パーティーの開始時間は午後二時。その一時間前に、賢介は会場近くのカフェで沙紀と
待ち合わせた。
服装はどうすればいいのか。スーツなのか。カジュアルでいいのか。迷った末、賢介は、ネイビーにメタルボタンのブレザーに綿のパンツにした。シャツは襟付きで、清潔な白。見合いの時と同じだ。
土曜日の午後、約束の時間よりも早めにカフェに着いた賢介は外堀通りに面した窓辺の席でコーヒーをオーダーし、文庫本を読みながら沙紀を待った。ミステリー系の人気作家がスポーツについてつづった軽妙なタッチのエッセイ集だ。一文が短く、改行が多く、読んでいて疲れない。電車の中や待ち時間に開くにはちょうどよかった。
午前中に降っていた雨の跡が路面に残り、雲間からのぞく陽の光が反射している。
やがて有楽町方面から沙紀が歩いてくる姿が見えた。賢介よりも濃いネイビーで、ノースリーブのワンピースだった。上品な色だ。阿佐谷のラブホテルでほこりまみれになって床を引きずられていた女とは思えない。ただし、胸もとは大きく開いている。
賢介を見つけると、沙紀は胸の前で小さく手を振って、店に入ってきた。
「お待たせー」
賢介の向かいに座ると、沙紀はアイスカフェラテを頼んだ。
「お久しぶりです」
賢介は文庫本を閉じる。
「暑くなりそうだねー。石神君、どう?」
「どう、って、何が?」
「沙紀ちゃんのファッションに決まってるじゃない」
「素敵だと思いますよ。ちょっと胸を見せすぎだとは思うけど」
「真剣勝負だから、これくらいはやらないとね」
沙紀は胸の谷間の上部三分の一くらいが露出している。賢介は直視できない。
「目のやり場に困りますけれど」
「ほれ直しちゃった?」
「いえ」
「素直じゃないなあ。沙紀ちゃんの胸、もっと見てもいいよ。どうせ一度もみもみさせてるしね。まあ、いまさら口説かれても、こちらからお断りだけど。石神君とのエッチ、天使の羽ひらひらだからさ」
「そういうこと、真昼間のカフェで言うかな」
沙紀は賢介の言葉が聞こえていないかのように、アイスラテをストローで一気に飲み干した。
「沙紀ちゃん、すごくのど渇いてたんだ」
満足そうに微笑む。大きな窓から注ぐ陽があたる沙紀の肌はきめ細かく、三十代前半といっても通用する。手入れが行き届いているのだろう。
そんな沙紀がすっと真剣な表情になった。
「今日、パーティーに参加するもで、沙紀ちゃん、けっこう悩んだんだよね。でも、沙紀ちゃんの場合、結婚相談所よりもパーティーみたいな対面型のほうが向いてる気がしたんだ。相談所って、会うまでのプロセスがじゃま。プロフィールを見て検討して、お見合いを申し込むシステムだと、男の人は、年齢で沙紀ちゃんをはじくと思うんだ。昔の受験の足切りと同じでさ。四十歳以上は自動的に不合格! みたいな。戦いの場に上がらせてもらえない。でも、パーティーならば見た目と会話で勝負だから、沙紀ちゃんの美貌とボディと社交性がアドバンテージになるでしょ」
なるほど、説得力のある見解だ。
「それで、露出が多いわけですね」
「うん。このワンピース、色は派手じゃないけど、胸もとは大きく開いていて、そのギャップがいいでしょ?」
「はい。いいです」
男はスケベだけど、結婚相手に派手な女は避ける。沙紀のファッションは、男のスケベ心と保守性の両方に対応しているわけだ。
「でも、石神君も沙紀ちゃんと似た状況だと思うよ。だって、もう五十歳でしょ?」
「はい」
「プロフィールだけなら年齢で足切りだよ。フリーライターだから、収入は不安定だし。でも、対面のパーティーならば、取材で身につけた会話力でハンディを埋められるでしょ? 会社員の男よりも見た目は若いし。女性はたぶん、まっ、いっか、となると思う」
「僕は、まっ、いっか、のレベルなんだ?」
「そりゃあねえ、石神君はやっぱり、まっ、いっか、だよ。だって、半世紀も生きちゃってるんだよ」
