通された客間には、父・咲久良剣、母・冴木鏡子、娘のみずほ。それに、俺の四人が揃って座った。
最後に、坂崎があたたかいコーヒーを持ってきて、勢揃い。
「どうぞ。粗茶ですが」
出されたコーヒーは味わい深く、香り高く、軽い眠気と酔いを吹き飛ばした。粗茶なんて、とんでもない謙遜だ。
「みずほさんはミルクを入れますよね」
「はい。ください」
自分の淹れたコーヒーに自信があるようで、しかも咲久良の好みは熟知しているといった目で坂崎は、俺のことを睨みつつ、どうだと言わんばかりにせせら笑んだ。
咲久良も咲久良だ。俺の家に泊まったときは確か、ブラックでコーヒーを飲んでいたのに。涼しい顔をしていたが、あれはやせ我慢だったのか。
「で、呼んでもいないのに、どうしてあらわれたのよ。剣さん」
続く沈黙に耐えられなくなったようで、腕を組んだ冴木鏡子が口火を切った。
「みずほちゃんは、ぼくが育てる。女親のほうがよかれと思って預けていたのに、結婚なんて絶対にさせないんだから。絶対に絶対に絶対に」
「待ってよ、私は土方先生と駆け落ち……」
「みずほは、咲久良家のひとり娘。よそさんにはあげられない。諦めて婿を取りなさい、ねえ坂崎さん?」
「冴木先生がそうおっしゃるなら、わたしはいつでも。ふふふ」
「いやよ。坂崎さんは、ママの恋人でしょ」
「な、なに? 坂崎くん、うちの妻と?」
「いいえ、元弟子というだけです。今は、咲久良先生の秘書ですよ」
「ちょっと待て、お前ら!」
それぞれが、自分の都合のよい論を主張するだけで、話は一向に進まない。
「全員、黙れ。持論をひっこめろ。この調子では、夜が明けても終わらない。各自の意見を鬼教師・土方歳三が、順番に聞いてやる。ただし、ひとことだけだ。まずは、咲久良父!」
「は、はい!」
「最善の策は。どう考えている」
「ぼくがみずほちゃんを引き取る!」
「次。咲久良母」
「みずほの結婚(私に都合のよい男と)」
「……咲久良はどうだ?」
「婚約解消! 土方先生と同棲→結婚。でき婚でも可! でもでも、進学もしたい!」
「強欲者。三つも発言するな、ひとつに絞れ」
「じゃ、じゃあ……土方先生と、ほんとうの恋人どうしになりたい」
こんな非常時だってのに、頬を赤らめて歳相応に照れるなよ。その愛らしさに、聞いている俺も恥ずかしくなる。
「次、坂崎氏は」
「みずほさんと結婚」
なるほど。
全員、まったく違うことを言ったけれど、結局のところ、咲久良本人の将来を案じていることに変わりはない。
「咲久良、もう一度だけ聞く。一番の望みはなんだ」
皆の視線が、咲久良に集まった。咲久良は伏し目がちに、ローテーブル上のコーヒーカップを見つめていたが、意を決したように顔を上げた。
「……し、進学、したい。咲久良家以外の世界を、もっと知りたい。たくさん勉強しないと、先生の奥さんにはなれそうにないし。家事も、世の中のことも、もっと学びたい」
ようやく、咲久良の本音を引き出せた俺は、心の中で自分に拍手を送った。
がんばった、俺。ブラボー、俺!
