課外授業は偽装恋人 先生、よろしくお願いします

 俺は頭をかかえた。冷静になれ、冷静に。
 こいつは、話の核心をはぐらかそうとしているだけだ。乗ったら負けだ。それとも、家庭の詳しい事情はあまり話したくないのか。

「まあ、いい。徐々に聞くとしよう。友だちが待ってんだろ、駅前のファーストフード店で。あまり遅いと、俺たちの仲を不審がられる」
「うわあ、生徒の会話を立ち聞きですか、悪趣味な。ま、これだけ時間があれば、もう襲われていますね」

「……そんなに襲われたいか」
「はい! 次の土曜日、先生の自宅へ行ってもいいですか? 自炊、しないって聞きましたし、ごはんを作ってあげます」

 襲われ希望の女なんて、はじめてだった。しかも教え子。

「お前なんかに頼まなくても、めしぐらい作ってくれるやつは他にたくさんいる」
「生意気な言い方ですね。『お前なんか』ではありません。恋人の作るごはんは特別ですよ、特別! なんだったら、今夜でも構いませんが、泊めてくれます?」
「いらん。今夜はすでに予約がある。間に合っている」
「ごはんのお礼は、としくんの身体で払ってください」

「……あのなあ、人の話を聞け? しかもそういう冗談、ほかの男に言ったら、一回でアウトだからな? がぶっと、まるっと喰われて捨てられておしまいだ。男にとって都合のいい便利な女なんて、イヤだろ?」
「当然、としくんにしか言いません。ふしだらな女ではありませんので、私」
「分かった分かった。もう帰れ、話にならない」

 過去にも、俺に向かって軽く好意をほのめかす生徒はいたけれど、ここまで身体を張って、真正面から迫ってくる生徒は初めてだ。辟易した。
 まともにぶつかるよりも、まずはこいつの身辺調査をしたほうがよさそうだ。このままでは、俺の神経が持たない。

「つれないなあ、もう」

 咲久良は怒っている。簡単につれたら俺が困る。

「とりあえず、メールだけは寄越せ。番号も。こっちから、連絡することもあるはずだ」
「はーい。でも、メールの文末には、必ずハートマークを入れてくださいね。たくさん、飛ばすんですよ。ハートの数が多ければ多いほど、合格です」
「ふざけんな。絵文字なんて、ガラじゃない。オトナをからかうな」

 咲久良を追い出すようにして、俺も十分後に時間差で進路指導室を出た。

 その後、職員室でマル秘の資料を探る。
 各生徒の、個人情報が書かれた調書が保管されている。担任権限で、俺は咲久良の資料を堂々と抜き取った。

 現住所は、昨夜送った場所に間違いなかった。地図と見比べる。なるほど、豪邸のお嬢さまだ。
 家族構成は、父母。ひとりっ子で、きょうだいはいないが、祖母と同居している。都内のわりと有名な私立中学を卒業し、うちの高校に進学していた。珍しいケースだった。
 我が校の学力レベルは、どうがんばって見積もっても、せいぜいが中の上。咲久良が通っていた学校と比べると、格下感は否めない。

「通学がラクだから、とか」

 咲久良の自宅から、うちの高校までなら三十分ほどで通学できるけれど、有名私立大学の付属高校に通うとなると、片道一時間では足りないだろう。
 朝夕の通勤通学ラッシュ時にぶつかると、より時間がかかるはずだ。痴漢の被害も受けるかもしれない。
 いや、それにしたってもっと上位の高校を狙えただろうに。

 とりあえず、咲久良の調書を伏せ、俺は携帯で咲久良家について軽く調べてみた。
 すると、咲久良家の入り婿である父親が、地元の市議会議員をだいぶ長く務めているという事実に当たった。家土地持ちなのは、母親のほうだった。選挙運動時の画像がいくつも出てくる。父親に比べ、母親はとても若い。

