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朝、僕達はバス停の近くにあるコンビニにいた。
山は、県境の方にあった。僕達の住んでいるところは、県の真ん中あたり。だから、高速バスに乗る必要があった。だいたい三時間くらいかかった記憶があった。
昼食は各自で用意しなければいけなかった。高級な高速バスなら弁当が出るのだろうけど、あいにく、僕達はそこまで裕福な家庭ではない。前回と同じ、一番安いチケットを取った。その、乗っている間に食べるものを買っているところだった。
「向こうに着くの何時だっけ?」
「十二時八分。昼はあっちでもいいかもね」
そう言いながら、彼女は、何故か次々と籠にお菓子を入れていく。かなりの量だった。クラスの女子が、前に菓子パをしているのを見たことがあった。そのときと同じくらいあった。
「いつ食べるんだよ」
「ホテル。ほら、あのあたりってコンビニとかないようなものでしょ。だから、ここで買っておくの」
確かにそうだった。麓は観光地で、食事をするにはいいかもしれないが、お菓子とかを買うには少し値が張る。ホテル内に、コンビニはあるのはあるが、申し訳程度にしか売っていなかったように思う。
「それにしても、買い過ぎじゃない?」
籠の中のお菓子だけで、約三日は生きられそうなくらいの量だった。
「ほら、最近なかなか眠れないから」
「寝れなかったら、食べるの?」
「だって、それしかやることがないから」
高校卒業間近で、しかも受験もしないとなると、空いた時間は暇で仕方がないのだろう。普段だったら絵を描くのだろうけど、今はスランプ中。旅先で、この前の、イーゼルを倒したときのように荒れられても困る。そんな姿はもう二度と見たくなかった。でも、だからって、その時間を食事にあてるというのはどうかと思う。
「太っても知らないからな」
「私、食べても太らないから」
「それ、他の女子が聞いたら非難されるんじゃないの」
「だから友達がいないの」
「悲しいな」
僕も、人のことは言えないけど。
買い物を終えると、ちょうどバスが来たところだった。乗り込んで、指定された二人席の通路側に僕は座った。
「食べる?」
彼女は、早速さっき買ったお菓子の内の一つを開封していた。
「いや、いい」
僕がそう言うと、彼女は残念そうな顔をした。そんな顔をしても、僕は絶対に食べないからな。そういう意味を込めて、僕は目を瞑った。僕も、あまり眠れていなかった。何となく、今なら眠れるような気がした。
目を閉じると、すぐに眠気がきた。夜は眠れないのに、昼なら眠れるというのは、不思議な気分だ。
少しして、眠りに落ちる境目に到達したとき、肩のあたりに重みを感じた。軽く目を開いて見てみると、彼女の頭が乗っていた。やっぱり、昼間の方が眠れるらしい。
起こすのも可哀想だし、別に嫌ではなかったので、僕もそのまま寝ることにした。高速バスだから、乗り過ごしたりする心配はなかった。彼女の手に握られているお菓子は、落とされたら困るので、袋の中に入れてあげた。
僕達は、バス内での時間のほぼ全てを睡眠にあてた。「もう時期到着します」みたいな放送が車内に流れて、その音で僕達は目を覚ました。
外は、とても寒かった。雪が降り積もっていた。でも、空気は、僕達のいたところとは比べ物にならないくらいに澄んでいた。
久々に来た山の麓の観光地は、そこまで変わっていないように見えた。元々、古い町屋のような雰囲気だったから、変わらなくても当然かもしれない。僕は、この雰囲気が、とても好きだった。だから、変わっていないことが嬉しかった。
とりあえず、近くにあったうどん屋に入った。券売機で、僕はカレーうどん、彼女はきつねうどんの券を買って店員に渡した。
うどんはすぐに出てきた。
「やっぱり寒いときは温かいものに限るね」
