ヒロ君の後ろ姿を見ながら、ぼんやりと考え事をしていたら……ご飯が出来たみたいで、ヒロ君が声をかけてきた。
「……一番大切な事を確認しなかったけど、食べれないモノとかある?俺、作り終えるまでスッカリ忘れててさ、聞いてなかった」
食べれないモノ……、レバーにイクラに、何だろう?
特殊な味がする食材は無理だなぁ。
よく本場のモノなら美味しいよ、とか言うけれど……新鮮な直送モノを頂いても、食べれなかった。
「レバーにイクラ……かなぁ。野菜の好き嫌いは無いです」
「偶然!!俺もレバーは無理!!あの後味が何とも言えないよね」
ヒロ君も同じモノを食べれないと思うと…お揃いみたいで嬉しいだなんて、煩悩しすぎ?
「ロールキャベツを煮てみました。春キャベツだから、柔らかいよ。あ、俺が飯を食べたかったから……ピラフでごめん。何か変な組み合わせのような……」
「……ううん!!美味しそう!!」
ヒロ君がテーブルに並べてくれた食事。
ロールキャベツのコンソメの匂いがふんわりと漂ってきて、食欲をそそられる。
ピラフも大好きなエビがゴロゴロ入っていて、見た目も美味しそう!!
「味の保障はしないけど、召し上がれ」
「いただきます」
ヒロ君も席に着くと、早速食べ始めた。
まずはロールキャベツをナイフで切り込みを入れ、一口。
コンソメで優しく味付けされた、キャベツと挽き肉の味が広がった。
「……うわぁっ、キャベツがトロトロで美味しっ」
口の中いっぱいに広がる優しい味が、頬っぺたをとろけさせる。
「あぁ、ごめん。ピラフはコショウが効き過ぎたね……、ちょっと辛いかも」
「私は、この位のが好きだけど?」
ピラフもブラックペッパー好きな私には、程良く味付けしてあり、とても美味しいよ。
ドキドキして、緊張して落ち着かなかったハズなのに……食事を目の前にしたら、いつの間にか、吹き飛んでいた。
「ロールキャベツは、明日の朝の分もあるからね。食パンも買って来たから、良かったら朝はそれで済ませてね」
な、何と!!
朝ご飯の準備までしてくれてるなんてっ!!
この朝のロールキャベツがかなり手が込んでいて、クリーム煮になっていた。星形の人参さんとじゃがいもが、ちりばめられていて……
ヒロ君は、今すぐにでもお嫁に行けそうな腕前だった。
私なんかより、ずっと、ずっと手慣れている。
「手慣れてます、ね?」
「……んー?だって、俺、家でも家事担当だし?」
モグモグと食事を頬張りながら、答えたヒロ君は返事をサラリと流したようにも感じた。
この時はまだ何も気付きはしなかったけれど、この言葉が……
ヒロ君にとって、重要なキーワードになるとは……
思いも寄らず―――……
「……カナミちゃんが淹れてくれた紅茶が美味しかったから、食後に飲みたいな」
二人分の食事が空になる頃、ヒロ君がボソリと呟いた。
「は、はいっ!!張り切って入れます……」
「あはは、お願いします」
ヒロ君との会話は他愛のない、食事についてなどのありふれた会話だったけれど……
誰かとこうして、ゆっくりと手作りの食事が出来るなんて久しぶりで涙が出そう。
新婚さんや、同棲してるカップルは毎日がこんなに楽しくて、嬉しいモノなのだろう。
人と関われる幸せ、美味しいモノをゆっくりと味わえる幸せ……
家族のような温もり……
私が過去に置き忘れた幸せが今、目の前にあるような気がした―――……
―――――――
――――――
―――……
「……先生?先生ってば!!顔がニヤけてますよ?」
ヒロ君との楽しかった日々を思い出しては、思い出に浸る。
こうして仕事をしている今日も、会っていたなんて信じられない。
「放っておきな、福島。カナちゃんはね、虜になっちゃってるから、何を言っても駄目なの!!……ちゃっかり、朝ごはんまで作らせてんだから」
ブツブツ言いながら、直したネームに再度、目を通す対馬さん。
今日はヤケにイライラしているみたい。
ヒロ君が出入りするようになってからというもの、態度が急変する事が多くなった。
以前は、そんな事は無かったのに……。
「あのぉ……対馬さん?私、気に触る事をしましたか?」
恐る恐る口に出して聞いてみる。
反応が怖かったけれど、ギュッと手を握り拳にして、力を入れて堪える構えをする。
「……いや、そんなつもりは無くて…寧ろ、何もしてない……、よ?」
私の問いかけが変だったのか、唖然とした顔で答えた対馬さんはネームを持ったまま、私を見る。
真っ直ぐに降り注ぐ視線は目のやり場に困って、反らしてしまった。
対馬……さん?