「なるほど、娘に婿を早く取りたいと願うのは、親世代からの因習か」

 となると、咲久良の婿候補は父親の側近だろうか。いずれは、議員の地盤を継ぐために。
 それでも、婚約者のことはまではまるで見当もつかない。恋人権限を振りかざし、名前ぐらいは聞き出させねば。

 しかし、俺がそれをしてどうなる。腕を組んで考える。

 婚約を破棄という事態になれば、咲久良は喜ぶのだろうか。咲久良家は、納得するのだろうか。誰も得をしないことに、俺は手を染めかけているのではないか。
 いや、咲久良の担任として、あいつのかかえている不安は除いてやる必要はある。困っている生徒に、手を差し伸べるのは、教師として当たり前の行為だ。

 たとえ、恋人ごっこでも。

 まずは事実確認。
 現状、とにかく俺はそう納得することにした。
 翌日、俺は出張で午後からの出勤だった。
 調べ物があったので、県立図書館まで出て、それから高校へ行った。高校の教師だ、それぐらいはする。たまに。


 今日は受け持ちの授業がない。午後はみっちり、書類の整理に明け暮れる。下校前のクラスホームルームを済ませ、創作文芸部に少し出席するつもりでいた。

 遠くから見た限り、咲久良は淡々と過ごしている。

 あれほど言ったのに、あいつからはメールも電話も来ない。屈辱を覚えながらも、俺のほうからメールをしてやったのというのに、返事もないのだ。今どきの女子高校生の多くは、携帯依存症ではないのか?

 そのくせ、俺を凝視してくる。気がついて、俺が視線を送ると途端に目を逸らしてくる。あからさまに。


 放課後。
 部の活動を行っている、国語準備室に脚を向けた。

 文芸創作部は、作品を仕上げることに重点を置いている。文化祭と年度末に二冊、部誌を発行しているので、それが大目標。
 残りの時間は、もっぱら個人の創作時間で、部活のある日は最近読んだ本や観た映画の感想とか、執筆に使うパソコンの環境設定などについて話し合っている。
 今どきのやつらは『原稿用紙何枚分』なんて、言わない。『何万字』あるいは『何KB』だ。時代を感じる。

 作るものは、文字を基本としていれば、なんでもいいことになっている。小説、詩、短歌、まんがでもコミックエッセイでもいい。高校生の感性で書かれたそれらは、つたないものもあり、しかし光るものも数多い。

 いいなと思ったものは、積極的に公募へ出すよう、俺は勧めている。そうやって今までに数人、公募でも入賞できた。もちろんこれは俺の力ではなく、生徒の努力によるものだ。努力は自信につながる。
 俺は生徒の背中をそっと押してやったにすぎないし、成果を自慢するつもりもない。


 ドアをノックして準備室へ入る。今日は七人、集まっていた。部活のかけもちをしている生徒もいるので、いつもこんなものだ。俺が部屋に入ると、皆一様に驚いた顔をした。

「珍しいですね、土方先生が部活を見に来てくださるなんて」
「俺に構わないで続けてくれ。俺は外野」

 異端扱いされてしまった。そう言いながら、俺は部員を見渡した。咲久良がいる。みな、田舎のブンガク少年少女っぽいのに、今どき容姿の咲久良だけひときわ垢抜けていて、まるで異物だ。浮いていた。俺とは異質どうし、なのか?

「差し入れだ」

 テーブルの上に、袋を置いた。

 売店の自販機で買ってきた飲み物を部員たちに、配ると歓声が上がった。外見はオトナに近づいていても、こういう素直なところは、まだまだ幼いと思う。

「いただきます」
「ありがとうございます」
「どれにしよう?」

 ミルクティーを選んだ咲久良は、俺のほうに軽く会釈をしたが、顔は上げなかった。まあ、いい。期待しているわけでもない。(偽装)恋人として、あからさまに親密な態度をとられても困る。なんとなく、俺も直視できないでいる。

