騒動の中、唯一持ち場を離れなかった奇特な妖精さんがいた事をお伝えせねばならない。南中の太田に憑くマンガン社の妖精さんである。彼が見守る太田率いる南中の粘りは特筆すべき物があった。
大澤は彼によって早々にファウルを取られた。が、それを機に大澤が覚醒、温存の河合も投入され、氷川中の猛攻撃が始まった。結果は推して知るべしとなったが、序盤から氷川中を本気にさせた太田のプレイは、満場一致で今大会の最優秀選手賞となった。
妖精側の混乱のさなかでも予定通りの展開となったのは、ひとえに氷川中部員の生命力と運の強さ、何より全母連のフォローが盤石だったからである。ワタクシ達は今後も全母連の皆様には頭が上がらないであろう。
「どうすんだ。またお詫び行脚だよ」
ケンジさんのボヤきは現場を如実に語っている。他の妖精さん達も各自任務で走り回る。次の工程は氷川中全国制覇。ワタクシ達には息つく間など無いのであった。
観客席では佐藤ミヤコと岩野田がくたくたになっている。
「なんでそんなに脱力してるの」
佐藤リクに笑われても仕方ない。
「最初から勝つのなんてわかってるだろ。氷川中は別格だし、そもそもマサキとリュウジが、って、ねえ、今度は何故泣くの」
「だって」「だって」
涙腺が緩むのも仕方ない。彼氏の素敵な活躍を間近で見て落ちぬオナゴなど皆無である。
優勝を決めた氷川中にも、緊張が緩んだ笑顔があった。試合終了の挨拶後には活躍の太田に敬意を表し、肩を抱き談笑する姿も見える。
「ほら、地方版の取材と写真撮影だよ。見に行こうぜ」
コート中央に氷川中メンバーが集結する。リクに促され、岩野田もそろそろと観客席の前に行く。
大澤はいち早く佐藤姉弟に気付き、右手を上げて合図を送った。河合も岩野田を見た。揃って込み上げる気持ち。どうして胸が一杯になるんだろう。
(やっべえ。岩野田さん、やっぱめっちゃ可愛い)(めっちゃ可愛いべさ)
河合の初恋盲目ぶりは真田さんのキラキラバズーカの効能だけではなかろう。
(今の試合、全部見てた?)
河合の懐っこい目元に岩野田が痺れてしまうのも致し方ない。心の中で(うん)と呟く奥ゆかしさを、ワタクシは盛大に推してゆきたいのである。
推さねばならぬワタクシは焦って半貴石の加工に入っている。半紙に呪文を描きその上に石を乗せ、せっせと文言を言い聞かす。
(間に合えよ、間に合えよ)
加工前の石は徐々に水色の輝きを増す。透明度が最高潮に達した時を見計らい、細かい粒に粉砕する。
「ちょ、それっ、どうすんだっ」
いつの間にか背後には両手にアイスを持ったリンキーが立ちすくんでいるではないか。
「見ての通りです。この石のいわくは御存知なんでしょう。これから河合に返すんですよ」
「そんな高価なモノをっ、勿体ないっ」
「お手に持つ両のアイスはどちらも高価な部類の新商品じゃないですか。この石の相場も今世ではそのお値段程度が妥当では?」
ワタクシとて買取を想定しリサーチを済ましていたのだ。ほんの親指先の大きさの石、発色も特筆すべきモノはない。リンキーのチッと舌打ちする音が聞こえた。
石にはロマンスがあった。古狸が江口兄弟の前世に関わった時代より、もう少し遡った都の話である。
大きな国家事業に関わる都の若い役人が、材木確保に遁走していた。頼りにしていた山の伐採が進み、もう禿山に近いという。
命を受け確認に出向くと、麓の村には新たな情報があった。採りつくされた山林の下から、美石の地層が見えたという。早速役人は現場に急ぐ。そこで薄い水色の、小さな小さな石を拾う。
「この石を分けてくれないか」
「お役人さま、もっと綺麗な石もございますよ。特に黄色が美しいですが」
「いや、私はこれがいいんだ」
磨けばさぞ美しかろう。役人は銭を握らせる。言い寄りたい娘がいる。その娘は青い花を愛でるのが好きだと聞いた。花の季節は過ぎてしまったが、この石も喜んでくれるのではないだろうか。
森を失った山は地盤が弱くなっていた。その日の午後、役人を含んだ集団が土砂崩れに巻き込まれたのは、先週までの長雨が原因だったという。昔々の話である。
