午後十時。パソコンの中で走り回る主人公たちが、ようやく少し落ち着いた。

場面転換のため改行し、これから書く内容をメモのように残して上書き保存をクリックする。

ブルーライトカット眼鏡を外し、お風呂に入ろうと立ち上がると、コンコンコンと扉を三回叩かれた。

「希衣、入ってもいい?」


「あ、うん。いいよ」


 ガチャリと音を立て、入ってきたのは母親だった。

昔は私を見る目も穏やかだったのに、最近では何か言いたげな表情を見せてくるようになった。

何が言いたいのかは、だいたい察しがついている。

 いくらバイトを掛け持ちして稼いでいても、この家にいる以上、すねかじりも同然だ。

安定した職もなく、結婚の予定もない。特別親しかった友達は、十年も前に亡くなってしまった。

そんな私に、今まで何も言わずに見守ってきてくれたこと自体がおかしかったのだ。

だから私は、今日、何を言われても、受け入れなければならないのかもしれない。

「希衣、今、小説どんな感じなの?」

「え?」

「コンテストの感じとか……。デビューできそうなの?」

 その言葉は、私に重くのしかかった。

ずっと聞きたかったことを、もう少し、もう少しだけ待ってあげよう、と思っていたであろう母の気持ちを考えると、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 私は何も答えられなかった。

理由は簡単なことだ。小説を書き始めて十年。様々なコンテストに応募してきた。

ことごとく落ち続け、ようやく四次選考まで上り詰めたと思ったら、また落ちて。その中でも拾ってもらえないだろうかと期待したのに、そんな話は一切やってこなかった。

そしてまた、書いて応募してを繰り返す。四次選考までいったことなんて嘘のように一次で落とされる。

そうやって何も結果を残せないまま、ここまで来たのだから。

 何も言えない私に、母はわかっていたと言わんばかりに、深いため息をついた。


「希衣、そろそろ腹をくくりなさい。あなたもう二十七よ? 希衣も何か考えがあるんだろうと思って、お父さんもお母さんも口出ししてこなかったけど。そもそもそれは、あなたの夢じゃないんでしょう? いい加減、自立して私たちを安心させてちょうだい」


 母の言うことはすべて正しかった。

私は、もっと早くに現実を見るべきだったのかもしれない。なのに私は、ただ優ちゃんの夢を叶えたくて。それ一心で……。


「……一年よ。あと一年以内にデビューできなければ、小説家になることはあきらめて、ちゃんとしたところに就職しなさい。お願い、お母さんと約束して」


 こんなにも真剣な表情を初めて見た。私より背の低い母は、両手で私の手を包み込み、下から見上げてくる。

私は、どうしてもその手を振り払うことげできなかった。

「……わかった」

 母にしか聞こえないほど小さな声でつぶやく。ただ、心の奥底から、暗闇に包まれた小さな声が聞こえた気がして、目線だけは合わせることができなかった。