あやかし店主の寄り道カフェへようこそ!

 坂部くんが触れた背中が熱い。

 人間としての坂部くんとあやかしとしての坂部くん。その二つの姿を全てひっくるめた彼自身に、やっぱり私は惹かれているのだろうか。

 それに呼応するように、ドキドキと鳴る胸の鼓動が静まることはなかった。

 *

 それから数日が過ぎる。

 開店時間直後、寄り道カフェの敷地内の落ち葉を集めていると、商店街とを結ぶ路地から元気な声が聞こえてきた。


「綾乃さんっ!」

 数日ぶりに顔を見せる由梨ちゃんだ。


「由梨ちゃん! いらっしゃいませ」

 ほうきを持ったままペコリとお辞儀をしていると、由梨ちゃんは私に飛び付いてくる。


「この前はありがとう。お母さんと、新しいお父さんとちゃんと話し合ったよ」

「すごい。頑張ったんだね」

 とても言いづらいことだっただろうに、自分の気持ちを伝えることができただなんて、本当にすごい。


「さすがにお父さんにあやかしの話はできなかったけど、でも、お互いのプライバシーを守るための配慮とか、そういうのを話し合ったの。一緒に暮らすようになってから私が居心地悪そうにしてるの、お父さんは気づいてたみたいで……」

「そうだったんだ」

 それなら、由梨ちゃんとしては今までよりずっと一緒に暮らしやすくなったということなのだろうか。

 安易に良かったねと口にしていいのか迷っていると、由梨ちゃんはそんな私の様子を気に留めることなく、大きくうなずいた。

「うん、お父さんも私とちゃんと話をしないといけないって思ってたんだって」

 それならもっと早く話し合ってれば良かったーと口にする由梨ちゃんの様子から、きっと由梨ちゃんの思うように話ができたのだろうと感じて、ようやく私もホッと胸を撫で下ろす。
「とりあえずそれで一緒に暮らしてみる方向で頑張ってみることにしたんだけど、それでもどうしても無理なら、家を出ても良いって言われたの」

「……え?」

 思わず驚きの声をあげてしまった。

 だって、由梨ちゃんはまだ小学生だというのに一人暮らしをするということだろうか。さすがにそれは早すぎるだろう。


「あ、誤解してたらいけないけど、私が家を追い出されるわけじゃないからね。私の気持ちで二人の仲を壊してしまうくらいなら、そのときは私から家を出たいなと思ったから。それに、早くて中学生になってからだし」

「いや、中学生でも充分一人暮らしには早いと思うけど……」

「だから私が大丈夫だと思えるまでは、ここを目指して勉強することにしたの」

 由梨ちゃんはランドセルからA4サイズの薄いパンフレットを取り出して、私に向かって差し出した。それは、隣県にある難関私立校のものだ。


「ええっ!? すごい……!」

「この学校の近くにね、評判のいい学生マンションがあるの。けど、まだ私は子どもだしお父さんのこともお母さんのことも心配させないように家を出るにはこの方法が一番かなって」

「そうだったんだね」

「もちろん一番はお父さんとお母さんと仲良く暮らせることなんだろうけど、まだわからないし。私らしく生きるために必要なら、こういう方法を取ってもいいって言ってもらえたの」


 もしも上手くいかなかった場合のことまで相談しているだなんて、それだけ深く話し合ったということなのだろう。

 由梨ちゃんはまだ小学生だというのに、お母さんと新しいお父さんのことを本当によく考えているなと思った。


「本当に頑張ったね、由梨ちゃん」


 もし本当にこの学校を受験してこの町を出ていくことになれば、なかなか会えなくなるんだなと思うと少し寂しく感じるけれど、由梨ちゃんの生きやすい生き方を見つけていってほしい。


「まあ、受験するかどうかはわからないけど、人間とあやかしの間にうまれた子どもは、あやかしの世界ではなかなか暮らしていけないから……。人間の世界で何とかやってくには勉強は必須だからね。とりあえず今はお父さんと家族になることと勉強と頑張る!」
「うん、応援してるよ」