「五十になって婚活するとは、僕も思っていませんでした」
「でしょ? でも、これが現実。努力しないと、幸せはつかめないの。だから、今日、頑張ろう!」
パーティーのスタート時間が近づき、二人は分かれて会場へ向かった。別々に会場へ入ることにしたのは「男女の友だち同士で参加していることがわかると不利だから」と沙紀が主張したからだ。
沙紀と自分は友達関係なのか――。沙紀とはかつて一度しか会ったことがない。賢介は反論しようとしたが、やめておいた。
〈クラブ・マリッジ主催のパーティー会場は五階です〉
沙紀に教えられたビルの入り口に案内が置かれていた。中に入り、エントランスホール右手のエレベーターで五階まで上がる。
扉が開くと正面に受付があり、男女それぞれの参加者が列を作っていた。賢介は、男性の列の最後尾に並んだ。パーティー参加費は、男性が五千円、女性が二千円。男女の所得格差に応じた価格設定なのだろう。
大理石でできたカウンターの中には濃い臙脂色のパンツスーツの女性スタッフが立ち、手際よく男性参加者の受付作業を行っている。三十代前半だろうか。ウェイヴのかかった髪に斜め上からの照明があたって陰影を描き、髪量を豊富に見せている。
この人がパーティーの女性参加者だったらいいのに。賢介は見とれた。その横、女性参加者用の受付は細身で長身の男性スタッフだ。
やがて順番が来て、賢介が会費を支払うと、安全ピンで胸につける番号札、プロフィールを記入する用紙、個人を特定できないように女性参加者の名前がカタカナで印刷された名簿、そしてボールペンを手渡された。賢介の番号は十二番だった。
「テーブルに12と表示された席にお座りになって、プロフィール用紙にお名前やご趣味などをご記入ください。パーティー中女性と交換します。会話のきっかけになる紙なので、できるだけ詳しくお願いいたします」
女性スタッフがほほ笑む。やはり美しい。恋人はいるのだろうか。結婚相手も自力で見つけられない中年をバカにしているのではないか。
名簿にある女性の数は二十人。男性参加者も同数だとすると合わせて四十人になる。賢介が通った昭和四十年代の東京の公立小学校や中学校のひとクラス分の男女が集まる勘定だ。
エアコンのきいた会場に入ると、すでに半数以上の男女が着席していた。低音量でバラードナンバー、「カリフォルニア・キング・ベッド」が流れている。キングサイズのベッドで、愛し合う男女をアメリカの女性シンガー、リアーナが歌っている。ヴォーカルに寄り添うようなギターが心地よく響く。
会議用の長いテーブルが全部で四台。二台ずつ連結して二列、平行に並んでいた。そのテーブルをはさみ、向き合うようにパイプ椅子が置かれている。テーブルの外側の椅子に女性、内側の椅子に男性が座り、プロフィールを記入している。誰もひとことも声を発することなくボールペンを動かしていた。
ざっと見まわしたところ、女性参加者はみんな服装に気をつかっている。結婚相談所のプロフィール写真と同じように、ワンピース派とスーツ派がいる。白が多い。沙紀のネイビーは目立ちそうだ。
男性参加者は女性と比べると服装には無頓着だ。綿のパンツか、だぼっとしたデニムが目立つ。ジャケットを着ているのは少数派で、ポロシャツかTシャツが多い。サンダル履きの男もいる。やる気はあるのだろうか。その中でかちっとした黒のビジネススーツにネクタイを締めている男性参加者が一人、ハンカチで額の汗を必死にふいていた。
「12」と表示された場所に座る。向かいにはすでに女性が着席していた。ショートヘアで、クリーム色のスーツを着ている。まじめそうな雰囲気だ。胸には、やはり十二番の番号札を付けているが、賢介のほうは黒いマジックで、女性は赤で書かれていた。
かるく会釈をすると、相手も会釈をかえしてきた。彼女はプロフィールを記入し終えている様子だ。