「というわけだ、分かったかこのバカども。結婚だの婚約だの、咲久良にはまだ早いんだ。いちばん大切なのは、咲久良家のしきたりではなく、本人の気持ち。こいつを真実愛しているなら、たくさん旅をさせろ。もっと賢い人間に成長するだろう」
皆がうなだれている中、俺はひとり帰り支度をはじめた。
「土方先生、待ってください。先生は、私とどうしたいの。先生のご意見をまだ伺っていません」
「先生のご意見? そんなの決まっている。平穏な教員生活だ。こんな騒がしい家とは無縁の暮らしをしたいね」
「嘘つき。先生の嘘つき! 先生の本音は、私と一緒にいたい。違いますか」
「恋人のふりは、これで終わりだ。明日から、志望校の分析をしよう。協力する。お前が、隠し持っている本来の学力なら、これから受験勉強をはじめても、じゅうぶん間に合う。付属以外の大学が合うと思う。俺の上着と鞄がお前の部屋に置いてあるはずだ。持って来い」
「先生!」
「早くしろ、明日も……いや、もう今日だな。今日も、学校がある。遅刻したら、許さないからな」
最後に、坂崎があたたかいコーヒーを持ってきて、勢揃い。
「どうぞ。粗茶ですが」
出されたコーヒーは味わい深く、香り高く、軽い眠気と酔いを吹き飛ばした。粗茶なんて、とんでもない謙遜だ。
「みずほさんはミルクを入れますよね」
「はい。ください」
自分の淹れたコーヒーに自信があるようで、しかも咲久良の好みは熟知しているといった目で坂崎は、俺のことを睨みつつ、どうだと言わんばかりにせせら笑んだ。
咲久良も咲久良だ。俺の家に泊まったときは確か、ブラックでコーヒーを飲んでいたのに。涼しい顔をしていたが、あれはやせ我慢だったのか。
「で、呼んでもいないのに、どうしてあらわれたのよ。剣さん」
続く沈黙に耐えられなくなったようで、腕を組んだ冴木鏡子が口火を切った。
「みずほちゃんは、ぼくが育てる。女親のほうがよかれと思って預けていたのに、結婚なんて絶対にさせないんだから。絶対に絶対に絶対に」
「待ってよ、私は土方先生と駆け落ち……」
「みずほは、咲久良家のひとり娘。よそさんにはあげられない。諦めて婿を取りなさい、ねえ坂崎さん?」
「冴木先生がそうおっしゃるなら、わたしはいつでも。ふふふ」
「いやよ。坂崎さんは、ママの恋人でしょ」
「な、なに? 坂崎くん、うちの妻と?」
「いいえ、元弟子というだけです。今は、咲久良先生の秘書ですよ」
「ちょっと待て、お前ら!」
それぞれが、自分の都合のよい論を主張するだけで、話は一向に進まない。
「全員、黙れ。持論をひっこめろ。この調子では、夜が明けても終わらない。各自の意見を鬼教師・土方歳三が、順番に聞いてやる。ただし、ひとことだけだ。まずは、咲久良父!」
「は、はい!」
「最善の策は。どう考えている」
「ぼくがみずほちゃんを引き取る!」
「次。咲久良母」
「みずほの結婚(私に都合のよい男と)」
「……咲久良はどうだ?」
「婚約解消! 土方先生と同棲→結婚。でき婚でも可! でもでも、進学もしたい!」
「強欲者。三つも発言するな、ひとつに絞れ」
「じゃ、じゃあ……土方先生と、ほんとうの恋人どうしになりたい」
こんな非常時だってのに、頬を赤らめて歳相応に照れるなよ。その愛らしさに、聞いている俺も恥ずかしくなる。
「次、坂崎氏は」
「みずほさんと結婚」
なるほど。
全員、まったく違うことを言ったけれど、結局のところ、咲久良本人の将来を案じていることに変わりはない。
「咲久良、もう一度だけ聞く。一番の望みはなんだ」
皆の視線が、咲久良に集まった。咲久良は伏し目がちに、ローテーブル上のコーヒーカップを見つめていたが、意を決したように顔を上げた。
「……し、進学、したい。咲久良家以外の世界を、もっと知りたい。たくさん勉強しないと、先生の奥さんにはなれそうにないし。家事も、世の中のことも、もっと学びたい」
ようやく、咲久良の本音を引き出せた俺は、心の中で自分に拍手を送った。
がんばった、俺。ブラボー、俺!
「というわけだ、分かったかこのバカども。結婚だの婚約だの、咲久良にはまだ早いんだ。いちばん大切なのは、咲久良家のしきたりではなく、本人の気持ち。こいつを真実愛しているなら、たくさん旅をさせろ。もっと賢い人間に成長するだろう」
皆がうなだれている中、俺はひとり帰り支度をはじめた。
「土方先生、待ってください。先生は、私とどうしたいの。先生のご意見をまだ伺っていません」
「先生のご意見? そんなの決まっている。平穏な教員生活だ。こんな騒がしい家とは無縁の暮らしをしたいね」
「嘘つき。先生の嘘つき! 先生の本音は、私と一緒にいたい。違いますか」
「恋人のふりは、これで終わりだ。明日から、志望校の分析をしよう。協力する。お前が、隠し持っている本来の学力なら、これから受験勉強をはじめても、じゅうぶん間に合う。付属以外の大学が合うと思う。俺の上着と鞄がお前の部屋に置いてあるはずだ。持って来い」
「先生!」
「早くしろ、明日も……いや、もう今日だな。今日も、学校がある。遅刻したら、許さないからな」