――俺が死んだ理由を探してもらたいんだ。
 その言葉の重さとは裏腹に、声と表情は至って軽々しい。
「はい?」
 首をかしげ、不愉快を示す。顔をしかめ、サトルの透明な瞳をじっと見つめた。彼は苦笑寄りの愛想笑いを返してくる。
「死んだ理由って、何?」
 なんだ、それは。死んでもなお理由が必要なのか。
 見るからに彼は同年代だ。白い半袖のシャツと大幅なチェック柄のスラックス。よく見てみれば彼は矢菱高校の生徒らしい。
「なんて言うか……俺には死んだときの記憶がないんだ」
「記憶がない?」
 真彩は反射的に繰り返した。こちらの重さに対し、サトルは「うんうん」と軽い相槌を打つ。
「記憶って言っても、全部ないわけじゃないんだよ。あ、名前は西木覚(にしき さとる)っていうんだけど。死ぬ前は矢菱高校一年二組で、家はこの辺だった。けど、俺が死んでからは引っ越しちゃって」
「そこまで分かってて?」
「死んだ理由が分からない」
「はぁ……」
 突然に繰り出される彼の境遇についていけない。ぽかんと思考停止していると、サトルは怪訝に顔を覗き込んだ。
「聞いてる?」
「聞きたくないけど聞いてる。あと、近い」
 手で追い払うと、サトルの輪郭がぼやけた。身軽に離れていき、不満に唇をとがらせる。
「だって、こうでもしないと誰にも気づいてもらえないからさぁ……まぁ、やっと気づいてくれた人がいても、これじゃ頼りないかなー」
 さらっと出てきた言葉が辛辣だった。真彩は不機嫌に眉を動かし、踵を返す。もう話を聞いてやる義理はない。
「え? えぇ? ちょ、待って! どうしたの!?」
 慌てて回り込むサトル。その素早い冷気に鳥肌が立った。
「どいて」
「なんか怒らせた? ごめん! ごめんなさいっ! すいませんでしたっ!」
 謝れば済むことではない。真彩も意固地になり、冷たく突っぱねた。
「一人で探せばいいでしょ。なんで関係ない他人を巻き込むの?」
「いやっ、だって! こんな体じゃ調べようにも調べられないから!」
 サトルは必死に弁解しようと慌てる。やがては、すがるように頭を下げられる。
「お願いします。本当に困ってるんだ」
 真彩は眉間に力を込めた。苛立ちと罪悪感がぶつかり合っている。同情しているんだろう。でも、優しくはできない。
「調べなくても自分の頭ん中で考えてみたら思い出すんじゃない?」
「考えたよ! でも、どれも納得できなかった。誰かに相談したいけど、それもできなかった……死神は意地悪だし」
「えっ、死神?」
 ふいに出てきた言葉に、真彩は思わず怯んだ。幽霊がいるなら死神もいるのか。それもありえる。
「いや、俺が勝手にそう呼んでるだけで、そいつは生きてるんだけどさ」
 すかさず、つった頰をゆるめた。まったく紛らわしい。
「や、でも、幽霊もいるなら死神もいるわけだし、信じてくれるかなーって……とにかく! このとーりです! お願いします!」
 目を細めていたら、サトルは両手を合わせてきた。まさか幽霊に拝まれる日がこようとは思わない。
 真彩はぬるい息を吐いた。
「……本当はね、幽霊と関わりたくないんだよ、わたし」
 厳しく言うも、声を和らげるように努めた。酷なことを言っているのは分かっている。
「だから、声かけられても目が合っても、今までずっと無視してきたの」
「そ、そうなんだ……」
「そうなんだよ。普通は気持ち悪いでしょ、視えないものが視えるんだから」
「いやいや……そんなこと、ないよ」
「そんなことあるの。本当は視なくていいのに、視えてしまうからしょうがなくて。それを周りに言っても信じてもらえなかったから、わたしはずっと……」
