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 七緒が指定したのは遊園地だった。何てことない、普通の遊園地。海外映画をモデルにしたアトラクションも、人気キャラクターも、パレードもない。どちらかといえば、そういう大型テーマパークに呑まれ、客足が思うように伸びない、そんな廃れた遊園地だった。
 廃れたといっても、人が全くいないかといえばそうでもなくて、それなりに人はいた。ここらへんに大型テーマパークはないし、行くにも日帰りでは難しいから、皆ここを代わりにしているのだろうなと思った。
 七緒は、案の定、制服を着ていた。だから、僕も彼女に合わせて制服を着てきた。もしも、ここで彼女が私服だったら、僕は恥ずかしさで逃亡していたかもしれない。
 遊園地ということもあって、制服で来ている人は結構いた。制服の彼らは、友達同士か、仲睦まじく手を繋ぐ男女で、人生を謳歌しているような人達しか見当たらなかった。僕達のように、謎の協定で結ばれた生ける屍とは全く違うように思えた。
「何で、遊園地?」
「行ったことなかったから。充電期間なんでしょ? 楽しいらしいし、本当に楽しいのか確かめたくって」
「素直に行きたかったって言えないの?」
 その言葉が癇に障ったのか、七緒は不機嫌そうな顔になった。けど、すぐにいつもの、何もかもを隠した、冷めたような顔に戻った。
「悪い?」
「別に」
 意地の悪いことを言ったのはという自覚はあった。だから、どう考えても、僕に非がある。それに、七緒が自分の思いを素直に口に出せないということくらい、もうわかっていた。もしかしたら、そういう部分を、絵で表現することで補完していたのかもしれないなと思った。
「じゃあ、絶叫系がいけるかどうかもわからないんだ?」
「そうだね。でも、たぶん、大丈夫だと思う。車酔いとかはしないし」
 車酔いとは少し違う気がしたが、それは言わなかった。
 そもそも、高三にもなって遊園地に来たことがないということが、少し特殊だった。相当厳しい家庭なのかもしれない。勝手な偏見だが、そうなのだとしたら、思いを言えないという性格にも頷ける。
「出口は? 絶叫系乗れるの?」
「まあ、人並み程度には」
 昔、といっても、中学生のときだが、僕は椎名とよく出掛けていた。その連れ回された内の一つに、遊園地もあった。その当時は、絶叫系はあまり得意ではなかった。椎名は大の得意だったらしく、僕は何度も椎名と乗るハメになった。それで身体が慣れたのか、次第に恐怖を感じなくなったのだ。
「怖いなら、無理に乗らなくてもいいんだからな?」
「乗らず嫌いは良くないし、とりあえず、何か乗ってみる。この遊園地で、一番怖いのってどれ?」
「言わずもがな、ジェットコースターだよ」
「じゃあ、それ」
 一番怖いのが平気だったら、他のどれに乗っても大丈夫だろうということなのだと解釈した。でも、こういう乗り物って、案外、激しさとかは関係なかったりする。
 例えば、ジェットコースターは好きだけど、フリーフォールは無理みたいな。高速移動と、垂直落下で生じる浮遊感は、少し違う。同じ絶叫系でも、その微妙な違いで好き嫌いが分かれることもある。そのことを伝えるべきか悩んだけど、伝えないことにした。七緒の言葉を借りるなら、乗らず嫌いは良くないからだ。
 ジェットコースターへと通じる階段の横の券売機で、二人分の乗車券を購入する。
 ここの遊園地は、入場したら乗り放題というタイプではなくて、一つ一つ、料金を支払わないといけないタイプだった。その分、入場料は安いけど、最終的には、何処ぞのテーマパークの入場料と同じくらいになるのだろう。
 一時間程並んで、僕達はジェットコースターに乗り込んだ。九両編成の四両目だった。
 走行中、四方八方から多種多様な叫び声が聞こえたけど、僕達は一言も声を発さなかった。
 最初、僕は七緒は怖がっていて声を出せないのだと思った。でも、そういう訳ではなさそうだった。彼女の表情はとても楽しげだった。だから、単純に、性格の問題なのだと思った。僕も彼女も、ジェットコースターで叫ぶような性格ではなかった。それだけの話だった。
「どうだった?」
 そんなこと、七緒の顔を見れば一発でわかったけど、あえて聞いてみた。やっぱり、僕は意地が悪い。
「うん。まあ、嫌いではない」
 七緒らしい回答だった。
「次、どうする?」
「あれ。あの回ってるやつ」
「空中ブランコな」
 そんな感じで、僕達は色々なところを巡った。
 お化け屋敷では、ほんの少しだが、怖がっている七緒の姿が見れた。
フリーフォールは、やっぱり、ジェットコースターと勝手が違ったらしく、七緒は顔を顰めていた。
 コーヒーカップでは、二人共テンションがハイになっていて、調子に乗り過ぎた。
 気が付いた頃には、とっくにお昼を過ぎていたけど、食事をするにはちょうどいい混み具合だった。
