「面白い奴がいる」
 それは、夫が会社で知り合った契約社員のことだった。夫は楽しそうに彼のことを話してくれる。
 彼はスーパーマリオブラザーズのマリオのような風貌で、髭も生やし太っていた。夫は彼と話をすると意気投合したらしい。彼の名前はマイク。

 話を聞いていると、確かに面白かったが、笑っていいのか躊躇する。
 例えば、会社のカフェテリアで、ドーナツを買ってレジにもって行くと、レジの人が
「オーマイゴッド!」と声を上げたらしい。
 そのドーナツには大量のバターが塗られていた。ドーナツだけでも高カロリーなのに、さらにバターが付けられてるのはさすがにアメリカ人でもビックリした らしい。
 そのせいで、バターを塗った分料金を上乗せされていた。

  マイクは会社まで電車に乗って通勤していた。最寄の駅から会社まで、歩いて20分くらいなのだが、そこから必ずバスを使う。しかもたった一駅しか乗らない。
 バスに乗っても降りてそこからオフィスまで歩けば15分くらい。バスも一時間に2本しかこない。たっぷり30分待ってまでバスに乗るから、それなら歩いた方が早いのではと夫はマイクの感覚に笑っていた。
「変わった人なんだね」
 そんなくらいしかコメントできなかった。

 ある日、マイクはチャットで知り合った人と仲良くなり、会う約束をした。それが隣の州の人なので、アムトラックを使い2時間かけて会いにいった。
 写真の交換もしていて、お互い顔を知っていたはずだった。だが交換したというマイクの写真を夫がみて一言。
「奇跡の一枚」
 首から上の顔写真で見事に下の体がでっぷり太ってるようには見えなく、顔の写り具合もかなりよかったらしい。
「あの写真は、別人に見える」
 夫はこれは騙してるのと同じかもと言っていた。
 そのデートした後マイクは夫に何があったか全てを話したらしい。

 約束の日、マイクは無事にチャットの相手と会えたことは会えた。
 相手は小学生の娘がいるシングルマザー。その日は子供を預けてのデートだった。
 しかし会った瞬間、相手は黙り込んだと言っていた。夫も、やっぱりと頷いた。
 そして、2時間くらいお茶をして相手は帰ろうとしたとき、マイクは今日はこっちに泊まるつもりで来たと知らせた。
 そしたら、相手の女性がホテルまで車で送ってあげると提供すれば、マイクはそんなお金がないと答えた。
 マイクは彼女の家に泊まることを前提に来ていた。
 チャットでどこまで仲良くなったかは知らないが、彼女にしてみれば実際のマイクを見て何か気がついたことがあったに違いない。
 彼女も責任を感じたかどうか知らないが、このまま置き去りにしてはいけないと、マイクを自分の家に泊めることにした。
 マイクはその時の話を夫にこう話した。
「それが、その女性、すごく気味悪いほど不思議な人だったんだ。夜、居間の電気をつけたまま、ずっとテレビ観ていて朝まで起きていたんだよ」
 それを聞いた夫は
「それは当たり前の行為だと思う。見ず知らずの人を泊めて、小さな娘もいるし、寝てる間に物でも盗られたり、また何かあったら怖いから起きてたんだろう」
 と心の中で思ったが、口には出さなかった。
 マイクはそこまで読み取れなかった。
 その後、朝早くに彼女はマイクを駅まで送り、マイクが降りて後ろを振り向いてお礼も言う暇もないまま、車を動かして早々と去って行ったらしい。
 マイクは失礼な人だと話していたが、夫はマイクとは違う何かを思い黙っていた。
 彼の話を聞くと、さすがマイクだと思うほど、どこかずれていた。

 時々、夫はマイクを家に呼んで、私がご飯を作ることがあったが、その時私の目にはマイクは全てを美味しそうに食べてくれて、私に対しても礼儀正しく、話を聞いていても憎めない楽しい人に見えた。
 マイクが病気になれば、お弁当作って持って行ってあげたり、私とも友達としての付き合いはあった。
 そんなとき、事件は起こった。