「河合の喘息はこの前世の窒息が大本ですね。その世と……他の世でも何らかありましたね。因縁って積み重なって出来るんですね。いちいち勉強になります」
リンキーの沈黙は肯定であろう。
「さあ準備完了です。これから河合に返します」
ワタクシの手元には、半貴石を溶かし込んだ薄い水色のあやかし水が出来ている。
「あの時の娘が岩野田なんでしょ。今世、思うがままに歩むがいいわ。成就しますように」
ワタクシはそれを霧散する。森の息吹に戻るが良い。
エントランスには帰途に着く両校生徒や父兄、役員関係者でごった返し、ほの寂しい賑やかさがあった。
「な、オレ、ちゃんと堪える様になっただろ?」
「うん、今日は短気じゃなくて良かった」
大澤はリクに突っ込まれて笑っていた。佐藤ミヤコは二人のやりとりを嬉しそうに眺めている。ケンジさんと真田さんの警備により、大澤と佐藤姉弟の繋がりが一層の親族みを増す。未来を確定させる美しいオーラであった。
河合は岩野田にゆっくり近付く。岩野田も河合を凝視する。名前を呼び損ねる。緊張で声が掠れたから。
「メッセージ、見た?」
「え、あ、まだ」
岩野田は慌てて鞄の中から端末を取り出した。二人の間の余所余所しさは、周囲の雑音でみるみる溶ける。
さて、ロマンティックになるかな。チューニビョンの効能が切れた今、ワタクシはあやかし水の効能に期待する。二人に反射する水色の黄玉石の光。メッセージを読む岩野田の目が薄っすら滲む。
しかし古今東西、いつでも正確に怒りを蒸し返せる生き物がオンナなのであった。岩野田も例外ではないのであった。発する言葉に含む棘を見よ。
「河合君」
「はい」
「でも私、まだ怒ってるよ」
河合は硬直し、瞬時に(ヤバい)と察した。先程まで二人を覆う膜とは別の硬直感があっという間に。なんということでしょう。
(そ、そうだよな、岩野田さん、怒ってるよな)
エース的気配はカケラもない、ただの中二ボウズに成り下がる河合。
「勝手に八つ当たりされて、勝手に放っておかれて」
「あ、あ、はい」
「河合君は私に許しを請う立場だよね」
「あ、は、はい」
肯定以外の単語を発してはならぬ。小声で「なんなりどうぞ」と呟く河合の真正面に、岩野田はキリリと立つ。
「じゃあ河合君には、二年後に氷川商に入学してもらいます」
怒った声で、まだ大きな棘の残った声で、氷川商マネは全力で勧誘した。将来は営業職に採用決定の迫力であった。
「氷川商に?」
「そう、氷川商に」
何を言われるかと思ったら。だが岩野田マネの目は鋭い。
「河合君や大澤君の有名校推薦の噂は知ってる。でも出来たら氷川商も選択肢にいれてほしい」
「それって岩野田さんの希望かな」
「江口に頼まれてるの。二人を勧誘してほしいって」
立場を忘れて不愉快になる河合。だが岩野田マネは気にしない。
「江口、今回のインターハイで河合君達の凄さや大変さが身に染みたって話してたの。強くなる為にもっと積み重ねないといけない、二年後には河合君達にも来てもらいたいって」
大澤君には留学の噂もあったな、と、頭の片隅で思い出しながら。
「勿論、二人が氷川商には勿体ない選手だってのも、私達はわかってるけど」
鼻の奥がツンと痛い。
「それでもね、もしも機会があったら、河合君と一緒にインターハイ目指せたら、いいなって思う」
青臭い話。
「一緒の学校で頑張れたら」
真っ直ぐ過ぎる言葉。
「河合君とまた一緒の学校になれたら、私は凄く嬉しいよ」
私は凄く嬉しいよ。
河合は岩野田の真摯な目に気圧された。鼓動を通じて体温が上がる。
「選手として?」
「うん。出来たら大澤君も」
「それだけ?」
「まずはそこから」
まだ許した訳ではないそうだ。思った以上に岩野田は骨のあるお嬢さんである。上等なエスみにうっかりニヤけてしまうのは惚れた弱みか。否。河合がエム坊なのである。吹き出して、岩野田の口元に目が落ちる。
「地元校からこういう勧誘されるとは思わなかった」
江口の名前を聞く度にイラッとするのもお約束。あのヒト、無邪気の特別天然記念物だもんな。
