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 恋は突然である。お子様から御年輩の皆様まで、誰もが落ちる謎の魔法である。
 我を忘れ冷静さを蹴散らし、時として未来をも揺らす。殆どが露の如く消え、心に燃え滓が残る事もある。
 取り敢えず、ヒトの恋路は笑ってはならぬ。


「一緒に歩くの、なんだか申し訳なくなるよ」
「なんで。なんか嫌だった?」
「ち、違うよ、だって……釣り合ってないんだもの。私、地味だし」
「そんな事ないよ、全然地味じゃないよ。岩野田さんは、せ、清楚っていうんだよ!」

 右は交際開始直後の十代初恋カップルの会話だが、くれぐれも笑ってはならぬ。「こっぱずかしい」「馬鹿みたい」などと、茶化す事もならぬ。

 素直に「羨ましい。自分もこんな時間が欲しい」とオノレの心に正直になるが良い。もしくは「自分も若い時分に経験したかった」と悶絶し、のた打ち回り渇望するのが、真っ当で大変好ましい。 


 いにしえより伝わるは、真っ赤な林檎とネイビーブルーのティシャツの逸話であろう。いつの世の女子にも、可愛らしさを貫くは年下の男子であろう。

 セオリー通りの生徒が今、氷川商業高校入学式の会場にいる。岩野田みかこという名の、アーモンド型の奥二重が印象的な、スラリとした和風女子である。
(河井君の始業式は昨日だったよね)
 集中力が途切れて少し下を向くと、顎より少し伸びた漆黒のボブが緩く揺れた。
(今は授業中かな)
 彼女が思いを巡らすのは案の定、年下の彼氏の事である。北国の春は遅く、日陰にはまだ根雪の名残が残っている。

「お、何だよ」
 所変わり同市内、市立氷川中学の二年三組教室。親友の大澤リュウジの背中をシャーペンで突いているのが、件の河合マサキである。がっつり眼力とキュートなおデコを持つ、利発なちびっこ男子である。

「ちょっとズレて座れや。お前の背中で前が見えねえ」
「おう悪かったな。変わるべ。センセー席替えしていーですかー」
 ガタガタと移動する二人の身長差は三十センチはあろうか。
「小さいと難儀だべ」
「テメエ様がデカ過ぎるんだべ」
 こう見えてどちらも全国中学バスケのエース格、学校の看板選手。しかし中身はまだまだコドモ。机上には真新しい教科書とノート。どれもピカピカ初々しく、角は尖って痛いのであった。


 市立氷川中学は全国に名をはす教育指定校である。教育熱心な御家庭が校区を目指して転居する、不動産価値もうなぎ上りの御立派な中学校である。

 その第二学年に河井マサキは在学中だ。岩野田みかこの在籍は昨年度まで。
 そしてワタクシの手元には今、薄い茶封筒がある。中には捺印の並んだ書面が一枚、ヒラリと入っている。


 営業部三課〇〇年度3 51831603号
 先手:市立氷川中等学校 二年三組 河井 マサキ
 後手:道立氷川商業高等学校 情報処理科 一年B組 岩野田みかこ
 発動開始日 〇年三月吉日 ハルヤマ動物園 爬虫類館 白ヘビ前


 初恋案件の指示書である。尚、当日はワタクシも現場に立ち会っていた。

白ヘビ舎の前での告白は正直ナニでソレであったが、昨今は予算カットも甚だしく、前任者はネットでの春休み無料配信映画を布石とした。某英国魔法使い作品である。

「色々ギリギリで無理ヤリ感は承知だったのですが」
「ご英断です。この時期の動物園は混雑も有りませんし、邪魔も入らず何よりでした」
「しかも白ヘビさんは恋愛運じゃなくて金運でしたね」
「このご時世です。銭が無くては色恋も進みませんし、昨今の不景気にはピッタリですよ」

 笑顔で引き継ぎをした早春の午後であった。気温は低いが快晴で、動物園名物のトビのフリーフライトは、二人の門出を祝うように舞った。

 我等は恋の妖精さんである。ヒトの繋がりに纏う様々な流れを管理運営、日々の成長を促し見守るのが、我が成就株式会社の業務である。

 尚、ワタクシは北支店営業三課、初恋部門の中堅である。ルックスは蕾のままミイラになったアラサー女子。可愛い恋の担当なので、通称名はカワイという。
 響きが奇しくも河井と似ている。素敵な御縁となりますよう、心より祈念致す次第であります。