「ありがとう! じゃあ、ミーコさんとギンさんにも報告してくるね!」


 由梨ちゃんは笑顔でそう言うと、寄り道カフェの中に駆けていった。


 人間とあやかしの間にうまれた子どもは、あやかしの世界ではなかなか暮らしていけないから──。

 由梨ちゃんから事情を聞いてしまったから、とてもその言葉が重たい響きに聞こえる。


 けれど、由梨ちゃんがお母さんと新しいお父さんと話し合った結果、自分らしく生きる一歩を踏み出せたというのに、私がこんな悶々とした気持ちじゃいけないだろう。

 私はパンパンと自分の頬を叩いて暗い気持ちを追い出すと、由梨ちゃんのあとを追ったのだった。



 寄り道カフェの中へ戻ると、すでに由梨ちゃんはさっき私が聞いた話をミーコさんにも話しているようだった。

 そこへ坂部くんが本日のケーキを運んでくる。


「あ、綾乃さんも、こっちこっち~!」


 こちらに向かって手を振る由梨ちゃん。優しげに微笑むミーコさん。由梨ちゃんのことで安心したのか、いつもよりも表情が柔らかい坂部くん。

 近くの席ですでに本日のケーキを食べていた京子さんも一緒になって笑っている。

 みんなともに、由梨ちゃんの問題が解決したことを喜び合ったのだった。
 クリスマスが近づいた今日。私は母親にかわって祖母の買い物に付き合うことになった。

 いつも祖母のことは母が手伝いに行っているのだけど、一気に冷え込んだことから母は体調を崩してしまったのだ。


「悪いねぇ、綾乃ちゃんにこんなことをさせて。お勉強で忙しいだろうに」

「ううん、気にしないで。勉強ならちゃんとやってるから」


 祖母は歳を取って買い物でさえ不安がある。祖母のメモをもとに必要なものを購入して、袋に詰める。

 祖母は元々教育熱心で、私が小さい頃から顔を合わせれば勉強してるかと口癖のように聞いてくる。

 いつも祖母の手伝いに母が出向いているのも、勉強しないといけない私に手伝いをさせるなんてという、祖母の考えからきているのだろう。


「荷物は私が持つから」

「綾乃ちゃんひとりじゃ重いから、おばあちゃんもひとつ」


 祖母は久しぶりに孫の私に会えたことがよほど嬉しいのか、ニコニコしながら野菜の入った買い物袋を私の手から取った。

 本当なら家もそう離れてないのだからもっと会いに行けば良いのだが、顔を合わせる度に勉強と口煩い祖母のことを、私はいつからか避けるようになっていたのだ。


「帰ったら、一緒に肉じゃが作ろうね」

「いいのに、肉じゃがくらい。肉とじゃかいもを炒めるくらいなら、おばあちゃんでもまだできるよ。綾乃ちゃんは、お勉強があるでしょう?」

 心配げに言う祖母に、今日だけと自分に言い聞かせて私は何でもない笑みを浮かべる。


「そうだけど、たまにはおばあちゃんと一緒に料理がしたいんだよ」
「そうかい。そのかわり、終わったらちゃんと綾乃ちゃんのお家に帰って、お勉強するんだよ」

「はーい」


 肉じゃがくらいできると胸を張る祖母だが、この春からの半年でも、三回は鍋を焦がしている。

 だから何かとおだてて、買い物のあとは数品目祖母のために料理をする必要があるのだ。

 これをいつも家の仕事と並行して行っている母は、本当にすごいと思う。

 そのとき、ふと私の隣を歩いていた祖母の動きが止まった。


「……おばあちゃん? どうしたの?」

「……ギン、かい?」

「……え?」


 返された言葉に思わず心臓がドキリと跳ねる。

 祖母の視線の先をたどると、黒髪にクールな面持ちの坂部くんの姿があった。

 寄り道カフェは土曜日のこの時間帯も営業している。


 何か買い出しにでも出ていたのだろうか。

 向かい側から歩いてきていたらしい坂部くんは、少し驚いた表情をして、人波をかき分けながらこちらに歩いてくる。


雛乃(ひなの)さんと、綾乃……?」

「……坂部くん、おばあちゃんのこと知ってるの?」


 雛乃、とは、祖母の名前だ。

 坂部くんの口から出たその名前に、彼が祖母のことを知っていることは容易に想像がつく。


「ああ、まぁ……」

 坂部くんは、どこか言いにくそうな様子だった。


「おやまぁ、綾乃ちゃんもギンと知り合いかい?」

「坂部くんとはクラスメイトなの」

「クラスメイト……?」

 祖母は、少し不思議そうに聞き返してくる。
「俺、今、綾乃さんと同じ高校に通ってるんです」

「そう。まぁこの世界で生きていくのなら、お勉強は大事よ。できないよりできた方がいい」

「はい。俺も雛乃さんからそう聞いて、今まで稼いできたお金で学校に通ってます」


 二人の会話を横で聞いていて、あれ、と思う。

 もしかして、坂部くんがあやかしだと祖母は知っているのだろうか。


「そうかいそうかい、お店は今も続けてる?」

「はい。そこの奥でやってます。よかったらいらっしゃいますか? 今なら空いてますよ」

 坂部くんは、寄り道カフェへと続く路地を手で示してそんな風に言う。


「じゃあお邪魔させてもらおうかな、綾乃ちゃんもおいで」

「……ええっ? う、うん……!」


