大学卒業後、就職したものの、そこはその男の志望する会社ではなかった。


 何社も受けたが、とことん落とされ、仕方なく条件の悪い所を受けざるを得なかった。

 絶対ブラックな所だと思っていたが、想像した以上の苦しさがその会社にはあった。


 なぜこんなところしか受からなかったのか。


 苦労するために来たとしか思えないほど、毎日辛い思いをして、男は働いていた。


 辛いながらも、男には夢があった。

 ある小説投稿サイトで男は今流行りのラノベを書いて、いつか自分の小説が人気を得て本になる事を夢見ていたのである。


 そこそこの読者が付き、それなりに面白いと評価され、仲間もできた。

 自分なりに上手くやっているつもりだった。


 後はコンテストで賞を獲れば夢が叶う。

 いつかきっと自分は選ばれると信じていた。


 そう思ってすでに書き始めてから5年の歳月は経っていた。



 そんな中で、次々に自分以外の小説が話題になって、男は取り残されていく。

 コンテストに参加しても一向に注目を浴びずに選ばれない。


 他の誰かの小説が目立ってランキングに入った時、男は虚しさと悔しさで嫉妬心がめらめらしてしまうのだった。



 会社でもぱっとせず、自分の夢もままならない、嫌気がさす毎日。


 上司に叱られ、同僚からもつま弾きされ、大学時代から付き合ってた彼女にも振られてしまい、あまりついてないと思い始めたその頃、偶然見つけた占いの館で、自分の運勢を見てもらう事にした。


