「……んっ」
「あ、カナちゃん、気付いた?大丈夫?」
「……はい」
あれ?
目の前には対馬さんが居る。
さっきまで、ヒロ君が居たハズで、手紙を見られたハズで……それなのに周りを見渡しても、ヒロ君の姿は見当たらず。
おかしいな……、何故?
手紙を見て、怒って帰ってしまったのかな?
「俺が来たら、ヒロ君が玄関先まで来てさ……カナちゃんが倒れたって言ってて、ビックリしたよ……。貧血かな?」
「……倒、れたの?私?」
確かにあの時、目の前が真っ暗になり、チカチカと細かな浮遊物が見えた。
その後、間もなくして意識が飛んだんだよね。
「何か、飲む?今、持って……」
私は、ゆっくりと身体を起こす。
「……対馬さ、ん!!手紙……、手紙を見られたの!!どうしよ……」
対馬さんが飲み物を取りに行こうとするのを足止めするように、私は対馬さんのシャツの袖を掴んだ。
「……手紙って?」
「……高校の通信教育の添削の返信。名前も、通信教育も……全部、バレた……」
「……そっかぁ、なるようにしかならないよね。待ってて、とりあえずは飲み物を持って来るから……」
対馬さんは、私の手をそっと引き離し、キッチンへと向かう。
“なるようにしかならない”……か。
そうなんだけれども、でも……
誰だって、名前も職業も違っていたら、騙されたと思って怒るだろう。
例えば、それが……お金を受け取る立場だとしても、事件に巻き込まれたら?などと考えたら…気持ちも悪いだろう。
「……はい、アップルジュース。飲める?冷蔵庫にあった飲み物で、一番に胃に優しそうなモノなんだけど?」
「……有難うございます」
私は対馬さんからアップルジュースの入ったグラスを受け取ると……早速、口に含んだ。
アップルジュースなんて、私は買い置きしてないよね?
買い物にもなかなか行かないから、お取り寄せやネットスーパーなどで宅配を利用するのがほとんどなんだけれども……
アップルジュースなんて頼んでない。
対馬さんと福島さんの趣味じゃないし……きっと、ヒロ君が買って来てくれたのだろう。
ヒロ君は、朝食も考えてくれていて……
『ビタミンが少なくなるかもしれないけど…朝のフルーツをカットしておいたよ』
とか、
『サラダは明日の朝の分もあるからね』
とか……。
朝食を考えてくれただけで嬉しいし、申し訳ないのに栄養にも気を使ってくれている。
ヒロ君……ヒロ君……、
私の心の中で、こんなにも大切で愛しい存在になってしまうなんて……。
お互い、『恋愛感情を持たない』なんて……約束したのに守れないよ。
来る度に優しさがアップして、すんなりと心に入ってきてしまうのに……もう忘れる事なんて出来ないよ。
無理、だよ。
さぁ……、ヒロ君のお休み明けはどうしようね?
真実を伝えるべきか、否か。
いつか、伝えなければならない日が来ると思っていたけれど……
その日が近付いてきてるのかもしれない。
「……締め切り、間に合わないんじゃない?今回はお休みする?カナちゃん、疲れが溜まってるんだよ」
優しい表情で私を見て、対馬さんが……申し訳なさそうに切り出す。
対馬さんが、心配して言ってくれているのは分かる。
分かるのだけれども……、今は……休んではいられない。
「…大丈夫、です。頑張って仕上げますから……!」
アップルジュースを飲み干して、一気に立ち上がろうとした、その瞬間……
グラリ、
と引力には逆らえないかのように、頭時は身体が後ろによろめく。
「……ほら、言ったでしょ?ちゃんと休まなきゃ駄目だよ!!」
対馬さんに両肩を捕まれて、ソファーに引き戻される。
ソファーに横になったら、目眩に似た感覚は無くなり、瞼が閉じそうだった。
「とにかく、寝なさい!!福島も、もうすぐ来るから……出来る限りの作業はしておくから……ね?」
「……はい、でも……休載は……」
「カーナーちゃーん!!とにかく寝なさい!!休載したくないなら、ページ数を減らす事も出来るんだから……寝不足で貧血になったっぽいんだから、身体壊す前に寝なさい!!
分かったね?」
いつになく、対馬さんが怒っていて、私をソファーに縛り付ける。
もうちょっと寝たら……、元気になれるかな?
「対馬さん……じゃあ、もう少しだけ寝ます」
「はいはい、ゆっくりとお休みー」
私は、身体にかけられていた毛布を肩まで被ると対馬さんに声をかけた。
対馬さんは、頭をそっと撫でると…作業場に移動して、私も目を閉じた。
―――――――
――――――
―――……
「あれ……?朝?」
目が覚めると、部屋に光が射し込んでいて、朝なんだと実感した。
私は朝まで寝ちゃったんだ……。
あれ?対馬さんは?
作業場かな?