 俺は残った缶コーヒーを手にし、部員からやや離れた窓際の席に着いて日誌を書くことにした。

 この部屋はとにかく資料の入った段ボールが多い。未整理のまま、捨て置かれた紙類がタワーを形成していて、まっすぐ歩けない。
 なにか起きたら困るので片づけてほしいと、事務に何度も注文をつけられたけれど、資料の山々は過去の遺物であり、歴代の国語教師になんとなく引き継がれているだけだ。俺も、これを放置したまま数年後に異動するだろう、きっと。

 どうにか、集まった人数だけ座れるように配置されているテーブルをよけて、俺は窓際にたどり着いた。
 狭いけれど、この部屋で部活をするのは、やっぱり資料が多いからだ。右手を伸ばすだけで国語辞書。左手には百科事典。教科書によく載っている作家や古典作品もすぐ届く位置にある。図書室だと広いので、こうはいかない。ものぐさな人間の部屋、みたいなものだ。
 
 今日の部活では、先日訪問した文学館での感想を述べ合っている。俺は聞いているだけ。口は挟まない。

 咲久良は積極的に発言しないものの、問いを投げかければ答えるし、古今東西わりと本を読んでいるらしく、この高校では成績優秀な部長とも対等に議論を交わしていた。

 国語のみならず、咲久良は全般的に成績は普通だったはずなのに、かなり聡明だった。成績を上げないよう、わざとコントロールしているのかとさえ疑ってしまう。部には同じクラスの人間がいないぶん、やりやすいのかもしれない。

 表面上、咲久良が平均点少女を偽装しているようだと、俺は感づいた。

 次回の活動日は翌々週と決まり、それぞれ創作物を持ち込むことに決めた。

「あの、共通のテーマを決めませんか?」

 咲久良が発言した。

「それは、競作ってことかい」

 部員のひとりが反応する。

「はい。たとえば、恋……とか」

 難しいな、と一同がざわついた。
 おいおい、よりによって恋とは俺への挑戦状か。咲久良が、俺のほうを睨むように見つめながら、ほほえんでいる。俺の心もざわついた。

「難しいほうが手応えがあっていいと思うよ。ねえ、土方先生?」

 部長が全員を叱咤する。新入りの、創作初心者には負けられないのだろう。部長は知識が先走ってしまって、あまりいい小説を書けない。小論文や評論はうまいのだが、いつでも書き手である自分が文章にちらほら顔を出してしまう。

「よし、テーマは恋。短編小説でも、詩でも、短歌でも、なんでもいい。四コマまんがでもね。形式は自由。ただし、全員提出のこと。今日欠席の部員にも厳守させる」

 締め切りは部活の前日まで、提出先は部長となった。
 次回の課題が決まると、部活は終了となる。俺も職員室に引き上げることにしたが、ついでといった感じを装って、なるべくさりげなく咲久良に声をかける。

「咲久良、提出物のことで聞きたいことがあるから、片づけが終わったら帰りに職員室まで寄ってくれないか。すぐに終わる」

 なんで、教師の俺が、年上の俺が、十ほども違う小娘に対して、こんなに気をつかわないといけないんだ。
 ふたりきりの環境になったら、とにかく連絡してこいと、俺は言おうと思っている。自分から番号を聞き出しておいて音信不通なのだから、これは腹が立つ。俺がメールを送っても、まるで無視なのだ。どういうつもりなんだ。遊ばれているのか? トラップなのか?