「……17ページの展開以外は合格!!急に恋愛が絡んで来たら、読者は困惑するぞ。やっぱり、この要素はあまりいらないと思う……はい」
さっきの視線は何だったのか分からないが…急にネームのやり取りを始めた。
「わ、わ、分かりました。削りますね……」
ネームを手渡され、指摘部分をどうしようか考える。
対馬さんの態度が気になって、ネームどころじゃない。
そっぽを向いている対馬さんは、どこか悲しげなような切ない表情のような気がするけれど……?
「……俺はさ、カナちゃんが幸せになれば良いと思ってるよ。だから、傷つかないで欲しいだけ…」
「………?」
「コンビニ行って、甘いモノ買って来る!!」
「……はい」
意味深な発言を残して、部屋をそそくさと後にした対馬さん。
対馬さんは一体、何を考えているのか?
生身の人間の考えは、想像や妄想だけでは…答えが導けずに困惑する。
だけども……対馬さんの残した言葉が、これから先の出来事を予告していたなんて…
予想も出来なかった。
今は、ヒロ君が来てくれるだけで幸せだけれども……
幸せの階段を滑り落ちるのは、もう少し後の事―――……
ヒロ君がバイトに来てくれて、一週間が過ぎた。
時間を重ねても、ルールがあるため、お互いがお互いの事を何も知らない。
出会った日に少し話してくれた彼女の事とお母さんのヒロミさんの事……
それ以外は何も知らない。
履歴書を対馬さんが預かったけれど、私は見ていないし……
何歳なのかも、何をしているのかも知らない。
私も気になってはいたけれど、なかなか聞けなくて……
(ヒロ君が絡むと対馬さんの態度がおかしいし……)
対馬さんからも何も言ってくれない。
雇い主が年齢も本名も知らないだなんて、アリですか?
「今日はカレーでいー?」
「はい、何でも……」
ヒロ君が料理をしている間は、私はやる事が無いし、キッチンから追い出されるしで…テーブルで雑誌を読んでいるのが、ほとんど。
まぁ、雑誌を読んでいるフリをして、ヒロ君の後ろ姿を眺めているんだけれども……。
明日からは締め切りが間近になるから、バイトはお休みなんだ。
だから、ちょっとの間、この後ろ姿は見納め。
漫画雑誌が月に二度の割合で発売(5日と20日)になるから、締め切りは二回。
月に二回は、バイト休みの間隔が長くなる。
漫画家だと言う事実を隠しているから、来て貰う訳には行かないし…… 寂しくても我慢するね。
「明日から休みだけど……夜にお弁当届けようか?」
「あ、会社からお弁当が出たりするから大丈夫、です……有難うございます」
「……そっかぁ」
月に二回は、フリーペーパーのデザインとかで忙しいから事務もちょっとしたお手伝い……とか、適当に誤魔化した。
地元密着型な小さなデザイン会社は、どんな小さいデザインもするのかなぁ?と思い……ついつい出任せで言ってしまったけれど、大丈夫かな?
嘘がバレた時が怖いけれど、今はとりあえず……嘘で固めるしかない。
嘘を重ねて、ドツボにハマる……、
それでも、自分の身の安全は第一で、嘘をつくのが平気になった。
「……じゃあ、忙しい日が終わったら電話下さい」
「……は、はいっ!!」
また会える幸せ。
手放したくない、幸せ。
漫画家になれた事の次に、奇跡のような幸せ。
「カレー、もうすぐ出来るからね」
「はい」
キッチンから、カレーの美味しそうな匂いが漂ってくる。
随分前に手放してしまった、家族の…お母さんの温もりを思い出した。
私が実家を出てから、お母さんの手料理は食べてないなぁ……。
もう、2年近くになるかなぁ……?
たまに遊びに来てくれるけれど、締め切りとのタイミングが合わなかったりで、ゆっくりは会えない。
よくよく考えたら……来ても、あんまり会話が弾まない。
離れてしまうと、実の家族もそんなモノなの?
血の繋がりって、強い絆だと思っていたけれど……
本当の愛って、どこにあるんだろうね?