「対馬さん……」
作業場に入ると、対馬さんと福島さんが床にゴロ寝していた。
テーブルには原稿が散らかっていて、ペン入れが終了したページに指定したトーンが貼られていた。
ペン入れが終わると、ネームの紙にトーンの指定を書いておくのだけれど、対馬さん達は手慣れたもので、
トーンの番号、切り方や効果の使い方をマスターしている為、作業は早い。
……けれども、私は今頃、気付いたんだ。
この2人が、夜明けには仕事だと言う事を…。ここで手伝いをしてくれて、少し仮眠をして、夜が明けたら……今度は自分の職場で仕事。
締め切り前は、寝不足なんて当たり前な位、忙しくて……
けれども、文句を言わずに必死に手伝ってくれる二人。
職場での仕事に疲れてるハズなのに、徹夜に近い形で一生懸命に手伝ってくれる二人。
床の上に転がりこんで、スヤスヤと眠る二人を見てたら……
何だか、涙が出てきた。
私がアシスタントを採らないが為に……迷惑をかけている。
その事実を今頃、私は理解したから。
ごめんね……、ごめんなさい、無理してるのは私だけじゃないの。
寧ろ、私なんかより、二人の方に無理させているんだから―――……
「……んー、おはよ、カナちゃん。ありゃ?何で泣いてるの?」
「……対馬さんっ、ごめ、ごめん、なさいっ……」
「何が?」
対馬さんはゆっくりと身体を起こして、起きたばかりで、まだ覚醒していない顔で会話をする。
目をうっすらと開けて、瞼を擦る。
「いつも……無理させ、て、ごめん、なさいっ!!アシスタント……、採るからっ」
アシスタントを採れば、二人を無理させなくて済む。
私の我が儘はもう、止めよう。
ヒロ君に私を紹介する時に、対馬さんに『我が儘社長令嬢』だと言われた時は……
『我が儘なんて言ってない!!』、と自分に自信があったけれど……違う。私が人付き合いが苦手だから、と言ってアシスタントを採らない事は我が儘になるんだ。
今まで、気付かなくてごめんなさい。
自己中だったよね。
二人を無理させてるなんて、気付けないなんて……“あの人達”と一緒だ。
いつの間に“あの人達”と同じ、思いやりの心を忘れた人間になったのだろうか。
ヒロ君があまりにも優し過ぎるおかげで…私はやっと気付けたよ。
お金も地位も名誉もいらない、思いやりの心で出来ている本当の信頼関係というものが素晴らしい事を……。
「……私、言うね、本当の事も、ヒロ君に…。そして、人にも向き合いたい……」
静かに流れる涙をそのままに、対馬さんに、今思ったありのままの気持ちを伝える。
立ちながら泣いているから、床にポタポタと流れ落ちる涙。
昨日から化粧は落としていないし、涙でグジャグジャの酷い顔だろう。
それでも、そのまま、対馬さんに告げる。
「……私っ、変わりたいで、すっ」
「……カナちゃん」
自分の中身を変えれば、きっと心は強くなれる。
過去をいつまでも引きずっているのは、もうおしまい。
新しい自分になりたい、ヒロ君のように優しくなりたい、二人のように心も身体も忍耐強くなりたい。
だから、今までの自分に……
さ よ う な ら。
私はいつしか、人が大嫌いになっていた。
今でこそ、対馬さんと福島さん、ヒロ君と接しているけれど……
以前は全く受け入れられず、引きこもりの毎日だった。
まぁ、そうなるのにも理由があったのだけれども―――……
始まりは高校一年の春だった。
―――――――
――――――
―――……
「おはよ、ミヒロちゃん!!」
中学の同級生の近藤 茜ちゃんと駅で待ち合わせ。
私が通う(通っていた)高校は、都内でも有名な進学校。
同じ中学の同級生からは、茜ちゃんと私の二人しか在籍しない。
茜ちゃんとはクラスが一緒になった事はなく、受験の時に仲良くなった。
その後も関係は続いて、『受かったら、一緒に通学しようね』と約束していた。私達、二人は念願の受験合格を果たし、晴れて高校生となる。
「クラスが一緒だなんて、ラッキーだったよね」
「うん。一緒だから、心強いよっ」
中学の同級生が二人しか居ないし、当然、クラスは別になるかと思っていたけれど……
私達は一緒だった。
けれども…この奇跡なような出来事がやがて、運命をイタズラしようとは、この時は予想も出来なかった―――……
「ミヒロちゃんてさ、漢字だと…“心優”って書くんだよね?名前、可愛いよね」
「ありがとっ!!でも、私の容姿にあってないかな〜なんて思うんだ…」
当時の私は、ぽっちゃり型で、目は一重。
あんまり……可愛くないと思うんだ。
「……ううん、そんな事ないよ!!ミヒロちゃんてさ、本当に優しいから、名前……、ぴったりだよっ。ね?」
