試合直前の会場の熱気は益々高まる。本日もマンガン社が全母連とタッグを組み増員体制で待機、決勝に相応しいエネルギー調整に徹している。

 南中の太田は街中応援も納得の体躯である。マンガン社のバックアップも非常に手厚く、将来性は一目瞭然。コートに立つ姿は会場の注目を浴び、氷川中のヒール度は加速の一途であった。
「上等じゃん。やったろうじゃんよ」
「くれぐれも怪我とファウルには気をつけろ」
 大澤と河合の物騒な会話である。試合開始のホイッスルが響いた。


 岩野田は会場入りしてからもずっと、コートに目が落とせない。
「みかこちゃん目が泳いでるよ」
「だって怖いです」
 ずっと河合と接する機会もなかったせいで、引っ込み思案がぶり返したのだ。

「そっか。でも確かにそうだよね。私も毎回怖いもの」
「嘘。ミヤコさんが?」
「いつも緊張しちゃうよ。今日はみかこちゃんと一緒で本当に良かった」
 途端に佐藤弟が笑う。
「姉ちゃんめっちゃ怖がりなんだよ。毎回隅っこ観戦だからリュウジが何処に居るか判らないって嘆いてた。今日はもっと前で観ようぜ」
 観客席二階の中央に引っ張られ、三人で並んで座る。見通しのよい席であった。

「マサキはベンチスタートか。体調も良いって聞いたから温存だね」
 言われてようやく岩野田もコートを見た。手前のベンチには四番を背負った河合の背中が見える。観客の拍手と歓声が、気温や熱気に紛れて溶ける。

(私、河合君の公式試合を観るの初めてだ)
 去年も今年も、部活の練習風景を眺めていただけだったから。
(一年からレギュラーだったよね)
 ふいに茨木が「河合君は色々抱えているだろうね」と言っていたのを思い出した。
(そうだよね。普通に大変だよね)
 全道決勝、氷川中対南中。自分はもう高校生になって、しかも自分の所属する部はインターハイに行ったのに。どうしてこんなに落ち着かないんだろう。春先の日差しで光る雪を思い出す。

 そうだ春先。初めて一緒に出掛けた動物園。胸の鼓動が煩かった。受験前に借りた合格ジンクスのあるリストバンド。ネームと当時の背番号八の刺繍が入っていた。返そうとしたら、
「よかったら、持ってて」
 岩野田の左手に付けながら、
「オレ、次は四番貰うから」
 お互いの耳が真っ赤だったのは、決して寒かったからじゃない。

 そして有言実行。今年の河合のリストバンドは四番の刺繍入り。岩野田は思う。
 もしも。もしも今のリストバンドを、今度は他の女の子が貰っても。
 今日の、今の気持ちは、忘れない様に覚えておこう。身体中がばくばく煩くて、首筋の手首の、手足の指先の細い血管までもが、どんどん勝手に騒いで震える時間。今まで思考は頭でするものだと思っていた。けれど本当は胸の奥、心臓のもっと深い所で、無意識になにかと会話する。

(知らなかった。私はお喋りが好きだ)
 黙っているのに心がお喋りだ。ドキドキだとかザワザワだとかで、全身騒がしくて仕方ない。
(あ、タオル忘れた)
 預かっている河合のタオルを、部屋に置いたままだった。



 岩野田を見守るワタクシの背中を突いたのは、黒いがま口鞄を斜め掛けしたリンキーであった。

「どうしたんですかその恰好。昭和の集金みたいですよ」
「借金回収してんの。カワイさん、スガワラ古狸を見なかった?」
「借金ってなんスか。あっ、まさかリンキーさん副業」
「アタシは正社員じゃないからサイドビジネスオッケーでえす。だから古狸どこ」
 リンキーがプライベートでスガワラに強い理由はこれか。薄々察してはいたが。

「現場ではもう全然見ませんよ。てか最近のスガワラ社員、超横暴なんですよ」
「ふん横暴か。させるかよ」
 リンキーの顔がみるみる鬼になった。怖い。めっちゃ怖い。
「まずは期限厳守させようか。あっ、社員いたっ。アタシちょっと聞いてくる!」

 がま口鞄の中身をガシャガシャいわせながら、リンキーは颯のように去って行った。トイチどころかトサンでも済まない高利貸しではあるまいか。
(まさか……トゴ?)
 ワタクシは身震いする。瞬間、ワタクシの肩に何かが当たった。
 見れば待ちわびていたマイ管狐ではないか。やっと帰ってきた!