 マイクはバーで知り合った女性にお金を盗まれたと言った。
 そのせいで次の日、会社を欠勤してしまった。
 何が起こったのか、本人から話を聞けば、ダウンタウンの酒場エリアで、女性と意気投合し、そこで酒を飲んでいたらしい。
 だが、お酒に薬を入れられ、意識が朦朧とし、気がつけば持ち物全て持っていかれたと言っていた。
 それを被害者らしく会社でいろんな人に話していたが、薬を入れられたのは嘘で、ただ酔いつぶれたに違いないと、夫はもうさすがに笑えなかった。
 マイクのことを思ってそんな話するんじゃないと言ったが、それが原因かわからないが、マイクはもう会社で次の更新をして貰えずあっさりと職を失った。
 自己管理ができない人間はアメリカ社会では低く見られる。
 私もさすがに引く話だった。

 マイクが頼れる友達は夫の他にもう一人いた。その友達がマイクにこの仕事を紹介して、それで夫とも知り合うきっかけとなり、会社で三人仲良くなったのだが、ある日その友達が夫に言った。
「今までマイクの面倒を俺がみていたけど、彼は君の家の近くに引っ越したから、これから君がみてくれ」
 夫は聞き流していたが、マイクに愛想つかしたのを彼の口調から受け取っていた。
 それを聞かされた私は正直恐ろしくなった。マイクが何かやらかすのではと不安にさせられたのだった。
 ある日、マイクは電話をかけてきたのだが、夫は家にいず、私が相手をしていた。その時のマイクは酔っ払ってろれつが回らない口調で、いつもと違う話し方だった。
 私には直接被害はなかったが、寧ろ
「いつもご飯をありがとう。今度僕がお礼にチーズケーキを作ってあげる。インスタントだけど、それでも美味しいから」
 と酔っ払っても必死に言っていた。
 いらなかったけど、ありがとうって一応いっておいた。でもあの酔っ払った話し方はやっぱり少し距離を置きたい気持ちにさせられた。
 マイクはその後失業手当で生活していた。彼はもと軍人であり、厳しい訓練を受けて、実際任務で戦った経験を持っていた。
 その話は夫も心をえぐられるくらいの衝撃を受け、辛い過去を持つマイクには何も言葉もかけてやれなかったと後に言っていた。
 元軍人は医療機関が無料になるという恩恵があり、体の調子が悪かったマイクはお金がなくても気兼ねなくよく病院に通っていた。
 マイクは肝臓が悪かった。それなのに酒が好きでしょっちゅう肝臓の調子を悪くしていた。
 そこでアルコール抜きをするリハビリをするために施設に移った。
 そこでは面倒はみてもらえるが、収入は全てそこの施設に渡さなければならないという決まりがあり、それを免れるために、マイクの郵便物はいつもうちに来ていた。
 そのリハビリもやっと終わりお酒も絶つことができ、また自立に向かったとき、夫とも連絡が途絶えてしまった。

 一体どうしているのかとたまにマイクの話をしていたが、それから数年後のこと、マイクの知り合いから電話がかかってきた。
 マイクは折角絶ったお酒をまたはじめ、無茶に飲みすぎて肝臓に負担をかけすぎ、病院に運ばれそのまま帰らぬ人となった。
 それがマイクの人生の幕だった。
 マイクが残したものは少しの身の回りの品だけ。それでもその知り合いの人はマイクの唯一の家族のお姉さんに連絡をとり、事情を話した。
 だけど彼のお姉さんの言葉は冷たかった。
「適当に処分して下さい」
 それだけだったらしい。
 マイクは一人寂しくこの世を去った。
 私はほんの一部しかマイクと関わっていないが、一時はこれでいいのかマイク?と思ったのも事実。応援して、なんとか見守ってあげようとも思ったが、途中で関わりたくないとも思ったこともあった。
 だけどこんなにあっさりと命を落とすとは、死んでしまってから、もっと力になってあげたらよかったなどと都合のいいことばかり思ってやるせなくなってしまう。
 酔って、勢いでかけてきたあの電話。
 私の料理がとても美味しいとそればかり何度も繰り返していた「ありがとう」。
 あのとき寂しくて寂しくて誰かと話した かったんだろうとその時になって思った。
 寂しいから飲んじゃいけないお酒をまた飲んでしまった。
 そういうことなんだろう。

 マイクが住んでいた近所を通ると時々そこを歩いてる彼の姿を想像してしまう。
 訃報の知らせを聞いたときは泣いたけど、面白い奴だったと今は笑って思い出語れる。
 ドーナツみるとバターを塗ったものが頭に浮かぶ。
 ほんと面白かったよ、マイク……。