「進路なんて全然まだ考えられないけど、勿論氷川商も視野に入れてるよ。氷川商はいい学校だし、母の母校でもあるし」
しかもエロ先輩、卒業まで岩野田さんの側にいるよな。
「生まれ育った地元で頑張りたいし」
油断ならねえな。無意識に右手が岩野田に伸びる。
「今は即答出来ないけど、これから本気で考える。だからコレ」
指先が岩野田の水色のボウタイの先に触れる。
「オレが貰うよ。前にエロ先輩から聞いて、ずっと欲しいと思ってた」
先を引っ張って、蝶々の部分をスルリと解く。
「定義ではオレのモンだ」
驚いた岩野田が胸元を抑えて、結び目がもっと緩くなった。すかさず河合が引っ張り直す。細いリボンが綺麗に解ける。見かけた大澤が「おいおいおーい、まだ外は明るいぞ」と盛大に囃し、佐藤姉弟にも「きゃー」「ひゃー」と茶化されて、岩野田は誰よりも真っ赤になった。河合も「うっせ。こっち見んな」と短く返したが、やはり耳が真っ赤であった。
彼女の水色のボウタイを彼氏が貰うのは、氷川商のローカルルールなのである。周囲の冷やかしを余所に、河合は岩野田に耳打ちもする。
「今年のリストバンドもちゃんと、岩野田さんに渡すから」
今も昔も、氷川中バスケ部のリストバンドは、彼女の証なのであった。
(まあっ、何かしら、何かしらっ?)
こんな美味しい現場を村松早苗が見逃す筈はなかった。
今朝は一番乗りで会場入り。ウォームアップから大活躍の試合、表彰式も地方紙取材もハンディカムで全録画、「実家のお義姉さんきっと喜ぶわあ」とウキウキして帰ろうとした矢先。
(何なの、あのマサキの雄みはっ)
エントランスの端っこ。可愛い可愛い甥っ子が清楚な彼女に壁ドンしているではありませんか。
(ああいうのって一歩間違うとセクハラじゃない。岩野田さん引いてない?)
地域の大人として心配する早苗叔母。最近の河合を取り巻く少女達にウンザリだったのも幸いし、彼女の中では岩野田株は爆上がり中なのである。
(甥っ子のこんな姿をお義姉さんが見たら何て思うかしら?)
想像に硬くない。きっと母親は複雑な気分。秘すればこその恋の花。
(そうよね、ここはやはり叔母の私が全てこの目に焼き付けておくわ!)
だが運悪く、目の前を南中の団体が通り過ぎて視界を遮る。
(なんの!)
早苗叔母は抵抗する。
(安心してねマサキ。貴方の青春は叔母さんが全部覚えとくから!)
忘れてあげるのも思いやりですよ。かくも外野とは煩いモノである。河合も岩野田も、早くおうちに帰るが宜しい。
彼等の帰宅ルートを促していると、
「恐れ入ります、今お取込み中でしょうか」
ワタクシに声を掛ける妖精さんが居た。どこかでお会いしたような。
「あ、アナタは」
「春先に一度ご挨拶させていただいておりました。岩野田の初恋成就、誠におめでとうございます!」
岩野田の義務教育担当だったスガワラ社員さんであった。我が事のように涙ぐんでいらっしゃる。
「もう担当から外れておりますし、そっと見守って帰ろうかと思っていたのですが、彼女の笑顔を見ていたら嬉しくて堪らなくなって。岩野田、よかった、本当によかった……」
「わざわざありがとうございます、そうなんです、やっと岩野田にも、幸せが……」
言い終わらぬ間にワタクシの目からも汗が。思わずふた妖精で肩を寄せ合いむせび泣いたのであった。
「スガワラさん、今日はこちらでお仕事だったのですか?」
「僕、あの後転職しておりまして、現在はマンガン北支店におります」
「え」
「黄金週間の頃にカフェでご一緒した当社員は覚えておいででしょうか。岩野田のお母さんの入院直後です」
佐藤ミヤコとのカフェデートでご一緒した医療・金融保険担当の皆さんの事であろうか。
「彼等も転職組で、保険金融機関担当のヤツは僕のスガワラ時代の同期なんです。彼には岩野田家の医療費負担軽減をお願いしておきました」
岩野田家の家計問題まで気に掛けていらしたのであった。
同時にワタクシの横を、大きな白ヘビさんが龍の如く走り去った。気づけばワタクシの掌中にはキラキラ光る脱皮の皮が一片。
(動物園の白ヘビ……どうして此処に?)
