「――え、自分を調べる?」
 帰り道、サトルが脈絡なく言ってきたのをそのまま繰り返して、真彩はキョトンと目を開いた。
「自分のこと検索してもヒットするわけないじゃない」
「なんでネットで調べる前提なんだよ。そうじゃなくて、ほら、いろいろあるだろ。お父さんに話を聞くとか、おばあちゃんや親戚に……って、嫌そうな顔をするな」
 真彩は険しい表情でサトルを睨んでいた。慌てて目を逸らす。
「……話かー。でも、お父さんは話してくれないよ。この間、おばあちゃんがお父さんに電話してたっぽいけど、なんか、ちゃんと話したほうがいいとかなんとか」
 真彩は祖母の家にいる時に聞いたものを思い出した。
「それだ!」
 サトルが大声を上げる。何がなんだか分からない。
「いや、だから、真彩はなんか誤解してるんだよ。親が子供にひどいこと言うなんてさ、よっぽどの理由がないとそうはならないだろ」
「ひどいことを言う親も世の中にはいるんだよ」
 真彩は目を細めて言った。サトルの口角が一気に下がっていく。
「……うーん、でもそれはそうかもしれないね」
 話を聞くというのは一番効率がいい。祖母も父に「きちんと話せ」と言っていたことも含め、父が何かを隠しているのは前々から怪しんでいたものだ。向き合うのは怖い。でも、ぶつかりあっても無意味なだけだ。向こうの出方次第では冷静に話し合いができるかもしれない。
 原点に帰って観測する。違うルートを考える――そうして答えが見つかるのなら、そうするべきだ。
「――じゃあ、サトルくんもお母さんから直接聞いてみたらいいんじゃないかな」
 ふと思いついたことを言ってみる。思わぬ提案にサトルの丸い目が広くなった。
「え? 俺?」
「うん。だって、そうしたほうが早いでしょ。死因の特定」
「死因の特定……それは確かにそうだなー……」
 一時の間。そして、同時に顔を見合わせて眉間にシワを寄せた。
「どうやって聞くんだよ」
「ごめん。わたしも言ってから気がついた」
 この思いつきはすぐに却下となった。仕方なく、真彩はおもむろにスマートフォンを出した。すかさずサトルが聞く。
「何してんの?」
「検索」
 当然のように返すと、サトルが慌てて画面に手をかざしてきた。
「ちょっと待て! そんなあっさり調べる? 俺の心の準備が全然できてないんですけど!」
「だって、早いほうがいいじゃない。わたし、サトルくんがまたあの影になっちゃうの、嫌だもん」
「そうだけど!」
 サトルはもどかしげだった。煮え切らない。でも、早急すぎたかもしれない。真彩はスマートフォンをカバンにしまった。
「じゃあ、サトルくんがいないところで調べるよ。何も出てこなかったら図書館に行くし、サトルくんのお家にも行く。それでいい?」
「それは……まぁ、それでいいけど。ってか、なんで急にそんなやる気に」
 彼の疑問はもっともだろう。真彩は視線を上にずらして思案する。でも、いくら理由を考えても分からない。いや、理由なんていらないんだと思う。
「わたしがそうしたいから、じゃないかな」
 出てきた答えは笑ってしまうくらい曖昧で、でも揺るぎない。