 道立氷川商業高校は創立百年越えの地域の伝統校である。文武両道、質実剛健。大学推薦枠は進学校にも引けを取らず、入学偏差値はうなぎ登りである。

 校内ローカルルールもある。例えば校内カップルは制服の水色ネクタイとボウタイを交換するとか、学年ミス・ミスターの称号が『シード』とか。

「岩野田、キミ、シード八強入りだそうだよ」
「わースゴい! 良かったじゃん!」
「やめてやめて! 何かの間違いだよ」

 なんと岩野田がシード入りだそうな。囲むクラスメイトは姉御肌な大家ミサオとほんわか女子の茨木ハルカ。尚、この賛辞と交際運は弊社開発課案件である。

「そんな全力で否定しなくともいいのに」
「うん、まじでイケてるよ。透明感のある和風美人」
「あのでも私、本当に違うから……」
 友人達は岩野田のモブ属性に気付くと、早急に態度を改めた。

「わかった。言われるのが嫌ならもう言わないよ。事実は見ればわかるからね」
「でもその可愛さなら当然彼氏も絶対居るよね。画像も有るよね。はい、見せて」
 岩野田は再び崩れ落ちるのであった。

 岩野田の保存データはワタクシの初恋采配による動物園でのツーショット、大澤カップルとのダブルデート集合写真である。どちらも自然光の素直な画像、恋の小道具の王道であろう。

 お披露目を迫られる状況を見張っていると、今度は後ろからワタクシを呼ぶ声が。
「恐れ入ります、今お取込み中でしょうか」
 梅の花の社員章を付けた同世代リーマン風妖精さんである。
「一度ご挨拶させていただけたらと思っておりましたので」
 岩野田の義務教育を長年担当していたスガワラコーポレーション社員さんであった。


 スガワラコーポレーションは学業を司る老舗会社である。キャッキャうふふな教室の隅で、ワタクシ達はヒソヒソ話し込む。

「今年度入学試験は近年稀に見る高倍率だったそうで。岩野田の補欠合格までの御苦労推察致します。本当にお疲れ様でした」
「御心配をお掛けしました。後半の成績降下がありましたが内申が良かったので」

 学力低迷には事情があった。晩秋の大事な時期に身体の弱い母が入院したのである。父も数年前の会社倒産による転職で収入は頭打ち、歴代担当が抱える岩野田家の懸念事項でもあった。

「小学時代には家計を心配して好きなバレエも辞めた健気なコです。お手伝いも頑張りますし、我慢も沢山しています。ですから氷川商の合格は僕、心底嬉しくて。しかも可愛い初恋も始まって、僕は、僕は」
 目から出る汗を拭くティッシュは瞬く間に山となる。北国では林檎とシラカバ花粉も飛ぶ時期だ。
「相手が河合と聞き不安感は否めませんが、岩野田の素敵な青春の彩りとなってほしいです」
 予想外である。ワタクシの第一印象は非常に良かったのだ。


 教育妖精機構では才能と運気溢れる十代に対し、社枠を越えた応援プロジェクトを始めたそうだ。河合と大澤にはスガワラ本社直々の指示が有り、弊社にも現在協働案の打診中とか。

 未見のワタクシは頭を下げる。
「申し訳ありません、すぐ社に戻って確認します」
「カワイさん達は今が繁忙期ですから。余計な事を申して大変失礼致しました」
 ペコペコと労わりあうのであった。
「何より僕は、有望な河合にこそ岩野田の様な女の子が一番だと確信しております」
 お互いに強く頷きあうのであった。

「僕、明日から有給消化でその後も内地で社内研修なんです。今日は彼女の笑顔が見られてホッとしました。こうしてカワイさんともお話出来ましたし」
 彼はもう一度岩野田を見た。
「でも、本音はもう少し見守りたかったな」
「どうぞお任せください。ワタクシ、全力を尽くします」
「是非とも宜しくお願いします! 岩野田、素直な良い子なんです。幸せにしてやってください」
 再び涙目であった。
「河合に恋を育む余裕があるといいのですが」



 岩野田がお披露目したのは素朴なツーショット写真である。

「年下の彼ぴっぴ可愛い! まだ岩野田より背が低いんだね」
「私この子知ってる。氷川中の河合君でしょ」
「あっホントだ、有名選手だ、ナイス彼氏じゃん!」
 弟がバスケ部だという茨木の一言から、大家にもあっさり正体がバレる。

「じゃあ岩野田のボウタイは河合君に渡さなくちゃ」
「そういえば氷川中バスケ部の彼女って、リストバンド貰うって話じゃん」
 真っ赤に染まる岩野田を友人達が一層イジる。楽しい環境も含めた上で、可愛い初恋に磨きが掛かる。

 河合に恋を育む余裕があるといいのですが。

 先程聞いた言葉は、ワタクシの胸に妙に引っ掛かったのであった。





 妖精産業の歩みは有史よりも古く、今日までの至る所での我々の暗躍は、言わば公然の秘密であろう。

 ワタクシの属する成就株式会社北支店は、吸収合併される前は北国一の老舗であった。コロボックル出身の創設者を礎に、長く厳しい風雪に耐えた逞しい歴史を持つ。

 営業三課の主な業務は所謂はじめの愛、初恋関係が主流である。一見派手だが要はひたすら見守り、非常に地味な業務なのだ。

 今年度初めは特に多忙を極めた。昨年末の早期退職募集で正社員を削減した為である。
「労働力減らして重大ミスが出たら誰が責任取るんでしょうね」
「だよね。みんなそう思うよね。勿論僕も思ってるよ」
 書類に埋もれた課長も暗い顔である。
「来週から派遣さんも入るから、それまでなんとか頼むよ」