いや、そんな危険生物が外に出られる訳がない。あのお姿は……巳さまだ。あの動物園の白ヘビさんこそが、巳さまの化身だったのだ。
手元の脱皮は金運のお守りだ。ワタクシの脳内に声が届く。
「岩野田家の財政がピンチだと聞いて」
(巳さま、ありがとうございます!)
爬虫類館での成就を「初恋にはそぐわない」と評したオノレが恥ずかしい。神様の懐の深さに、ワタクシのムネが一層熱くなる。
「今、巳さまもお出ましになられましたね。もう大丈夫ですね」
元スガワラさんも胸を撫で下ろしたご様子である。
「貴方もお視えになりましたか」
「はい」
ワタクシは気を引き締める。この後も全力を尽くさねば。
「皆様からの具体的なご提案、何と御礼申し上げたらいいか。何から何まで、本当にありがとうございます」
「とんでもないです。青春の彩(いろどり)の重要性を、僕はスガワラ時代に骨身に沁みておりました。カワイさんこそスペシャリストです。今後の御武運、心よりお祈り致します」
嘘でも嬉しい有難いお言葉である。
「僕、実は南中の太田の担当なんです。岩野田サイドから見ると微妙な立場ですよね」
大田の活躍は彼の采配だったのであった。元々気合関連がお得意で、彼の通り名はそのまま『キアイ』という。適材適所の逸材であった。
「じゃあまた、夜に電話するよ」
「うん、またね」
あやかし水のキラキラに覆われた河合と岩野田は、すっかり仲直りのラヴラヴである。
しかし佐藤姉弟と地下鉄で別れた直後、岩野田の端末に大家からの電話が入った。
『バースデー休暇なのにゴメン、もし余裕があったらちょっと寄れるかい?』
(なんだろ?)
嫌な予感を抱えつつ氷川商に戻った岩野田を待っていたのは、ケンジさんの采配も吹き飛ばした合併ショックであった。
慰労会も終わり、静まり返った部室である。長椅子で呆ける茨木と隣に寄り添う大家の姿は疲労感どころではない。
(岩野田、来てくれたのかい。ごめんね)
大家は席を外し、岩野田を廊下に連れ出した。
(ナニがあったの?)
(実はさあ)
岩野田は江口シュウトが先輩マネの吉野サトミとカップルになって戻ってきた事実を聞いた。
(帰校した先輩達の様子がおかしいと思ったら、最終夜になんかあったみたいでさ。吉野先輩、昔から江口の事が好きだったんだって。江口もあっさり陥落したみたい)
岩野田は絶句した。
(当然茨木はショックじゃん? でもさ、今日の慰労会に江口の弟も来たんだけど、弟は弟で、茨木に告って帰ったんだよね)
岩野田は赤面した。
(初めて茨木を見たときに、なんて綺麗な人なんだろうって、一目惚れしたんだって。これから海外遠征に行くから、帰国したら返事くれって言われたんだって。私、つい江口弟にしときなよって茨木に言っちゃったんだけど、茨木はチャらい江口の事が放っとけなくて好きなんだって。もう私どうしたら……あれ、岩野田、どうしたの、岩野田、どうして溶けるの、ねえ大丈夫?)
