「あー、福島、行きてえなあー!」
 練習後に部室で着替えていると、同期のキャプテン、堀内が大声で叫んだ。
この年、水泳の全国大会は、福島県の会津若松で行われることになっていた。
「毎日声に出して言うからこそ、願いは現実になる」
叫んだ後、堀内は必ず付け加える。きっと何かの本で読んだのだろう。
こいつの専門は自由形の中距離、二〇〇メートル、四〇〇メートルだ。しかし、上腕の力でぐいぐいと水をかくスタイルで、短距離の一〇〇メートルも僕より速い。野性児のような男で、部室ではいつも全裸だ。
水泳部は毎日放課後に四〇〇〇メートル近く泳ぐ。夏休みに入ると練習量は一気に増え、一日一万メートルを超えた。その時期になると、部員の体からは脂肪がきれいにそぎ落とされ、筋肉の塊になる。
そんな中で、堀内の体は個性的だった。腰の位置が妙に低いのである。つまり、脚が短い。中学生まで水泳部と掛け持ちで柔道部にも所属し、内股ですり足で歩く習慣が重心の低い体型をつくった。
水泳部はプールの更衣室を部室にしていた。コンクリートブロックの部室の広さは十畳くらい。壁面にはぐるりとグリーンの木製の棚が作りつけられ、木調のエレキギターが立てかけられていた。堀内の愛器、SGだ。名画座で観たロックフェスティバルのドキュメント映画『ウッドストック』に刺激されて、このギターを手に入れた。映画の中でザ・フーのギタリスト、ピート・タウンゼントが演奏し破壊したのがSGだったのだ。
ただし、ピートが愛用していたのはギターの名門ブランド、ギブソンのSGである。一方、堀内のギターはグレコという日本のブランドが作ったコピーモデルだ。ヘッドにあった「GRECO」のロゴを削りとり、彫刻刀で器用に「Gibson」と彫っていた。
「ピート・タウンゼントは世界中のSGを破壊したって言ってるけど、ここに一本残ってまっせ」
 そう言って、練習の後、いつも、ザ・フーの「マイ・ジェネレーション」のイントロをかき鳴し、でたらめな英語でメロディラインを歌う。堀内はイントロのリフしか弾けなかった。
部室のコーナーからコーナーの対角線にはロープが一本張られ、部員たちの濡れた水着やTシャツが吊るされていた。照明は天井から裸電球が一つだけだ。のぞきの防止で窓がないので薄暗い。だから、グラウンド側とプール側の両扉は開けたままで、外光を入れていた。扉から扉へは、光とともに涼しい風も駆け抜けた。
部室の棚には高音ばかりが響く旧式でモノラルのラジカセが一台あり、練習後はロックを大音量で鳴らしていた。この日はストーンズの『サム・ガールズ』である。
「カァマ~ン! カァマ~ン!」
 ミック・ジャガーが叫ぶ。アルバム一曲目の「ミス・ユー」だ。リズムに合わせて堀内が体を揺らす。髪に残っていた滴が飛び散る。ディスコ映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が世界的にヒットした影響で、一九七八年の洋楽のチャートにはディスコ調のナンバーが並んでいた。ストーンズの「ミス・ユー」もそんなディスコブームに乗って大ヒットした曲だ。
踊りながら、堀内は器用にコーンフレークを食べている。口のまわりをミルクが濡らす。昼食は毎日これだ。午前の練習が終わると堀内は阿佐高の正門前にある近藤商店へ走り、トラのキャラクターが描かれている大箱のコーンフレークと一リットルパックのミルクを買う。
部室には、自宅から持参したプラスティック製の器と大きなスプーンが常備されていた。僕たちが「エサバコ」と呼ぶその器に堀内はコーンフレークを山盛りにして、ミルクをどぼどぼ注ぐ。
