山口がそんなに世間知らずだとは思っていなかった。わざわざ負け戦にエントリーする阿呆がどこにいるんだろう。山口だって見たでしょ、あの完璧な彼女さんを!
「何で……そんな……馬鹿なの?」
爆発寸前の私に恐れをなしつつ、福田と山根が交互に教えてくれる。
「私達もたった今フリスペで聞いたんだよ。ついさっきの事らしいよ」
さっき……だから河合君、大澤君を探しにきたの?
「でもあの彼女じゃ流石に山口も勝ち目ないし。だから山口、二番目でいいから彼女にしてくれって持ちかけたらしいよ」
「あの山口が!?」
最大の衝撃が走る。あのプライドが成層圏を突き抜ける、あのお嬢様育ちの山口が!
福田が更に声を潜める。
「セフレでもいいとまで言ったって。やり取りを聞いちゃった子がいて、もうその話で持ちきりだよ」
「セ、」
開いた口がふさがらない。何考えてんの? しかも受験真っ盛りのこの時期に!
「ば」「ば?」「……っかじゃないの? 何それ!?」
私の剣幕に驚く二人。「岩野田落ち着け!」と諭される。いつもは私がナダメ役なのに。いや、でも。はあはあはあ。
「あんな素敵な彼女がいる子に、しかもまだ一年の後輩に!」
怒りのマグマが流れ出る。信じられない。許せない。「どうどうどう」とまた諭される。
「でも大丈夫。大澤君、きっぱり断ったから」
そうでしょうとも、そうでしょうともよ!
「うん。そこもバッチリ聞いてた子がいてね」
うわあ、聞きたくない! てか、そんなトコ聞いちゃダメ節操ない!
「『オレ別に困ってねえよ』って冷たく一刀両断、すっごい怖かったって」
わあああ。
「だって山口って前も迫ってた訳でしょ、あのボタンの時。大澤君もいい迷惑だよね」
ひいいい。
だから河合君、大澤君を探しに来たんだ。でも大澤君も気の毒だ。こんな噂になっちゃって。まあ少しは……山口も。自業自得もあるけれど。でも山口は自分を安くするタイプなんかじゃない。山口のばか。大馬鹿!
アタマに血が上りすぎて、河合君の事、二人に話すのも忘れてしまった。
「でもまさかだよね。あの山口が、ここまでさ、」
山根が怒りもしないで冷静でいる。あまりの思考停止ぶりに、福田を驚かせている。
怒り狂うのは私ひとり。噴火はとどまるコトを知らず、二人をビビらせる。
「あんな素敵カップルに横ヤリだなんて!」
私は『遠くにいる彼女さんを大事にしている』大澤君の大ファンだ。「だってあんなに極上の美少女なら」という全員一致の突っ込みは今回、ナシで願います。また二人に「どうどうどう」と宥められるけど、全てご容赦願います。
「山口、マジ惚れだったんだね」
福田のオトメ発言を、しかし山根が淡々と却下。
「いやあ。多分初めて手に入らなかった事柄なんでないの?」
私達は山根を見る。
「あの人、今まで何でも全部自分の思い通りにしてきたし。今回も大澤君が欲しくって、でも何やっても断られて、どうしたらいいかわからなくなって、結局ああなっちゃったんでないの?」
「そっか、取り乱したのか」
福田も速攻で納得。
「氷川の闘将は鉄壁なんだね」
私もそうかもと思い至った。山口なら何でもアリだろう。だって私もやられたもの。女の子にありがちな事、だろうけど。
小三で同じクラスになった時「私達、親友よね」そうベタベタされて、こちらも心を許した途端、「あんたなんか友達じゃないし。ダサい子って大嫌い」と手の平を返され、沢山ワルクチも言いふらされた。何かが自分の思った通りじゃなかったみたい。そういう目に遭った子が実は同級生の中には何人もいる。男の子も違う形で多分……うん、余罪はかなりありそうだ。
そんな山口だから、今回はみんな「いい気味」と思っていそうな展開も想像がつく。その辺りは女子としてかなり気の毒かも。駅の様子もウッカリ見ちゃったし。
「今の話、聞かなかったことにしたい」
私はボソッと言った。
「ああ、そうすべ」
福田と山根も「メンドくさいしねっ」と、同意した。
受験生に冬休みなんか無くて、年末年始も関係無い。不貞腐れる暇も、まるで無い。
昔からお勉強モード全開の氷川中は、年明けすぐに教室開放がある。先生に質問も可能なこの自習スペースは評判も良く、毎年三年は満員御礼だ。勿論私達もポツポツ集う。
「そう言えば来年度の地方特待生、昨日決まったって」
福田がまたママから聞いてきた。
「バスケは新一年が三人らしいよ」
「わあ、どんなコ達だろうね」
バスケ部は学校の看板なので、毎年一番注目される。でも私達は来年の春にはもういない。次のコ達は大澤君達とどんなチームを作るのかな?
