縁がなさそうな河合は愁い悩んでいた。彼の環境は男女交際に非常に不向きなのだ。
(春休み中にもっと会っとけばよかった)
 後悔は決して先には立たないものである。

 氷川中では校内での携帯関係の使用は一切禁止である。連絡を取り合えるのはプライベートでの早朝、放課後から就寝時までの僅かな時間だが、
(叔母さん、鋭いしコワイんだよな)
 リビングで大澤と本日の学校の課題をこなしながら、河合はキッチンに立つ村松早苗をそっと見た。
 廊下奥から洗濯機の音が響く。
「あ、終わった。今週はリュウジが干す係、俺はアイロンな」
「ういっす」
 大澤がのっそり立ち上がり、河合は机の脇にアイロン台を出した。
「二人ともお利口ね。そっちが終わったらお夕飯にするわよ」
 早苗叔母の声が飛んだ。

 彼等は河合の親戚にあたる村松家の下宿生である。河合の故郷は氷川市より西部の海沿いの街、大澤の街は東の山脈の向こう側だからだ。

 地方の文武に優秀な生徒のフォローに積極的な氷川中には、各企業・教育・支援団体と提携した特待生制度がある。

 そのスポーツ特待に河合が選抜された時、早苗叔母は狂喜乱舞した。筋金入りの叔母バカに加え、先年度末には彼女の末息子が独立したばかり。入れ替わりに彼等を迎えるのに何の抵抗があろう。
(むしろ大歓迎。リュウジ君もいい子だし、二人の成長をこの目でガッツリ見届けてやるわ!)
 過干渉が心配であった。

 本日のお夕飯は山盛り唐揚げにポテトサラダ、タコの三杯酢、けんちん汁である。わしわしと戴いていたら、まず大澤の端末がフルフル鳴った。
「あ、ミヤコからだ」
「まあミヤコちゃん元気?」
「元気だと思います」
「また会いたいわ。宜しく伝えてね。でもやりとりはお夕飯の後ですよ」

 今度は河合の端末がベエベエ鳴いた。
「あ」(岩野田さんだ)
「まあ今度はマサキ? 誰からなの?」(む、いつもと反応が違うわ)
「ちゅ、中学の先輩」(嘘は言ってないぞ)
 早苗叔母はしばし河合を見つめ、厳かに「やりとりは後ですよ」と伝えた。

 大澤は早苗叔母の感知に気付いた。河合に合図を送るが、熱に浮かされる河合は目前のお夕飯に精一杯。
(昨日くれた制服の画像、めっちゃ似合ってたな)(おい、マサキ)
(クラスにバスケ部の人いるかな)(マサキ)
(そういえば月末の練習会場、氷川商だ。会えないかな)(マーサーキー)

 大澤は「氷川の闘将」の二つ名を持つ勝気な体育会系中坊だが、同時に平凡なセンシティブボウズでもある。早々に食事を片付け自室に向かう河合を見て、大澤に一抹の不安がよぎる。

 だが恋の病に抗えるモノなど居ない。密かに嘆息した矢先、早苗叔母は大澤に静かに問うた。
「ねえリュウジ君」
「あ、は、はい」
「今日のマサキ、随分落ち着きが無いのねえ」
「え、そ、そうでしたか」
「何だかうわの空だったわ。学校で何かあったのかしら」

 大澤は早苗叔母の保護者電波が張り巡らされる気配を察した。普段の河合は冷静沈着、時期主将の呼び声も高いのだが。
(でも仕方ねえよ。岩野田さんに一年片思いして、やっと仲良くなれた所だもん)
 恋の先輩の分別である。親友のハッピーは始まったばかりなのだ。


 さて当の本人は自室ベッドにゴロン。マイラバーと端末で短文のやり取りである。

『友達とクラフト部に入る事にしたよ。調理も手芸も活動自由だって』
 岩野田の本日の報告に、先手河合、家庭みを妄想してニコニコ。
『河合君は今日はどうだった?』
『またヤンチャな新入生がゴネた。でも今日のリュウジはキレなかった』
『何事も無くて良かったね』
『三年の先輩達、速攻で逃げたよ。「オマエが大澤マスターだろ」って』
 後手岩野田が可愛い困り顔のウサギのスタンプを貼った。河合も困り顔のわんこスタンプを返す。岩野田が慰め顔のウサギスタンプを。河合は泣き顔のわんこスタンプを。スタンプスタンプ。