賢介もプロフィール用紙を上から埋めていく。名前、年齢、出身都道府県、居住都道府県、星座、身長、体重、職業、学歴、婚歴、家族構成、喫煙の有無、飲酒の量、年収、趣味、自分の長所、好みの女性のタイプ……。結婚相談所に提出した資料とほぼ同じ項目だった。ただし、独身証明証や年収を証明する書類の提出は求められない。
年収欄を記入しようとした賢介の手がふと止まった。二百万円上乗せして書いてしまおうか。二百万足せば一千万円を超える。女性へのインパクトは強くなるだろう。賢介の年収は自分以外誰も知らない。
しかし、思いとどまった。良心がとがめたのではない。ここにいる女性の誰かと縁があったら――。後で事実を打ち明ける自信がなかった。
書き終えて顔を上げると、視界の右に沙紀の姿があった。真剣な表情でプロフィール用紙に記入をしている。前傾姿勢なので、胸の谷間が目立つ。向かいの男性参加者は気になってしかたがないだろう。
腕時計を確認すると、開始時間まで五分ある。まだ「カリフォルニア・キング・ベッド」が流れている。エンドレスモードの設定になっているのだろう。パーティーのスタート前に賢介はトイレに行っておくことにした。
男性用トイレに入ると、夏が近いというのに脚にフィットした黒い革のパンツにTシャツ姿の男性参加者がうがいをしていた。片手には緑色の液体が入った一リットルほどのプラスティックボトルが握られている。口臭予防のうがい薬だ。なぜそんなに大きなボトルを持ち歩いているのだろう。鏡にうつるその男と目が合い、賢介はあわてて目をそらした。
会場に戻ると、ちょうどパーティーがスタートするところで、音楽がフェイドアウトした。歌詞のヒロインが愛する男は去り、それでも彼女は希望を捨てず星に願い続ける。
「こんにちは。本日は、ご多忙の中、当社、クラブ・マリッジのパーティーにご参加いただき、まことにありがとうございます。私、司会を務めさせていただく二階堂美景と申します。最後までよろしくお願い申し上げます」
受付にいた臙脂色のパンツスーツの女性がマイクを手に挨拶をした。彼女が司会も担当するらしい。これまでに何百回も同じことをくり返しているのだろう。パーティーの流れや注意事項の説明がよどみない。
彼女のMCによると、パーティーはトータルで約二時間だ。
前半は、自筆のプロフィールを男女で交換しながら、一人につき約三分間、自己紹介を行う。一人と話し終えると、司会者の指示で、男性が時計回りに席を一つずつ移動していく。参加者は男女二十人ずつなので、パートナーを替えながら二十回動くと、男性は全女性と、女性は全男性と会話を行い、最初の相手と再び向き合う。小学生のときにやらされたフォークダンスの要領だ。
後半はフリータイムで、前半で気に入った相手と再度会話できる。一人との会話はやはり約三分。司会者の合図でシャッフルを四回行う。つまり、男女とも五人の相手と会話を交わすことになる。
トークタイムがひと通り終了すると、最終的に気に入った相手の番号を指定の用紙に記入して提出する。その結果、相思相愛の関係になると、退出時にそれぞれに伝えられる。シンプルだが、よく考えられたシステムだ。
「皆さん、ここで大切な注意点を申し上げます。会話の最中、必ず、お相手の印象や特徴を受付でお渡しした名簿にご記入ください。本日は、男性、女性、それぞれ二十名の方が参加されています。パーティーが進行する過程で、誰と何を話したのか、混乱します。お気に入りの相手がわからなくならないように、きちんとメモしてください」
続けて、トイレの場所、スマホや携帯電話をマナーモードにすること、会場内での喫煙の禁止などが確認された。参加者はやはりひと言もしゃべらない。ある者は一つ一つの説明にうなずいている。ある者は自分のプロフィール用紙をじっと見つめている。
視線を感じ右を見ると、沙紀と目が合った。彼女はにやりとして、かすかにうなずいた。やる気満々だ。
