近代的かつ開放的な敷地内にも関わらず、資料室の目印は窓の鉄格子であった。
 ワタクシは行列の出来る人気ドラ焼きを持参し、窓口に出向いた。

「初恋関係者の閲覧は二冊までだべ」
「そこをなんとか。あと一冊」
「今の仕事は複雑案件なのかい?」
「はあ、まあ、色々と」
 窓口の青い猫型妖精は有名店の包装紙をチラチラ見ながら書庫の重い扉を解錠した。
「所長には内緒にするさね」
 甘味は非常に有効であった。

 早速ワタクシは希望の三冊を抱え、閲覧室に向かう。和綴じの厚い冊子は独特のニオイを放つ。重い木製の椅子に座ると、急ぐ手で各々の閻魔帳を開く。


 閻魔帳の記載はどの人物に関しても至極簡潔なものである。行間の空白に潜む情報を読み解くのはコツが要るが、ワタクシはその作業が昔から得意であった。

 江口家の冊子、江口兄弟のページは後ろから二枚。江口シュウトの配偶者欄には岩野田の名前がある。
(チッ。リンキーの言葉通りじゃん)

 前世も確認せねば。眉間に気を入れると、江戸末期の若夫婦が視えた。
 商家の奥座敷、大勢の親族に囲まれ神経をすり減らす細面の妻と、面倒から逃げがちな元ドラ息子が浮かぶ。結構なダメオトコだが、苦労をかけた恋女房の早世には非常に後悔したらしい。
(成る程。それで江口は今世で岩野田に尽くす予定なのね)

 流れで岩野田家の冊子も開く。岩野田の配偶者欄にも江口の名がある。が、彼女の近い将来には地元進学、地元就職の気配が読めた。母親の病状も暫くは低め安定らしい。落ち着いた生活を祈念したい。

 しかし岩野田の新郎の姿には靄が掛かっていた。
(閻魔帳には配偶者の記載があるのに?)
 何故映像が視えないのか。

 再び江口家の冊子に戻る。目の奥がバシバシと軋み出す。
 今度は遠い風景である。江口弟は過去世では母親と夫婦と出た。時代は中世ヨーロッパ、父親とは商人仲間。親子間の仲の良さが垣間見えるくだりであった。

 ここでワタクシのこめかみ、右側から火花が散る。次は江口兄弟の過去世の景色である。

 兄弟には親友だった時代があったらしい。
 平安末期、都で共に御屋敷に仕えている。そこから景色が変わる。南へ下る山道。青く光る海。不思議な形の船。

(彼の地は紀州だわ。都落ちかしら。地元民と忌地のトラブルが遭ったのね。弟が早くに亡くなってる)
 江口には弟を助けられなかった悔いがあった。兄弟間の対抗意識の無さはこの負い目であろうか。

 一瞬、スガワラのくだらない提案がワタクシの脳裏をよぎる。
(ここに岩野田を巡って兄弟間で何か起こったら?)

 やはり辞めるべきだ。無駄に因縁が増えてしまうではないか。

 頭をブンブン振る。振り出しに戻ろう。
 今ワタクシが最も知りたいのは河合と岩野田の繋がりだ。

 三冊目、河合家の冊子に手を伸ばす。だが河合の頁はもっと簡潔であった。

 ・少年期に何らかで名を馳せる
 ・青年期より国内外で活躍

 以上であった。
(これは難儀だわ。見当がつかない)
 白地図である。大いなる可能性ともいう。配偶者も当然の様に空欄。将来有望と言われたる所以であり、如何な様にも変化する為の余白である。

 ならばせめて過去世を視せていただこうじゃないか。
 ワタクシは目を凝らした。当然の様に、各分野で活躍する姿が、次々と現れた。






「早速来やがったぜ」

 またもやリンキーは式神を握りしめていた。その式神は強く締められ過ぎた為、既にグッタリしている。
「そんな持ち方したら死んじゃいますよ!」
「でもアンタ宛だよ。スガワラ経由の辞令じゃね」
 嫌な気配の茶封筒。宛先はワタクシの整理番号である。中身は見なくても分かった。