エサバコは一度も洗っていない。底にパテ状にたまった牛乳の層は日に日に厚みを増し、腐ったチーズのような異臭を放っていた。しかし、堀内はまったく気にせず、昼休みにコーンフレークを大箱の三分の二ほど食べる。残りの三分の一は練習後までとっておく。ミルクもきっちり三分の一を残す。
今日も練習が終わるとすぐに残ったコーンフレークにぬるいミルクをからめてかき込んでいた。
「石神、お疲れさん。居残り練習、何日目?」
 あまいミルクの臭いをただよわせ、堀内が近づいてきた。
「明日で二週間。きっついよ」
 僕は焼けた素肌にはじかれてころがる滴をバスタオルで叩いて払い落とす。プールの塩素で脱色した体毛が金色に光っている。
「もうそんなだっけ。石神の居残り練習を応援してるとさ、チームの団結が固くなっていく感じがしていいね」
 にやにやしながら言って、服を身につけていく。こっちは気絶しそうなくらい苦しいのに、いい気なものだ。
堀内はいつも穴だらけのジーパンと洗いさらしたTシャツを着ている。
「オレはプロレタリアートだからさ」
 ジーンズの破れを指摘されると、うれしそうに語る。
しかし、実際には阿佐谷の隣町の荻窪で五十年近く続く和菓子屋の長男として、裕福に育った。堀内家のリビングには立派なシャンデリアがあり、トイレには市販されはじめたばかりの尻洗い用シャワーが付いていた。豊かな者は清貧や無頼に憧れる。顔をまばらに覆う無精ひげがミルクで濡れているが、陽焼けした顔は彫りが深く、きれいなつくりをしていた。

「石神しゃ~ん、今日も居残りお疲れさまあ~」
 背後からやはり同期の、野波が抱きついてきた。
「やめろ」
 体を押し付けてくる野波を払いのける。
 まぶたが腫れぼったい野波はいつも眠そうな表情だ。しかし、顔と不釣り合いな肉体美の持ち主だった。中学生の時に少林寺拳法の道場に通っていて、大胸筋、上腕筋、大臀筋、大腿筋……といった太くて大きな筋肉が発達し、不要な贅肉はまったくない。腹筋も六つに割れ、ミケランジェロのダビデ像のような体をしていた。本人もそれが自慢で、機会を見つけては服を脱ぐ。脱いだら、筋肉を誇示する。
今日も濡れたままの隆起した大胸筋を僕に押し付けてきた。妙に大きい野波の乳頭が僕の裸の背中にこりっとあたり、必死に逃れた。
「ミス・ユー」の間奏部、ストーンズのビル・ワイマンが弾くベースのうねりに合わせ、BVDの真っ白いブリーフ一枚で野波が卑猥に体をくねらせる。
「今日のオレ、どう?」
近くで着替えている後輩たちに体を見せつける。ボディビルダーを真似て両手を腰にあて、大胸筋を上下に動かす。
「野波先輩の肉体は僕たちの憧れです」
 一年生の一人が答える。
「まっ、それほどのものでもないけどね」
 野波は満足げだ。
このやり取りは、練習後の儀式のように毎日行われている。
 野波の専門は一〇〇メートルと二〇〇メートルの平泳ぎだが、腕力があるのでクロールも速い。五〇メートルと一〇〇メートルは、自由形専門の僕もかなわない。
しかし、野波には弱点があった。競ると負けるのだ。たくましい体に似合わず気が小さい。大切な試合であればあるほど実力を発揮できない。隣の選手と競り合って勝ったことは一度もなかった。ところが、一緒に泳ぐ組に恵まれて有利な展開になると、ほかの選手をぐんぐん引き離した。強い者に弱く、弱い者に強いのである。

「石神、明日はオレのベストパンツ、貸そうか?」
 コーンフレークを食べ終えた堀内が、脱いだままくるくるっとねじれた競泳用パンツを右手人差し指にひっかけて左右に揺らした。