(あ、今誘おう)
 応酬の振動に揺れながら河合は意を決する。
『今月末の中高選抜練習会、会場が氷川商の体育館だけど、よかったら見に来る?』
 思いがけないお誘いである。焦る岩野田に追い討ちを掛けるのは自室ドアのノック音。
「みかこ入るわよ」
 母親が湯たんぽを誂えて入室したのだ。端末を伏せる岩野田。
「お母さん動いていいの?」
「さっきお薬飲んだから大丈夫。みかこも冷やさないようにね」
 タオル地のカバーを掛けたゴム製湯タンポは安眠の御伴である。
「うん。私、明日も自分で起きるから、お母さんは寝ててよ」
「ありがとう。お母さんも少しずつ動くね」 

 季節の変わり目。まだまだ冷える北国の春。しかし心はフワフワする。岩野田は湯タンポを抱くと、了解ウサギのスタンプを河合に返した。





 氷川商流通ビジネス科に入学した江口シュウトは誰よりも目立っていた。
 細筋系の長身に整ったアイドル小顔はひと目で女子を釘付けにし、容姿にそぐわぬ天然性格は周囲を笑わせ和ませた。

 今年度の一年男子シードワン君臨も必然だが、その評判とは裏腹に、本人は硬派を気負っている。
(バスケ部で必ず活躍するぞ!)
 彼は小学時代、長姉の本棚にあった某漫画に感動して競技を始めたクチである。シュウトという命名はサッカー好きの両親の想い故だが、いずれにせよシュートを決めるのに変わりはない。

 上背のある彼は、地域のミニバス少年団で充実した競技生活を満喫した。しかし中学時代は挫折の連続であったという。

 この界隈のエリートコースは氷川中の特待生、憧れるは氷川中バスケ部所属である。だが世間はオノレが思うより広く、どんなに望み挑んでも、特待生に選抜される事はなかった。どんなに練習しても対氷川中戦は全戦全敗、まるで歯が立たなかったのである。

 その悔しさは彼を氷川商受験に向かわせた。氷川商はインターハイ常連の公立校、しかも余裕の通学圏。足りない内申と学力を全力で底上げし、見事合格した勇姿は賞賛に値する。

(必ず勝ちあがるぞ!)
 青い春。江口の目は燃えていた。雑草魂を見せてやろうじゃないか。オトコを上げてやろうじゃないか。

 だが廊下で岩野田みかことすれ違った瞬間、もうひとつの野望が芽生えてしまった。
(初恋を成就させてやろうじゃないか!)
 あくまでも本人は、硬派のつもりなのである。



 誰よりも困惑しているのは当のワタクシであった。

(江口って誰。岩野田が初恋って何。てか、江口の後ろに憑いてるのって……!)
 因縁妖精・通称リンキーであった。昨年度の早期退職募集に真っ先に挙手し、全力で引き止められながらも大幅増額の退職金と共にバックれた、弊社の元社員である。

「はあい、お久しぶり」
「どうなさったんですかこんな末端に」
「三課に配属された派遣でえす」
「派遣?」
「今は『フェアリー・スキル・ジャパン』の登録社員でえす」
「聞いてないです」
「嘘。今週からヘルプが入るって課長から聞いてる筈よ」
「リンキーさんがお出ましだなんて一切聞いてないです。てか何故に派遣」
「世は人手、じゃなかった、妖精不足らしいからあ」
「身の振り方なぞリンキーさんなら引く手数多でしょう。現に古巣のウチだって」
「御社の再雇用枠には定年退職のジジイ達が入りまあす。ご時世ねえ」
 御社って言うな。
「あっ。まさかどっかの産業スパイじゃ」
「だったらもっと賢く潜入します。アナタもいい加減その短慮な言動を何とかしなさい頭悪い」

 クソ姐御は眉間に皴を寄せた。元々怒ると怖い『悋気の長』と呼ばれる妖怪、じゃなかった、妖精さんである。因縁カテゴリーのスペシャリストでありながら、ドピンクパーカーにツインテールの小学女子を模した曲者。本来なら上層部に居る野郎、じゃなかった、お方だが。

「失礼しました。所で何故リンキーさんは江口に憑いておられるのですか」
「知らないけど担当になっちゃったわ。課内で書類整理してたら、丁度コレが届いて」
 パーカーのポケットに拉致られた式神は薄い茶封筒を抱えている。式神はガクブル震えている。リンキーの懐はさぞかし怖かったであろう。


 営業部三課〇〇年度3 51873003号
 先攻 道立氷川商業高校流通ビジネス科 一年F組 江口シュウト
 後攻 道立氷川商業高校情報処理科 一年B組 岩野田みかこ
 発動場所 道立氷川商業高校三棟校舎三階廊下


「この整理番号。ワタクシ担当。の、片思い案件」
「課長も『リンキーさん是非お願いします』って」
「『お願いします』」
「『カワイさんも大変そうだから』って」
「『大変そうだから』」
「だから来たわ。あはは」