「そうだな」
店内にある窓から外を眺めると、ほんの少しだけ雪が降っていた。激しくならないうちにホテルに到着したい。
「一応聞くけど、ホテルに行くまでに寄りたいところとかある?」
「別に」
表情ひとつ変えずに彼女は言った。前回の帰り際の出来事をなかったかのような態度で、僕は少し悲しくなった。
「食べ終わったなら、早く行こう」
「ああ、うん」
そんな僕の気持ちを置いてけぼりにして、彼女は先に店を出ていった。
山の登山コースは閉鎖されていた。当たり前のことだった。
その代わりに、ロープウェイが運行していた。それを使えば、山頂ホテルまで行けるらしい。ただ、夜になると雪が強くなるから、最終運行時刻が夕方だった。雪の酷い地域では、それが当然のことなのだが、僕は、まるでミステリー小説のようだと思った。
僕は、夜の猛吹雪が原因で、朝帰れなくなるところを想像した。いわゆる、クローズドサークルというやつ。でも、椎名は椎名じゃないし、何も起きないだろうなと思って、そこから先を想像するのはやめた。これ以上は、何だか虚しさしか生まない気もした。
ロープウェイ乗り場に向かう途中、僕は、かつて椎名にプレゼントを買ってやった店をみつけた。せっかく想像をやめたのに、結局、僕は虚しい気持ちになっていた。その気持ちを抑えようと、僕は店から目を逸らした。
ロープウェイは、意外とすぐに乗れた。まあ、雪山のホテルに泊まろうとしている酔狂な人なんて、ほとんどいないのだろう。普通は、そのあたりのホテルに泊まる。だって、寒いし、登山が出来るわけでもないし、ホテル周辺は雪のせいで何もない。どう考えても、麓の方がいいに決まっている。
周りの人に、僕達はどういうふうに映っているのだろう。頭のおかしい男女にでも思われているのだろうか。まあ事実、僕達は頭のネジが二、三本外れているから、否定のしようがない。まともな感性なんて、何処かに忘れてきた。
ホテルの外装も内装も、以前とたいして変わっていなかった。
部屋に入って、シングルベッドが二つ、隙間を開けて並んでいるのを見て、僕は少し安心した。僕があんなことを言ったから、彼女も考慮してくれたのだろう。
それからは、本当にやることがなかった。いくら何でも、早く来過ぎた。雪の量もさっきから変わらないし、最終便でも良かったかもしれない。何でこんなにも早く、ホテルにチェックインしてしまったのだろう。
だからといって、また下に戻るのも面倒だった。下りたところで、観光出来る時間はあまりなかった。
「トランプでもする?」
「いいよ」
二人でも出来るトランプゲームなんて、ポーカーぐらいしかわからなかった。それは、彼女も同じようで、ポーカーをすることになった。
「先に五勝した方の言うことを、何でも二つ聞くっていうのはどう?」
彼女が、そう提案してきた。
「つまり、君は僕に、何か聞いてもらいたいことが二つあるってことか」
「そういうことになるね」
わざわざ賭けにするということは、相当ハードな内容なのかもしれない。それか、頼む勇気がないのか。どちらにしろ、普通にお願いしても、聞いてもらえないと思っているのだろう。
「その賭け、乗ってあげるよ」
僕も、椎名に聞いてもらいたいことがあった。
一つ目は、僕の前でだけは、椎名でいて欲しい。
二つ目のお願いは思いつかなかったけど、それは勝ったときに決めればいいと思った。
だから、賭けに乗ることにした。それに、僕は、そうまでして、僕に聞いてもらいたいお願いというのが何なのか気になっていた。
でも、わざと負ける気はなかった。それで勝って、喜ぶような人間ではないということはわかっていた。だから、ちゃんとゲームをする。それで勝ってしまったら、また別の機会に聞きだせばいいと思った。
勝負は、かなり接戦になった。