「だけどさ、大澤君達が注意喚起だなんて、やっぱおかしかったよね」
「呼び出されたのは大澤君だけでしょ。河合君は関係なく無い?」
この話は年末のあだ花案件だ。例の山口の告白話は全校的なトピックスに肥大し、大騒動と化してしまった。玉砕後の山口の不登校が噂に輪をかけ、山口の親御さん、『こんな受験期に』って学校に文句を言ったそう。
可哀想に大澤君は、重要参考人として先生に呼び出されていた。
その後の成り行きは一切聞こえてこなかった。面と向かって大澤君には誰も聞けないし、バスケ部は一度緘口令が敷かれると鉄壁のガードがかかって、もう真相は闇の中だ。呼び出された時、河合君が心配そうに廊下で待っていた。
「でも不登校なんて、誰にでも起こりうるよね」
三人で大きく頷きあう。私達だって時々学校を休む。自分を保つ為に、限界になる前に休んじゃう。お母さんは「アナタ達にも有給休暇がいるね」って笑って許してくれるけど。学校、めっちゃ疲れるもん。
頷きついでにみんなで「あーあ」と盛大に溜め息もついた。通算何回目だろう。「はやく春がこないかなあ」と、大声で言ってしまう。
外は八方が雪の壁。更に私達には受験の壁。特に私は年末から超絶停滞。ただその理由だけは、情けなさ過ぎて誰にも言えない。穴があったら入りたい。私が不登校したいくらい。
停滞の原因は自爆行為だ。大澤君が生徒指導室に呼び出された時、廊下にいた河合君にお節介してしまったからだ。山口の件で呼び出されてるのは一目瞭然だったので、出来心で、つい。
山口の事、私の中では全部リセットしていた。だのに彼等が振り回されるのを見ていたら、急に彼等が気の毒になって。山口への同情も、消えて。
だけど私、意地悪だった。やりたい事を全部叶える山口に嫉妬してた。
いつからか河合君は何故か私の顔を憶えてくれて、挨拶してくれるようになっていた。それで私は調子に乗って、廊下で待っていた河合君に、
「もし困っているのなら、私、先生達に弁護できるよ」
山口が美術室で大澤君のボタンを見せびらかしていた事、河合君に話してしまった。
そしたら河合君、私の話をジッと聞いた後、
「大丈夫です。アイツ、やましい事は一切ないんで。お気遣いありがとうございます」
そうキッパリと断った。
河合君の大人の対応にも改めて驚いて、同時に自分の幼さにウンザリした。
そうだよね。部外者が入ると余計話が混乱するかも。丁度そこに大澤君も部屋から出てきて「この人誰?」みたいな顔して私を見るものだから、もう恥ずかしくなって。「ごめんなさい」だけ言って、逃げるように帰った。
あさはかだった、私。お行儀も悪かった。今まで通りモブに徹していればよかった。私の取り柄は……自分をわきまえている事なのに。
「最近の岩野田は変だよ」
とうとう山根からツッコミが入った。そりゃそうだよね。放課後のモブ活に参加しないんだもの。
「なんかあった?」
福田も聞いてくれるけど。
「……ごめん。イマイチ気分が乗らなくて。でも一緒に帰ろう。美術室で待ってるね」
誤魔化し続けてもう十日。三学期になった。今日は志望高の願書の提出だった。私達はどんどん追い立てられている。憂鬱のままじゃいけないのに。
私には今、バスケの観察は辛くて仕方ない。あれから河合君にも……独りよがりだけど会わす顔がなくて、大澤君の事も純粋に楽しめなくて。だけどそれは自分のせい。間違って彼らと同じ目線に立とうとしたから。彼らを見ると自分の平凡さを思い出す。自分にガッカリして、勝手にひとりで辛くなる。
志望校も結局、氷川商にしてしまった。ひとりで美術室に逃げ込んで、うすら寒い中でぼっとする。福田達が観察している間にうずくまる。毎日ここで暗くなっているから、もし美術室のオカルト話が浮上したら、犯人はもれなく私。ゴージャス山口とは全然違う。圧倒的にカッコ悪い私。
だから何故いつも、河合君がここに来るのかマジで謎。大澤君を探しに来るのか普通に謎。
それに何が落ち込むって、ドアが開けた瞬間、河合君が私を見て「見ちゃいけないもの見ちゃった」って表情になる所。そんな瞬間を見逃さず落ち込む面倒くさい私。
ごめんね。私なんかがこんな所に居て。でも仕方ないよ。ここでしか篭れないんだもの。ここしか、ないもの。
「……大澤来ませんでしたか?」
「……来てないよ」
気詰まりで私は勝手に困る。しかも泣きが入ってグズグズで独りハンカチ大会だし。窓際の効きの悪いヒーターの前でお行儀悪く脚を投げ出していたものだから、慌てて姿勢を直す始末。
学校指定の黒タイツ。私の棒みたいな足、O脚気味で安売りのゴボウみたい。山口のセクシーな足とは随分違う。私の女の子偏差値めちゃくちゃ低い。
河合君はすごく困った顔して、早々に「失礼しました」って帰った。
河合君の、たたた、と響く軽快な足音を聞いてまた落ち込んだ。真っ黒モードを見られるのって女子としてどうなの? サイアクですね。また泣けてくる。で、またまた思い出して、自分の失敗を悔やむ。
せっかく挨拶出来るようになっていたのに。『やらない後悔よりする後悔』と言ったのは誰? んな訳ないよ。激しく後悔中だよ。しない方がいいコトだって沢山有るよ。もっと泣けてきて、一人でまたベソベソ過ごした。
帰る時に福田と山根に本気で心配されてしまい、申し訳なくてまた泣いた。でも話せなくて、
「受験前で情緒不安定だよ」
そう誤魔化した。
でもそうなんだ。結局はそういう事なんだもの。そういう事に、しておいてください。
二人はいろいろ言いたそうだったけど、黙って聞いていてくれた。