賢介はお台場から新橋方面へ向かうモノレール、ゆりかもめのドアにもたれていた。
「このモノレール、暑いな」
向き合うようにしてドアに持たれている近藤はさっきからずっと文句を言っている。車内はエアコンが効いているが、平熱三十七度五分の体には不十分らしい。
「石神、この車両、弱冷車じゃないかな?」
「違うよ。弱冷車表示のステッカーは貼られていない」
「ああいうステッカーって、外側に貼られているんじゃなかったっけ?」
「内側にも貼ってある」
「そっか、じゃあ、エアコンが故障しているのかな」
しかし、車内は十分に涼しい。二人の会話が聞こえるのか、営業職らしい若い女性が下を見て笑いをこらえている。
この日は近藤が編集長を務める男性誌に掲載される広告の会議があった。その帰り道である。
「石神、アニメのシンガーソングライターとは、その後どうなった?」
婚活の状況はその都度近藤に報告していた。
「どうにもなってない」
「その後もためしたのか?」
「ああ……」
円山町のラブホテルでだめだった数日後、さやかに再びトライした。彼女が賢介の部屋にやってきたのだ。
「まただめだったのか?」
「同じパターンだ。最初は何とかなるんだけど、すぐにしょぼんとしてしまう。彼女のアニメ声、なんだか子どもにいたずらしている気になってしまって、萎えるんだよ」
ほかの乗客の耳を警戒して小声になる。
「だけど、その女、しっかり大人なんだろ?」
「三十七歳だ」
「お前、三十七の女に子どもを感じるのか!?」
「あの声を聞いたら、近藤だって、罪悪感を覚えると思うよ。しかも、ショーツにイチゴがプリントされていたんだ」
「そうはいってもねえー」
「とにかくだめなんだ」
「石神、お前、高校生の頃、オナニーばかりしてたよな?」
「それがどうした?」
「そのせいじゃないのか?」
近藤は編集者らしく持論を展開する。
「オナニーのやりすぎがたたってるとでもいうのか?」
「ああ、昔から男の生涯射精量は一升瓶三本分とか樽一本分とか言うだろ。あれは事実じゃないのかな」
「そんな迷信、信じてるのか? だったら、お前だってオナニーしてたし、大人になってからは数えきれないほどの女の中に放出しているだろ?」
「まあ、そうだな。でも、今はオレのことはいい。お前の問題を話し合っている」
「オレだけが枯れ果てたというのか?」
「違うか?」
「ううん……、わからん」
ばかばかしい会話を真剣に交わしていることが、さらにばかばかしい。
「石神、オレはお前の人生が心配なんだよ」
「そんな大げさな」
「いや、勃たないことはベッドの上の問題だけではない」
「どういうことだ?」
「石神、よく聞け。男というのはだな、勃たないとすべての自信を失うって言うだろ」
近藤は真剣な表情で石神の目をのぞき込む。
「ああ……」
「実際どうだ?」
「確かにベッドの上で男として役に立たないと、不思議と仕事でも成果が上がらない気はしてくる」
「やっぱりな。だったら、お前の今の問題は仕事に悪影響を及ぼさないうちに解決するべきだと思う」
「どうすればいい?」
「いい女としろよ。お前の体に問題があるんじゃなくて、女の声や相性に原因があるとオレは思うよ」
近藤はなお真剣な表情だ。
「でも、ほかに付き合っている女はいない」
「ソープへ行け」
「ソープ?」
「新宿に、カエサルという店があるの、知ってるか?」
「噂だけはな。芸能人やスポーツ選手が通う秘密厳守の高級店だろ」
「タレント予備軍が働いている店で、女性全員がアイドル級の容姿だ」
「そこでだめだったら?」
「その時また考えよう」
「EDじゃなければいいんだけど……」
「石神、その病名は絶対に口にするな。こういう症状は心とデリケートにつながっている。口にすると、ほんとうにそうなってしまうぞ」
翌朝トイレで放尿していると、股間の毛の中に光るものを見つけた。
上半身を折り曲げて近くで見ると、白毛だ。一本だけがその他多くの黒毛と逆方向に向かって伸びている、妙に太い。白い毛は老化のあかしだ。にもかかわらず、黒毛よりもはるかに主張している。
抜いちゃうか――。
しかし、排除するのはためらわれた。老いながらもけなげに生きようとしている白毛が、五十面で婚活している賢介自身と重なった。
「お前もがんばれよ」
股間の白毛を励ました。
三十代の中ごろまで、賢介はデートの朝にはいつも自慰行為をしていた。放っておかないと、交際相手と会って食事をしていてもはち切れそうな性欲で苦しくなったのだ。自分の挙動がおかしいとわかっていながら、どうすることもできなかった。会話にならないことすらあった。ところが四十代後半からは、デート前一週間は自分のものに触れないようにしている。一度放ってしまうと、何日も最大値まで硬くならない。いまやひと滴ですら無駄にしたくない。
