「絶景だよう」
 本日もいつもの三人でチェックする。北校舎三階の美術室から中庭を見下ろし、ニマニマほくそえんでいる。見下ろしている先には男子バスケ部がいる。

 福田りりと山根ゆうな、それから私、岩野田みかこは入学当初からの仲良しだ。受験生が晩秋の放課後に群れるなんてアレだけど、のぞむはエースの大澤君。彼を一目拝むのが、辛い学校生活のオアシスだ。

 我が氷川中の強豪バスケ部は、今年全国準優勝。部員達は優勝を逃して泣いていた。でも昨年の全国制覇に続けての決勝進出なんて立派だし、何より大澤君の活躍がすごかった!

 中一で既に百八十七センチの長身、フィジカル面では他競技からもオファーが来るし、一重の大きな切れ長の目元もそれはそれは凛々しくて、ついた呼び名は『氷川の闘将』、色んな取材もやって来た。

「はあ、大澤きゅん……なんてカッコイイの」
 ポニテをゆらゆらさせて福田が呟き、山根も溜め息まじりに溢し溶ける。
「もし付き合えたら趣味を封印してもいい……」
「でも山根、明日のライブは」
「行くに決まってるやん!」
 必死で取ったチケットに罪はない。山根は某声優の大ファンだ。その行脚も大澤君と関われるならば、いつでも断てる覚悟と言う。

「ああ、今年の一年はいいな。大澤君と三年間一緒だよ。卒業も一緒、同窓会もずっと一緒……」
 羨望は嫉妬に変わる。どんなに彼にメロメロか、おわかりいただけただろうか。


 勿論私も大澤君が大好き。だけど、理由がみんなと少し違う。

 彼は見かけによらず堅実派だ。バスケシューズや鞄は清潔で学校備品の扱いも丁寧。スポーツ特待生だからかな、ちょっと修行的な気配もある。

 うちの学校は公立の教育モデル校で、遠方出身者は学校指定の下宿に入る。彼の故郷は氷川よりずっと東の街。氷川学区は昔からの文京地区で富裕層も沢山いて、そんな環境で親元離れて自分の実力だけで勝ち抜くなんて、マジで氷川の闘将だ。

 学習面も悪くない。学年棚に並ぶ技術家庭や美術の作品も感じがいい。きっと好きな人も宝物みたいに大事にするんでしょ……なんて、想像の翼が広がり過ぎてニヤニヤする。

 この学校で大澤君を嫌いな女子なんてきっといない。あ、でも多少はいるかも。彼に言い寄って振られたヒト達。断られて泣く子もいたけど、怒ってる子も多かった。

 でも断る理由は完璧だった。
「地元に大切なひとがいる」
 ひゃああああ! 私達の大澤株は天井越えでしたとさ。ああもうキュンキュンする。我がモブ人生に悔いなし。



 嫌がる福田を促して下校するのも毎日の日課だ。彼女のママはとても厳しい。福田の氷川中入学の為にわざわざ学区内に転居したご家庭で、だからかな、福田は公園でよく道草をする。

 時々バスケ部がこの公園前をランニングする。そうすると私達もだけど、福田も気持ちを切り替えやすくなる。

「あ、大澤君も走っていった」
「大澤君も行ったから私達も帰るべ」
「……ん」

 切ない情景。ポニテが無理やり跳ね上がる。福田の悩みは、親から自分の実力よりツーランク上の学校にいくよう強要されているコトだ。一族の母校なんだそう。


 山根は私達の中で一番の常識家で、曲がった事が大嫌いな正義感溢れるお人柄。それで時々、人とぶつかる。

 山根は正しい。正しすぎる。先生より鋭い。ただ相手に逃げ道を与えなさすぎなのが多分。それで少し、二年の時に辛い思いもしたらしい。私達、クラスが違ったから詳しくは知らないけど。

 だけど放課後は私達は必ず一緒に過ごした。それからその時期に山根は某声優のファンになった。とある作品のキャラに励まされたそう。私も福田もアニメはあまり詳しくないけど、それで山根が元気になって良かったと思っている。


 私の家はパッキパキのプロレタリアート。お父さんは給料カットでピンチ。お母さんも病弱でピンチ。高校は絶対公立一択。大学も……あんまり期待できないかも。
 だから商業高校で資格とって、公務員も狙うといいのかな。ホントは普通科高校でゆっくり人生設計したいけど。


 そんな私達、派手系お洒落女子とは決して関わらず、超ジミに暮らしている。うちの学校は華やかなご家庭が多いから、棲み分けが何より大事。だから大澤君の噂もこの三人としか絶対に喋らない。今日もみんなで美術室に籠ってモブ活。校舎の端っこでめちゃめちゃ安全。


 さあ、そこで大澤君が美術室に降臨したならば、私達はどうなってしまうでしょう。

 今日、大澤君が居たの。ドア開けたら。

 も、背高ーい! 顔ちっちゃーい! 筋肉質でカッコいいい! どうしよう、もう、どうしよう! 私達全員、動悸、息切れ、眩暈。ダウンやばい。

 挙動不審な三年女子が三人、ドアの前で不気味に立ちすくむ。だのに彼は明るく、
「スミマセン、先輩達これからココ使いますか?」
 と、さわやかに聞いてくれて……さすが全国レベルの体育会系、お行儀イイよね!