岩野田は溶けた。
(江口、いいおとうさん目指すって言ってたのに、行動が全然いいおとうさんじゃない)
溶けて流れてしまった。
(茨木も弟の方が絶対いいコだよ……早く目を覚ましなよ)
悪食は性分なのでどうしようもなかった。
「因縁の問題は薄れたけど超法規的措置が大暴走だよ。どこから手をつけたらいいのかな」
ケンジさんも途方にくれておいでであった。北国の夏の日は長い。
大澤は彼によって早々にファウルを取られた。が、それを機に大澤が覚醒、温存の河合も投入され、氷川中の猛攻撃が始まった。結果は推して知るべしとなったが、序盤から氷川中を本気にさせた太田のプレイは、満場一致で今大会の最優秀選手賞となった。
妖精側の混乱のさなかでも予定通りの展開となったのは、ひとえに氷川中部員の生命力と運の強さ、何より全母連のフォローが盤石だったからである。ワタクシ達は今後も全母連の皆様には頭が上がらないであろう。
「どうすんだ。またお詫び行脚だよ」
ケンジさんのボヤきは現場を如実に語っている。他の妖精さん達も各自任務で走り回る。次の工程は氷川中全国制覇。ワタクシ達には息つく間など無いのであった。
観客席では佐藤ミヤコと岩野田がくたくたになっている。
「なんでそんなに脱力してるの」
佐藤リクに笑われても仕方ない。
「最初から勝つのなんてわかってるだろ。氷川中は別格だし、そもそもマサキとリュウジが、って、ねえ、今度は何故泣くの」
「だって」「だって」
涙腺が緩むのも仕方ない。彼氏の素敵な活躍を間近で見て落ちぬオナゴなど皆無である。
優勝を決めた氷川中にも、緊張が緩んだ笑顔があった。試合終了の挨拶後には活躍の太田に敬意を表し、肩を抱き談笑する姿も見える。
「ほら、地方版の取材と写真撮影だよ。見に行こうぜ」
コート中央に氷川中メンバーが集結する。リクに促され、岩野田もそろそろと観客席の前に行く。
大澤はいち早く佐藤姉弟に気付き、右手を上げて合図を送った。河合も岩野田を見た。揃って込み上げる気持ち。どうして胸が一杯になるんだろう。
(やっべえ。岩野田さん、やっぱめっちゃ可愛い)(めっちゃ可愛いべさ)
河合の初恋盲目ぶりは真田さんのキラキラバズーカの効能だけではなかろう。
(今の試合、全部見てた?)
河合の懐っこい目元に岩野田が痺れてしまうのも致し方ない。心の中で(うん)と呟く奥ゆかしさを、ワタクシは盛大に推してゆきたいのである。
推さねばならぬワタクシは焦って半貴石の加工に入っている。半紙に呪文を描きその上に石を乗せ、せっせと文言を言い聞かす。
(間に合えよ、間に合えよ)
加工前の石は徐々に水色の輝きを増す。透明度が最高潮に達した時を見計らい、細かい粒に粉砕する。
「ちょ、それっ、どうすんだっ」
いつの間にか背後には両手にアイスを持ったリンキーが立ちすくんでいるではないか。
「見ての通りです。この石のいわくは御存知なんでしょう。これから河合に返すんですよ」
「そんな高価なモノをっ、勿体ないっ」
「お手に持つ両のアイスはどちらも高価な部類の新商品じゃないですか。この石の相場も今世ではそのお値段程度が妥当では?」
ワタクシとて買取を想定しリサーチを済ましていたのだ。ほんの親指先の大きさの石、発色も特筆すべきモノはない。リンキーのチッと舌打ちする音が聞こえた。
石にはロマンスがあった。古狸が江口兄弟の前世に関わった時代より、もう少し遡った都の話である。
大きな国家事業に関わる都の若い役人が、材木確保に遁走していた。頼りにしていた山の伐採が進み、もう禿山に近いという。
命を受け確認に出向くと、麓の村には新たな情報があった。採りつくされた山林の下から、美石の地層が見えたという。早速役人は現場に急ぐ。そこで薄い水色の、小さな小さな石を拾う。
「この石を分けてくれないか」
「お役人さま、もっと綺麗な石もございますよ。特に黄色が美しいですが」
「いや、私はこれがいいんだ」
磨けばさぞ美しかろう。役人は銭を握らせる。言い寄りたい娘がいる。その娘は青い花を愛でるのが好きだと聞いた。花の季節は過ぎてしまったが、この石も喜んでくれるのではないだろうか。