最初に僕が二勝して、次に彼女が一勝。その後、僕が一勝して、彼女が一勝。また僕が勝って、王手になったけど、彼女が二勝して、二人共四勝になった。つまり、次に勝った方が勝ち。
最初の五枚を確認する。スリーカードだった。残りの、何の組み合わせにもならなかった二枚を交換に出す。彼女は、三枚交換に出していた。手札としてやってきたカードを見る。
「フルハウス」
クイーンのスリーカードとジャックのワンペア。
正直、勝ったと思った。
「残念」
彼女が、にやりと笑いながらカードを開示する。
エースのフォーカード。
「私の勝ち」
まさか、フルハウスで負けるとは思っていなかった。
「そうだね。まず一つ目」
僕は身構えた。
「私のこと、前みたいにちゃんと七緒って呼んで」
ドキッとした。
「出口、ここ最近、ずっと私のこと君って呼んでいたでしょ。最後に七緒って呼んだの、カフェで会ったとき。しかも最初の一回だけ。それが気に食わない。名前を呼んでもらわないと、七緒という実感が沸かない」
そうだ。僕は、意図して名前を呼ばなかった。それは、僕のささやかな抵抗だった。七緒と呼び続けていたら、彼女の中だけでなく、僕の中からも椎名が消えてしまうような気がした。それが嫌だった。そのことに、気付かれていた。
「わかったよ」
賭けに乗ってしまった以上、断ることは出来ない。これからは、彼女を七緒と呼び続けなければいけない。だから、僕は心の中で勝手にルールを作った。
「呼んで。私の名前」
「七緒」
僕は、″椎名″に言われた通り、名前を呼んだ。
これが、僕の決めたルール。声に出して呼ぶときは、七緒と呼ぶ。でも、心の中では椎名と呼ぶ。口にさえ出さなければ、きっとバレない。僕は、何が何でも、椎名を失いたくはなかった。間違えそうだし、ややこしいけど、でも、こうでもしないと僕は染まってしまいそうだった。
「で、二つ目は?」
「二つ目は、日の出を見ることが出来たら言う」
何だそれと思った。
見ることが出来たらということは、もし、また見ることが出来なかったら言わないということだ。これじゃあ、何のための賭けだったのかわからない。
「見れなかったら、違うことをお願いする」
「好きにしなよ」
勝ったのは椎名だ。僕が何かを言っても、どうせ無意味だ。
その後は、特に何もしなかった。夕飯の時間に、ホテル内のレストランで食事をしたくらいだった。
日の出の時間まで、まだ何時間もあった。
暇だった。暇で、暇で仕方がなかった。
テレビをつけても、面白そうなものはやっていなかった。
ふと、椎名の方を見ると、ベッドの上にぶっ倒れていた。普通に寝れているじゃないかと思った。風邪をひくといけないので、布団をかけてあげようと彼女に近付いた。彼女の目元が幽かに濡れているような気がした。見なかったふりをして、布団をかけた後、電気を消して僕も寝ることにした。
暗くなった部屋で、一人、ただ天井をみつめる。
視界の端に、椎名がいる。
こうしていると、昔に戻ったみたいだった。椎名が、普通の女の子のように思えた。本当にそうだったら、これがただのリベンジだったらどれだけ良かったか。そんなこと、考えたところでどうしようもないのだけど。
ごろんと寝返りを打って、椎名の方に身体を向ける。そのまま、ベッドの端まで移動した。
手を伸ばせば、椎名の手に届きそうだった。少し迷って、僕は彼女の手を握った。一月に、彼女が僕に手を握って欲しいと言った気持ちがわかったような気がした。
「椎名」
誰にも聞こえないような小さな声で、こっそり、名前を呼んだ。
「出口、起きて」
椎名のその声で、僕は目を覚ました。時計を見ると、六時四十分だった。二月の平均的な日の出時刻は六時五十分前後だから、そろそろという感じだった。
上着を羽織って、僕達はホテルのテラスへ行った。東向きで、最も景色がよく見えるテラスは、日の出を見るのには最適だった。
