「クラス替えもしたし、簡単に自己紹介をしてもらう。じゃあ、廊下側の一番前から順番に頼むよ」

担任の稲富先生は50代のどこにでもいる中年のおじさんだ。
自己紹介、という単語が先生の口から飛び出すなり、教室中から一斉に抗議の声があがる。

「めんどくせぇ」「やりたくないよー」「緊張するから嫌なんだけど!」

わたしは机の木目に視線を落とし、スカートをぎゅっと握り締めてクラスのみんなの声に心の中で賛同した。

自己紹介なんてできるはずがない。そもそも、教室に入ると一言もしゃべれないのだ。

何かを言おうと思っても、思うだけで言葉に出すことはかなわない。

進級後、始業式で自己紹介をするのはもはや定番になっている。

だから昨日も家で自己紹介の練習をした。

『小松結衣です。去年は1組でした。一年間よろしくお願いします!』

つっかえることも嚙むこともなく滑らかな口調でスムーズに自己紹介ができた。

『趣味はショッピングと映画鑑賞とカフェ巡りです。動物は猫が好きです。甘い物も大好きなのでスイーツ好きな人がいたら仲良くしてください』

学校では決して言えないセリフも家でならいくらでもしゃべりつづけることができる。

ここは学校ではなく家だ、と何度自分に自己暗示をかけてみても結果は同じだった。

そして今日も、きっと同じ結果になるに違いない。

「よし、じゃあ簡単でもいいから。なっ?」

先生の言葉に渋々廊下側から一人ずつ簡単な自己紹介を始める。

めんどくさい、やりたくない、嫌、そう言っていたクラスメイト達もいざ自己紹介をすることになれば誰一人としてできない子はいない。

どんなに嫌だと口で言っていても、みんな当たり前のようにできるのだ。

緊張し、声が小さくなっている子もいる。

あがり症なのか顔を真っ赤にして声を震わせて顔を引きつらせている子もいる。

それでもやらないという選択肢はない。やれないということはない。

それがふつうなのだ。みんなできる。

でも、みんなができることをわたしはできない。あぁ、いやだ。

わたしってできないことばかり。

自己紹介は順番に進んでいく。