「カナミちゃん、サラダのドレッシングは何がいい?」
「………」
「カナミちゃん?」
「……うわぁっ、は、はい!!」
私は自分の世界に浸っていたようで、ヒロ君の声が全然聞こえなかった。
ヒロ君が顔を覗いて来たから、ビックリして声を張り上げてしまった。
恥ずかしいし、ヒロ君の顔が目の前に接近していた事実に今更、ドキドキと胸が高鳴っていた。
ヒロ君は何事もなかったかのように、テーブルにスプーンを並べたりしてるし……。
自分だけ、こんなにドキドキさせられて……ズルイよ。
どんどん、どんどん、好きになる。
もしも、ヒロ君と離れる日が来たら…… 私は受け入れられるのかな?
彼女が居ても良い、だなんて本当は無理なのかもしれない。
1日のうち、たった二時間を独り占めしているけれど……
日に日に欲が出ているのかもしれない。
心の奥底ではね、毎日会いたいと思っている。
恋心を抱いたのは初めてじゃないけれど……こんなにも大好きだなんて、どうしたら良いの?
……けれども、私達は仕事上の契約でしか繋がってはいない。
正に、お金あっての“束縛契約”―――……
行き場の無い想いはどこに捨てたら良いの?
カレーを頬ばるヒロ君も、笑い顔も……
全部、全部、私だけのモノだったら良いのに―――……
「ごちそうさま……」
ご飯の時間は、気を使ってくれているのか、色々とヒロ君が声をかけてくれる。
今日の私は何だかボンヤリしていて、まともに聞けなかった。
そんなだからか、話が途切れる事が多く、せっかく作ってくれたカレーも味わえなかった。
今日はお別れの時間が近づくのが怖くて……、
目を合わせずに顔を伏せている時間の方が長かったかもしれない。
ヒロ君が来てくれた時は、明日から会わなくなる日々が不安じゃなかったけれど、何故か今は、不安で仕方ない。
食べ終わった後は、いつも二人で後片付け。
片付けをした後は、ゆっくり食後のティータイム。
紅茶を淹れる為のお湯を沸かし、茶葉をポットに入れて……お揃いのカップも暖めて……。
いつもなら、会話をするのに私達は無言のままだ。
ヒロ君も私の様子が変だと思っているのか、話をかけてこない。
今日のティータイムのお供に、お取り寄せしたマドレーヌがあったんだよね。
昨日届いて、対馬さんと福島さんと三人で食べたから、確か……、あと二つあったハズ。
リビングの棚に置いたんだった。
あ、手紙が上にある。
そう言えば見てなかったなぁ……。
昨日は最後の追い込みをかける1日前で……忙しいから見忘れていた。
ヒロ君が居るからと手紙をどこかにしまおうと、手に掴もうとした瞬間……
私の手をすり抜けた。
「……クローバーマンション507…ヒロサワ ミヒロ……?高等部……二年?誰……の?」
運悪くヒロ君が拾い上げてしまい、宛先を見られた。
“奏心(カナミ)”なんて、どこにも書いていない宛名の手紙。
どうしよう。
当然……、不信に思うよね。
ドクン……ドクン……と鼓動が高ぶるけれど、何の言い訳も何も思いつかないや。
部屋番号も507だし、一人暮らしだって、ヒロ君は知っているし……
騙していた事になる、真実。
焦れば、焦る程……手に汗をかき、冷や汗のようなモノがジワジワと出てくるのが自分でも分かった。 本当の事を伝えるしか、今の状況を凌げないのは分かっている。
……けれども、本当の事を伝えた所で、私は嘘つき女で、騙した張本人。
実際、そうだから仕方ないのだけれども…。
まだお別れしたくないよ。
「あの、これは……その……えっと……」
正直に自分の事情を明かすのが、一番の解決方法に繋がる。
でも、それは……
漫画家と言う事実と騙していた事実を同時に伝えなければならなくて……
一気に嫌われて、軽蔑される要素を含んでいる。
いずれ、バレるのは時間の問題だとは思っていたけれど……
一週間位でバレてしまうなんて、ね。
「カナミちゃんて……高校生だったの?でも、名前が…」
あ、あ、あ、
どうしよう……どうしよう?
頭が真っ白だ。
何も考えられないよ。
冷や汗も止まらなくて、気分も悪くなってきた。
立つのがやっとで、目の前がチカチカとして、細かな、お星様が舞っているかのように見える。
自分の足で立って居られない位に、視界がグラグラと揺れ始める。
「……ヒロ、く、……ん」
私は名前を呼ぶのが精一杯で、とりあえずはリビングのソファーに腰を降ろそうとしたけれど……
一歩、歩いた瞬間に……
視界が真っ暗になり、意識が飛んだ―――……