 ***

 八月も後半に差し掛かれば、陽が傾くように気温も傾きはじめた。だが、暑いことには変わりない。
 道路に落ちたセミの死骸を避けて歩き、渇いたアスファルトの熱を靴底で吸い取っていく。そんな日常も慣れてきた。影も大人しく、不気味さには慣れないがやりすごすことができるようになった。
 もしかすると、新学期から毎日登校できるかもしれない。そんな期待をしていたが、登校日の学校は賑やかさに拍車がかかった。人がたくさんいるというだけで圧倒される。日に焼けた肌が眩しく、楽しげな空気に足がすくむ。
 真彩はすぐに教室から離れ、一目散にトイレへ駆け込んだ。しかし、そこにも女子生徒が多く集まっているので慌てて引き返す。人がいない場所がなく、どこもかしこも浮足立った生徒であふれている。
「むりぃ……」
 学校に行き慣れたからといって、人に慣れたわけじゃない。むしろ、あの静けさが恋しくて堪らない。唯一人がいない場所と言えば、屋上に続く階段だけ。迷わず避難することにした。
「おい、真彩。何やってんだよ、そんなとこで」
 呼ばれて顔を向けると、サトルが階下で仁王立ちしていた。探しにきたのか、あの人混みの中を追いかけてきたのか。こちらもなんだか疲れた様子だ。
「……まぁ、ちょっとね」
「教室に人がいっぱいいるから?」
 すかさず図星を突かれる。真彩は目を細めて苦笑いした。
「俺はああいう空気、好きだったけどなぁ」
「あーね。サトルくんって陽キャ属性だもんね」
「ん? なにそれ?」
「なんでもない」
 たまに話が噛み合わないのは、なんとなく感じている。真彩はここ数日考えていたことを頭の中で整理した。
「……サトルくん」
 舌をゆっくり転がしながら言葉をつくる。
「あのね。わたし、今日は図書館で調べてみようと思ってるんだ」
「図書館? なんで?」
 目を向けると、彼はキョトンとした目でこちらを見ていた。
「新聞のバックナンバー。他にも、調べる手はいくつかあるよ。サトルくんはここの在校生だったから、学校にも記録があるはずだし、やろうと思えばいくらでもできるの」
 しかし、真彩は浮かない顔のままでいた。もやもやと気が晴れない。やる気は起きないが、また別の悩みがあった。
「でもね、いくら証明したところで、サトルくんが納得できるとは思ってない」
 サトルは驚いた瞼をゆるゆると下ろした。そして、小さく笑う。
「うーん……要は俺が納得できるかどうか、それが問題なわけだ」
「うん」
 サトルの影はまだ残っている。それを取り除くのはもう無理だろう。それでも、きちんと解明しなくてはいけない。どうして彼が死ぬに至ったのか。その理由を知りたい。そして、自分のことも知らなくてはいけない。こちらのことは後回しにしてしまっている。
「真彩はどうなんだよ」
 ちょうど考えていたところにサトルが目ざとく聞いてきた。言葉に詰まる。
「や、そこは、ちょっと……まだお父さんと会えてないから」
 しどろもどろに返すと余計に怪しい。サトルの探るような目が痛い。
「なぁ、真彩」
「はい……」
「もうすぐホームルーム始まると思うんだけど、戻らなくていいの?」
 親指で廊下を指すサトル。そのちょうどにチャイムが鳴る。真彩は手すりを握って固まった。
「やだ、行きたくない」
「ダメ。行ってきなさい」
 かしこまった口調で言われるが、こちらも負けてはいられない。激しく首を横に振って動かないアピールをする。
「やだやだ。帰る。もう帰る!」
「すぐ終わるだろ。いいから行って来い!」
 サトルの指がふわっと首を触る。氷を当てられたような鋭い冷たさに思わず立ち上がる。
「やめてよ!」
「じゃあ教室に戻れ」
 ビシッと扉を指すサトル。その顔はふざけたようなしかめっ面だった。それにはもう敵わない。
「……分かりました。分かりましたよ、まったく。あーもう、帰りたい。だるいだるい帰りたーい」
「いいからさっさと行け」
 扉を開けて、むくれ顔を向けてやる。サトルは追い払うような仕草をした。それを冷やかすように笑い、重たい足を教室に向ける。
 校舎の中にいると耳がうるさい。真彩は冷えた首筋をなぞりながら、壁伝いに教室へ向かった。

 ***

 真彩が壁を這うように教室へ戻るのを見届けて、サトルはすぐに二年三組の教室へ向かった。制服を着崩した連中はクラスに何人かいるが、この真夏日にもパーカーのフードをかぶったままの生徒は本当に目立つ。意外とあっさり見つかった。
「おい、カナト」
 カナトは大人しく机に寝そべっていたのだが、サトルが目の前に現れた途端に顔を上げた。
「おぉ、サトルくん。遠路はるばるようこそ」
 寝ぼけ眼であくびを噛みながら言う。そんなカナトにクラスメイトたちは気にしていないようだ。それならこちらも遠慮なくここで話をしよう。
「真彩が図書館で俺の死因を調べるってさ」
「ん? んん? え、なんで?」
「とぼけんな」
「とぼけてないよ。寝ぼけてるだけ……あぁ、OK。そう怖い顔するな」
 小さく両手を挙げて笑うカナト。彼は咳払いし、考えるように言った。
「えーっと、つまり、真彩ちゃんが突然行動を起こしたものだから、僕が絡んでるんじゃないかと疑っているわけだ。なるほど」
「お前じゃねーの?」
「だから言っただろう。僕は君に真彩ちゃんのことを頼んだんだ。僕じゃ役不足だからね」
 確かに、カナトは先日、校門の影を前にしてそう宣言した。

