前日深夜まで原稿を書いて昼近くに目覚めた週末、ベッドの上で朝刊を眺めていた賢介は社会面に覚えのある顔を見つけた。
主張するような瞳。欧米と日本のハーフ系のような顔立ち。沙紀だった。賢介の知る彼女は胸あたりまでの長い髪だったが、写真の顔は肩に届く長さでカットされていた。
〈阿佐ヶ谷駅近くのラブホテルで変死体〉
小さな見出しの下の写真には「死亡した緑川沙紀さん」とあった。賢介はしばらく動けずにいた。
「クビ、シメテ……」
沙紀の少しかすれた声がよみがえる。
あの夜、阿佐ヶ谷駅の近くにあるラブホテルの黴臭いベッドで激しく腰を動かした。
〈28日正午過ぎ、東京都杉並区阿佐谷北2丁目のラブホテルの一室で40代くらいの女性がベッドで死亡している姿を従業員が見つけ、110番通報をした。警視庁杉並警察署は死亡解剖の結果、女性の死因は首を強く絞められたことによる窒息死と発表。女性は杉並区阿佐谷南2丁目に住む航空会社の客室乗務員、緑川沙紀さんと判明。杉並署によると、女性は同日午前1時過ぎ、やはり40代くらいと見られる男性とともに4階の部屋にチェックイン。予定時間を過ぎても部屋の電話にでないため、従業員が合鍵で立ち入った。男性はすでに立ち去っていた。警察は重要参考人として男性の行方を追っている〉
記事の中の「首を強く絞められたことによる窒息死」という記述が、良輔の胸をざわつかせた。沙紀が死んだのはきっとあのホテルだろう。
半年前の夜、賢介も沙紀の頸を絞めた。彼女に命じられるまま、汚れたカーペットの上を引きずり回し、頸を絞めてほしいと懇願されたのだ。
おそるおそる手に力をこめたときの頸の脈動、沙紀の苦悶の表情、その後の気が狂ったかのように見開かれた歓喜の目がよみがえる。
「さっきのホテル、阿佐ヶ谷駅のホームから見えるんだよ。石神君、電車で通るたびに、沙紀ちゃんのこと、思い出しちゃうよ」
別れ際の、沙紀の少女のような表情も思い出された。
「思い出しちゃうかな?」
あのとき賢介は訊いた。
「絶対に思い出すよ。その時、石神君、きっと思うよ。沙紀ちゃん、いい女だったなあ、って。惜しいことしたなあ、って」
沙紀の声が聞こえた気がして、涙があふれた。
「今会ってる人に刺されてみて決めるかなあ」
最後に会った日、沙紀は言っていた。
賢介にも沙紀を殺す可能性はあった。さまざまな感情が沸き起こり、賢介は涙もぬぐわず、しばらく天井の木目を見つめていた。
この日、賢介は愛子と遅めのランチを一緒にとる約束をしていた。彼女とは、十回くらい会っているのに、手もつないでいない。この人と真剣に付き合おう。そう決めたとたん意識しすぎて、中学生の時のように腰が引けて何もできない。それでもデートを重ねている。
出かける前に、賢介はいつもどおり、鏡の前で念入りに自分チェックをした。
「鼻毛は出ていないか?」
「歯の間に食べかすがつまっていないか?」
「爪は伸びていないか?」
鏡に映る自分に声を出して問う。
大丈夫。問題はない。
服装は、襟付きの白いシャツに、黒のジャケット、パンツはほどよく洗われたデニムにした。この服装が一番落ち着く。
ジャケットがよれよれではないか。鏡の前でもう一度チェックする。靴も念入りに磨き、自分の体の臭いをかいでみる。加齢臭はやはり自分では判断できない。ブレスケアを二つ口に含んで、賢介は樹々が色づき始めた街へと出かけた。
主張するような瞳。欧米と日本のハーフ系のような顔立ち。沙紀だった。賢介の知る彼女は胸あたりまでの長い髪だったが、写真の顔は肩に届く長さでカットされていた。
〈阿佐ヶ谷駅近くのラブホテルで変死体〉
小さな見出しの下の写真には「死亡した緑川沙紀さん」とあった。賢介はしばらく動けずにいた。
「クビ、シメテ……」
沙紀の少しかすれた声がよみがえる。
あの夜、阿佐ヶ谷駅の近くにあるラブホテルの黴臭いベッドで激しく腰を動かした。
〈28日正午過ぎ、東京都杉並区阿佐谷北2丁目のラブホテルの一室で40代くらいの女性がベッドで死亡している姿を従業員が見つけ、110番通報をした。警視庁杉並警察署は死亡解剖の結果、女性の死因は首を強く絞められたことによる窒息死と発表。女性は杉並区阿佐谷南2丁目に住む航空会社の客室乗務員、緑川沙紀さんと判明。杉並署によると、女性は同日午前1時過ぎ、やはり40代くらいと見られる男性とともに4階の部屋にチェックイン。予定時間を過ぎても部屋の電話にでないため、従業員が合鍵で立ち入った。男性はすでに立ち去っていた。警察は重要参考人として男性の行方を追っている〉
記事の中の「首を強く絞められたことによる窒息死」という記述が、良輔の胸をざわつかせた。沙紀が死んだのはきっとあのホテルだろう。
半年前の夜、賢介も沙紀の頸を絞めた。彼女に命じられるまま、汚れたカーペットの上を引きずり回し、頸を絞めてほしいと懇願されたのだ。
おそるおそる手に力をこめたときの頸の脈動、沙紀の苦悶の表情、その後の気が狂ったかのように見開かれた歓喜の目がよみがえる。
「さっきのホテル、阿佐ヶ谷駅のホームから見えるんだよ。石神君、電車で通るたびに、沙紀ちゃんのこと、思い出しちゃうよ」
別れ際の、沙紀の少女のような表情も思い出された。
「思い出しちゃうかな?」
あのとき賢介は訊いた。
「絶対に思い出すよ。その時、石神君、きっと思うよ。沙紀ちゃん、いい女だったなあ、って。惜しいことしたなあ、って」
沙紀の声が聞こえた気がして、涙があふれた。
「今会ってる人に刺されてみて決めるかなあ」
最後に会った日、沙紀は言っていた。
賢介にも沙紀を殺す可能性はあった。さまざまな感情が沸き起こり、賢介は涙もぬぐわず、しばらく天井の木目を見つめていた。
この日、賢介は愛子と遅めのランチを一緒にとる約束をしていた。彼女とは、十回くらい会っているのに、手もつないでいない。この人と真剣に付き合おう。そう決めたとたん意識しすぎて、中学生の時のように腰が引けて何もできない。それでもデートを重ねている。
出かける前に、賢介はいつもどおり、鏡の前で念入りに自分チェックをした。
「鼻毛は出ていないか?」
「歯の間に食べかすがつまっていないか?」
「爪は伸びていないか?」
鏡に映る自分に声を出して問う。
大丈夫。問題はない。
服装は、襟付きの白いシャツに、黒のジャケット、パンツはほどよく洗われたデニムにした。この服装が一番落ち着く。
ジャケットがよれよれではないか。鏡の前でもう一度チェックする。靴も念入りに磨き、自分の体の臭いをかいでみる。加齢臭はやはり自分では判断できない。ブレスケアを二つ口に含んで、賢介は樹々が色づき始めた街へと出かけた。