 ウォータースライダーでは、思ったよりも濡れてしまった。冬の寒さで、刺すような痛みを感じたけど、僕達の心は温かかった。
 こうしていると、まるで、恋人同士だなと思った。もちろん、僕達はそれぞれ別の企みがあるから、そんな純粋めいたものではないのだけれど。でも、そういうふうに思えるくらいに、僕達は楽しんでいた。だから、最初の目的は達成出来ているのだと思う。
 最後に観覧車に乗ることになった。王道中の王道だ。
 赤い箱に、僕達は向かい合って座った。ゆっくりとした徐行運転。一周するのに、だいたい二十分はかかるそうだ。
「ねえ、出口は何で死のうと思ったの?」
 四分の一くらいに来たところで、七緒が聞いてきた。
「別に」
「じゃあ、質問を変える。私と似ているっていう、貴方の死んだ友達について教えて」
 七緒の目は鋭かった。
「私は、出口の生きる意味をみつけないといけない。それなのに、貴方は何も話さない。私ばっかり、事情を話してる。どう考えても、私の方が不利。公平性がない」
 さっきまでの楽しい雰囲気は、一体何処へ行ってしまったのだろう。そこには、新たな楽しみを知った彼女はいなく、人生を捨てようとしている彼女しかいなかった。
「公平性って何だよ。僕は君が言ったことから推測して、君の自殺理由を突き止めたんだ。そこからは、君が勝手に言い出したことじゃないか」
 そう言ってやりたかったが、寸前でやめた。
 僕の本来の目的を思い出せ。
 僕は、七緒の信頼を得なければならない。そのために、今、こうして彼女の手伝いをしている。親身になって話を聞いて、出来る限りのことをして、信頼してもらう。それが、現在最優先としている目的のはずだ。
「わかったよ」
 溜め息混じりで、言った。
 僕は七緒に椎名のことを語った。
 唯一の友達だったこと。
 三ヶ月前に突然死んでしまったこと。
 それは自殺とかの類ではないこと。
 二人で色々な場所へ行ったこと。
 特別な存在だったこと。
 椎名が死に興味があったということは、どうしても話せなかった。椎名の尊厳にかかわることで、勝手に話してはいけないと思った。それ以外のことは、出来る限り詳細に話した。
 話し終えたとき、ちょうど観覧車が一周したところだった。係員の人に「もう一周しますか?」と聞かれ、少し悩んだ結果、もう一周することにした。こんなふうに、本当に二人きりで話せる環境は、かなり少ないので大切にしたいと思った。
 扉が閉まって、しばらくすると、七緒が口を開いた。
「出口は、椎名さんが死んだから死にたいの?」
「そうだよ」
 椎名のいない世界なんて、生きていても意味がない。何の楽しみもない。そりゃ、今日は楽しかったさ。けど、そういう楽しみではなくて、もっと本質的な、生きるために必要な楽しみというのが、今の僕には何一つ思いつかなかった。そしてそれは、この先一生みつかる気がしない。
 でも、死ねば椎名のいる死後の世界に行ける。椎名に再び会うことが出来る。そっちの方が、楽しいに決まっている。
「出口は、大切な人を大切にし過ぎてしまうのね」
「どうだろう。比較対象がいないから、わからないよ」
 確かに、椎名のことは大切だ。けど、彼女以外に友達がいないから、この大切という感情が、普通よりも大きいのか、普通なのか、小さいのかわからない。もしかしたら、これが僕の普通なのかもしれないし、やっぱり、彼女だけが本当に特別なのかもしれない。わからないものは、わからない。
「思ってたより、難しそうね」
 七緒が顔を顰める。
 その顔を見て、僕は何だか嬉しくなった。七緒を困らせてやったという喜びではない。彼女が、僕の問題を重大なこととして受け止めてくれたことが嬉しかったのだ。
「馬鹿にされるかと思っていたよ」
 だって、こんな理由、普通じゃない。
「どうして? 恋人が死んで、その後を追うのと同じようなものでしょ?」
「椎名は恋人じゃない」
「それでも、大切だったのだとしたら、恋人のそれと同じだと思うけど」
 僕のは、そんな純粋なものではない。否定したかったけど、これ以上話をややこしくはしたくなかったので、そういうことにしておくことにした。
「で、君はどうする?」
 挑戦的に投げかける。
 僕は、自分が死ねることを信じていた。誰がどう足掻いたところで、僕の考えを曲げることは出来ないと踏んでいた。相手が、プライドの高そうな七緒なら、なおさらだ。
「じゃあ、私を見て」
 だから、七緒の言葉に、僕は驚きを隠せなかった。
「私と友達になろう。椎名さんじゃなくて、私を見て。すぐには無理かもしれないけど、私を、椎名さんのように大切に思って。そしたら、椎名さんが特別なのかも、そうでないのかもわかるでしょ?」
 本気で言っているのかよと思った。
 だって、まさか、そんなことを言い出すなんて思わないじゃないか。
「僕は、君を君としてじゃなく、椎名の代わりとして見るかもしれないよ?」
