小さい頃からを振り返れば、私ってそこらへんのどうでもいい石ころだった。
 人との付き合いも距離感がわからないままに付き合い方が下手くそで、それでいて相手の気持ちに敏感でもあった。
 ああ、あの人、私の事が嫌いだな。
 ああ、あの人、私とは合わないな。
 すぐに感じ取れて、相手の顔を見て怯えては馬鹿な自分を演じてしまう。
 きつい子からバカにされたり、そこに先生にとってもどうでもいい生徒だから邪険にされたり、何か自分なりに好きな事をして頑張っても、最初から低いレベルだと思われるような見下された人間。
 陰で悪口言われながら、わかっていてもその人たちを前にすればヘラヘラと笑って仲良くしようと一応は努力するお人よし。
 きついタイプの人からほんの気まぐれで、ちょっと話しかけられたりしたら喜んだりして、そしてまた陰で悪口言われて、どうしようもない惨めさを後で味わう。
 先生も私への接し方は不機嫌な顔できついのに、男の子の生徒には笑って答える。
 ああ、自分はダメな人間なんだなといつも劣等感が付きまとう。

 あれは冬のころ、小学六年生の体育の授業で縄跳びをしていたとき、誰が最後まで残るかとクラスの皆で競い合った。それも普通の跳び方じゃなく、X跳びという、前で手を交差して輪の中を潜るものだった。
 縄跳びが得意じゃない私は、すぐに脱落だと思っていたのに、その時に限ってなぜかスムーズに何回も飛べて、気がついたら周りはみんな脱落して地面に座っていて、私とN君だけが残っていた。
 なんで、こんなことに。
 連続で何回も飛べて、私はへとへとで、それなのに全然引っかからなくてずっと跳び続けていた。
 離れた前方のN君をちらっと見れば必死で私に負けたくない雰囲気で一生懸命に跳んでいた。
 そしてその時、私に向かって女子たちが「頑張れ」と応援している。男子たちはN君を応援している。
 勝負は中々つかず、自分でもなんでこんなに跳んでいるんだと、はっきり言ってやめてしまいたい。
 みんなの応援の中、私の視界にはいつも陰口をいっている女子たちの姿が目に入る。
「頑張れ、負けるな」
 口を両手で囲んで拡声器にして私に向けて応援している。
 私は必死な顔をして心の中で呟く。
「はぁ?」
 普段は虐めているくせに、なんでこんな時に限って応援する?
 いつもバカにしているくせに、女子代表として残っているからその時のノリだから?
 私の頭の中では「早く引っかかりたい、早く止めたい」と終わらせたくてたまらない。
 だから私はわざと縄跳びが足にひっかかるように跳ぶタイミングをずらした。
 そこでみんなが「ああー」とこの勝負の行方に声を出した。
 それは私が負けたことで残念だと労ってくれたのかもしれない。
 その後、先生も女子たちも「頑張ったね」と負けた私に声を掛けてきた。
 はあはあと息を荒くしながら私はその光景を冷めた目で見ていた。
 あの時、応援されてもとても虚しく感じていた。
ただのノリでそうなっただけだというのをよく知っていたからだ。
だから私は頑張れなかった。

 自分の自己評価はいつも低い。
 自分はダメだ、どうせいつもバカにされる。
 一生懸命好きでひとりで楽しくやっていることでも、誰かがそれを見たときにバカにする。それは大人になってもずっとずっと続いているように思う。
 一瞬、光を見ても、必ず最後は真っ暗な闇へと落とされる。

 私はいつだって真面目で一生懸命だ。
 辛くて惨めなどん底で彷徨っていても、私は頑張りたいと常に思う。
 どれだけ落ち込んで、苦しい思いをしたか。
 それはずっとずっと続いている。
 それでも負けたくないとそこから這い出そうとあがいている。

 思ったこと、本当はたくさんたくさん正直に書きたい。
 でも公にしたところで、一体それがどうしたとなって結局書けない。
 結局は自分の力のなさ、己の実力が何もないところに帰ってくる。

 だから自分で自分を応援するしかない。
 頑張れ、頑張れ、自分。
 ポンポンを持って私の後ろで応援してくれる私の分身。
 辛い時は、マツケンサンバを踊ったり、マイケル・ジャクソンの「ポゥ」を決めたり、自分を奮い立たせる。
 頑張れ、頑張れ、自分。
 たとえそれが一生続いても、自分はずっと最後まであがいている。
 たとえまた貶められても、それでも負けたくないと踏ん張りながら。
不器用な自分は惨めを抱えつつ戦い続けることしかできないから。
そしてどんな時も笑っていたい。

 頑張れ、頑張れ!
 自分で自分を応援して
 一歩階段を上れる力を引き出す。
 留まるくらいなら一歩でも進みたい。
不安よりもその先の希望へ。