 藁にもすがる思いで、男は占い師の顔をじっと見つめた。


「うむ」


 占い師は難しそうな顔をし、考え込んだ絞った声を出す。

 男の不運を見極めた後、言い切った。


「確かに、あんたは現在、苦労する星の下にいる」

「どうすればいいんですか」


「謝ることだな」

「謝る? 誰に?」


「どこかで誰かが許さないと、あんたの事を恨んでおる」

「俺を恨んでる?」


「そのせいで、祟られて不運が舞い込んでおる。まあ早く言えば、生霊がついておる。何か心当たりはないかの?」


 占い師に言われ、男は思い当たることはないか考えた。


 もしかしたら別れた彼女かもしれない。

 彼女は自分よりいいところに就職し、それが悔しくて八つ当りしていた。


 それからギスギスし出して、彼女との関係が上手く行かなくなった。

 最後は喧嘩別れしたようなものだった。


 占い師は、恨まれてる人に謝って許してもらえば、運は向上すると言う。

 男は早速、別れた彼女に電話した。


 電話の先の彼女は、少しつっけんどんで、またそれが男をイラつかせたが、自分の運のためには仕方がない。

 ふりだけでもと殊勝な態度をして、男は付き合っていた時に優しくできなくて悪かったと謝った。


「今頃気が付いたの。遅いわよ。今更復縁なんてないからね! 私、すでに新しい彼がいるんだから」


 謝れば事が上手く行くと思ったが、彼女は図に乗って上から目線になっていた。

 それは益々男の神経を逆なでした。


 しかし、ここで喧嘩しては元の木阿弥。

 男は必死に我慢した。


「違うんだ。君と離れてやっと気が付いたから、それできちんと謝っておこうと思って。そっか、新しい彼ができたんだ。どうか幸せになってくれよな」


 必死にイラつく気持ちを飲み込んで言った言葉は、彼女の気持ちを少し動かした。


「えっ、あなたからそんな風に言われるなんて思わなかった。私も一方的だったかも。ごめん」


 悪いと思ったのか、彼女も謝ってきた。


 プライドが高い男だったが、ここは彼女に自ら折れたお陰で、かろうじて乗り越えた。

 それでも男には屈辱が少し燻る。

 だが、まだ彼女へ頭を下げられる多少の我慢が男には残っていた。


 彼女から許されたと思った男は、目的が果たせたと喜ぶ。

 これで運も向上するはずだ。

 少し肩の荷が下りた。


 それからしばらくして、男は上司のミスをなすりつけられた。

 誰も味方してくれる同僚もいず、上司も謝ってこない。


 幸い会社に損害はなかったので、なんとか切り抜けたが、まだ運は向上してなかった。


 一体何がいけないのか。

 もしかして、上司が原因だろうか。


 確かに男は上司を嫌っているし、ばれないところで、上司の机を蹴ったりして鬱憤を晴らしている。

 そういう態度が自然と出て、上司の反感を買っているのかもしれない。

 だからミスをなすりつけられる。


 男は昼休み、腹をくくって上司を食事に誘った。

 上司は失敗をなすりつけた後ろめたい気持ちから、強く断れなかった。


 二人は会社の近くの定食屋へと入った。

 上司は落ち着かないまま顔だけは訝しげに、男とテーブルを囲んで向き合う。

 二人が注文を済ませた後、男は真剣に上司に顔を向けた。


「私が至らないばかりにきっとイライラさせるんでしょうね。悪い所があれば直します。どうか今一度、チャンスを下さい」

「何を言ってるんだね」


 上司は突然の事に戸惑った。

 お茶を飲もうとしていた湯飲みが宙に浮いたままだった。


 男は様子をみながら、自分のためだとここでも気持ちを押し殺して殊勝になった。


「その、ご迷惑をかけているんじゃないかと思いまして」


 上司に嫌われているのはわかっている。

 迷惑を掛けられているのは男の方だった。

 しかし、それをグッと飲み込む。


 とにかくここは嘘でも上司を立てて、へつらい、負の要因を取り除きたい。

 いかにも上司を慕っている事をアピールしだした。


 上司は下手な態度でこられると、まんざらでもなく、一層威張る態度になった。

 上下関係がはっきりすると、王様になったようで悪くはないと思った。


 男はそこを突くように、心にもないお世辞をどんどん並べ立てた。

 これも屈辱だが、自分の運のためだと、病気を治す苦い薬を無理やり飲むように、必要な事だと考えた。


 段々気分をよくした上司は、おだてに乗って、上機嫌になって行った。

 それが功を奏して、男に昼食をごちそうするところまで成功を収めるのだった。


 ミスをなすりつけられて謝られもせず、悔しい気持ちもあるが、これで上司とはなんとかうまくいきそうだと男は思った。


 世の中は、多少の我慢も必要だ。

 男は自分の気持ちを抑える事を学んで、少し大人になれたと自覚した。

 こういう心構えによって、運が向上していくのだろうと思い始めた。


 だがまた暫くして、男は会社の階段から落ち、軽い捻挫をしてしまう。

 それが落ち着くと、次は食中毒、インフルエンザ、肺炎と続き、さらに、ぎっくり腰まで発症。

 立て続けに怪我、病気など不調が続いた。


 まだ誰かに恨まれているのだろうか。

 一向によくならない不運から、男は小学生時代から、悪い事をしたと思う人物に片っ端から謝った。

 これで謝る人がいないというくらい、男は知ってる人みんなに謝った。


 そんな時、自分の書いた小説が一次審査に残り、これからいよいよ運が向いてきた予感を感じた。

 謝ったかいがあったというものだった。


 だが、それもつかの間の喜びで、それ以上には残れなかった。

 あんなに謝っても、運は少ししか上昇しない。


 溜息を吐きながら、自分が選ばれずに、賞を獲った作品を羨望の眼差してみていた。

 その作者の事をネットで調べ、偶然作者のブログを見つけた。


 一つ一つ遡って、目を通していく。

 かなり年月を遡った記事を見てハッとした。


 『以前偶然、ランキング上位になってしまい、その時、色々と陰でぼろくそに言われたんです。誹謗中傷ですね。その時、どこの人か知らないけど、絶対に許さないって思いました(笑)』


 男は思い当たった。

 自分も、顔が見えないからと、己の醜い心をさらけ出してネットの掲示板で悪口を書いた事がある。


 もしかして、これが原因なのか。

 しかし、誰だかわからないのにそんなことがあるはずないと、男は鼻で笑う。


 嫉妬が湧き起こった男には、会った事もないこの人物が疎ましく、また、自分が選ばれずに、この人が選ばれたことが悔しくて、ただただ憎しみを抱きながらPC画面を睨んでいた。


 それは押さえられず、鬱憤をはらすべく、賞に選ばれた小説にいちゃもんつけ、作者を隠れてある掲示板で貶した。

 自分は誰だかわかるはずがない。


 そしてその後、男は車にはねられた。

 長期に入院して、挙句に会社から解雇された。


 男の不運はどこまでも続いていく──

 それでも男はネット上で自分の感情を押さえなかった。


 『絶対に許さない!』

 悪口を言われた人の心の叫びは、今もネット上のどこかで漂い続けている……