森を失った山は地盤が弱くなっていた。その日の午後、役人を含んだ集団が土砂崩れに巻き込まれたのは、先週までの長雨が原因だったという。昔々の話である。
「河合の喘息はこの前世の窒息が大本ですね。その世と……他の世でも何らかありましたね。因縁って積み重なって出来るんですね。いちいち勉強になります」
リンキーの沈黙は肯定であろう。
「さあ準備完了です。これから河合に返します」
ワタクシの手元には、半貴石を溶かし込んだ薄い水色のあやかし水が出来ている。
「あの時の娘が岩野田なんでしょ。今世、思うがままに歩むがいいわ。成就しますように」
ワタクシはそれを霧散する。森の息吹に戻るが良い。
エントランスには帰途に着く両校生徒や父兄、役員関係者でごった返し、ほの寂しい賑やかさがあった。
「な、オレ、ちゃんと堪える様になっただろ?」
「うん、今日は短気じゃなくて良かった」
大澤はリクに突っ込まれて笑っていた。佐藤ミヤコは二人のやりとりを嬉しそうに眺めている。ケンジさんと真田さんの警備により、大澤と佐藤姉弟の繋がりが一層の親族みを増す。未来を確定させる美しいオーラであった。
河合は岩野田にゆっくり近付く。岩野田も河合を凝視する。名前を呼び損ねる。緊張で声が掠れたから。
「メッセージ、見た?」
「え、あ、まだ」
岩野田は慌てて鞄の中から端末を取り出した。二人の間の余所余所しさは、周囲の雑音でみるみる溶ける。
さて、ロマンティックになるかな。チューニビョンの効能が切れた今、ワタクシはあやかし水の効能に期待する。二人に反射する水色の黄玉石の光。メッセージを読む岩野田の目が薄っすら滲む。
しかし古今東西、いつでも正確に怒りを蒸し返せる生き物がオンナなのであった。岩野田も例外ではないのであった。発する言葉に含む棘を見よ。
「河合君」
「はい」
「でも私、まだ怒ってるよ」
河合は硬直し、瞬時に(ヤバい)と察した。先程まで二人を覆う膜とは別の硬直感があっという間に。なんということでしょう。
(そ、そうだよな、岩野田さん、怒ってるよな)
エース的気配はカケラもない、ただの中二ボウズに成り下がる河合。
「勝手に八つ当たりされて、勝手に放っておかれて」
「あ、あ、はい」
「河合君は私に許しを請う立場だよね」
「あ、は、はい」
肯定以外の単語を発してはならぬ。小声で「なんなりどうぞ」と呟く河合の真正面に、岩野田はキリリと立つ。
「じゃあ河合君には、二年後に氷川商に入学してもらいます」
怒った声で、まだ大きな棘の残った声で、氷川商マネは全力で勧誘した。将来は営業職に採用決定の迫力であった。
「氷川商に?」
「そう、氷川商に」
何を言われるかと思ったら。だが岩野田マネの目は鋭い。
「河合君や大澤君の有名校推薦の噂は知ってる。でも出来たら氷川商も選択肢にいれてほしい」
「それって岩野田さんの希望かな」
「江口に頼まれてるの。二人を勧誘してほしいって」
立場を忘れて不愉快になる河合。だが岩野田マネは気にしない。
「江口、今回のインターハイで河合君達の凄さや大変さが身に染みたって話してたの。強くなる為にもっと積み重ねないといけない、二年後には河合君達にも来てもらいたいって」
大澤君には留学の噂もあったな、と、頭の片隅で思い出しながら。
「勿論、二人が氷川商には勿体ない選手だってのも、私達はわかってるけど」
鼻の奥がツンと痛い。
「それでもね、もしも機会があったら、河合君と一緒にインターハイ目指せたら、いいなって思う」
青臭い話。
「一緒の学校で頑張れたら」
真っ直ぐ過ぎる言葉。
「河合君とまた一緒の学校になれたら、私は凄く嬉しいよ」
私は凄く嬉しいよ。
河合は岩野田の真摯な目に気圧された。鼓動を通じて体温が上がる。
「選手として?」
「うん。出来たら大澤君も」
「それだけ?」
「まずはそこから」
まだ許した訳ではないそうだ。思った以上に岩野田は骨のあるお嬢さんである。上等なエスみにうっかりニヤけてしまうのは惚れた弱みか。否。河合がエム坊なのである。吹き出して、岩野田の口元に目が落ちる。
「地元校からこういう勧誘されるとは思わなかった」
