八月も終わろうとしている週末の朝七時、賢介は新宿駅西口にいた。お見合いバスツアーに参加するためである。
このツアーはネットで発見した。二度参加した婚活パーティー会社のホームページからのリンクだ。男女がまる一日行動をともにすることで交流を深め交際につなげる企画で、目指す場所は千葉県の房総半島の牧場である。
〈お見合い婚活バスツアー❤牧場キラキラ❤ライトアップファーム❤〉
ハートマーク付きのキャッチコピーが目をひいた。一行にハートマークが三つもあるのは子どもっぽいが、楽しそうだ。
参加費は一万五千円。高いのか。安いのか。賢介にはわからない。しかし、それは自分次第だと思った。
バスツアーならば、おそらく参加者の人間性が見える。お見合いパーティーでは、短時間でしか話ができないが、バスツアーは長時間なので、ゆっくり会話ができる。集団行動なので、社交性もわかるはずだ。
しかし、気になることがあった。賢介はもう何十年も観光バス乗ったことがない。記憶にある最後のバスツアー体験は小学校六年生の修学旅行で行った日光だ。
あの時は乗り物酔いに苦しんだ。いろは坂の急カーブに耐え切れず、担任の教師から与えられたビニール袋の中にゲロを吐いて、隣の席の女子が露骨に顔をしかめた。彼女とは卒業するまで一度も口をきけなかった。それ以来観光バスを憎んで生きてきた。しかし、今はもう大人だ。それに時代が違う。バスのシートもエンジンもよくなっているだろう。揺れは改善されているはずだ。いい酔い止めの薬もあるだろう。参加する意思をかためた。
ところが、いざ申し込もうとすると、もう一つ大きな障害があることがわかった。年齢枠が設定されていて、賢介はその上限を大幅に超えていたのだ。
〈男性は二十四歳から四十二歳位〉
旅行会社のホームページに記されていた。賢介は五十歳。ツアーの上限を八歳も上回っていた。八歳オーバーは“位”の域ではない。
うそをついて参加するか――。
年齢を七つサバ読んでお見合いパーティーに参加していた沙紀のことが頭をかすめる。沙紀の容姿は若いが、賢介は年齢相応だ。
とにかく問い合わせだけでもしてみよう。訊くのは自由だ。もしかしたらほかに賢介が参加できる年齢枠のツアーもあるかもしれない。
「もしもし、御社のホームページで、〈お見合い婚活バスツアー❤牧場キラキラ❤ライトアップファーム❤〉の案内を見た者ですが」
思い切って電話をかけると、体育会系出身と思わせるはきはき声の女性スタッフが出た。
「はい! 参加ご希望ですか?」
「あ、いえ……、いや……、まあ、そうなんですけれど。このツアーは、男性は何歳まで参加可能でしょうか?」
わかっているが訊いてみる。
「四十二歳位となっております」
「ああ……、やっぱり……」
残念な気持ちが電話の向こうの相手に伝わるように大きくリアクションした。
「失礼ですが、おいくつでしょう?」
「いや、オーバーしているので」
「多少のオーバーならお受けしております」
書かれていたとおり、位なのだ。
「でも、多少ではないので……」
「多少でないとおっしゃいますと?」
「五十です」
「そうですかあ……」
相手のトーンが下がった。その後、しばし沈黙の時間が流れた。プラス八歳はやはり位ではない。
「そうなんです……」
「でも、参加ご希望でいらっしゃるわけですよね?」
「はい……」
「少しだけ、電話を切らずにお待ちいただいてもよろしいですか。もしかしたらお受けできるかもしれませんので」
会話が一度とぎれ、受話器から音楽が流れ始めた。ヨハン・パッフェルベルの「カノン」だ。妙にアップテンポで明るいアレンジになっている。
電話に出た女性はおそらく上司に相談しているのだろう。「五十のジジイが図々しくもお見合いバスツアーに参加したいらしいんですけど、どうしますか?」とでも言っているに違いない。待っているうちに猛烈に恥ずかしくなってきた。
電話を切りたい。しかし、切ったら参加はできない。その時、カノンが途切れ、さっきの女性の声が耳に響いた。
「お待たせして申し訳ございません。お受けできそうです! お申込みされますか?」