 あははじゃねえよ。可愛い初片思いに因縁憑けるって何だよ。だが課長もまさかのリンキー降臨で扱いに困ったのであろう。皺寄せは弱い立場に寄せられ連鎖し疲労する団体の定石に眩暈がする。

「えーと、つまり江口に『可愛い片思い』させる訳ですが」
「うん、そうだよね」
「でも因縁専門のリンキーさんが担当すると、そうならないじゃないですか」
「そうだね」
「やっぱ担当外れませんか」
「嫌だね」
「外れてください。江口も岩野田も可哀想です。何より合理的ではありません」
「そこを情緒で何とかするのがカワイさんの仕事でしょう。スキルアップなさいな」
「勝手にワタクシのハードル上げないでください」
「そういえば真田さんがカワイさんの事探してたわよ」
「話を逸らさないでください」

 既に厄介の気配が充満している。彼等の未来にも暗雲が広がるのではないか。



「朝来たら三課にリンキーさんが居るじゃない。社内騒然だったわよ」
 空きの会議室で十穀米弁当を食しながら真田さんはボやいた。
「三課、一気に因縁めいたよね。一番爽やかな島に過去世ドッサリでさ」
 カツ丼の容器を片付けながらケンジさんも溢した。
「ま、でも、お互い踏ん張ろうか。今解消した方がいい因縁事もママ有るさ」
「そうね。私達に落ち込む暇はないわ。ピンチはチャンス、お昼片したらすぐ行くわよ」
 真田さんにも促され、モソモソと焼そばパンと珈琲牛乳をいただくワタクシ。本日午後イチのお仕事はお二人の御伴である。


 リンキーの影響は分かり易かった。

「岩野田さんだっけ、友達になろうぜ!」
 今朝のホームルーム前の一年B組教室に、輝く笑顔で突進した江口である。

「あ、江口君だ」
「江口だ」
「今年のシードワンだ」
 当然周囲も騒然となった。
「岩野田さんを口説いてる」
「岩野田さん可愛いもんね」
 クラスの盛り上がりを余所に、しかし岩野田はドン引きである。
(この人誰、何なの?)
 女子ならば当然の第一印象であろう。江口も初恋に向けてがっつき過ぎである。

「江口、他の可愛いコも口説いてたよ」
「女子のシードは全部網羅してるでしょ」
「だって江口はエロ君なんだろ」
「同じ中学のヤツも言ってたな。彼女が途切れた事ないって」
 ちょっと待て。周囲の情報によるとかなり不穏ではないか。

「そんなにいっぱい居たの?」
「人数は知らんけど。でもいつも可愛いコだった」
「私の友達が元カノだよ。めちゃ美人だった」
 ちょっと待て。江口は百戦練磨じゃないか。

「そうなのお。江口の初体験は中イチでえ、相手は中三の先輩でえ、押し倒されたんだってえ」
「リンキーさん、見てないで江口を止めてください!」
「でもコレ因縁だからあ。今出さないといけないからあ」
「初手から全っ然可愛い片思いじゃないじゃないですか。てか、江口って既に初恋終わってるじゃないですかっ!」
「やだ、カワイさん何いってるの?」
 一向に動く気のないリンキーはしめやかにワタクシを見下した。

「本人が初めて能動的になった恋よ。今回が初恋に決まっているでしょう」
 あくまでも江口にとっては、初恋なのであった。故にアプローチが不器用であるという。





 午後から出向いた先はスガワラコーポレーション小会議室であった。

 受付の案内嬢はワタクシ達を見るや否や、困った表情を浮かべ、確認の管狐を飛ばしていた。
 およそワタクシが訪問数に入っていなかったのであろう。此度はワタクシのプロジェクト未見を知った先輩方が「河合担当者も伺いまーす」とゴリ押しした故の同行なのだ。

「初恋関連っていつでも何処でも足切り対象ですね」
「全く。ヒトは機械じゃないんだけどな」
「愛は勝つって壁に刻んでやろうかしら」
 待たされるロビー。侮蔑のニオイに鋭く小声で異を唱えてみたが、当事者は間違いなく耳を塞いでいる違いない。


 本日は社枠を越えた『河合・大澤シフト』始動の一環、『氷川中全国制覇』第一回ミーティングである。
 集うはスガワラより二人の各技術学力担当者、エネルギー業界の大手マンガン北部支店より十代専門課長と団体競技課長、弊社からは大澤担当のケンジさんと真田さん、プラス河合担当のワタクシである。尚、司会進行はスガワラ本社よりお出ましの社員様であった。