 咲久良はすぐに来た。部活解散後、五分ぐらいだった。

「なんの話でしょうか」

 ほかの教員の目があるので、咲久良はかしこまっている。基本、お嬢さまなのだ。この、外面姫よ。

「お前、文学にかなり詳しいんだな。意外だった」
「別に、あれぐらい普通です。中学のとき、長い通学電車の中で、することがなくて、いつも読書していましたので。うち、本だけは多いんです。そのころからの習慣で、なんとなく今も」
「そのくせ、国語の成績は普通だよな。俺の、担任の教科なのに」

 現代文はよくても、古文・漢文は苦手、という生徒もよくいるが、咲久良はどちらもまんべんなく平均点を保っている。偽装成績の嫌疑が、ますます濃厚になった。

「成績と読書は関係ありません。たくさん読んだからって、成績が上がるなんて単なる決めつけです」
「そうか? 多少は役に立つはずだぞ」
「むしろ、読書にのめり込むと、勉強の妨げになるかと。私、進学しないので、これ以上の勉学は必要ありません」

「もったいないな。せっかく、素地があるのに」
「進学しない私なんかが好成績だったら、みんなの迷惑になります。学校の成績は普通、あるいはそれ以下でじゅうぶんです」

 水かけ論だった。俺は、ごほんとひとつ、咳払いをして話題を変えた。

「それはそうと、メール。なにか、言って返せ」

 秘密の交際をしているような気がして、俺は自然と小声になっていたが、やましくはないはずだ。これは、一女子生徒の救済だ。

「ハートがありません」

「はー……と?」
「そうです、言いましたよね。恋人どうしのメールには、ハートが乱舞すると。先生からのメールは、どうみてもただの事務連絡。平安時代の恋文にたとえるならば、先生のメールはごわごわの陸奥紙で書かれた、そっけないお役所文書です。もっと、きれいな紙に……季節の色に染められた薄様に、お花とかプレゼントを添えるような気持ちで書いてください。返事をする気には、とうていなれません」
「しっ。咲久良、声が大きい」

 面倒くさい比喩を使ってきた……俺が、国語科だということを意識しているのか。

「何度でも言います、ハートをください」
「鳩?」
「違います、♡です」

 どこで得た知識なのか。ハート、ハート。小学生か。外見はおとなびて映る反面、中身は相当に子どもっぽさを残している。あやうい。

 ハート、それに絵文字全般が、俺には気恥ずかしい。恋人ごっことはいえ、メールは証拠が残る。万が一の可能性もあるので、俺はわざとシンプルな文面にしていた。

「……ハートにしたら、返事するんだな」
「はい、もちろんです!」

 ……繰り返すが、面倒くさい。

 一度、ゆっくり話し合わなければならない。場合によっては、家庭訪問が必要だ。生徒の家庭と深くつきあわなくてすみそうだから、小学校や中学校ではなく、高校教師を希望したのに、やっかいなことだ。

 まあ、仕方がない。いまいましいけれど、これも業務の一環だ。

「先生も、もう帰るようでしたら、一緒に帰りませんか」

 ハート、いやメールの話を終えると、咲久良は急ににこやかな顔になった。愛情に飢えているのかなと邪推してしまう。
 教師と生徒が一緒に帰るぐらい、たまにはあるだろう。妙に意識する場面でもないと思う。一緒に帰るといっても、最寄りの駅までだ。……ん、まさか、それ以上、というかうちまで、ついてくるつもりじゃないよな? 俺は警戒した。

「土方先生、国語準備室の鍵を返却します!」

 そこへ、文芸創作部の部長が職員室に飛び込んできた。

「あ、ああ。おつかれさま」
「先生は、咲久良さんとずいぶん親しいんですね」

 ほら、来た。やっぱり、一緒に帰る案は却下。俺は、投げ出していた脚を組み替える。その類いの問いは、予想済みだ。

「担任のクラスの生徒だからな」

 頭の中で何度も反芻しているせいか、余裕たっぷりで答えることができた。しかし、俺の隣で咲久良は失笑していた。芝居じみていたか?

