沙紀と参加した婚活パーティーに、賢介は二週間後の週末の午後、今度は一人で参加した。初参加だった前回は要領を得なかった。パーティー常連者のなかでハンディが大きすぎた。沙紀の目も気になった。でも、二度目で、一人参加ならば、いい結果になるかもしれない。
賢介は、同じパーティー会社の、銀座ではなく青山会場にした。
丸の内や汐留などオフィス街に近い銀座会場は、男性も女性も会社員の参加者が主流だ。フリーライターの賢介は不利である。会社員の女性は会社員の男性を選ぶからだ。大きな組織に属する女性は、安定志向が強い。収入が不安定な自由業の男は結婚対象に入らない。
その点、青山は専門職が多いエリアなので、パーティーにもさまざまな職種が参加している。このように会社員や公務員といった安定職がパートナーの最優先条件ではないらしい。これらは、電話で申し込むときにパーティー会社のスタッフにアドバイスされた。
確かに健介の周囲でも会社員の友人は会社員を結婚相手に選んでいる。出会いは自分の生活圏でしか起こらないから、会社員は会社員と交際する。それに、人は価値観が自分と重なる相手に惹かれるものだ。一方、経営者や自営は、会社員以外も視野に入れてパートナーを選んでいる。
青山のパーティー会場は、表参道交差点の近くの結婚式場内のラウンジだった。以前、賢介が花園恵とお見合いをした建物だ。
エレベーターを三階で降りてグレイのカーペットが敷かれた細長い廊下を奥へ進むと、パーティーの受付があった。男性が並ぶ列の最後尾につく。目の前に並ぶ女性のピンクのワンピースから賢介の知らない花の香りがしだ。
前回は沙紀と一緒に四十代限定パーティーにもぐりこんだが、今回は年齢条件が「男性四十五歳~五十四歳、女性四十二歳~四十九歳」を選んだ。男性の会費は六千円。女性は二千円に設定されていた。
参加者の受け付けは手際よく進んでいく。いつのまにか賢介の後ろには五人が並んでいた。
「こんにちは。お名前をうかがえますか?」
 賢介の順番になり、受付の女性スタッフに訊ねられた。銀座の時の二階堂美景よりも年上で、四十歳くらいだろうか。
「石神です」
 名前を言うと、彼女は手もとの参加者名簿を見て、ボールペンスライドさせ確認していく。
「い、し、が、み、さま……。はい、ございました。では、恐れ入りますが、身分証明証を拝見できますか」
 前回も感じたが、丁寧すぎる言葉遣いに賢介はな居心地の悪さを覚える。
「はい」
 運転免許証を手渡すと、間違いなく本人かどうか、写真と生年月日をチェックして速やかに戻された。
「はい。間違いなく。では、参加費、六千円を頂戴します。本日は九番の番号札をお付けになって、参加していただけますでしょうか。会場のデスクに九番のお席をご用意しておりますので、着席してそこにあるプロフィール用紙の各項目をご記入いただきながら、パーティーの開始をお待ちください」
 ラウンジに入ると、今回も「カリフォルニア・キング・ベッド」が流れていた。十人近い男女がすでに着席して、各テーブルに用意されたボールペンで自分のプロフィールを記入している。
 指定された九番の席に付くと、向かいでは先ほど賢介の前に並んでいたピンクのワンピースの女性がプロフィールを用紙に記入していた。賢介が着席すると、彼女が顔を上げ会釈をした。
「よろしくお願いします」
 努めて笑顔をつくって挨拶を返すと、相手もかすかに微笑んだ。その瞳の潤いに、賢介は息をのんだ。
年齢枠以外、システムは銀座の時と同じだった。前半は参加する女性全員と短い会話を交わし、後半はフリータイム。トータルで約二時間の構成だ。
 前半の最初の会話は目の前のピンクのワンピースの女性ということになる。幸運を感じた。「カリフォルニア・キング・ベッド」が終わり、「アンフェイスフル」になる。パーティー会社の経営者がリアーナのファンなのかもしれない。終盤、演奏がブレイクして心臓の鼓動のSEになったところで、音楽がフェイドアウトになった。