 修了申請書
 営業部三課〇〇年度3 51831603号
 市立氷川中等学校 二年三組 河井マサキ
 道立氷川商業高等学校 情報処理科 一年B組 岩野田みかこ


「本当に終わらせるんだ。上もバッカだねえ」
「リンキーさんもそうお思いですか」
「だって全然触る必要無い案件じゃん。弊社に余ってる労力あんのかよ」
 何と心強い。うっかり吹き出したら、
「なんだ、思ったより冷静だね」
「閻魔帳の閲覧で肝が座りました」
「そうか。ともかく労力の無駄使い大反対いいい」
 嘘偽りない言葉であろう。デスヨネーと頷きながら、ワタクシは内容を再確認する。
「あ」
「どした」
「コレ、日付が違ってます」


 終了日 ○年七月三十一日


「七月じゃないのか」
「スガワラからは今月末でって頼まれてました」
「そうなんだ。あっ。発動場所も空白じゃん」

 確認すると、部長経由での回答は単純に掲載ミスとの事。判断に迷い更にお伺いを立ててみれば、全て捺印済み故このまま行っちゃえとの仰せであった。

「ラフですね」
「ウチは紙は神だからな。捺印がある以上は発動されるだろ」
「だけど七月三十一日は岩野田の誕生日なんですよ。可哀想です」
「ナニ感傷に浸ってんの。それとも謀反でも起こすのか」
「しませんよ。けど」
「いいネタあんの?」
「無いっスけど」
 ワタクシは先日の閻魔帳から掴んだ映像が頭から離れない。因縁カテゴリーのボーダーも見えはしない。

 ふた妖精でグダグダしていたら、ケンジさんが三課にやってきた。
「カワイさんちょっといいかな。よかったらリンキーさんも」
 手渡されるは一課に届いた申請書である。
「ウチに来たからには将来はゴールインなんだけどさ、どうよコレ」
「うわあ」
 ワタクシ達もうっかり声を上げてしまう。


 営業部一課〇〇年度1 018112201号
 先手①:道立氷川商業高等学校流通ビジネス科 一年F組 江口シュウト
 先手②:市立氷川北中等学校 二年B組 江口ハヤト
 後手:道立氷川商業高等学校情報処理科 一年B組 岩野田みかこ
 発動開始日 〇年七月三十一日 氷川市立体育館ロビー 


「この①と②って何ですかイヤラシイ」
「そのまんまだよ。三角関係。または両天秤。困るよねこんな案件」
「ヒドイ。岩野田はそんなコじゃありません!」
「大体これから家庭愛に繋げるのに兄弟を揉めさせる必要があるのかね。この間のスガワラの話と随分違うじゃないよ。ねえ?」
「そうか。江口家の大いなる因縁か。あたし手伝うよ」

 リンキーの恐ろしい申し出を丁重に断り、ケンジさんも部長と共に上に出向いた。だがこの件も「もう捺印済みだから」「ウチは紙は神だから」と押し切られるのはどういう事であろう。

「ねね、これってやっぱ因縁増やしたいんじゃね」
「リンキーさんは黙っててください」
「僕だってこんなのヤダよ。上層部はナニやってんだよ」
 現場は困惑するのであった。



 だが決定項は動かしようはなく、真田さんの悲しい表情がワタクシの胸を突く。

「カワイさんは上手くこなしていたのにね」
「ご期待に添えず申し訳ありませんでした。終了の余波が大澤達に行かぬ様、善処致します」
「美しい幕引きを祈るわ。二人の引き継ぎも宜しくね」

 ケンジさんからの報告によると、先日の江口兄弟の会話の中で、弟は氷川商マネ達のことを「皆さん優しそうで良い人達っぽいね」とコメントしたそうだ。
 真田さん達も今後の展開には頭が痛いという。



 婚約騒動以降、プライベートの大澤は大いに浮かれていた。河合も公私の落差に振り回されがちである。尚、のべつ幕無しに惚気を聞かされ顔から火が出る日々である現状もお知らせしておきたい。

「離れてるからさあ、未来の予測が嬉しいんだよう」
「未・来・の・予・側」
 歯の浮く台詞の連発。大澤ファンに知れたら阿鼻叫喚であろうか。糖度の高さに溶けるやもしれぬ。
 だが醒めた目の河合に大澤は口を尖らした。
「気付けないだろうけど、マサキ達は恵まれてるんだぞ。物理的に近いって素晴らしいべさ」

 言われてみればそうだ。早苗叔母の電話牽制も結果的には放課後デートの習慣化を促し、怪我の巧妙となっている。逢瀬の大切さを噛み締める硝子の十代なのである。



 そう、硝子の十代なのだ。ならば思いっきり厨二路線でフィナーレを飾ってもよかろう。

「彼等の障害といえば早苗叔母ですが、今回そのネタは一切使いません。岩野田の後ろには全母連スタッフさんも待機中ですから」
「あい分かった。早苗叔母の専属は滅法恐ろしいからな」
 リンキーにヘルプを要請し、ワタクシは仕掛けの構想を練り始めていた。