「僕の目的はね、そもそもあの影が誰なのかを調べることだった。最初は君のものだと思っていたんだよ。でも、影を切り離す幽霊なんて前代未聞。そしたら、色々と見えてきた。その決定打となったのがサトルくん、君の暴走だ」
 早口に説明される。
「あの時、君の体内には黒い影が渦巻いていた。ということはつまり、君は普通の幽霊で、負の感情に飲み込まれかけていたんだよ。そうなれば、じゃああの影は誰かって話になる」
「俺が影に飲み込まれそうになったとき、あの影は……」
「校門にいた。て言うか、ずっとそこにいる。そして、干渉したところで中身は空っぽだった。全然視えなかったんだよ、こいつの記憶が」
 カナトは忌々しげに影を指差した。
「僕は幽霊に触れられる、干渉できる体質だ。僕には、真彩ちゃんよりもいろんなものが視えるんだよ」
 サトルはごくりとつばを飲んだ。恐れと不安がよぎり、指先にある影がわずかに揺らぐ。
「この影には記憶がない。というか、後悔と不安、恐怖という感情だけがここに置き去りにされている状態だ。それは幽霊じゃない。悪霊でもない。正体不明の怪物だった。でも、真彩ちゃんの昔話を聞いて確信した。これは彼女なんだって」
 衝撃的な真実にサトルは肩を落とし、しゃがみこんだ。頭を抱える。
「えーっと、じゃあつまり? この影は真彩自身のもので、真彩が捨てた怪物ってこと?」
「そう。人間の裏側、すなわち影。生きた人間が影を消化せずに捨てるっていうのは良くないことだ。でも、ここまで膨れた影を一気に返すと彼女の体は耐えられないだろう」
「……返したらどうなる?」
 あまり考えたくない。サトルはしゃがんだままでいた。
「壊れるだろうな。確実に」
 頭にカナトの声が無情に振ってくる。サトルは細い息を吐いた。努めて冷静でいようと耐える。
「どうにかならないのか? 除霊、だっけ? そういう、なんかお前の力か何かで」
「除霊したら、今度は彼女の記憶や感情が危うい。生身の人間にそんなことをしたら、魂が死んでしまうかもしれない。君は真彩ちゃんを廃人にしたいのか」
「んなわけねぇだろ!」
 思わず声を荒げると、影が腕にまで達した。こちらも猶予はない。
「まぁ、君はそう言うだろうね」
 カナトは悪びれずにさらっと言った。だが、視線はいつになく険しい。
「……どうしたらいい?」
 何かできることはないか。打つ手はあるはずだ。真彩が何かを克服したらもしかすると、影が消えるかもしれない。そんな希望をいくつも考える。それがたとえ浅はかなものだとしても、真彩を助けたい。そこに理由なんてない。
「一番いいのは、真彩ちゃんが抱える後悔の原点を知ることだね。そして、その解決。要は、彼女が認めれば済む話。その説得を君に任せるよ」

 思い返すも、やはり無理難題を言っている気がする。でも、それしか方法がないのなら真彩に認めさせるしかない。
「僕が動かずとも彼女は答えを見つける気なんだよ。誰に言われたってわけじゃなく、自分で決めたんだ」
「……それが本当ならいいけどさ」
 渋々納得する。カナトの言葉は信用できないのに、妙な説得力がある。認めたくはないが。
「――サトルくんよ」
 机に寝そべったまま、カナトが言う。なんだか邪推するように粘っこい目つきだった。
「未練の上に未練を重ねてどうするんだ。偉そうに僕を咎める前に、まずは自分の気持ちをはっきりしなよ。君は、真彩ちゃんのことが好きなんだろう?」
 確信ありげな言葉と人差し指を真っ直ぐ胸に突きつけてくる。
「……へ?」
 思考が止まった。こちらの真剣さとは真反対の話題に、頭が追いつかない。
「ん? 違うの?」
 カナトの指が残念そうに下がっていく。
「てっきりそうだと思ったのに」
「はぁ? おまっ、お前、何言ってんの!?」
 慌てて周りを見回したが、こちらに注目する生徒はいない。それなのに恥ずかしさが顔に集中する。
「んなわけ、ないだろ! 意味わかんねーよ!」
 感情と声が同時に上ずった。それを見て、カナトは頬杖をつき、遠い目をした。
「ガキだなぁ……」
「うるせーな! いいか! それ、真彩に言ったら、」
「言ったら?」
「……えーっと……呪う?」
 我ながらバカなことを言っていると思う。
「そいつは恐ろしいや」
 カナトはもう相手にするのも面倒だと言いたげに、机に伏せてしまった。