「経営統合なんて嘘でしょ」
「結局は合併なんでしょ」
 どんなにプレス発表が取り繕うとも、状況は現場が一番把握していた。

 両社が希望退職者を募りだす最中、ワタクシも全力でリンキーから逃げ回っていた。フェアリー・スキル・ジャパンにやたらと勧誘されているからであった。
「やだあ。正式なヘッドハンティングなのに」
「それって弊社から肩叩きを頼まれてるとか」
「ぶっちゃけると今なら退職金マシマシ」
 ワタクシはリストラ候補なのか。
「更にウチに来れば年収は三倍」
 切ない算段をしろというのか。

「リンキーさんの口車に乗ったらダメだよ。よく考えて」
 引き止めてくださるのは営業部長に昇進したケンジさんである。
「幾ら年収が良さげでも向こうは年棒制だよ。ちなみにこっちではカワイさんは昇進だから。三課課長補佐の辞令が出るから」
 だが三課は既に因縁メインとなるのが決定している。手取りもさほど変わらず、責任だけがのし掛かる。いずれにせよワタクシの社会運は前途多難なのであった。

 結局一番好きなお仕事は可愛い恋なのだ。
「またアンタか」
 陰気な資料室前、青い猫型妖精に人気どら焼きを差し出し、
「所長には内緒だべ」
 再びワタクシは閻魔帳の規定冊数以上の閲覧に成功する。閻魔帳には当人の運命の選択に伴い記載を変える力がある。今回の騒動で、彼等の未来に何かが訪れたのではないだろうか。

 結果は外れであった。江口兄弟にも岩野田にも、当然河合の記載にも変化は無かった。
(ワタクシ達の措置なんて、時間軸には影響もないのね)
 意気消沈しつつも行間を読む。視える江口は相変わらず、岩野田の夫の顔も視えぬまま。河合に至っては大偉業ばかりがズラズラ並び、プライベートまでは行きつかない。それぞれの胸のさざ波は、時が想い出に変えるらしい。

 和綴じの冊子は平然と佇む。ワタクシは速やかに返却すると、その足で現場に戻る。
 河合の地元は氷川から西にバスで二時間の海沿いの街である。全国大会の悲願を達成し、彼等にとっての短い夏休みが到来したのであった。





「めっちゃ綺麗だね」
「お盆過ぎたからもう入れないけど」
「足先だけでも充分だよ最高だよ」
 誰もが海を見てはしゃいでいた。晴天に恵まれ日差しは乱反射し、空も海も真っ青であった。

 河合は大澤と佐藤姉弟、岩野田を誘って夕べから地元に帰省中である。河合家も愛息の友人達を大歓迎、遠距離故に河合家でお泊り会であった。

「早苗叔母の友人ジャッジも高評価で良かったです」
「当然だよ。全母連にどれだけお願いしておいたか」
「本日も誠にお疲れ様でございました」
 真田さんとワタクシはケンジさんに深々と頭を下げた。

 あやかし水の効能は早々に消え失せたが、河合の因縁浄化が進んだのは幸運であった。喘息発作も減りつつあり、今後も落ち着いてゆくだろう。

「二人を包む水色のキラキラが未だ褪せない現象も不思議です。河合の生命力強化でしょうか」
「何言ってるの。カワイさんの初恋成就力でしょ。後輩が腕をあげて私も誇りに思うわ」
 思いがけずお褒めの言葉をいただきワタクシは恐縮した。だが先輩達こそ流石であった。
「今回は佐藤弟を同行させたからね。大澤もイチャコラなんざ一切出来まいよ」
 全てにおいて盤石な中ボウ夏休みコーデである。ワタクシも一層精進したい。


 若人達は海岸で思い思いに過ごす。岩野田の足先には大家達から贈られたネイル。砂浜に敷くお洒落レジャーシートは佐藤達からの、白の肩掛けトートは河合からのプレゼントであった。岩野田、あらためてお誕生日おめでとう。