 放課後の夕方、いつものコンビニ。下校途中の岩野田を待つ河合を草場の影から見守る。
「今日から仕掛ける?」
「まだ。まだ早いです」

 薄暗闇の中、岩野田を見つけて表情を緩める河合。店舗に向かう彼女に右手で合図。出会えて心底嬉しそうな二人。
(そんな表情、きっと親御さん達も見たことないんでしょ)
 少年少女の大人みの出始める瞬間である。良い思い出を作りたい。

「ようよう、今日のアイツ等はやけにくっついてんな」
「先日より間が五センチ縮まりましたね。本来なら仲が深まる時期ですから」
「早めに人払いしとく?」
「そうですね。リンキーさんは南西お願いします。ワタクシは北東を……」

 指示する矢先、二人は角を曲がった小さな公園、プラタナスの木の下で立ち止まる。
「おい、ちょ、マジか。カワイさん、北東の人払い急がないと!」
「むっ、ワタクシ間に合いません……リンキーさん、全方向お願いします!」
「全部かよ、なんっだよこれだから中ボウは!」

 リンキーは走った。ワタクシも急遽ブレーキ業務に勤しむ羽目になる。河合め。舌入れなぞ決してさせぬ、大人のフリなぞ百年早いぞ。
(させるかよ!)
 エネルギーの強いコの担当は体力勝負である。ワタクシの額に汗が滲む。



 岩野田はドキがムネムネの真っ盛りであった。

(河合君、時々違う人みたいになるね)
 さっきまで普通に話していたのに、急に立ち止まって、どうしたのかなと思ったら。
(ええと……せっかちな所もあるね)
 繋いだ手と手の体温が熱く感じるのは、季節が夏に向かっているからか。
(き、今日は……今日もちょっと、顔が近いなあ)
 暗くなりつつあるとはいえ、人通りが無いわけじゃない。空気を変えよう。少し距離を作りつつ「あのね」と問いかける。

「何」
「前に河合君、私が中学の時によく泣いてたって言ってたでしょ」
「ん?」
「いつ見たの。そんな所」
「ああ、」
 河合は脳内の記憶の引き出しを開けた。

「何回か見た。美術室とか」
 受験前のセンシティブ時代ね。これは岩野田も覚えがある。
「後、その時期の校内の。廊下とか」
 同じ時期なら受験前だ。これも覚えがある。赤面案件である。
「でも最初に見たのは四月最後の美化委員会」
「美化委員会?」
 これは岩野田も覚えていなかった。

「五月連休の水撒き当番が決まらなくて。あの時の委員長、立候補したくせに仕事内容を全然わかってなくて。結局岩野田さんが会議を回して」
 ええと、そういえばそんな事もあったような。

「でも遅れてきた顧問がクダラナイ拘りで全部やり直しさせるから、結局会議が長引いて。部活のある子達、みんな遅刻になって」
 そういえば、そんな事もあったな。

「岩野田さん、遅れるとヤバい部活の顧問に謝りに行ってたでしょ。女テニとか吹奏楽とかのコに付き添って」
 ああ、そんな事もあったな。

「馬鹿げたやり直しのせいで可哀想だって思った。よくやってるなあ、って」
「あの、私、泣いてたっけ?」
 河合は少し黙った。それから、
「堪えてたから。偉いなあって思った」
 岩野田の手を引くと、「遅くなった。送るよ」と言った。



「なあ、本当に終わらせるのか?」
 リンキーに言われずともワタクシも憤っている。
「コレ、終わらせる必要あるのか?」
「全っ然! 思わないです!」
「だよな」
 誰もが同意見であろう。河合の後ろに憑いておられるマンガンさんが涙目なのが見えた。

「今日は河合担当のスガワラの姿が見当たらないな」
「あの方々は本来プライベートにはお憑きにならないんですよ。お勉強や部活の時だけ」
「昔より合理主義に徹してるんだな。経費節減か」
「弊社は持ち出しが多いですよね」

 溢しつつ、ワタクシはマイ管狐を召喚した。
 それを見たリンキーは「ほほう」とニヤニヤし、
「持ち出しが陰徳に繋がりますように」
 と、意味有りげに呟いた。