「はい!」
賢介は即答した。
このツアーはネットで発見した。二度参加した婚活パーティー会社のホームページからのリンクだ。男女がまる一日行動をともにすることで交流を深め交際につなげる企画で、目指す場所は千葉県の房総半島の牧場である。
〈お見合い婚活バスツアー❤牧場キラキラ❤ライトアップファーム❤〉
ハートマーク付きのキャッチコピーが目をひいた。一行にハートマークが三つもあるのは子どもっぽいが、楽しそうだ。
参加費は一万五千円。高いのか。安いのか。賢介にはわからない。しかし、それは自分次第だと思った。
バスツアーならば、おそらく参加者の人間性が見える。お見合いパーティーでは、短時間でしか話ができないが、バスツアーは長時間なので、ゆっくり会話ができる。集団行動なので、社交性もわかるはずだ。
しかし、気になることがあった。賢介はもう何十年も観光バス乗ったことがない。記憶にある最後のバスツアー体験は小学校六年生の修学旅行で行った日光だ。
あの時は乗り物酔いに苦しんだ。いろは坂の急カーブに耐え切れず、担任の教師から与えられたビニール袋の中にゲロを吐いて、隣の席の女子が露骨に顔をしかめた。彼女とは卒業するまで一度も口をきけなかった。それ以来観光バスを憎んで生きてきた。しかし、今はもう大人だ。それに時代が違う。バスのシートもエンジンもよくなっているだろう。揺れは改善されているはずだ。いい酔い止めの薬もあるだろう。参加する意思をかためた。
ところが、いざ申し込もうとすると、もう一つ大きな障害があることがわかった。年齢枠が設定されていて、賢介はその上限を大幅に超えていたのだ。
〈男性は二十四歳から四十二歳位〉
旅行会社のホームページに記されていた。賢介は五十歳。ツアーの上限を八歳も上回っていた。八歳オーバーは“位”の域ではない。
うそをついて参加するか――。
年齢を七つサバ読んでお見合いパーティーに参加していた沙紀のことが頭をかすめる。沙紀の容姿は若いが、賢介は年齢相応だ。
とにかく問い合わせだけでもしてみよう。訊くのは自由だ。もしかしたらほかに賢介が参加できる年齢枠のツアーもあるかもしれない。
「もしもし、御社のホームページで、〈お見合い婚活バスツアー❤牧場キラキラ❤ライトアップファーム❤〉の案内を見た者ですが」
思い切って電話をかけると、体育会系出身と思わせるはきはき声の女性スタッフが出た。
「はい! 参加ご希望ですか?」
「あ、いえ……、いや……、まあ、そうなんですけれど。このツアーは、男性は何歳まで参加可能でしょうか?」
わかっているが訊いてみる。
「四十二歳位となっております」
「ああ……、やっぱり……」
残念な気持ちが電話の向こうの相手に伝わるように大きくリアクションした。
「失礼ですが、おいくつでしょう?」
「いや、オーバーしているので」
「多少のオーバーならお受けしております」
書かれていたとおり、位なのだ。
「でも、多少ではないので……」
「多少でないとおっしゃいますと?」
「五十です」
「そうですかあ……」
相手のトーンが下がった。その後、しばし沈黙の時間が流れた。プラス八歳はやはり位ではない。
「そうなんです……」
「でも、参加ご希望でいらっしゃるわけですよね?」
「はい……」
「少しだけ、電話を切らずにお待ちいただいてもよろしいですか。もしかしたらお受けできるかもしれませんので」
会話が一度とぎれ、受話器から音楽が流れ始めた。ヨハン・パッフェルベルの「カノン」だ。妙にアップテンポで明るいアレンジになっている。
電話に出た女性はおそらく上司に相談しているのだろう。「五十のジジイが図々しくもお見合いバスツアーに参加したいらしいんですけど、どうしますか?」とでも言っているに違いない。待っているうちに猛烈に恥ずかしくなってきた。
電話を切りたい。しかし、切ったら参加はできない。その時、カノンが途切れ、さっきの女性の声が耳に響いた。
「お待たせして申し訳ございません。お受けできそうです! お申込みされますか?」
「はい!」
賢介は即答した。