「いや、いいよ」
 即断る。
「遠慮するなって」
「気持ちだけありがたくもらう」
 堀内はいつも「ベストパンツ」と自ら命名した青い競泳パンツをはいている。
水泳部員はみな、「ARENA」や「Speedo」といったメジャーブランドの競泳パンツを愛用していた。生地の質がよく、薄くて泳ぎやすい。しかし、堀内のベストパンツはそのどちらでもない。「ア・レーナ」という怪しげなブランド名がカタカナでプリントされている。腰部の両サイドには綿で厚手のラインが刺繍され、その部分がたっぷりと水を吸う。当然重くなる。どう考えても速くは泳げない。
ところが、二年生の春の公式戦でそのパンツをはき、次々と自己ベストを記録した。タイムを縮めるために泳ぎ込む水泳選手にとって、自己ベストは努力と成長のあかしで、励みでもある。
「このパンツのおかげでっせ」
更衣室で、堀内はおおいにはしゃぎ、脱ぎたてのパンツに口づけをした。以来ゲンを担いで大切な大会にはベストパンツをはいた。
三年生になってからは練習でも毎日はくようになった。全国大会の予選となる東京都大会が近づき、プールに指導に来るOBたちから練習でもプレッシャーをかけられていたからだ。しかし、毎日自己ベストで泳げるはずはない。それでもはき続け、生地は薄くなり、今では尻の肌が透けて見える。
「このパンツがなくなったら、オレは終わりだ」
そう言って、堀内は練習後にパンツを隠す。ラグビー部やサッカー部のワルたちが夜のプールに忍び込んで部室に干してある水着を勝手にはいて泳ぐ事件が続いたからだ。
パンツの隠し場所は、一斗缶の上部を切り取って作ったゴミ箱だった。練習が終わると、箱の中からスナック菓子の袋や食べ残しのパンなどをすべて外へ出す。そこに脱いだままねじれたパンツを入れ、上からまたゴミをかぶせる。
「これで明日も大丈夫!」
 無精ひげがまばらに散らばる満面の笑みで言う。

水泳部の同期には、もう一人、もの静かな男がいた。野波と同じ平泳ぎが専門の津村だ。細身で、顔が小さく、贅肉はもちろん筋肉も少ない津村は、一年生のシーズンも終わろうとしている九月に、ほとんど水泳経験を持たずに入部した。
プールサイドにぼうっと立っている童顔の津村を見た部員たちは、最初、練習を見学に来た近所の中学生だと思った。
「種目は何を泳ぎたい?」
 入部希望者だとわかって青木が訊いても、無表情のままつっ立っている。それでも、何にしようか必死に思案はしていたのだろう。
「ヒラ……」
 表情を変えずにぼそっと答えた。
こいつ、大丈夫か――。
僕たち同期も、先輩たちも、まわりにいた部員は皆顔を見合わせた。
「わかった。今日から泳げ」
 青木が着替えるようにうながした。
そんなふうに入部した津村だったが、筋肉の質がよかった。関節も柔らかく、水の抵抗の少ないフォームで、めきめきタイムを縮めた。二年生の春には一〇〇メートルでも、二〇〇メートルでも、同じ平泳ぎ専門の野波のタイムを抜いた。しかも、練習後に遊び半分で泳いだ一〇〇メートルのクロールで、当時の僕よりも速いタイムを記録した。
津村は毎日黙々と泳ぐ。休憩時間に話しかけても「うん」とか「ああ」とか最小限の言葉しか返ってこない。練習帰りにはいつも阿佐ヶ谷駅近くの「花壇」というパチンコ屋へ寄り、何時間も無言で球をはじいていた。
パチンコのほかにもう一つ、津村には熱心な趣味があった。一か月に一度、週末の夜にストリップ劇場へ行くのだ。僕も一度新宿にあるON劇場という有名な劇場に連れて行かれた。歌舞伎町のラブホテル街の奥にあり、入場料は一般が五千円で、学生は三千円だった。かび臭い入口には小窓があり、そこで生徒手帳を見せると、十八歳未満入場不可なのに、三千円で入れてくれた。