 穏やかな波であった。打ち寄せる端の泡はレースとなり、流れは小魚達の泳ぎを隠す。大澤と佐藤弟が膝まで浸かってふざけているのを、姉が呆れながら眺めている。

 岩野田は河合と並んでシートに座っていた。
「日差しがジリジリするね」
「日焼け止め塗り直す?」
 行き交うボトル。何てことの無いやり取りの間を縫って、一番言いたいコトも言ってみよう。

「河合君」
「ん」
 勇気を出して言ってみよう。
「前に、私を好き過ぎると言ってくれてありがとう」
 河合は何が始まったか理解していないけれど、構わずドンドン行ってみよう。 
「私も河合君をとても好きだから、そう言ってもらえた事が、今はとても嬉しいよ」
 相変わらず河合が固まっているけれど、気にせずうんとカマしてみよう。

「いつか河合君が違う気持ちになる日も来るだろうけど、私はこの素敵な毎日を沢山大事にしようと思うよ」
 ひと呼吸おいて、
「河合君も頑張ってるから私も、もっと頑張るね。何を頑張ればいいか、よくわからないんだけど」
 そこまで言って、岩野田は照れる。
「まずは、ミヤコさんみたいになりたいな。綺麗でシッカリしてて、でもとっても可愛くて」

「岩野田さんは可愛いよ!」
 河合は負けじと訂正した。何に負けまいとしているのか。
「すごくシッカリもしてるし、みかこは」
 うっかり名前を呼んでしまい、河合は我にかえる。岩野田もハッとして河合を見る。視線が合う。お互いが大いに照れる。

 ヨシヨシ。それでこそ初恋である。微に入り細に入る青臭さこそが醍醐味なのである。これからも歯の浮く事を沢山カマし合うが良い。夜中にウッカリ思い出して、顔から出火するが良い。

 ウンウンと頷きながら見守っていたら、ワタクシの肩を叩く不穏な影が。振り返る間もなくヒタヒタ迫る黒い因縁。
「何の用スかこんな所まで。派遣期間は過ぎたのでは」
 リンキーであった。
「キミがヘッドハンティングに応じないから迎えに来たんじゃないか」
「その件はキッパリ御断りした筈です」
「おう、そうだった」
 白々しいのであった。

「今日はアタシと入れ換えに三課に派遣される当社員を連れてきたの」
 見るとリンキーの後ろには件の古狸が。
 息を呑むワタクシ。どれだけ弊社に因縁をつけたいのか。

「というわけでカワイさん、この子のお守りお願いねえ」
「なんでワタクシが!」
「課長がまた青色吐息なんだもん。カワイさん補佐でしょ。課長を助けてやって」
「派遣先に異議ありです。ガチで弊社に喧嘩売ってるんですか!」
「とんでもなあい。彼は優秀よう。じゃあ夜露死苦」
 リンキーは一瞬で気配を消した。ヘッドハンティング拒否への嫌がらせであろうか。

 古狸はむくれていた。今回の彼の外見チョイスは小学男児であるが、搾取しつくされ欠食児童にも見える風貌は涙を誘う。あんなにエリートだったのに。だがワタクシだって遠慮したい。

「じゃあ……課に戻って来週の資料作成の手伝いお願いします。ボックスに山積みだろうから」
「は。ここまで出向かせておいて現場作業じゃないって何ですかあ?」
 瞬時に大きな声でチェンジと叫びそうになったワタクシを誰もが察してほしい。