早朝は、普段の何十倍も寒かった。テラスには僕達以外の姿はなかった。こんな極寒の中で日の出を見ようとするバカなんて、僕達だけで充分だ。
「寝れた?」
「あんまり。気付いたら寝てたんだけど、起きて時計を見たら一時間くらいしか経ってなかった」
「そっか」
ということは、目を覚ましてから今までずっと起きていたのだろうか。椎名の睡眠障害は、思ったよりも深刻そうだった。精神的なものが原因だろうから、仕方がないのかもしれない。
「一時間寝れて良かったね」
「うん」
きっと、普段はもっと眠れていないのではないかと思って、そういうふうに言った。それに、こういうのは、ほんの少しでも出来たことを肯定してあげるといいと、何かで聞いた。本当に効果があるのかはわからないが、やらないよりはマシだと思った。
「どうして、そんなにも、日の出が見たいの?」
僕は、ようやくその質問を投げた。
「……ずっと、夜が怖かったの」
「怖い?」
「夜は、何処までも孤独だから。その孤独の中で、何かを決めなくちゃいけない。それだけじゃない。夜が来て眠りにつく度に、少しずつ、死に近付いていくでしょ。それが、堪らなく怖かったの」
わかるような気がした。いくつもの夜を超えて、僕達は少しずつ大人になっていく。それはすなわち、日々、死に触れているようなものだった。僕達は、毎日、夜を迎えるたびに死に近付いている。
夜の孤独感もそうだった。普段は独りでも何も思わないのに、夜は別だった。暗闇が、僕に囁いてくる。お前は誰のことも愛せない人間だと。事実だけど、それを突きつけられるのは、やっぱり苦しかった。
椎名も、夜の闇に何かを言われたのだろうか。当時、中学三年生だった彼女の心を、震え上がらせるような何かを。
「だから、日の出を見たくなった。朝は、夜の向こう側だから。それを見ることが出来たら、私は、本当の意味で夜を越えられる気がしたの。いつか迎える死を、受け入れられるような気がしたの」
朝は、夜の向こう側。
その言葉が、僕の中に入ってくるような感じがした。
彼方から、強い光を感じて、僕達は同時に光の方に顔を向けた。
日の出だ。
僕達が夜を越えた瞬間だった。
「何で」
その声は、震えていた。念願の日の出を見ることが出来たときの反応ではなかった。
「七緒」
「椎名のときは見れなかったのに、何で、今は見れちゃうのかな」
その言葉は、完全に椎名のものだった。
椎名は、泣いていた。
僕はその涙を見ていられなくて、椎名が泣き止むまで、ずっと、ただ太陽が昇っていく様子を見ていた。
しばらくして、椎名の泣き声が聞こえなくなってから、僕は彼女に尋ねた。
「二つ目のお願い、聞かせてよ」
「そうだったね」
椎名が深呼吸をするのが聞こえた。
「二月十四日、一日だけ私を彼女として扱って」
「つまり、僕と恋人ごっこをしようって?」
「そういうことになるのかな」
意味がわからなかった。だって、そんなことをする理由がみつからなかった。脈絡がない。それでも、僕に断る権利はない。
「十四日は普通に平日で、僕には学校がある。だから、会えるのは夕方になる。一緒にいられる時間も長くない。それでもいいの?」
「うん。その日がいいの」
それを聞いて、僕は何故その日に拘るのか、ようやく理解した。二月十四日は、バレンタイン。つまり、恋人達の日だ。
「わかった。それが七緒の望みなら」
椎名と恋人だなんて、想像がつかなかった。当然、僕には恋人がいたことなんて一度もない。だから、恋人として振る舞える自信がなかった。
「ありがとう」
「戻ろう。寒いよ」
「うん」
こうして、僕達のリベンジは成功に終わった。
けど、僕の心は複雑だった。何かが、心の隅に溜まっていくような感覚がした。
今は、その正体はまだわからない。でも、僕は何となく、予感していた。
この正体に気付いたとき、僕はどうしようもなく、この関係を終わらせようとしてしまうと。