 噂通りのテコ入れと言えよう。スガワラ本社の育成した逸材は古今東西数知れず。ワタクシの場違い感、お呼びでない度が激しく理解出来る、ド緊張空間である。

 在席は休憩を挟んで二時間強。交わされる質疑応答をひたすら黙って見つめ理解に努め、確認し頷くだけで精一杯。たまに促される発言も承知しましたと呟くのみ。

「初恋なんてさっさと終わる思い出でしょ。緩く頼むよ。くれぐれも私共の邪魔はしないでね」
 ワタクシへの要望は至極残念であった。

 だがケンジさん達は見事であった。要望殆どがドカドカ即決、ガンガン承認。物事が動く半端ないスムーズさを垣間見られ、非常にお勉強になった次第である。

「当然でしょ。大澤達には大地の未来が託されているのよ。明朗進取、子孫繁栄。誰にも邪魔はさせないわよ!」
 帰り道でも真田さんの激はまるで治まらなかった。
「あの方達、常に真を忘れるのよね」
「全く。相変わらずだったね」
 普段は飄々としたケンジさんもウンザリ顔なのは、スガワラ本社社員の意識高い系がナニでソレだったからであろう。

「社枠を越えた云々ね。本音は成果の奪い合いなのに」
「鼻で笑えるな。返り討ちにしようか」
 いつも以上の雄々しさに、しげしげとお二方を見つめたら、
「そういえばカワイさんは知らないんだっけ」
 逆に真田さんに顔を覗き込まれてしまった。
「何をですか?」
「昔、スガワラに手柄を全部持ってかれた話よ。会社が吸収合併される直前、私達の若い時ね」

 詳細は省くが、試される大地開拓アレコレの際、多角面での妖精支援計画が何故か経済面に集中させられていたのだそうだ。結果、歴史の流れが酷く変わってしまったとか。

「全国的にも嫌な流れだった。今でも遺憾だ」
「社の管狐と式神も軒並み拐かされて、ほぼ壊滅」
「壊滅?」
「その隙に愛関連がまるっと現実成果関連に持っていかれて大打撃」
「まるっと?」
「そこで独り勝ちして急成長したのが今のスガワラの前身だよ。あの直後からだよね。ウチも含めて愛系列会社の吸収合併が相次いだのも」

 直後から国内現世は圧倒的な現実・拝金主義に支配され、愛関連は斜陽産業と相成ったそうだ。
 ケンジさん自身もオノレの不首尾を猛省し心機一転、出来る系青年から今のオッサン姿にルックスチェンジしたという。
「見た目も大事だと思い知らされてね。リンキーさんとかそうでしょ。誰もが油断する」
 お言葉が響く。
「因みに今日の青二才風本社司会、その当時から居る古狸だから」
「古狸なんですか!」
「太平洋側の海運業務に便乗しながら出世したって。腹黒いわよ」
 お言葉は響いたのであった。

「ウチの会社、スガワラとそんな遺恨が……」
「余りにも露骨だったからね。勿論、憶測の域も無くは無いよ」
「それに今は今。蒸し返してたら仕事にならないもの。ただ古株には旧知の事実。アレがあったからこそウチは未だにアナログ仕様。重要案件は直接手渡しなの」
「紙は神」のまさかの出典先であった。
「結局有事には手仕事が強いから」
 だからこのご時世でも会社研修にノロシや合言葉講習が付き物なのか。
 肩と腕にくい込むトートバッグの重さが沁みるのも、書類が紙故の悲劇。ちっこい端末機器でスマートぶるエリート共が心底憎いのであった。



 肩に食い込むスクールバッグの重さが沁みるのも、親友をお守り役なのも、河合の宿命であろうか。

「早く歩けや。時間ねえぞ」
「オマエとは歩幅が違うんだよ」
「ああ、もう、なんで信号待ちなんだよ!」
「誰かさんがミシンが苦手で居残りになったからだろ。提出間に合ってよかったな」
「お手伝いありがとうございましたっ! なして時間の減りが早いんだべさ!」

 お国言葉で愚痴りつつ強歩の如く急ぐ大澤。必死で追う河合。なんの訓練かと思わなくもないが、河合も心底嫌な顔ではない。

 何故なら本日は休部日。大澤はこれから氷川に来訪中のマイカノ佐藤と貴重なデートである。下宿に戻り速攻で着替え再度外出する大澤と連なる河合を前に、村松早苗がクチを挟む間は無かった。
(あのコ達毎日忙しいからね。少しでも息抜き出来るなら何よりだわ)
 そうね。息抜きって大事よね。

「じゃな!」
「お!」
 二人は交差点で別れると、大澤は駅前へ、河合は氷川商正門前に向かった。疾風のような二人。
(全然会えないんならさ、会いに行けばいいさ)
 そうともさ。河合君だってやるときゃやるのである。 

 氷川商一年B組教室。岩野田の携帯が短文を受信する。大家や茨木に先に帰ると告げ、急ぎ髪を整え、靴を履く。
 薄い色つきリップは校則違反ギリギリだけど、問題無いと思います。