潤兄が大学に合格した直後から、自宅に嫌がらせの無言電話などが頻繁に来たり、注文していない出前が時々、届くようになった。両親は警察に相談したが、犯人は特定出来なかった。

嫌がらせは段々とエスカレートして、ポストに生ゴミを入れられたり、自宅の柵にペンキをかけられていたり、ついには父が駅前から歩いて
帰宅中に金属バットのようなもので後頭部を殴られた。

入院してしばらく働けなくなった父の代わりに母が昼夜とパートを掛け持ちしていた。俺も潤兄もバイトをして、家計の足しにした。

その後、父は回復したが以前の様に営業の仕事は出来なくなっていて、近くの工場の事務パートで働く事になった。家のローンも残って居たが、大半が父の給料を当てにしていたので売りに出す事になる。家族全員で団地へと引越しが決まった。

俺も高校を卒業して何とか国立大学に受かり、奨学金制度を利用して通っていた。ある日、母は嫌がらせと仕事の掛け持ちがストレスになり、書き置きを残して居なくなった。

ただ、一言、"ごめんなさい"とだけの書き置き。

自宅を売却したお金は手付かずで残してあり、書き置きと通帳と印鑑が置かれていた。

何処にいるのかも分からない。

俺の心も次第にボロボロになっていった。

自宅にも帰らず、バイト先で出会った女の子の家を泊まり歩いたりする毎日。

唯一、裕貴も同じ大学に進学したのだけが救いだった。裕貴と一緒に居る時は嫌な事は忘れられたんだ───……