 河合はそれ以上何も話せなかった。言葉など陳腐だった。呼ばれた岩野田も動けなくなった。名を呼ぶ力はよくしたものである。

 彼はそっと手を伸ばす。ほんの少し先にいる彼女の指先を、小さく触れて強く握る。彼女もそっと握り返す。指先どうしで全てを語る。

 並んで座っている。それだけで鼓動が早い。二人の気流が一層眩しい。息を吸う毎に、綺麗な何かが心に積もる。ずっと前から憧れていたよ。空も海も綺麗だね。



「だけどウチの課って因縁関連でしょ。この二人もどうせ終わるんでしょ」
 ワタクシは古狸を小突いた。
「痛っ、何するんスか!」
「今すっごく大事な所だってアンタはわかんないのか!」
「事実じゃないスか!」
 古狸は喚いた。
「河合の前世の因縁は浄化されました、岩野田との縁も成就しました、後は終わらせるだけ。今世の二人はここまでだろ?」
(リンキー……ちゃんと社員教育しろよ!)
 ワタクシは速攻でブチ切れ、瞬時にフェアリー・スキル・ジャパンへ式神を飛ばした。古狸が学ばなければならぬのは情緒ではあるまいか。是非とも弊社に派遣前に研修を終わらせていただきたい。

 真田さんもケンジさんも絶賛絶句中である。
「カワイさん、ここは私達が見ておくから、取り敢えずコイツを連れて帰社したら」
「いいえ、それには及びません」
 ワタクシは管狐を召喚し、地域の古地図を取り寄せる。
「そんなに現場が好きなら思う存分活躍するがよい。印をつけたこの街の忌地、全てを今日中に浄化せよ」
「えー」
「えー、じゃないっ」
 古狸はブツブツ文句を言った。
「じゃあ、帰社してえ、資料作成の手伝いしまあす」
 しぶしぶ実働に出向いたのであった。


 古狸の主張は真理である。閻魔帳の記載にも有った様に、今世の彼等はここまでだ。だが予定は未定なモノだ。選んだ道で運命は変わる。神様もたまには気が変わる。

 波打ち際では相も変わらず大澤と佐藤姉弟が盛り上がる。岩野田は河合に問いかける。
「あの三人、どんな家族になるんだろうね」
「きっとあのまんま楽しく過ごすんじゃね」

 波打ち際では佐藤ミヤコがオトコ共に問いかける。
「河合君とみかこちゃん、お似合いだね」
「ホントだ、イイ感じだな」
「きっとずっとまんまだな」

 そうだよ、皆で仲良くすればいいのだよ。ワタクシは先日発売になったチューニビョンアルファを散布する。より持続性に特化した、取扱いも易しくなった新薬である。

(ああ、今月もまた持ち出しだわ)
 ワタクシはひとり苦笑する。でもいいわ。今日は素敵な夏休み。沢山笑って沢山泣いて、また喧嘩だってすればいい。失敗だって悪じゃない。いつか別れる日が来ても、それもきっと無駄じゃない。

 新薬は原材料が変わった為、散布時の注意事項が増えたそうだ。妖精さんは微量でも吸入すると幻覚作用が起きる為、ゴーグルとマスクは必須という。

 うっかりマスクをサボったワタクシは早速幻覚に襲われる。だが楽しい映像であった。浮かぶはオトナの河合と岩野田である。飛行場のラウンジのソファ、指にはお揃いの細いリング。金に輝く何かのメダルを前に、穏やかに寄り添い微笑む二人。なんて幸せそうだろう。

 薬品の臭いにケンジさんがすぐ気付いた。
「あれ、新しい方撒いたんだ。散布申請してたっけ」
「今朝出しました。問題無かったです」
「経費は大丈夫なの」
「えーと、大丈夫じゃないけどいいです」
 なんだよそれ、とボヤかれて、ワタクシも笑って誤魔化した。
「じゃあ今回は私が持つわ」
 真田さんは優しくおっしゃった。
「私からの昇進祝いよ。また同じ部署で嬉しいわ。カワイさん、これからも宜しくね」

 大澤が大声で怒鳴った。
「おおい、ハラ減ってきたぞ!」
 河合が大声で怒鳴り返した。
「じゃあラーメン食いに行くぞ!」
 皆でわあわあと片付けながら、ぎゃあぎゃあと国道に向かう。

 気をつけて行きなさいよ。慌てると転びますよ。でも転んでもいいですよ。また起きればいいからね。起き上がってまた歩き出すまで、ちゃんと待っているからね。

 恋は誰もが落ちる謎の魔法である。ワタクシは恋の妖精である。過去も未来も小さな心の燃え滓も、あたたかく見守る所存であります。




おしまい