江口の名前を聞く度にイラッとするのもお約束。あのヒト、無邪気の特別天然記念物だもんな。
「進路なんて全然まだ考えられないけど、勿論氷川商も視野に入れてるよ。氷川商はいい学校だし、母の母校でもあるし」
しかもエロ先輩、卒業まで岩野田さんの側にいるよな。
「生まれ育った地元で頑張りたいし」
油断ならねえな。無意識に右手が岩野田に伸びる。
「今は即答出来ないけど、これから本気で考える。だからコレ」
指先が岩野田の水色のボウタイの先に触れる。
「オレが貰うよ。前にエロ先輩から聞いて、ずっと欲しいと思ってた」
先を引っ張って、蝶々の部分をスルリと解く。
「定義ではオレのモンだ」
驚いた岩野田が胸元を抑えて、結び目がもっと緩くなった。すかさず河合が引っ張り直す。細いリボンが綺麗に解ける。見かけた大澤が「おいおいおーい、まだ外は明るいぞ」と盛大に囃し、佐藤姉弟にも「きゃー」「ひゃー」と茶化されて、岩野田は誰よりも真っ赤になった。河合も「うっせ。こっち見んな」と短く返したが、やはり耳が真っ赤であった。
彼女の水色のボウタイを彼氏が貰うのは、氷川商のローカルルールなのである。周囲の冷やかしを余所に、河合は岩野田に耳打ちもする。
「今年のリストバンドもちゃんと、岩野田さんに渡すから」
今も昔も、氷川中バスケ部のリストバンドは、彼女の証なのであった。
(まあっ、何かしら、何かしらっ?)
こんな美味しい現場を村松早苗が見逃す筈はなかった。
今朝は一番乗りで会場入り。ウォームアップから大活躍の試合、表彰式も地方紙取材もハンディカムで全録画、「実家のお義姉さんきっと喜ぶわあ」とウキウキして帰ろうとした矢先。
(何なの、あのマサキの雄みはっ)
エントランスの端っこ。可愛い可愛い甥っ子が清楚な彼女に壁ドンしているではありませんか。
(ああいうのって一歩間違うとセクハラじゃない。岩野田さん引いてない?)
地域の大人として心配する早苗叔母。最近の河合を取り巻く少女達にウンザリだったのも幸いし、彼女の中では岩野田株は爆上がり中なのである。
(甥っ子のこんな姿をお義姉さんが見たら何て思うかしら?)
想像に硬くない。きっと母親は複雑な気分。秘すればこその恋の花。
(そうよね、ここはやはり叔母の私が全てこの目に焼き付けておくわ!)
だが運悪く、目の前を南中の団体が通り過ぎて視界を遮る。
(なんの!)
早苗叔母は抵抗する。
(安心してねマサキ。貴方の青春は叔母さんが全部覚えとくから!)
忘れてあげるのも思いやりですよ。かくも外野とは煩いモノである。河合も岩野田も、早くおうちに帰るが宜しい。
彼等の帰宅ルートを促していると、
「恐れ入ります、今お取込み中でしょうか」
ワタクシに声を掛ける妖精さんが居た。どこかでお会いしたような。
「あ、アナタは」
「春先に一度ご挨拶させていただいておりました。岩野田の初恋成就、誠におめでとうございます!」
岩野田の義務教育担当だったスガワラ社員さんであった。我が事のように涙ぐんでいらっしゃる。
「もう担当から外れておりますし、そっと見守って帰ろうかと思っていたのですが、彼女の笑顔を見ていたら嬉しくて堪らなくなって。岩野田、よかった、本当によかった……」
「わざわざありがとうございます、そうなんです、やっと岩野田にも、幸せが……」
言い終わらぬ間にワタクシの目からも汗が。思わずふた妖精で肩を寄せ合いむせび泣いたのであった。
「スガワラさん、今日はこちらでお仕事だったのですか?」
「僕、あの後転職しておりまして、現在はマンガン北支店におります」
「え」
「黄金週間の頃にカフェでご一緒した当社員は覚えておいででしょうか。岩野田のお母さんの入院直後です」
佐藤ミヤコとのカフェデートでご一緒した医療・金融保険担当の皆さんの事であろうか。
「彼等も転職組で、保険金融機関担当のヤツは僕のスガワラ時代の同期なんです。彼には岩野田家の医療費負担軽減をお願いしておきました」
岩野田家の家計問題まで気に掛けていらしたのであった。
同時にワタクシの横を、大きな白ヘビさんが龍の如く走り去った。気づけばワタクシの掌中にはキラキラ光る脱皮の皮が一片。
(動物園の白ヘビ……どうして此処に?)