 受付にいた女性スタッフが挨拶をしてパーティーが始まる。おそらくマニュアルにしたがってMCをするのだろう。銀座の時の二階堂美景とまったく同じ内容だった。前回同様会の進行の説明や注意事項がよどみなく伝えられていく。
「では、会話を始めていただきます。皆さま、ご準備はよろしいでしょうか」
 その言葉に参加者全員が呼吸を整えるのがわかる。
「では、よーい、スタート!」
 賢介は目の前のワンピースの女性に自分のプロフィールをわたし、大きくお辞儀をした。
「こんにちは。九番の石神です」
「はじめまして。同じ九番の若槻です」
 挨拶してプロフィールを交換する。彼女の名前は若槻愛子。年齢は四十二歳。職業は化粧品の販売だった。
その下には、趣味や好みのタイプなども書かれているが、賢介は一瞥しただけですぐに正面の彼女の目を見るようにした。プロフィールのチェックよりも生身の本人との会話のほうが重要だ。前回のパーティーで学習した。
「化粧品の販売というのは、デパートの一階にあるようなお店ですか?」
「はい。百貨店の一階で化粧品を売っています。立ち寄ること、ありますか?」
「さすがに化粧品のフロアには……」
「そうですよね、男性は寄りませんよね」
 手でごめんなさいのポーズをしてほころんだ顔に賢介は引き込まれた。
「でも、デパートに入ると、必ず目にするので」
「石神さんのお仕事は“出版”と書かれていますけれど、出版社にお勤めですか?」
 今度は愛子の側が質問する。
「いえ、雑誌の記事を書く仕事をしています。以前は出版社に勤めていましたが、十五年ほど前に辞めて、今はフリーランスです」
「作家さん?」
「ライターです」
「どんなテーマで書かれていらっしゃるのですか?」
「政治でも、経済でも、文学でも、スポーツでも、依頼があれば、取材をして、なんでも書きます」
 そんな会話を交わしているうちにパートナーチェンジの時間が訪れた。
「では、男性のかたは速やかにご移動ください」
 司会の女性がアナウンスする。
「ありがとうございました。お話、楽しかったです」
 愛子ともっと話を続けたい気持ちを抑え、賢介は右隣の席へ移動した。
 スタートして何人目だろうか。パーティー会社が定める年齢枠より明らかに若い女性がいた。
「金井琴美 28歳 接客業」
 プロフィール用紙に記されている。このパーティーの女性の年齢枠は四十代なので、二十八歳の彼女はパーティー参加者の中で極端に若い。小柄なので、さらに年下に見える。二十代前半と言われても信じるだろう。
「初めまして。九番の石神です。よろしくお願いします」
「十四番の琴美です。よろしくお願いします」
 金井琴美は、苗字ではなく名前で自己紹介した。強い動物的な香水が鼻腔を刺激した。その香りには心当たりがあった。おそらくチュベローズだ。出版社に勤めていたときに連載を担当した六十代で化粧の濃い女性占い師がいつもこのにおいを発していた。
「接客業というのは、婦人服や化粧品の販売でしょうか?」
 昭和三十年代生まれの賢介はそのくらいしか思いつかない。
「いいえ、ネイリストをしています」
 琴美の指を見ると、白く塗られた爪にダイヤモンドのようなデザインのオブジェが輝いている。
「そのネイルもご自分で」
 賢介は目を細める。
「はい」
「右手も?」
「はい。左手で右の爪を塗るには、倍くらい時間がかかりますけれど」
「金井さんはお若いのに、なぜ五十代がいるパーティーに?」
「私、年上の男性が好きなんです。幼い頃に父親を亡くしたせいか、ファザコンで。申し込む時にこのパーティー会社の人に相談したら、参加してもいいって言われたので来ちゃいました」
 そう言ってふふふと笑った。白いジャケットの下は淡いピンクのTシャツで、首回りは大きく開いている。襟から豊かな胸の谷間がのぞく。見ちゃいけない、見ちゃいけない、と思うほど、賢介の目線は谷間に吸い寄せられていく。