薄暗い客席に入ると僕の鼓動は速くなった。津村の後について客席最前列に座る。場内には、井上陽水の「青空ひとりきり」が大音量で響いていた。どう解釈してもストリップには不似合いな男の孤独をつづった歌詞だ。目が慣れてくると、客席は七分の入りで、おそらく僕たちより若い客はいない。
青いピンスポットがステージを照らし、和服姿のダンサーが井上陽水の歌に合わせて今まさに脱ごうとしている。油絵具を塗ったような厚化粧だ。年齢不詳だが、顔は整っている。左右の目の焦点がそろっていないところが妙にエロティックだった。
するすると布が落ち、白い肌が露わになる。波打った腹にある盲腸の手術の痕が僕の性欲を刺激した。直射する照明に素肌が汗ばんで光っている。
母親と祖母以外、生まれて初めて目にする女の裸を僕は食い入るように見た。今目に焼き付けておかないと、一生見るチャンスが訪れない気がしたのだ。乳頭は黒くて大きい。野波の乳頭を思い出し、あわてて頭から追い払う。
突然ダンサーの股間が迫っていた。砂浜に打ち上げられたワカメのように黒々とした毛が波打っている。思わず前のめりになると、ダンサーは焦点の合わない目で微笑みかけてきた。
「石神、楽しいだろ」
 津村の声で我に返った。津村の顔は舞台を向いたままだ。目がきらきら輝いている。
 次のショーでは四十代くらいのダンサーが登場し、劇場の男性従業員が最前列に座る客の何人かに正四面体のプリズムを渡していく。
「これ、どうするんだ?」
受け取った僕は津村に訊く。
津村はにやにや笑うだけだ。
 舞台でパフォーマンスをしていたダンサーがこちらに向かってきた。すでに服はつけていない。やはり化粧は濃く、甘酒の匂いがした。乾燥したヘチマのようにだらりとぶら下がる二つの乳が妙に白い。
ダンサーは微笑みながら気前よく脚を開き、そのまま僕の頭を大腿部で抱え込んだ。ふさふさした陰毛の真ん中が光沢を放つ。堀内のエサバコと同じ臭いがした。
どうしていいかわからずにじっとしていると、横からいきなり津村の手が伸びてきた。
「貸せ」
 津村はダンサーの股間にもぐりこみ、僕から奪ったプリズムを通してのぞいた。津村が見やすいように、ダンサーがさらに大きく股を開く。二つのヘチマが体の左右にこぼれ落ちる。客席後方から股間に照明があたり、津村が目を細めた。
「お上手ね」
 舞台の上からダンサーが津村の頭をひとなでした。
こいつはいったいどれだけここに通っているんだ。
津村の横顔をまじまじと見る。ダンサーの右のヘチマが津村の頬をペタペタとビンタしている。
津村がプールではけっして見せない幼児のように無邪気な笑顔になった。

そんな同期の中で僕ばかり居残り練習をさせられるには理由があった。四〇〇メートルリレーのメンバーで一番遅かったのだ。
三年生になり、堀内、野波、津村は、一〇〇メートル自由形で安定して一分を切っていた。しかし、僕一人が一分三秒かかっていた。
全国大会へ進むには、都道府県別の大会で優勝するか、水泳連盟が定める標準タイムを切らなくてはならない。強豪私立高校がひしめく東京都で優勝するのは至難の業なので、多くの学校は標準タイムを目標に毎日練習を続けている。
この年の四〇〇メートルリレーの標準タイムは三分五十六秒だった。一人平均五十九秒で泳がなくてはならない。それには、僕がタイムを縮めることが最大の課題だった。三人よりもタイムの遅い僕には、まだ伸び代がある。それで青木は僕に特に厳しい練習を課していたのだ。