて、空と同じように気持ちも重くなることが多い。

「浜松市の梅雨って、他に比べて長い気がしない?」

「えー?   他のところも一緒じゃないの?」

質問に素直な意見を述べただけなのに、真梨はぶすっとした顔になった。

「絶対に長いよ。ほら、静岡県って横に長いでしょ。それがきっと影響してるんだよ」

よくわからない持論を繰り出す真梨に、

「そうかもね」

と、しょうがなく同意するけれど、梅雨なんてどこも一緒じゃないの?

「茉奈果はもう、進路決めたの?」

どすん、と前の席に腰をおろして尋ねる真梨に、

『大人だけじゃなく友達までもか』

と、今度は私がしかめっつらになる。
「ただの世間話だよ」

手を横に振る真梨に、

「だとしても、朝からそんな話題はやめてよね。なんにも考えてないもん」

と文句を言ってから、まだ半分も登校してきていない教室を見回した。雨の日特有の湿気を含んだにおいが、室内を浸しているよう。

「なりたい職業とかないの?」

長い髪をひとつに結わえた真梨が首をかしげる。

「ないない。一応進学はするつもりだけど、真梨と違って選択肢も少ないもん」

ぷう、と頬を膨らませると、真梨は肩をすくめた。
真梨は高校に入ってからの友達。成績もいいし、体育だって無難にこなしている。
見た目も私より身長が高く、足も長い。それに引き換え私は……。

「朝から暗い話題だな」

うしろからかけられる声に一瞬ドキッとしながらも、すぐに声の主をにらみつける。

「うるさいなあ。勝手に話に入ってこないでよ」

「おお怖い怖い」

おどけながら右の席に腰をおろしたのは、鬼塚公志。