 喉に何かがつっかえた。言葉がうまく出てこない。
 信じてもらえなかったから、ずっと独りだった。だから独りを選んで、学校も休む。勉強もしない。何もしない。考えない。勝手な理由をつけて、死んだフリをしている。
 喉に溜まった言葉とつばを同時に飲み込み、真彩は小さく口を開いた。
「――本当に困ってるの?」
 探るようにサトルを見る。すると、彼は目を逸してうなずいた。虚ろな瞳に光はない。生きていないのだと感じる。
「……分かったよ」
 声に諦めを混じらせて観念した。
「その死んだ理由ってやつ、探せばいいんでしょ」
「ほんと?」
「うん……」
 サトルは口をあんぐり開けて、すとんとしゃがみこんだ。膝にうなだれると、柔らかそうな髪が揺らいだ。
「よかったぁぁぁ……あー、よかった、助かったぁ」
 安心した声を漏らしたあと、嬉しそうに拳を宙に挙げる。そして、元気よく立ち上がった。
「本当にありがとう! ……えーっと」
 言葉に詰まっている。真彩は首をかしげて顔を覗いた。
「何?」
「……名前、なんだっけ」
 そう言えば、まだ名乗っていない。今日限りだと思っていたから名乗る必要性を感じなかった。
「一ノ瀬、真彩」
 入学式の自己紹介以来、自分の名前を口にすることがない。そのせいか、多少の気恥ずかしさを含んだ。その恥じらいをまったく気にしないサトルは、大げさな身振りで手を叩いた。
「真彩ちゃん! 本当にありがとう!」
「はいはい、どーも」
 相手は幽霊だが底抜けに陽気。表情がくるくる変わり、それについていくのが大変だ。真彩は肩を落として、自分の弱さに呆れた。

 ***

 翌日、真彩は岩蕗先生から言われた通り、午前十時に学校へ着くよう家を出た。
 町全体がフレンドリーで、広告も「アットホーム」を売りにしている窪駅周辺では公園の噴水で遊ぶ子どもたちが賑やかで眩しかった。目を細めて一瞥する。町の音を聴くのは好きじゃない。
 とくに、駅周辺は生きている人間と死んだ人間が多く混在している。ぶつぶつと恨み言を放つ半透明の異質物と、目を合わせないように通り過ぎる。彼らは晴れだろうが雨だろうが、冬だろうが夏だろうが関係ない。そこに居続ける。矢菱町に限らず、幽霊はどこにでも存在している。それを見て見ぬふりできるのも最近になってのことだ。
 真彩はコンビニで鮭とからあげのおにぎりと緑茶のペットボトルを買った。黙ったまま店員に会釈して品物を受け取り、日差しの中へ出る。午前中だというのに額から汗が吹き出すくらい八月は灼熱だった。
 ペットボトルを開けて、喉に冷たい緑茶を流して、早足に駅の中へ駆け込む。自動改札機に定期券を押し当て、颯爽とホームへ直行。九時発の電車には充分に間に合う十分前だった。ホームは暑い。日差しは遮ってくれるけれど、熱までは遮ってくれない。
 ――溶けそう。
 補習二日目にして学校へ行く気が失せた。
 岩蕗先生が言うには、この補習を逃すと留年らしい。人がいっぱいるのは苦手だが、エアコンの効いた部屋で先生と過ごすのはまだいい。たどり着くまでが地獄なだけで。
 うだる頭でそんなことをぼんやり考える。冷えた電車に急いで乗り込み、ゆるりとした時間を過ごす。眠気を誘う揺れに従って、冷たい箱の中で目を閉じた。
 まどろみに落ちていく――桜が舞う病室で、カーテンが荒々しくなびいた。あまりの冷たさに凍りつきそうだった。まだ指がかじかむ季節に、窓に身を乗り出す母の背中……それを止める父の怒号……あれからもう何ヶ月も経っているのに、どうしても頭から離れない……

 ガタン――