 三課の重要任務には数多の初恋案件に埋もれた一生モノの愛の発見、発掘、研磨といった、所謂サベレージ作業がある。
 だが近年のネット環境はジェネリックラヴを肥大させ、我々を過剰勤務に追いやった。初恋終了を知らせる式神は容赦無く机上に着陸、膨大な雑案件は瞬く間に山となる。更に弊社は『紙は神』の教えが根強く、ペーパーレス化も未定である。

 書類と格闘するワタクシの肩に馴染みの管狐(クダギツネ)が留まる。営業二課長・ケンジさんの専属狐であった。
「カワイさん、うちのボスが『昼休みに会議室に来てね』だって」
「ありがとう。了解ですって伝えて」
 時は金である。急ぎ目前の業務を片づける。


「おうお疲れさん。今年度も宜しくね」
 社内きっての家庭愛エキスパート・ケンジさんは海苔弁で昼食中であった。
 通年着用の上下ジャージにビーサン風情は世を忍ぶ仮の姿。妖精さんは各々で容姿を誂えるが、このジャージおっさんの捌く仕事量は業界でも有名だ。

「もうお二方いらしてたの。遅れてごめんなさいね」
 次に入室するは真面目なラブを扱う営業一課の長身美女、通称『真田さん』。ワタクシが入社以来ずっとお世話になる大先輩。

「真田さん、佐藤はどうだった?」
「取り敢えず今回も大丈夫でした」
 ケンジさんは頷き「ありがとう」と真田さんを労った。

 彼等の担当は河合の親友の大澤とその彼女・佐藤ミヤコである。真面目アンド家庭愛の妖精さんズが憑く時点でお察しだが、彼等の未来はゴールインである。
「初素敵、まさに恋成就の王道だわ! ワタクシも彼等のスタートに関わりたかったな」
「これから存分に関わってね。二人とも苦労人なの」

 聞くと大澤家は離婚による母子家庭、佐藤家は死別による父子家庭、しかも現在は遠距離で試練だらけとか。

 河合と大澤の友情は生涯続く。その経緯もあってお声がけいただいた本日。ワタクシで良ければ何なりと、キュートでラヴリーな展開をお約束する次第である。


 それにしても大澤カップルは非常に興味深い。
 長身の大澤はバスケで将来有望、佐藤も優秀な頭脳とアイドル並の可愛らしさを併せ持つ、超華やか最強十代なのである。
「佐藤の弟と大澤が小学校の親友なんだよね」
親友のお姉さん。
「ちなみに大澤の四つ年上よ。今は地元の進学校の高三」
よっつ上!
 なんという全思春期男女の羨望設定。岩野田も氷川中在学時はさぞかしモブを堪能したであろう。
「そんな訳で、河合も刺激は受けてたみたい」
 どんな刺激を受けていたのであろう。
「化学反応が楽しみね」
 どんなバケ学になるのであろう。

「だのに大澤達、見かけに寄らず可愛いんですよね。微笑ましいというか」
 打ち合わせのホワイトボードを消しながら、ワタクシは先日の動物園での感想を漏らした。
「可愛い?」「あの二人が?」

 目撃妖精によると、大澤が佐藤に「シタ入れた事まだ怒ってんのか」とボヤくシーンが有ったとか。

「大人びて見えるから進展も早いと危惧していたんですが、舌の挿入で揉めるのならまだ想定内です。ホッとしました」
「ああ、それは」
 ケンジさんが渋い顔をした。真田さんもアタマを抱えた。
「カワイさん、それ、シタ違いだから」
「え」
「だから、舌じゃなくて……下だから」
「え、えっ」

 ワタクシは赤面した。真田さんの佐藤関連の出張の大半は、彼等の元に出向きたがるコウノトリさんに御引取願う為であるという。

「……最初に二人を見た時にナマ臭さは感じたのですが」
「うん、でも未成年での子持ちは駄目だろ。大澤も体格はもう大人だけどね、理性第一だからね」
 ケンジさんはハアと嘆息し
「私の目の黒い内は決してフシダラな真似はさせません。大澤にはギリッギリまで堪えさせてやるわ!」
 真面目な真田さんが更に吠え、大層怖かったのであった。

「そ、そっか。どこも何なりとあるんですね」
 可愛い案件しか携わらないワタクシには縁の無い世界であった。オボこい河合と岩野田にも無さそうな展開である。

(何よりスガワラさんから聞いてた話、ワタクシには届いてなかったわ)