「このモノレール、暑いな」
向き合うようにしてドアに持たれている近藤はさっきからずっと文句を言っている。車内はエアコンが効いているが、平熱三十七度五分の体には不十分らしい。
「石神、この車両、弱冷車じゃないかな?」
「違うよ。弱冷車表示のステッカーは貼られていない」
「ああいうステッカーって、外側に貼られているんじゃなかったっけ?」
「内側にも貼ってある」
「そっか、じゃあ、エアコンが故障しているのかな」
しかし、車内は十分に涼しい。二人の会話が聞こえるのか、営業職らしい若い女性が下を見て笑いをこらえている。
この日は近藤が編集長を務める男性誌に掲載される広告の会議があった。その帰り道である。
「石神、アニメのシンガーソングライターとは、その後どうなった?」
婚活の状況はその都度近藤に報告していた。
「どうにもなってない」
「その後もためしたのか?」
「ああ……」
円山町のラブホテルでだめだった数日後、さやかに再びトライした。彼女が賢介の部屋にやってきたのだ。
「まただめだったのか?」
「同じパターンだ。最初は何とかなるんだけど、すぐにしょぼんとしてしまう。彼女のアニメ声、なんだか子どもにいたずらしている気になってしまって、萎えるんだよ」
ほかの乗客の耳を警戒して小声になる。
「だけど、その女、しっかり大人なんだろ?」
「三十七歳だ」
「お前、三十七の女に子どもを感じるのか!?」
「あの声を聞いたら、近藤だって、罪悪感を覚えると思うよ。しかも、ショーツにイチゴがプリントされていたんだ」
「そうはいってもねえー」
「とにかくだめなんだ」
「石神、お前、高校生の頃、オナニーばかりしてたよな?」
「それがどうした?」
「そのせいじゃないのか?」
近藤は編集者らしく持論を展開する。
「オナニーのやりすぎがたたってるとでもいうのか?」
「ああ、昔から男の生涯射精量は一升瓶三本分とか樽一本分とか言うだろ。あれは事実じゃないのかな」
「そんな迷信、信じてるのか? だったら、お前だってオナニーしてたし、大人になってからは数えきれないほどの女の中に放出しているだろ?」
「まあ、そうだな。でも、今はオレのことはいい。お前の問題を話し合っている」
「オレだけが枯れ果てたというのか?」
「違うか?」
「ううん……、わからん」
ばかばかしい会話を真剣に交わしていることが、さらにばかばかしい。
「石神、オレはお前の人生が心配なんだよ」
「そんな大げさな」
「いや、勃たないことはベッドの上の問題だけではない」
「どういうことだ?」
「石神、よく聞け。男というのはだな、勃たないとすべての自信を失うって言うだろ」
近藤は真剣な表情で石神の目をのぞき込む。
「ああ……」
「実際どうだ?」
「確かにベッドの上で男として役に立たないと、不思議と仕事でも成果が上がらない気はしてくる」
「やっぱりな。だったら、お前の今の問題は仕事に悪影響を及ぼさないうちに解決するべきだと思う」
「どうすればいい?」
「いい女としろよ。お前の体に問題があるんじゃなくて、女の声や相性に原因があるとオレは思うよ」
近藤はなお真剣な表情だ。
「でも、ほかに付き合っている女はいない」
「ソープへ行け」
「ソープ?」
「新宿に、カエサルという店があるの、知ってるか?」
「噂だけはな。芸能人やスポーツ選手が通う秘密厳守の高級店だろ」
「タレント予備軍が働いている店で、女性全員がアイドル級の容姿だ」
「そこでだめだったら?」
「その時また考えよう」
「EDじゃなければいいんだけど……」
「石神、その病名は絶対に口にするな。こういう症状は心とデリケートにつながっている。口にすると、ほんとうにそうなってしまうぞ」
翌朝トイレで放尿していると、股間の毛の中に光るものを見つけた。
上半身を折り曲げて近くで見ると、白毛だ。一本だけがその他多くの黒毛と逆方向に向かって伸びている、妙に太い。白い毛は老化のあかしだ。にもかかわらず、黒毛よりもはるかに主張している。
抜いちゃうか――。
しかし、排除するのはためらわれた。老いながらもけなげに生きようとしている白毛が、五十面で婚活している賢介自身と重なった。
「お前もがんばれよ」
股間の白毛を励ました。
三十代の中ごろまで、賢介はデートの朝にはいつも自慰行為をしていた。放っておかないと、交際相手と会って食事をしていてもはち切れそうな性欲で苦しくなったのだ。自分の挙動がおかしいとわかっていながら、どうすることもできなかった。会話にならないことすらあった。ところが四十代後半からは、デート前一週間は自分のものに触れないようにしている。一度放ってしまうと、何日も最大値まで硬くならない。いまやひと滴ですら無駄にしたくない。