こんなにもかっこいい人なのに。彼の車は軽トラックだった。おんぼろな軽トラックのボディには、七星煙火工業と書かれている。高級外車が似合いそうな彼の麗しい容姿と軽トラックのギャップが、なんだかとても変な感じだ。

 思ったよりも座席の位置が高い。よじ登るようにして、栞は助手席に座った。

「シートベルト絞めた? じゃあ、行こうか」

 エンジンをかけると、カーステレオから夏らしい爽やかな洋楽が流れてくる。栞の知らない曲だ。声も、聞いたことがない柔らかな男性の声。もしかしたら、少し古い曲なのかもしれない。

「きみが今から逢いにいくのは、七星村(ななほしむら)の米穂佐和子(よねほ さわこ)さんで間違いないかな」

「え……?」

 祖母のことなど、まだ何も話していないのに。どうしてわかるのだろう。

 怪訝に思い首を傾げた栞に、彼は穏やかな声音でいう。

「佐和子さんが、今年の夏は孫が逢いに来てくれるんだって、凄くはしゃいでいたから。それに――きみは、きみのお父さん、米穂弘嗣(ひろし)さんにそっくりだ」

「父を、知っているんですか」

 唐突に出てきた父の名前に、栞はぎゅっと拳を握りしめる。

「小さな村だし、きみのお父さんは有名な花火絵師だったからね」

「はなびえし?」

 初めて聞く単語だ。聞き返した栞に、彼はやさしく教えてくれた。

「打ち上げ花火っていうのは丸い玉のような形をしているんだけれど、この地方では神社に奉納する花火の玉に絵を描く習わしがあってね、その絵を描く職人のことを、『花火絵師』と呼ぶんだよ。佐和子さんの家には、今も彼が遺した作品が飾ってあるから、見せて貰うといい。とてもよい絵を描く職人さんだったんだよ」

 父が絵を描く人だった。その事実に、栞は戸惑わずにはいられなかった。

「僕が作った花火に、彼が絵をつけてくれたこともあったんだ。凄くきれいな、あじさいの絵だった。今でもはっきり覚えているよ」

「父は、最近まで生きていたんですか?」

 彼が幾つなのかわからないけれど、おそらく二十代前半くらいだろう。その彼の作った花火に絵を描いたというのだから、最近の出来事なのではないだろうか。

「いや。弘嗣さんは、十七年前に亡くなったよ。僕が叔父から、今の役目を継いだのがちょうど十七年前だったから。彼の最後の仕事は、僕の作った花火への絵付けだったんだ」

「あなたは、花火職人さんなんですか」

「主に神社に奉納する花火を作っている、職人だよ。今は『迎え人』も担っている」

 むかえびと。なんのことだろう。よくわからないけれど、ちょっと意外だ。普段は都会でモデルをしていて、たまたま田舎に遊びに来ているだけ、そういわれても信じてしまいそうな外見なのに。片田舎の村で職人として働いている人にはとてもではないけれど、見えそうにない。

「七星では夏のあいだ、毎週水曜日に奉納の花火を上げるんだ。数は少ないけれど、どれも職人が丹精こめて作った自慢の一品だ。とてもきれいだから、よかったら水曜日は夜空を見上げてみて。ちなみに花火の上がる日、神社の境内には毎回、夜店が出るよ」

「毎週、ですか?」

「うん。七月と八月は、毎週欠かさずに出るんだ」

 何の娯楽もない田舎町だと思っていたけれど、毎週夜店があるなんて、ちょっと楽しそうだ。大した規模ではないだろうけれど、田舎の神社に並ぶ屋台なら、少し寂れている方が風情があっていいかもしれない。

 五駅も先だから、当分たどり着けないのかと思ったのに、その駅から七星村までは、曲がりくねった急な坂道を登ると、意外と近かった。

「ついた。ここだよ」

 そういって彼が指さしたのは、山間にある集落の外れに建つ、一軒の古い民家だった。石垣に囲われた広々とした敷地に、立派な日本家屋が建っている。緑の溢れる庭先には、都内ではすっかりしおれてしまったあじさいが色とりどりの花を咲かせていた。青、紫、薄紅、濃淡さまざまな花が咲き乱れるさまは、うっとり見惚れてしまうくらいに美しい。

「まだあじさいが咲いているんですね」

「この地域は平野部と違って、あじさいが花をつけるのが遅いんだ。七月いっぱいは咲き続けるよ」

 花火の玉にあじさいの絵を描くなんて不思議だったけれど、この地域ではあじさいは初夏の花として親しまれているようだ。

「そのぶん、朝顔やひまわりは少し遅くて、八月に入るとようやく咲き出す感じかな」

 さっき栞が倒れた駅よりも、ここはかなり高度が高いようだ。蝉の声も、心なしか涼やかに感じられる。

「ごめんくださーい。佐和子さん、お孫さん、お連れしましたよー」

 彼が声をかけると、小柄な女性が駆け寄ってくる。おばあちゃんという言葉から栞が想像していたよりも、かなり若々しい女性だ。顎の辺りで切りそろえたボブヘアと、くりっと大きな瞳。栞を見るなり、感極まったように抱きついてくる。突然、初対面の人に抱きつかれ、栞はどんな反応をしていいのかわからなくなった。

「あ、あのっ……」

 ぐずっと彼女が鼻をすする音が聞こえる。泣いているのだと気づき、栞はさらに困惑した。

「――今日から、お世話になります」

 ぺこりと頭を下げた栞を、彼女はぎゅーっと抱き締める。

「ありがとう。来てくれて、本当にありがとう」

 泣きじゃくる佐和子に躊躇いながらも、栞はポケットからハンカチを取り出して差し出す。彼女は泣き笑いの顔で「ありがとね」といってくれた。

「それじゃ、僕はこの辺で、失礼します」

「あ、待って――ジュース代っ……」

 引き留めようとしたけれど、花火職人の青年はひらりと手を振って玄関を出て行ってしまう。名前すら聞くこともできないまま、栞は彼を見送ることになった。