いや、そんな危険生物が外に出られる訳がない。あのお姿は……巳さまだ。あの動物園の白ヘビさんこそが、巳さまの化身だったのだ。
手元の脱皮は金運のお守りだ。ワタクシの脳内に声が届く。
「岩野田家の財政がピンチだと聞いて」
(巳さま、ありがとうございます!)
爬虫類館での成就を「初恋にはそぐわない」と評したオノレが恥ずかしい。神様の懐の深さに、ワタクシのムネが一層熱くなる。
「今、巳さまもお出ましになられましたね。もう大丈夫ですね」
元スガワラさんも胸を撫で下ろしたご様子である。
「貴方もお視えになりましたか」
「はい」
ワタクシは気を引き締める。この後も全力を尽くさねば。
「皆様からの具体的なご提案、何と御礼申し上げたらいいか。何から何まで、本当にありがとうございます」
「とんでもないです。青春の彩(いろどり)の重要性を、僕はスガワラ時代に骨身に沁みておりました。カワイさんこそスペシャリストです。今後の御武運、心よりお祈り致します」
嘘でも嬉しい有難いお言葉である。
「僕、実は南中の太田の担当なんです。岩野田サイドから見ると微妙な立場ですよね」
大田の活躍は彼の采配だったのであった。元々気合関連がお得意で、彼の通り名はそのまま『キアイ』という。適材適所の逸材であった。
「じゃあまた、夜に電話するよ」
「うん、またね」
あやかし水のキラキラに覆われた河合と岩野田は、すっかり仲直りのラヴラヴである。
しかし佐藤姉弟と地下鉄で別れた直後、岩野田の端末に大家からの電話が入った。
『バースデー休暇なのにゴメン、もし余裕があったらちょっと寄れるかい?』
(なんだろ?)
嫌な予感を抱えつつ氷川商に戻った岩野田を待っていたのは、ケンジさんの采配も吹き飛ばした合併ショックであった。
慰労会も終わり、静まり返った部室である。長椅子で呆ける茨木と隣に寄り添う大家の姿は疲労感どころではない。
(岩野田、来てくれたのかい。ごめんね)
大家は席を外し、岩野田を廊下に連れ出した。
(ナニがあったの?)
(実はさあ)
岩野田は江口シュウトが先輩マネの吉野サトミとカップルになって戻ってきた事実を聞いた。
(帰校した先輩達の様子がおかしいと思ったら、最終夜になんかあったみたいでさ。吉野先輩、昔から江口の事が好きだったんだって。江口もあっさり陥落したみたい)
岩野田は絶句した。
(当然茨木はショックじゃん? でもさ、今日の慰労会に江口の弟も来たんだけど、弟は弟で、茨木に告って帰ったんだよね)
岩野田は赤面した。
(初めて茨木を見たときに、なんて綺麗な人なんだろうって、一目惚れしたんだって。これから海外遠征に行くから、帰国したら返事くれって言われたんだって。私、つい江口弟にしときなよって茨木に言っちゃったんだけど、茨木はチャらい江口の事が放っとけなくて好きなんだって。もう私どうしたら……あれ、岩野田、どうしたの、岩野田、どうして溶けるの、ねえ大丈夫?)
岩野田は溶けた。
(江口、いいおとうさん目指すって言ってたのに、行動が全然いいおとうさんじゃない)
溶けて流れてしまった。
(茨木も弟の方が絶対いいコだよ……早く目を覚ましなよ)
悪食は性分なのでどうしようもなかった。
「因縁の問題は薄れたけど超法規的措置が大暴走だよ。どこから手をつけたらいいのかな」
ケンジさんも途方にくれておいでであった。北国の夏の日は長い。