「なるほど。そうでしたね、そういえば」
「部長、そろそろ暗くなる。駅まででいい、咲久良と帰ってくれないか」

 ふたりとも、あからさまに顔をしかめた。そんなにおかしな発言をしたつもりはないのに、しらけた空気が流れた。

「か、構いませんよ。ぼくは、構いません。先生の依頼とあれば」
「……じゃあ、帰ります。先生、さようなら。先ほどの件、よろしくお願いしますね。是非」

 俺は苦笑いで手を振った。
 恨まれたな、これは。
 その夜。

 初めての返信が届いた。
 しかし、俺のメールした内容にはひとことも触れず、咲久良の文面はただの抗議文だった。

『ほかの男子と一緒に帰れなんて、としくんひどい。昇降口で、部長の彼女さんが待っていたからよかったけど、ほかに誰もいなかったら、ふたりきりでしたよ。としくんは私のことが心配じゃないの? さすが、鬼教師だけありますね』

 重ね重ね言うが、面倒くさい。ほんとうに、わがままな生徒……いや『恋人』だ。
 俺はため息をついて、画面を閉じた。

 返事は送らなかった。


 土曜日の午前中。

 特に出かけるあてのなかった俺は、ふだんよりも時間をかけて念入りに土手のジョギングコースを走った。日課の十キロを少し超えたと思う。今日は富士山がよく見えた。まだ雪はそれほどかぶっていないけれど、青いその姿は凛として美しい。

 今日の一日をどうしようか。
 細々とした仕事がたまっているが、ランニング用の靴を買いに行きたい。ランのシューズは消耗品だ。これをケチっては、ケガや故障につながりかねない。
 それに、観たいDVDもあるし、読んでおきたい本もある。ほんとうは洗濯や掃除もたまっている。お気楽なオトコひとり暮らしとはいえ、たまには片づけないと。


 マンションに戻ってシャワーを浴び終わると、インターホンが鳴った。
 誰とも約束もしていなかったし、せいぜい宅配便だろうと、俺は軽くシャツを着た姿で応対に出た。髪は全然乾いていないので、廊下にぽたぽたと水滴が垂れてしまった。あとで拭こう。

「おはようございます。うわ、かなりくだけた格好ですね」

 目の前に立っていたのは、買い物袋を両手に下げた咲久良だった。
 ショート丈のAラインコート、白のミニスカートの下にまっすぐ伸びる生脚。とくに膝上、太もも。
 男なら、誰でも見てしまうはずだ。教師にだって、下心はある。常に聖人君子ではない。

「先生のお住まい、すてきなマンションじゃないですか。駅近の高層!」

 俺が咲久良の脚を凝視していると、手が塞がっている咲久良は肩で、がつっとドアをおさえてきた。閉められないように。そして、笑顔で。

「呼んでない。帰りなさい」
「いや。上がります」

 肩先の次に片脚を引っかけ、咲久良はドアの内側へ身体を強引に滑り込ませる。
 玄関先は響くので、騒ぎになることは避けたい。とりあえず咲久良を中に通し、ドアを閉めた。

「どうやって入った。ここのマンション、オートロックなのに」

 咲久良は買い物袋を廊下に置き、靴を脱いだ。勝手に上がり込む。

「住人の誰かさんについて来ました。しれっと」
「そもそも、どうして詳しく住所を知っている。最寄りの駅ぐらいは授業中に行ったかもしれないが、お前から年賀状をもらった覚えは一回もないぞ。ストーカーか?」

「先生が出張でお留守の日、事務の人に聞きました。『先生に、頼まれた急ぎの荷物を自宅へ送るよう言われたんですが、住所を聞きそびれてしまいましたー。今すぐ、教えていただけますか』って」
「個人情報を勝手に訊き出すなんて、犯罪者一歩手前だぞ」
「なんだってします。『恋人』の、としくんのためだもの。髪、拭きましょうか」