「それは……それでもいい。本当は、代替品なんて嫌だけど、でも、その後で私のことを見てくれるのなら、私は構わない。何事にも順序があるってことくらいわかってる。今、出口の世界には椎名さんしかいない。その椎名さんはいなくなって、よく似た私が現れた。だから、代わりにされても仕方がないと思う。けど、出口は気付くはずだよ。私と椎名さんの違いを。それが膨らんだら、もう、私を代わりにすることは出来ない。私は、それを待つ。ただ、それだけ」
 一気に沢山話して疲れたのか、七緒の息遣いは少し荒かった。
 七緒の言うことは、理にかなっていた。
 そのやり方は、僕のやり方とまるで似ていた。
 僕は、七緒がスランプから立ち直るまで何だってする。いつまでも付き合う。そうすることで、信頼を得ることが出来れば、最悪、絵が描けなくても、僕を想って死なないかもしれない。そう、何だっていいんだ。彼女が僕を信頼さえしてくれれば。もちろん、絵が再び描けるようになれば、それに越したことはないのだけれど。
 七緒は、僕が椎名以外に大切な存在を作れるようになるまで何だってする。自分が椎名と似ているということを利用して。そうすることで、僕が七緒のことも特別だと思えれば、七緒を想って死なないかもしれない。何だっていい。僕が他の人物に目を向けることが出来れば。
 たぶん、そのことに七緒も気付いている。気付いたうえで、この方法を執ろうとしている。
 だから、これは全て感情論なのだろう。互いの目論見を知ったうえで一緒に過ごし、それで相手の思惑通りになるのか、ならないのか。今はならないと、互いに信じているが、どうなるかなんて、本当のところはわからない。なってみないとわからない。そういうことなのだ。
「わかった。七緒のことを見られるように、努力するよ」
 七緒が僕の考えに乗ってくれている以上、僕が彼女の考えに乗らないのは、公平性を否定しようとした僕でも、フェアじゃないと思った。
「そうでないと、困る」
「そのまま、一生僕のことで困ってればいい」
 それはそれで、七緒は死ねない。
「じゃあ、出口はずっと私のことで困ってればいい」
「残念だけど、僕はさほど困ってないよ」
「ああ、本当に残念ね」
 七緒がわざとらしい溜め息を吐く。
 これはかなりの長期戦になりそうだと思った。同時に、厳しい闘いになりそうだとも思った。だって、現状、僕にも七緒にも勝ち目はなかった。
 それから少しして、観覧車が地上に辿り着いた。観覧車の本来の楽しみ方は、一切出来ていなかったけど、さすがにもう一周するわけにはいかないので、僕達は観覧車から降りた。
「さて、これからの方針も決まったことだし、次はどうする?」
「一時休戦。ここを出てご飯にしない?」
「賛成」
 正直、腹ぺこだった。頭を使い過ぎたからだろう。血糖値が下がると、ろくなことにならない。早めに夕飯にしたいと思っていたところだった。
 遊園地を出て、僕達はファーストフード店に入った。近くで気兼ねなく食べられるような店は、ここくらいしかなかった。完全に妥協案だった。昼にも同じようなものを食べたが、胃に入れば全て同じ。そう言い聞かせて、昼とは違う味のものを食べた。
「七緒、絵描けそう?」
「わからない。けど、今日はあまり絵のことは考えなかった。いい方向に進んでいるといいのだけど」
「なら、もっと出掛けよう」
「椎名さんとのように?」
 嫌な笑みを浮かべながら、聞いてくる。
「ああ、そうだ」
 悪びれることなく、そう言い返した。開き直っていた。それを咎められるかと思ったが、七緒は何も言い返してこなかった。
「もし、椎名さんが死んでいなかったら、どんな人生を歩んだと思う?」
「さあ。椎名は僕達と違って、凄くいい子だからね。それに飛び抜けて頭も良かった。何にでもなれたんじゃない?」
 椎名は何になりたかったのだろう。そういえば、そんな話はしたことがなかった。死への興味が大きくて、たぶん、考えていなかったのではないかと思う。でも、どれだけ適当に生きても、彼女なら、何だって出来ただろう。そういう才能が、彼女にはあったように思う。
「さっきから、椎名の話ばかりだね」
「私との違いを明確にしてあげようと思って」
 なるほどと感心した。まんまと七緒の手口に引っかかっていたということだ。
「椎名の方が、特別」
「知ってる」
 休戦協定は、僕の知らない間に破棄されていたらしい。
 店を出て、僕達は真っ直ぐに駅へと向かった。七緒はバスで帰るらしく、改札ではなくロータリーの方に行くことになった。
 バスが来るまで、後二分くらいあった。
 その間、僕達は何も話さなかった。
 やがてバスが来て、七緒がバスに乗り込み、振り返った。
「出口」
「何?」
「お互い、死ねるといいね」
 その言葉は、二日前にも彼女が言っていたものだった。
「そうだな」
 だから、僕も同じように返した。
 ドアが閉まり、バスが発車する。
 その直前に見えた七緒の不敵な笑みは、いたずらが成功したときの椎名の笑顔と、よく似ていた。