隣で笑う茜ちゃんは、私と違って……小柄で目がパッチリしていて、お人形みたいに可愛い子だった。
そして、人を気遣える優しい子でもあった。
私なんかよりも、ずっと、ずっと……。
「オリエンテーリングも終わっちゃったしさ、今日から授業だねぇ。
まだ友達は出来ないけどさ、ミヒロちゃんが居るから、私は一人じゃないし、親友が側に居るから……頑張れるよ」
「……親、友?」
「うんっ、私にとって、ミヒロちゃんは親友だよ」
「……わ、私も、茜ちゃんが一番の親友だよっ」
まさか、茜ちゃんの口から私が“親友”だなんて……気分は有頂天になった。
有頂天のまま、学校に着くと……その日は1日が凄く楽しく思えて、幸せだった。
幸せは続いて、茜ちゃん以外にも友達が出来たのは、この日。
朝のホームルームで、五十音順から、くじ引きの席になった時の事、残念ながら茜ちゃんとは遠い席だったけれど……
後ろの女の子と友達になれた。
「私はコトネだよ。琴の音って書くの。名前は……心に優しいで何て読むの?」
席が決まって、机を移動すると肩をポンと軽く叩かれて、名札を見ながら話をかけられた。
振り向くと、顔に少し、そばかすのあるポニーテールの女の子がいて、私は直ぐに答えた。
「ミヒロだよ。よろしくね」
「ミヒロちゃんかぁ……よろしくね!!」
琴音ちゃんは見た感じが活発で明るそうな女の子。
新しい学校、高校生になった自分、新しい友達……に胸がワクワクして来た。
「静かに!!入学したてだからと浮かれていては、受験には勝てないぞ!!今日から、授業が始まるから、気を引き締めて。
オリエンテーションでも話はあったが、校舎内には携帯等の通信機、及びゲーム機などは持ち込み禁止だ。見つけた場合は一週間の没収になる。いいな?」
席替えでザワザワと騒がしかった教室は、担任の先生の渇のある話で、静まり返った。
そうだった……私は、数々の有名大学に合格多数の進学校に入学したんだった。
浮き足立って忘れてしまいそうだったよ。今日からは授業が始まる。
ホームルームが終わると一時間目は数学だった。
とりあえずは中学の復習からだったが、容赦なく質問がどんどん飛んでくる。
生徒を全員指した所で、授業は終わった……。
毎日がこんな繰り返しで、さすがに進学校は厳しいなと感じてはいたが……家に帰ってからの予習復習も苦にならなかった。
何故なら、高校生になったお祝いに両親から与えられた携帯で茜ちゃんや琴音ちゃんとメールしたり、電話しながら勉強してたから。
テスト前には、寝る前に問題出しっこメールとかしてたし……ね。
けれども……幸せは長くは続かなくて、携帯があるが故に、私が孤独になる日は近付いて来ていたんだ。
「夏休みさぁ、海でも行かない?」
「うん……、いいけど」
もうすぐ夏休みの私達は、課外授業の合間を縫っての計画を立てようと必死だった。
夏休みと言えど、一週間に3日位の半日は学校に行って、勉強の時間があるらしく……希望者だけみたいだけれども、ほぼ全員が参加するらしい。
「……私は太っちょだからなぁ、水着着なくていー?」
「えー、大丈夫だって!!気になるなら、タンキニとかあるじゃん?」
「……うーん」
タンキニって何だろう?
よく分からないけれど……体型を隠せる水着なの?あれから、茜ちゃんと琴音ちゃん以外にも仲良しの友達は出来た。
二人と私を含めた六人で、いつも一緒に居た。
私以外は皆、痩せていて羨ましかった。
「じゃあさ、7月の終わり辺りにする?それまでに水着を買いに行こっ」
取り仕切るのは、いつも琴音ちゃんの役目で、私はただ頷くばかり。
まとめてくれる事は有難いけれど、意見が思うように言えないのは寂しい事でもあった。
夏休みの計画は順調に進み、両親に頼み込んで、成績を落とさないのならば海に行っても良いとの許可も得て、水着も買って貰った。
後は、海に行くばかりとなった。
海なんて……小学生以来で、行く日が近付くとワクワク気分が増した。
海に行く前日は、女の子としての身だしなみに追われて時間が過ぎた。
学校帰りに友達と買い物に寄ったりはしたけれど……土日も遊んだ事は無いし、勢揃いで出かけるのは、海が初めてだった。
私はあんまり泳げないから、浮き輪の用意も完璧。
花柄にラメ入りのキラキラとした浮き輪も、両親にオネダリして購入。
その他、日焼け止めなども母が用意してくれた。
浮き輪は膨らませて行くのか、アッチで膨らますのか、真剣に悩んでみたり……
砂浜が熱いだろうから、ビーチサンダルは別に持って行こうかな?とか……
眠りにつくまで、海の事でいっぱいだった。