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 僕と椎名が出会ったのは、中学二年生のときだった。
 その年、僕達は初めて同じクラスになった。
 椎名は、僕とは違って、明るくて優しい人だった。社交的で、話が上手くて、友達も多かった。
 対して僕は、特に明るくもないし、優しいわけでもない。話すことが苦手で、椎名くらいしか話す相手すらいなかったように思う。
 だから、何故、椎名が僕なんかと友達でいてくれたのか、いつも不思議だった。
 でも、僕達は初めから仲が良かったわけではない。むしろその逆で、僕と椎名は関わり合いがなかった。彼女は、何回か僕に話しかけに来ていたけど、毎回適当な受け答えをしていたら、そのうち話しかけにすら来なくなった。それくらい、僕達の間には何もなかった。ただのクラスメイトにすらなれていなかったように思う。
 椎名は、それなりに人気があった。休み時間は、いつも誰かと一緒にいた。元から、友達が多かったのだと思う。
 そんな椎名が、僕は正直にいって苦手だった。
 僕と、あまりにも正反対で、見ているだけで胸やけがしそうだった。善人臭が凄くて、人間味が感じられなかった。要するに、僕は彼女に嫉妬していたのだ。その、人柄の良さに。もしかしたら、嫌いだったかもしれない。
 そんな僕達の関係が動いたのは、何でもない、ただの平日の放課後のことだった。
 教室に忘れ物をした。数学のノートだった。取りに戻るのは、正直、とても面倒臭かった。けど、課題が出されていたから、取りに行くしかなかった。
 学校には、まだ部活をしている生徒で溢れていた。だから、わざわざ職員室に寄って鍵をもらう必要はなかった。
 教室の、扉についている窓から中を覗くと、誰かいた。
 椎名だった。
 そこまでは、別にどうでも良かった。いつも通り、無視してノートだけ取って帰ればいいのだから。問題は、椎名のいる位置だった。
「何、してるの?」
 扉を開けながらそう言うと、椎名が僕に気付いた。
「見てわからない? 景色見てるの」
 椎名は、教室に面したベランダの淵に座っていた。僕達、二年生の教室は三階。落ちたらひとたまりもない。そんなのは、誰が見ても明白だった。
「外から見られたら、怒られるんじゃない?」
「そのスリルがいいんじゃない」
 悪びれる様子もなく、さらっと椎名は言う。
「馬鹿じゃないの」
 付き合っていられないと思った。やっぱり、僕には椎名の考えていることなんて理解出来ない。時間の無駄だった。さっさと帰って、課題を終わらそう。
 そう思ったときだった。
「こうしてるとね、死に触れられるような気がするの」
 ノートを取る手が、ピタリと止まった。その声はあまりにも、冷たかった。それに、普段の椎名からは考えられない発言だった。
 初めて、椎名の人間味を感じた瞬間だった。
「出口くんも、こっちに来てみなよ」
 言われるがまま、椎名の横に行く。さすがに、淵に座る気にはなれないので、そのまま普通に立つことにした。
 視界の、斜め上に椎名の横顔があった。
「どう?」
「どうって、何が?」
「死について、何かわかりそう?」
「わからないよ」
 中学生の考えることじゃないと思った。だって、僕達はまだ子供で、死について考えるのはあまりにも早過ぎる。そんな途方もないことを考えたって、どうにもならないじゃないか。だって、この先まだ何十年も生きることになるのだから。
 でも、そんな椎名に、僕はどうしようもなく惹かれてしまった。
「私ね、死に興味があるの」
「死にたいってこと?」
「ううん。ただ、興味があるだけ」
 何を言っているのか、よくわからなかった。けど、このまま放っておくのは、危ないような気がした。その危うさに、惹かれたのかもしれない。
「死後の世界って、どんなところなんだろうね」
「死んだことないから、わからないよ」
 それに、死んで死後の世界を見たとしても、生きている人間に伝えることは不可能だ。だって、死んでいるのだから。
「それもそうだよね」
 椎名が笑う。その顔は、夕日に照らされていて、何だか、とても綺麗だった。元々、それなりに顔立ちがいいから、余計にそう見えるのかもしれない。
「いつもこんなことしてるの?」
「時間があるときはね。でも、ほとんど毎日かもしれない」
「じゃあ、相当暇なんだね」
「いい暇つぶしになるよ」
 暇つぶしにしては、かなり命懸けだ。絶対に落ちない保証なんてないし、そもそも暇つぶしでやるようなことではない。もっと、年相応の何かがあるはずだと思った。
「誰にもバレなかったの?」
「うん。出口くんが初めて」
 その言葉に少しドキッとした。
「ねえ、手貸して」
「何、まさか戻れないの?」
「まあ、そんな感じかな」
 いつもどうやって降りてるんだよと心の中で突っ込みながら、椎名に手を貸す。
 椎名は僕の手を掴むと、くるりと体の向きを変えてそこから降りた。ようやく、僕達の目線が同じになった。
「そういえば、出口くんとこんなふうにちゃんと話すのって、初めてじゃない?」
「そうだね」
 僕が、一方的にずっと避け続けていたからだ。
「今のこと、皆には内緒だからね」
 人差し指を口元で立てながら、椎名はそう言った。
「私と、出口くん、二人だけの秘密」
 その、二人だけの秘密という響きに、僕は妙な高揚感を覚えた。僕は、皆の知らない椎名を知っている。僕だけが、彼女の危うさを知っている。その事実が、堪らなく嬉しかった。
「守ってくれるよね?」
「もちろん。約束する」
「ありがとう」
 屈託なくそう言う椎名は、さっきまで死に触れようとしていた人間には、まるで見えなかった。
「じゃあよろしくね。秘密の共有者さん」

 この日を境に、僕達は教室でも会話をするようになった。その急な変化に、周りは少し、いや、かなり驚いていた。
 だって、僕には友達がいなかったから。
 人と接することが億劫だった。誰かと、何かをすることが、堪らなく面倒だった。人と人の間にある、壁だとか、そういうものの打ち壊し方がわからなかった。僕は、他者との間にある壁が、強固なものに感じていた。
 そんな、人と関わってこなかった僕が椎名と会話をしている。一大事だった。
 けど、だからどうという話だった。確かに、僕は教室で会話をするようにはなった。でも、それは椎名限定だった。他の人とは、相変わらず必要最低限の会話しかしなかった。そのため、周りとの関係が変わることはなかった。
 椎名だけだった。本当に、彼女だけが特別だった。
 だから、椎名の死は、僕にとって絶望でしかなかった。