待ち合わせた。
服装はどうすればいいのか。スーツなのか。カジュアルでいいのか。迷った末、賢介は、ネイビーにメタルボタンのブレザーに綿のパンツにした。シャツは襟付きで、清潔な白。見合いの時と同じだ。
土曜日の午後、約束の時間よりも早めにカフェに着いた賢介は外堀通りに面した窓辺の席でコーヒーをオーダーし、文庫本を読みながら沙紀を待った。ミステリー系の人気作家がスポーツについてつづった軽妙なタッチのエッセイ集だ。一文が短く、改行が多く、読んでいて疲れない。電車の中や待ち時間に開くにはちょうどよかった。
午前中に降っていた雨の跡が路面に残り、雲間からのぞく陽の光が反射している。
やがて有楽町方面から沙紀が歩いてくる姿が見えた。賢介よりも濃いネイビーで、ノースリーブのワンピースだった。上品な色だ。阿佐谷のラブホテルでほこりまみれになって床を引きずられていた女とは思えない。ただし、胸もとは大きく開いている。
賢介を見つけると、沙紀は胸の前で小さく手を振って、店に入ってきた。
「お待たせー」
賢介の向かいに座ると、沙紀はアイスカフェラテを頼んだ。
「お久しぶりです」
賢介は文庫本を閉じる。
「暑くなりそうだねー。石神君、どう?」
「どう、って、何が?」
「沙紀ちゃんのファッションに決まってるじゃない」
「素敵だと思いますよ。ちょっと胸を見せすぎだとは思うけど」
「真剣勝負だから、これくらいはやらないとね」
沙紀は胸の谷間の上部三分の一くらいが露出している。賢介は直視できない。
「目のやり場に困りますけれど」
「ほれ直しちゃった?」
「いえ」
「素直じゃないなあ。沙紀ちゃんの胸、もっと見てもいいよ。どうせ一度もみもみさせてるしね。まあ、いまさら口説かれても、こちらからお断りだけど。石神君とのエッチ、天使の羽ひらひらだからさ」
「そういうこと、真昼間のカフェで言うかな」
沙紀は賢介の言葉が聞こえていないかのように、アイスラテをストローで一気に飲み干した。
「沙紀ちゃん、すごくのど渇いてたんだ」
満足そうに微笑む。大きな窓から注ぐ陽があたる沙紀の肌はきめ細かく、三十代前半といっても通用する。手入れが行き届いているのだろう。
そんな沙紀がすっと真剣な表情になった。
「今日、パーティーに参加するもで、沙紀ちゃん、けっこう悩んだんだよね。でも、沙紀ちゃんの場合、結婚相談所よりもパーティーみたいな対面型のほうが向いてる気がしたんだ。相談所って、会うまでのプロセスがじゃま。プロフィールを見て検討して、お見合いを申し込むシステムだと、男の人は、年齢で沙紀ちゃんをはじくと思うんだ。昔の受験の足切りと同じでさ。四十歳以上は自動的に不合格! みたいな。戦いの場に上がらせてもらえない。でも、パーティーならば見た目と会話で勝負だから、沙紀ちゃんの美貌とボディと社交性がアドバンテージになるでしょ」
なるほど、説得力のある見解だ。
「それで、露出が多いわけですね」
「うん。このワンピース、色は派手じゃないけど、胸もとは大きく開いていて、そのギャップがいいでしょ?」
「はい。いいです」
男はスケベだけど、結婚相手に派手な女は避ける。沙紀のファッションは、男のスケベ心と保守性の両方に対応しているわけだ。
「でも、石神君も沙紀ちゃんと似た状況だと思うよ。だって、もう五十歳でしょ?」
「はい」
「プロフィールだけなら年齢で足切りだよ。フリーライターだから、収入は不安定だし。でも、対面のパーティーならば、取材で身につけた会話力でハンディを埋められるでしょ? 会社員の男よりも見た目は若いし。女性はたぶん、まっ、いっか、となると思う」
「僕は、まっ、いっか、のレベルなんだ?」
「そりゃあねえ、石神君はやっぱり、まっ、いっか、だよ。だって、半世紀も生きちゃってるんだよ」
「五十になって婚活するとは、僕も思っていませんでした」