 電車が大きく揺れ、真彩は驚いて目を覚ました。慌てて辺りを見回す。
『次は矢菱町、矢菱町――』
 アナウンスが流れる。真彩は肩を落とし、カバンの中にある定期券を探った。もうすぐ降りなくてはいけない。
 電車が速度を落とし、やがて止まる。同時にぼんやりと立ち上がり、扉の前に立った。顔色の悪い幽霊みたいな自分がいる。すぐにうつむいて前髪を触る。ドアが開き、ホームへ飛んだ。
 考えるのはやめよう。憂鬱な気分でこの熱気の中、学校まで歩きたくない。
 真彩はカバンを掛け直し、ホームを駆け下りた。改札まで一直線。
 眠っていたからか喉が渇いている。ペットボトルをひねり、すぐに頬いっぱいに冷たいお茶を含んだ。ゆっくりと喉へ流し込んでいく。
 その間、駅舎にはまばらに人が行き交っていた。透けない人も、透けている人も。肉眼では些細に動きが分かる程度に動く幽霊。それをも背景の一部として認識する。
 真彩はもう一度お茶を飲んだ。気温は三十三度。暑い。うだる頭が溶けそうで、喉はすぐに渇いていく。
 その時、耳元を冷気がよぎった。目と鼻の先にすぐ、人をかたどる半透明な少年が現れる。
「おはよう、真彩ちゃん!」
 途端、真彩は口に含んでいたお茶を思い切り噴き出しそうになった。手で押さえて上体をあげて無理やり喉に送る。間違えて鼻に送られた。つーんと痛む鼻を押さえてペットボトルを閉めると、サトルを睨みつける。
「あー、ごめんねぇ……」
 その笑顔がなんだか憎めない。真彩は涙目で、カバンにペットボトルを押し込んだ。思わず文句を飛ばそうとしたが、口を開いてすぐにやめる。
「ん? ……あ、そっか。人が近くにいるからか」
 無視を貫いていると、彼は一人で納得した。腕を組んでうなずいている。
 そんな彼に、真彩は話してやる気はない。まだ痛む鼻をすすり、スマートフォンを出した。メモに文字を打ち込み、黙ったままサトルに見せる。
『補習が終わるまで待ってて』
「オッケー!」
 ぱあっと華やぐ笑顔でサトルは親指を突き上げた。それから、しげしげとスマートフォンを見つめる。
「はぁー、これが噂のスマホか。すげえ」
 初めて見るような口調に、真彩はただ単純に呆れた。


 学校まで無言で歩く。サトルは何やら話しかけたそうにしていたが、公道や学校の近くでは我慢していた。真彩は一言も喋らない。それも、途中から部活生らしき男子生徒たちのジャージが目の前にあったからだ。
 夏休みなのに、部活は休みじゃないらしい。大変だなぁと他人事に考えながら校門までたどり着く。
 ジャージが門をごく自然に通り抜けていった。しかし、真彩は足を止めた。同時に息も止める。
「うわ、影が大きくなってる」
 代わりにサトルが大袈裟に驚いてくれる。
 昨日の影は腕だけだったのに今では肩と胸が見えていた。異様で不気味な影に、真彩は距離をとった。校門を飛び越えると、あの寒気が全身を襲う。暗く冷たい、骨が凍てつくような――
「え? 真彩ちゃん!?」
 無意識に走っていた。サトルの声があとを追いかけてくるが知ったことじゃない。誰もいない昇降口で慌てて靴を脱ぎ、上履きに替え、廊下に出るまでノンストップ。足が疲れを感じるまで止まらない。
「あぁ、もう。足速すぎな。全然追いつけねぇ」
 階段の踊り場で追いついたサトルが息を切らしながらぼやく。真彩は上がった息を整えた。急激な運動で熱が上がれば、もうあの寒さが消えていた。
「……足だけは速いよ、わたし」
「そのようで」
 返ってくる声には疲れがあった。
「わざわざ走ってくるとか……幽霊って、瞬間移動できないの?」