「何さオマエ、今着いたのかい?」
 管狐は尻尾を震わせキューキュー鳴いた。
「おかえり、よく戻ったね。待っていたんだよ」
 管狐は疲労困憊であった。ゼエゼエと息をし、毛並はボロボロである。ワタクシは管狐をハンカチに包み丁寧に背中を撫で、携帯用フードと飲み水を与える。

 だが息ついた管狐からの情報はワタクシを震撼させた。巨大なブーメランがワタクシを襲ったのである。




 玄関ホールでは妖精さんの人だかり(語弊)でフェアリーリング(語弊)が出来ていた。輪の中心に対峙するはリンキーとスガワラ古狸である。

「待ってください待ってください」
「もう待てぬ。耳を揃えて返してもらおう」
「待ってください、蹴球関連が通ったらきっと」
「そもそもその蹴球の元が貸付のキッカケだったな」
 リンキーの形相は鬼そのものだ。古狸に至っては尻尾がはみ出す始末である。

 季節外れの寒気がホールを襲う。
「ひいー白魔!」
 敏感な人間でなくとも感知してしまうであろう凄まじい霊気であった。真夏にも関わらずイタチ型の風雪が我らをも狙う。物見遊山の妖精達も身の危険を感じ、ジリジリと後退しつつあった。

 リンキーは尚も古狸に迫る。
「何なら身体で返してもらっても構わんよ」
「ひいい」
「我がしもべとして永遠に従うがよい。いや、だがスガワラ社員は既に我が手中だったな」
「えっ、」
「ふん古狸。既に詳細は御存じか」
「それは……まさか」

 群衆に居たスガワラ社員達の顔色も変わり、他社の妖精達は困惑した。
 途端に館内にいる全妖精の携帯端末が一斉に鳴り響き、当社員には式神がバラバラと舞い降りた。

「ちょっとなんだよ全員こんな所に集まって。仕事そっちのけじゃないか。今日の試合は展開が早いんだ。みんな持ち場に戻って!」

 競技進行に携わるケンジさんもホールに怒鳴り込んで来た。だがいち早く式神の封書を確認した真田さんが耳打ちし、ケンジさんですら茫然と立ち尽くしたのであった。




「事業……買収?」
「経営統合?」

 出来れば有利な立場で関わりたいビジネス用語である。プレス発表で現実を知る我等末端社員である。
 ケンジさんがいち早く我に返り「みんな早く持ち場に!」と怒鳴ったが、誰も動ける状態ではなかった。

「買収って何ですか!」
「噂は本当だったんだ!」

 上記の台詞はスガワラ社員ズである。
「そうなのよお。会長自ら会社をたたみたいって言うからあ。弊社が買い取ったのお」
 リンキーの声が響く。
「スガワラコーポレーションはフェアリー・スキル・ジャパンに事業買収される運びとなりましたあ」
 全員に激震が走った。

「フェアリー・スキル・ジャパンって表向きは派遣会社だけど、母体が色々黒いんだったよね」
「しっ。それ以上口に出すなっ。誰が聞いてるかわからないぞっ」
 スガワラ社員ズがボソボソと囁き合っている。フェアリー・スキル・ジャパンって一体ナニ。

「弊社も成果主義上等だからねっ。スガワラさんとの交渉も円満よっ」
 所でリンキーの立場って一体ナニ。
「アタシは只の雇われ社員でえす」
 だからその肩書きってナニ。おいコラ無視すんな。

「現在進行中のプロジェクトにも変更が出まあす。デカい案件はそのまま継続ですがコマイ仕事は現場の判断になりまあす」
 当然社員達から質問が相次いだ。
「デカい案件ってどこまでですかー」
「判断基準は何ですかー」
「この現場は継続でえす。個々の担当案件は各自が超法規的措置で乗り切ってくださあい」
 回答が雑であった。

「満願成就ホールディングスさん方にも直に詳細入りまあす」
「満願……成就……」
「ホールディングス?」
 唐突な経営統合に困惑する両社員ズ。瞬間またもやマンガン各社員の端末が鳴り響き、弊社社員には式神が届いた。

「どういう事ですか」
「何が起きてるんですか」
「母体が愛系列なら実質は合併じゃないですかっ」
 マンガン社員ズが端末を握りしめ事の成り行きを詰問していた。
「案件の殆どが因縁めいてますよ。本当に超法規的措置でいいんですか?」
 当社員も錯乱の極みであった。ワタクシも頭が真っ白である。

「思い出しちゃった。以前もこういうコトあったわ」 
 式神を飛ばし終えた真田さんが暗い顔をして呟いた。
「試される大地開拓の時分に合併が相次いだ話、前にしたでしょ。あの時も酷かったのよ」
 そうであった。スガワラとの確執と共に伺ったのを思い出した。
「最近のウチの指示書のアバウトさはこの展開を見越していたのね」
「あの、では例えば河合や岩野田あたりの案件なんて」
「超法規的措置でいいんでしょうね」

 だが我々の不安が鎮まる気配はない。今度は寄ってたかってヒソヒソ話である。
「愛とエネルギーの融合企業?」
「表向きは老舗を立てて経営統合で押し切るってさ」
「それでマンガン社の名前が先に来るんだ。社名も昔の漢字表示に戻したんだ」
「会長はマンガン社からだって。その代わり社長は成就からなんだって」
「規模的には業界トップスリーに入るよ。元々両社は古い妖精集合体から分かれて始まった会社だったんだし」
「仕方ないのかなあ。諸外国のエネルギー系列は強いからなあ」