「でしょ? でも、これが現実。努力しないと、幸せはつかめないの。だから、今日、頑張ろう!」
パーティーのスタート時間が近づき、二人は分かれて会場へ向かった。別々に会場へ入ることにしたのは「男女の友だち同士で参加していることがわかると不利だから」と沙紀が主張したからだ。
沙紀と自分は友達関係なのか――。沙紀とはかつて一度しか会ったことがない。賢介は反論しようとしたが、やめておいた。
〈クラブ・マリッジ主催のパーティー会場は五階です〉
沙紀に教えられたビルの入り口に案内が置かれていた。中に入り、エントランスホール右手のエレベーターで五階まで上がる。
扉が開くと正面に受付があり、男女それぞれの参加者が列を作っていた。賢介は、男性の列の最後尾に並んだ。パーティー参加費は、男性が五千円、女性が二千円。男女の所得格差に応じた価格設定なのだろう。
大理石でできたカウンターの中には濃い臙脂色のパンツスーツの女性スタッフが立ち、手際よく男性参加者の受付作業を行っている。三十代前半だろうか。ウェイヴのかかった髪に斜め上からの照明があたって陰影を描き、髪量を豊富に見せている。
この人がパーティーの女性参加者だったらいいのに。賢介は見とれた。その横、女性参加者用の受付は細身で長身の男性スタッフだ。
やがて順番が来て、賢介が会費を支払うと、安全ピンで胸につける番号札、プロフィールを記入する用紙、個人を特定できないように女性参加者の名前がカタカナで印刷された名簿、そしてボールペンを手渡された。賢介の番号は十二番だった。
「テーブルに12と表示された席にお座りになって、プロフィール用紙にお名前やご趣味などをご記入ください。パーティー中女性と交換します。会話のきっかけになる紙なので、できるだけ詳しくお願いいたします」
女性スタッフがほほ笑む。やはり美しい。恋人はいるのだろうか。結婚相手も自力で見つけられない中年をバカにしているのではないか。
名簿にある女性の数は二十人。男性参加者も同数だとすると合わせて四十人になる。賢介が通った昭和四十年代の東京の公立小学校や中学校のひとクラス分の男女が集まる勘定だ。
エアコンのきいた会場に入ると、すでに半数以上の男女が着席していた。低音量でバラードナンバー、「カリフォルニア・キング・ベッド」が流れている。キングサイズのベッドで、愛し合う男女をアメリカの女性シンガー、リアーナが歌っている。ヴォーカルに寄り添うようなギターが心地よく響く。
会議用の長いテーブルが全部で四台。二台ずつ連結して二列、平行に並んでいた。そのテーブルをはさみ、向き合うようにパイプ椅子が置かれている。テーブルの外側の椅子に女性、内側の椅子に男性が座り、プロフィールを記入している。誰もひとことも声を発することなくボールペンを動かしていた。
ざっと見まわしたところ、女性参加者はみんな服装に気をつかっている。結婚相談所のプロフィール写真と同じように、ワンピース派とスーツ派がいる。白が多い。沙紀のネイビーは目立ちそうだ。
男性参加者は女性と比べると服装には無頓着だ。綿のパンツか、だぼっとしたデニムが目立つ。ジャケットを着ているのは少数派で、ポロシャツかTシャツが多い。サンダル履きの男もいる。やる気はあるのだろうか。その中でかちっとした黒のビジネススーツにネクタイを締めている男性参加者が一人、ハンカチで額の汗を必死にふいていた。
「12」と表示された場所に座る。向かいにはすでに女性が着席していた。ショートヘアで、クリーム色のスーツを着ている。まじめそうな雰囲気だ。胸には、やはり十二番の番号札を付けているが、賢介のほうは黒いマジックで、女性は赤で書かれていた。
かるく会釈をすると、相手も会釈をかえしてきた。彼女はプロフィールを記入し終えている様子だ。
