病室の扉を開けると、視界の隅で群青色がかすかに揺れた。彼女が起きているらしい。

「外、一段と寒いよ、今日は。雪が降るかもしれない」

ベッドの脇の椅子に腰かけながらそう言うと、彼女は虚空を見つめたままわずかに顔を僕のほうに傾けて笑った。彼女の右目から十五センチばかり上に伸びてしなだれた花が、ふわりとバニラのような甘い香りを漂わせる。

「本当? 見たいなあ、雪。このあたりじゃめったに降らないから」
「そうだね」

答えながら、僕はここに来るまでの道すがら見上げた白い空を思い出して、もしかしたらもう降っているかもしれないなと考えた。けれど窓もテレビもないこの部屋からでは、確認のしようがない。いや、確認ができたとしても、その景色を彼女に見せることはもうできない。

 僕は明るい声を出した。

「そういえばさ、咲いたよ、あれ」
「あれ?」
「十月ごろ、花音が研究室のベランダに植えたスノードロップ」

園芸が趣味の彼女には、暇さえあれば花を植える癖があった。おかげで今では、大学の中庭や研究室のベランダが色とりどりで眩しい。彼女の頬がふっとゆるんだ。

「そっか、よかった。じゃあ、今がきっと見頃だね」
「うん。……だから、早く元気になりなよ」

僕の言葉に、彼女はほんの一瞬、唇を結んだ。けれどすぐ、甘い香りを漂わせながら顔を僕のほうに傾けて、

「ありがとう」

と微笑んだ。