 今回の買い物では冷凍食品は買ってないからちょっとくらいの道草は大丈夫だけど、まさか祖母と寄り道カフェに行くことになるなんて思わなかった。



 私が寄り道カフェでバイトをしていることは、誰も祖母には伝えていない。

 そんなことを教育熱心の祖母に知られたら、何を言われるかわからないからだ。

 内心ヒヤヒヤしながら寄り道カフェに祖母とお邪魔すると、ミーコさんも驚いたように私たちを迎え入れてくれた。


「まあ! 雛乃様と綾乃さん!?」

「こんにちは」
 今はちょうど手隙の時間だったようで、ミーコさんも空いたテーブルでアイスコーヒーを飲んでるようだった。


 ミーコさんは奥の席に私と祖母を通し、坂部くんはすぐに奥から本日のケーキと祖母のウーロン茶と私のカプチーノを持って来てくれる。

 本日のケーキはクリームブリュレだ。

 目の前に出されると食べないなんてできなくて、私はさっそく硬い表面にスプーンを入れると、トロリととろける中身をいただく。


「うーん、甘くて美味しい!」

「本当に。綾乃ちゃんは昔から甘いものに目がないからねぇ。でもまさか綾乃ちゃんがココを知ってるなんて思わなかったわ」

「あ、はは……っ」


 ここは一体なんて説明すればいいのだろう?

 近所の商店街のすぐそばとはいえ、偶然通りかかるような場所でもないし、適当な説明が思い浮かばない。

 教育熱心の祖母にバイトをしてるだなんて、私の口からはとてもじゃないけど言えない。


「綾乃さんは親しくてもらっているクラスメイトということもあって、うちの店を手伝ってもらっているんですよ」


 けれど、そんな私の意思と反して、あっさりと坂部くんが祖母に伝えてしまう。

 坂部くんってば、余計なことを……!


「ほぉ。綾乃ちゃんが、ギンのお店を?」

 祖母の目がこちらに向けられる。


「おばあちゃん、そんなこと聞いてない気がするけどねぇ」

 最近ものすごく忘れっぽくなった祖母は、いつもこの文言を口癖のように言っているらしい。

 だからたとえ祖母にバイトのことを話していたとしても、同じことを言われていた可能性は高い。
 そんな祖母に対して、上手いことを言ってこの場を切り抜けることは可能だったかもしれない。

 けれど、さすがに私にはそこまでの器量はない。


「うん……。そ、そうなんだ」


 祖母の片眉がぴくりと上がる。

 物忘れが酷くなってきても、元々の教育熱心なところは顕在している。

 そんな祖母にとって、高校生がバイトだなんてと思われているに違いない。


「……私ね、自分に何ができるのかもわからないし、何がしたいのかもわからなくて、ずっと悩んでて……。そんなとき、坂部くんがここで働いてみないかって声をかけてくれたの」


 最初こそ、バイトなんて自分にはできると思えなかった。

 だけど、やってみないとわからないと言われて、私はここでバイトを始めた。


「……最初は失敗ばかりだったけど、最近ちょっと慣れてきて……。いろんなお客さんに美味しいものを出して、相談に乗って、笑顔でありがとうって言われる度に、自分にもちょっと自信がついた気がするの」

「……そうかい。でも、お勉強は? ギンはまぁ……あの子は特別だけど、綾乃ちゃんは普通の高校生なんだから」

「成績もね、ここで働きだしてからの方が良くなったの。自分でもびっくりしてるけど」


 きっとそれは、今までダラダラとしていた生活にメリハリがついたからだろう。

 くわえて、何となく自分に自信がついたことで、やる気もアップしている気がする。
 今まで自分には何もない、何もできないと、何もせずに生きてきたけれど、思いきって新しいことを始めて、もがきながらも一生懸命やっているうちに、それが次第に自分の自信に繋がっていってるんだと思う。


「それならいいんだよ。綾乃ちゃんにとってここで働くことがプラスになっているのなら」

「……え?」

「これからもちゃんとお勉強して、ギンの手伝いもしっかりするんだよ」

「うん……!」


 今まで顔を合わせれば勉強と必ず口にしていた祖母は、私の中でどこか苦手意識があった。

 今回のバイトのことを知られても、頭ごなしに否定されるとしか思ってなかった。

 だけど祖母は、私にとってプラスになると判断したら、こうやって背中を押してくれるんだ。

 そんな祖母を見ていると、今までも決して意地悪で勉強と言ってきていたわけではなく、きっと祖母なりに私を案じてくれていたのではないかと思えてくる。


 祖母は私とクリームブリュレを食べ終えると、坂部くんからこのお店の話を聞いていた。

 祖母と坂部くんが話しているのをぼんやりと眺めていると、私の隣にスッとミーコさんがやってきた。


「雛乃様は綾乃さんのおばあさまだったのですね。初めて綾乃さんと会ったときから、若い頃の雛乃様と雰囲気が似てるなと思ってましたが、そういうことだったのですね」

「え? そんなに似てますか……?」


 いくら今、祖母に対するイメージが少し変わったとはいえ、今までの印象がよくなかっただけに、似てると言われてもあまり嬉しくないのが正直なところだ。

 けれど、ミーコさんはそんな私の心境も知らずににこりと微笑む。