賢介もプロフィール用紙を上から埋めていく。名前、年齢、出身都道府県、居住都道府県、星座、身長、体重、職業、学歴、婚歴、家族構成、喫煙の有無、飲酒の量、年収、趣味、自分の長所、好みの女性のタイプ……。結婚相談所に提出した資料とほぼ同じ項目だった。ただし、独身証明証や年収を証明する書類の提出は求められない。
年収欄を記入しようとした賢介の手がふと止まった。二百万円上乗せして書いてしまおうか。二百万足せば一千万円を超える。女性へのインパクトは強くなるだろう。賢介の年収は自分以外誰も知らない。
しかし、思いとどまった。良心がとがめたのではない。ここにいる女性の誰かと縁があったら――。後で事実を打ち明ける自信がなかった。
書き終えて顔を上げると、視界の右に沙紀の姿があった。真剣な表情でプロフィール用紙に記入をしている。前傾姿勢なので、胸の谷間が目立つ。向かいの男性参加者は気になってしかたがないだろう。
腕時計を確認すると、開始時間まで五分ある。まだ「カリフォルニア・キング・ベッド」が流れている。エンドレスモードの設定になっているのだろう。パーティーのスタート前に賢介はトイレに行っておくことにした。
男性用トイレに入ると、夏が近いというのに脚にフィットした黒い革のパンツにTシャツ姿の男性参加者がうがいをしていた。片手には緑色の液体が入った一リットルほどのプラスティックボトルが握られている。口臭予防のうがい薬だ。なぜそんなに大きなボトルを持ち歩いているのだろう。鏡にうつるその男と目が合い、賢介はあわてて目をそらした。
会場に戻ると、ちょうどパーティーがスタートするところで、音楽がフェイドアウトした。歌詞のヒロインが愛する男は去り、それでも彼女は希望を捨てず星に願い続ける。
「こんにちは。本日は、ご多忙の中、当社、クラブ・マリッジのパーティーにご参加いただき、まことにありがとうございます。私、司会を務めさせていただく二階堂美景と申します。最後までよろしくお願い申し上げます」
受付にいた臙脂色のパンツスーツの女性がマイクを手に挨拶をした。彼女が司会も担当するらしい。これまでに何百回も同じことをくり返しているのだろう。パーティーの流れや注意事項の説明がよどみない。
彼女のMCによると、パーティーはトータルで約二時間だ。
前半は、自筆のプロフィールを男女で交換しながら、一人につき約三分間、自己紹介を行う。一人と話し終えると、司会者の指示で、男性が時計回りに席を一つずつ移動していく。参加者は男女二十人ずつなので、パートナーを替えながら二十回動くと、男性は全女性と、女性は全男性と会話を行い、最初の相手と再び向き合う。小学生のときにやらされたフォークダンスの要領だ。
後半はフリータイムで、前半で気に入った相手と再度会話できる。一人との会話はやはり約三分。司会者の合図でシャッフルを四回行う。つまり、男女とも五人の相手と会話を交わすことになる。
トークタイムがひと通り終了すると、最終的に気に入った相手の番号を指定の用紙に記入して提出する。その結果、相思相愛の関係になると、退出時にそれぞれに伝えられる。シンプルだが、よく考えられたシステムだ。
「皆さん、ここで大切な注意点を申し上げます。会話の最中、必ず、お相手の印象や特徴を受付でお渡しした名簿にご記入ください。本日は、男性、女性、それぞれ二十名の方が参加されています。パーティーが進行する過程で、誰と何を話したのか、混乱します。お気に入りの相手がわからなくならないように、きちんとメモしてください」
続けて、トイレの場所、スマホや携帯電話をマナーモードにすること、会場内での喫煙の禁止などが確認された。参加者はやはりひと言もしゃべらない。ある者は一つ一つの説明にうなずいている。ある者は自分のプロフィール用紙をじっと見つめている。
視線を感じ右を見ると、沙紀と目が合った。彼女はにやりとして、かすかにうなずいた。やる気満々だ。