「使うけど、別に他の人が居ても構わないよ」
 精一杯、山根の普通の声。そしたら
「ありがとうございます、じゃあ少しだけ失礼します」
 だって……なんて丁寧なの!? 私達の脳内テンション、上がりまくってしまった。

 気配り上手の彼は隅に移動して、廊下や外の様子を気にしていた。私達も何か活動する訳でもないから(モブだけど)手持ち無沙汰で(いつも以上に集中観察だけど)沈黙して……時間も止まってしまって。

「あの、すみません。オレやっぱ邪魔ですよね」
 ち、違う、違うの、そうじゃないの。でも言えない、アナタの隠れファンだなんて、言えない。慌てて三人で教科書を出して、受験勉強の真似事して。

「い、いつもこんな感じだから気にしないで」
 言い訳をかます福田の声が白々と裏返った。それを聞いて大澤君はまたニッコリ笑うから、もう、私達、本当に……マジで空気と同化したかった。

 頭の中は百花繚乱。だけど落ち着かねば。最終学年らしく平常心を保たねば。脳内でジタバタしながら、不器用にプリントをガサガサ整理した。

 大澤君は相変わらず外や廊下を見ていた。でもヒョイ、とドアから顔を覗かせたコがいて、その子に向かって大澤君が小さく手を振った。

 入って来た子は私達もよーく存じ上げている河合君。河合君は同じバスケ部の一年。彼も選抜特待の下宿生、そして氷川中の栄光のスタメンだ。小柄だけれど機敏で賢くて、綺麗なオデコと大きなお目目がキュートな男の子。噂によると超性格よくて、実質の一番人気は河合君らしい。私達モブには関係ないけれど。

 河合君も私達に「失礼します」って挨拶してくれた。その後大澤君に「今なら大丈夫」とか囁いて。もう、何事なんだろう。

「で、無事だった訳? やられた?」
「無事だけど見てコレ。引っ張られてボタンふっ飛んだ」
「うわ、こええ」

 河合君、ククッて笑いながら「行くぞ」って促した。走るぞ、だって。二人に「お邪魔しました」と挨拶された私達、思わず「ありがとうございましたー」って言いそうになっちゃった。

 彼等が去った後も放心状態、一気に脱力。三人で顔を見合わせた途端に大爆笑!
「たのしー!」「ナニ今の?」「誰かに追われてたの?」

 三人で盛り上がっていたら、またドアがガラッと開いた。千客万来。次は誰かと思ったら。
(え)(マジ?)(なんで?)

 瞬殺で硬直した。そこには学年で一番綺麗な女王様、山口みゆうがいた。私達、彼女が大の苦手というか……超エネミー。


 その山口がスレンダーな姿態を気怠そうにフフンとさせて(無駄なオーラ)黒のマニキュア入り(校則違反)ロングヘアをシャラーとさせて、私達をめっちゃ上から目線で
「ここに一年生が来なかった?」
 なんて聞くから、それだけで私達のテンションは墜落する。いつもなら私達の事めっちゃ馬鹿にして絶対話しかけてこないのに。感じワルイ。

「私達しかいないけど」
 間髪入れず山根が放つ。でもそれも一発触発っぽくて私達は焦る。福田が机の下で山根の手を握る。私も靴をくっつけて一生懸命合図する。
(山根、喧嘩しちゃダメ!)
(こらえて、スルーだよ、山根!)
 山根が二年の時に辛い思いをしたのは山口との遺恨が元らしい。もう、気が気じゃなかった。

 案の定、山口は怖い目で睨んだ。でもすぐ冷たい顔に戻って、小さい何かをこちらに見せた。
「これ探してる子いなかった?」

 カッターシャツの、ボタンだ。
(あ)
 三人全員で固まった。さっき大澤君、「引っ張られてボタンちぎれた」って……山口だったのか。

 山口は私達の顔色を見てとると、フフンと笑った。「私はアンタ達とは違って上等なのよ」と言わんばかりの退出。ガタンとドアが閉まる。すっかり空気が冷えてしまう。

「せっかく過去最高の大盛り上がりだったのに……天国から地獄じゃん」
 福田が唸る。
「アイツめえ。こんなとこまで来やがって!」
 ガルルと唸るのは勿論山根だ。

 ホント。大澤君にはもう彼女がいるのに。山口ったら横ヤリいれる気満々で。
「やっぱ感じワルイ」
 つい、私も唸った。