「僕は五十なので、琴美さんの倍も生きているんですよ」
「落ち着いた男性、素敵です」
 社交辞令とは思いながらも、心は浮き立った。
「お話していただくだけで、僕はギャラをお支払いしなくちゃいけない気分です」
五十歳になって、賢介は気づいたことがある。情けないくらい二十代のころと心持ちは変わっていないのだ。仕事は継続してきた年月分スキルは高くなっている気がする。しかし、精神的にはほとんど成長していない。
「琴美とデートしてくれるとしたら、どこに連れて行っていただけますか?」
 琴美は積極的で現実的だ。
「うーん……、まずは食事でしょうか」
「わあー、石神さん、素敵なレストラン、たくさん知ってそうですよね」
「そんなこともないけど……」
 否定しつつも、顔がほころぶ。
「石神さんが好きな食べ物、三つ教えていただけますか」
「寿司、鰻、餃子、かな」
「すごい偶然! 私と同じです。相性合うかもですね!」
 二十八歳の琴美と好きな食べ物が同じと言われ、そんなわけがないとは思いながらも、表情はさらにだらしなく崩れる。

 この日は、銀座の時よりも女性の感触がよかった。パーティーは二度目で、状況が把握できていることも大きいが、適正な年齢で参加しているからだろう。
 プロフィール用紙は、前回よりも具体的に記入した。職業や趣味の欄はスペース内いっぱいに、大きく、はっきりと、職業欄は「ライター。政治経済からスポーツまで執筆しています」、趣味欄は「1960~70年代のRock、同時期のアメリカ映画が好きです」と書いた。そして今回はためらわずに、年収欄に二百万円上乗せして「1050万円」と記入した。端数の五十万がリアルでいい。
 少しは場慣れしたので、女性のプロフィールを凝視せずに、相手の目を見て話せる。身振り手振りも交えた。
 後半のフリータイムには、もう一度話したいと感じた女性のもとにまっすぐに向かった。愛子とも琴美とも再度話せたのが最大の収穫だ。
琴美は賢介と並ぶように座って体を寄せてきた。好意なのか。彼女の世代の女性には自然なことなのか。賢介は判断できなかった。
 パーティーの帰り際、自分の番号が書かれた封筒を手渡される。中には気に入ってくれた女性のメールアドレスや電話番号など、本人が書いた連絡先が記入されたカードが入っていた。
 パーティー会場から表参道駅へ向かう帰路、賢介は狭い路地へ入り、気持ちの昂りを抑えつつ封筒を開いた。その中に連絡先が記されたカードを三枚見つけ、賢介は小さく声をあげた。二枚は愛子と琴美だ。もう一枚の女性は顔を思い出せなかった。賢介は自分の連絡先を記入したカードを二枚提出した。愛子と琴美へだ。彼女たちの封筒には健介からのカードが入っているはずだ。
 その時、携帯電話がメールを受信した。
〈石神さん、今日は琴美とお話していただき、ありがとうございました! とても楽しかったです〉
 金井琴美からさっそくメッセージが届いた。
〈ぜひ近々お食事をご一緒したいです。ご馳走させてください〉
 賢介はすぐにレスポンスした。
〈うれしーい! 楽しみにしていますね〉
 レスポンスのレスポンスが琴美から即届いた。
 帰宅して、賢介は愛子に自分からメールを送信した。
〈こんばんは。今日、青山のパーティーでお目にかかった石神です。お話していただき、ありがとうございました。もしご迷惑でなければ、食事をご一緒できたらうれしいです。よろしくお願いします〉
 ほどなく愛子からレスポンスが届いた。
〈石神さん、ありがとうございます。こちらこそ楽しくお話させていただきました。お食事、楽しみにしています。今週はちょっと忙しいのですが、来週以降、スケジュールが見えたらご連絡しますね〉
「よっしゃー!」
 賢介は左手で携帯電話を握りしめたまま、右手でガッツポーズをした。