「いい加減に持ち場に戻れっ。氷川中の全国制覇は重要案件だ。今後の査定に響くんだぞ!」

 再びケンジさんの声が響き、実のある言葉に誰もが我にかえった。どのような形であれ、システム変更に伴うは人員ならぬ妖精整理である。
 リストラの瀬戸際を察し、各々が散り散りと現場に急ぐ。会場の歓声が響いている。試合は今現在も動いている。


 妖精けの去ったホールに試合展開の流れが漏れ伝わる中、リンキーは古狸を締め上げ続け、とうとう尻尾を取り上げてしまっていた。

「その身は未来永劫アタシ預かりだ。貴様は取り急ぎ蹴球プロジェクトに戻るがいい。今後の予定はおって連絡しよう。くれぐれも変な気は起こさぬ様」

 尻尾を取られた古狸はしおしおと現場に戻った。刈られた尻尾はそのままリンキーのがま口鞄にキーホルダーの如くぶら下げられ、ますますリンキーの昭和ヤンキー風味が増した。

 その姿は全ての妖精さんを震撼させるであろう。ワタクシもガクブルである。
「ふ、古狸ってナニしたんスか」
「八百年位前かなあ。アイツ紀州特派員時代に大ポカやらかして忌地が焦げ付いたのよ。その時にアタシが納めてやったの。でも始末の悪いヤツは何やってもダメだね。取り立ても焦げ付いて、その最終返済が先月末。更に一か月待ってやったのに、あのクソタヌキが」

「紀州の忌地?」
 ワタクシの脳裏に浮かぶは江口弟であった。
「古狸、江口弟の前世に借りがあるんですか」
「おっ、視えたか」
「閻魔帳閲覧した際に視ました。江口弟、蹴鞠の名手だったんですよね」
「そう、古狸の蹴球いっちょ噛みは江口弟の今世応援の為らしいね。でもアイツ実働下手。ヨソサマの手柄横取りは天下一品なんだけどねえ」

 妖精さんのお仕事はヒトの人生に寄り添い見守り助けるコトである。確かに間際のやっつけ感は如何なものか。
「だけど借りは借り。今世は最後までキチンと面倒見てもらうわよ。江口弟にはドシドシ成功していただきます。この古狸の尻尾にかけてね」
 リンキーが言い切るのならそうなのであろう。だがしかし。

(待って。ならば江口兄弟と岩野田の案件はどうなるの?)
 ケンジさんの采配では本日の放課後に執行予定である。リンキーの名が掛かった時点で既にこちらが重要案件扱いなのでは。
(待って待って待って。間違いなく河合と岩野田の件は吹っ飛ばされるんじゃない?)
 やばいドキがムネムネしてきた。どうすればいい? 早い者勝ちで動けばいい?

 イエス、やったもん勝ちであろう。武者震いがする。ワタクシの矜持に掛けて、まずは帰還した管狐からの情報を生かさねば。
 経営統合しようがリストラされようが、今のワタクシは未だ、『可愛い初恋』の妖精さんなのである。

「リンキーさん、個々のコマイ案件は超法規的措置でオッケーと仰いましたね」
「おう、二言はせんよ」
 ワタクシはリンキーの首根っこをつかんだ。
「ひっ、何すんだ!」
「ではお腰につけた半貴石」
「あ?」
「ひとつワタクシにくださいな」
「ああ?」
「超法規的措置、取らせていただきます。リンキーさんって弊社には派遣でいらしてるんですよね。今はまだワタクシの部下ですものね。ひとつワタクシにくださいな」
「チョ、待てよ、貴様価値分かってんのか」

 リンキーは慌ててがま口鞄を胸に抱えた。が、ワタクシも一切の容赦はしなかった。
「今は貴様呼ばわりされる筋合いございません。さあいい子ねーおとなしくしてねー直ぐ済むからねー」
「ギャーヤメロー」
 ジタバタ暴れた。
「はい動いちゃダメよー後でアイス買ってあげるからねー。黄玉石(トパーズ)、持ってるんでしょ。発色が薄い水色のヤツ。それ出して」
「児童虐待ー誰か通報してー」
「時間が無いから早く出してっ。グズグズしないっ。あっ、やっぱり持ってた。管狐がいくら探しても見つからない筈だわ」

 ワタクシはリンキーにコインを渡した。
「じゃ、コレいただくわ。はいお代。正門の東角にコンビニがございましたよ。どうぞいってらっしゃいませ」

 探していた半貴石。リンキー所蔵と聞いた時には硬直したが、今は気にしてはいけない。大きな変化と書いて大変と読むのだ。この時期は雑な仕事ほどまかり通るのである。