「できるわけないじゃん。真彩がどこに行くかなんて知りようがないし」
 サトルは鼻で笑った。
 ――呼び捨て……
 不意打ちの呼び捨てに驚いてしまい、話が入ってこない。
「それにしても、その足の速さはすごいなー。陸上部から勧誘されない?」
「……え? あぁ、うん。担任が陸上部顧問だから余計に」
「だと思った」
「でも、部活はだるいから断ってる」
「もったいねぇー」
 サトルは愉快そうに笑った。あんな影を見たあとなのに、テンションが高いのは何故なのか。真彩は呆気にとられ、真顔で彼をじっと観察した。
「サトルくんって、なんて言うか……」
 ――なんて言うか、
「……普通、だよね」
 やっと出てきた言葉はなんの捻りもない。今度はサトルが真顔になる。
「普通?」
「うん。死んでなかったら普通にそのへんにいそうな感じ。わたしの知ってる幽霊っぽさがない。なんか引くわ……」
「引くな引くな。あと、幽霊に向かって『普通』はないだろ」
 サトルは顔を引きつらせた。言葉とは裏腹にあまり怒っていないようだ。
「てか、真彩は普通じゃなさすぎ。幽霊が視えるなんて」
「そりゃ、普通じゃないのは分かってるよ」
 真彩は淡々と言った。
「それに、全然いいものじゃないし。地獄だよ、視えるって」
 目を細め、うんざりとした顔をサトルに向ける。彼は丸い目を見張った。そして、ゆっくり瞬きをする。喉がごくりと動いた。
「視て気分がいいものじゃないからね。死んだ人たちの声は、いつも暗いし。それにあの影も。目が合うと心臓が落ち着かないし、怖いよ、すごく」
 一息に言うと、サトルは圧倒されたのか黙りこんで、それから苦笑する。同情が見えてしまい、真彩は不機嫌に階段をのぼった。一段上がるごとに重くだるい。その横を一歩下がったところからサトルが遠慮がちについてくる。
「……それさ、親には言ってるの? 一人で抱えるのって辛いだろ」
「言ってるよ。最初からずっと。でも、信じてくれない」
「うーん……」
 サトルの声は後ろめたそうな音だったが、それを許せるほど器は大きくない。投げやりに口を開く。
「病気だって言われたよ。でもなんにも悪いところはないから原因不明。精神的に問題があるんだろうってさ」
「そんな」
「そうなの。だから、普通じゃないってことくらいは人に言われなくても分かってるよ」
 どうにもムキになってしまう。そんな自分を冷やそうと、階段の壁に背中をくっつけた。ひんやりと固い冷感が制服の布越しに感じる。
「……普通ってさ、案外、存在しないものかもしれないね」
 やがて、サトルが言った。彼が吐く息が冷たく、また壁の冷たさに当たっていれば、これ以上熱は上がらない。
「サトルくんは幽霊じゃなかったら普通だよ」
「あー……うん。まぁ、今じゃそれも意味ないんだけど」
 その言い方に、真彩はたちまちバツが悪くなった。うつむく。
「そんな顔すんなよー。俺はもう割り切ってるんだし」
 サトルは未練がないらしい。その未練がなんなのか知らないからだろう。無邪気な幽霊は、あまりにも現実的ではなく、あまりにも普通で、怖くない。
「幽霊が日常的に視えても怖いものは怖いんだよね?」
 教室へ行く途中、サトルが冷やかすように聞いた。それはどうも、気を紛らわしてくれているように思えた。
「そりゃあね。年中無休、永久に続くお化け屋敷みたいなものだよね」
「うわぁお。そりゃあ怖いな。俺もたまーに幽霊に出くわすけど、あまり関わりたくないのは分かるな。不気味だし」
「でしょ」
「でも俺はそうじゃないだろ?」
「まぁ……」
 頷きかけてやめる。ここで肯定すれば、サトルが調子に乗ることは明白だった。