 咲久良は俺の手からタオルを取り上げ、少し背伸びをすると、わしゃわしゃと髪を拭きはじめた。くすぐったい。

「へえ。意外と、くせ毛」

 白くて細い指が、俺の頭を撫で回す。それに、咲久良の身体からは、軽い香水が漂う。いや、シャンプーだろうか。いかにも女が好みそうな、甘い香りだった。

「も、もういい。乾いた」

 俺は咲久良の手を止め、同じバスタオルでさらっと廊下の床を拭いた。あとは洗濯機に突っ込むだけだ。構わない。

「うちが留守だったらどうした?」
「待ちました。いつまでも。でも、としくん、休日にはあまり出かけないって前に言っていましたし。だったら、起床→ランニング→休憩→ブランチ、出かけるにしてもお昼以降、下手したら夕方から夜かなって」
「……見事な推理力だ」
「どういたしまして。ああ、でも、誰かを連れ込んだりしている可能性はありましたね! もしかして、ベッドに誰か寝ていたり!」
「バカか」

 どうでもいい妄想までも披露してくれた。

「散らかっているからな」

 廊下を先導して、リビングへ移動。
 片づけていない部屋は、ものが散乱している。
 空いた缶ビールはローテーブルの上に数本あるし、ソファは畳まれていな洗濯物で支配されている。ただし、床にものを置かないことだけは厳守しているので、脚の踏み場は確保されている。

「わりと片づいていますね、としくんのお部屋」
「ここはもともと、姉の持ち物なんだ。今、だんなの地方赴任につきあっているから、番人として代わりに住んでいるだけ。期間限定の『すてきなマンション』だ。教師歴の浅い俺じゃ、壁の薄い安アパートがお似合いだ」
「そんなことないです。違和感ないですよ、男前で優等生高校教師のとしくんなら。高層マンションの二十階角部屋。うわあ、眺めいいですね。富士山が見えます」

 咲久良は窓を開けていた。マンションの二十階に吹く強風が、部屋を駆け抜ける。

「陽があるうちに、洗濯をしましょう。としくん、走ってきたばかりですよね。朝食は食べましたか」
「休日の朝は食べない。牛乳だけだ」
「分かりました。お昼は、サンドイッチを作ります。夜はビーフシチューでどうでしょう」

「おい、なにを一体」
「恋人ですから」
「いや、それは外で、というかお前の親に対してだけでじゅうぶんだろう。うちにまで押しかけてきて恋人ごっこなんて、必要ない。それに、部屋の中にまじで誰かがいたらどうしたんだ」

「あれ、としくん。彼女さんいたんですか? おかしいですね、私の集めた情報では、半年前にとしくんが一夜の過ち系な浮気をして、それが当時の彼女さんにバレて、ケンカして別れた、と」
「どうして知っている!」

「なるほど。特定の彼女ではないけれど、現在でもそういう仲の女性はいるってことですね。やーらしー。教師のくせに、遊んでますねえ。この部屋に連れ込んだり、するんですか。酔った勢い的なこと、するんですか。朝、起きたら知らない女の人がとなりに寝ていたこと、あるんですか!」

「……咲久良には関係ないことだ。教師だって、性欲ぐらいある」
「あー。開き直ったな」
 いくら注意しても、咲久良は自分のペースを守り続け、洗濯機を回し、キッチンのシンクに溜まっていた洗い物を次々と片づけてゆく。鼻歌混じりでご機嫌だ。
 しかもわりと、手際がいい。
 それこそ、前の彼女よりも。
 豪邸に住まうお嬢さまはずなのに。

 反論するのが面倒になった俺は、咲久良の様子を座って観察していた。
 肌がきれいだ。あの太ももの内側の、うんとやわらかい部分に頬ずりをして顔を埋めたい……そして、そのもっと奥には……いや、そういう観察ではない。相手は未成年。しかも教え子。

 思考をもとに戻す。
 意外と、生活慣れしているらしい。

「本もたくさんありますね。さすが国語教師」
「積ん読も、相当数あるけど。最近は、気になったときに買わないと、本は書店の棚からすぐ消えてしまう。かといって、取り寄せるまでではない」
「ネットとか、電子書籍じゃだめなんですか。場所も取りませんよ?」
「本は紙だ。紙は神だ。『枕草子』の一節にも、極上の紙があったら、気分サイコーみたいな場面、あるだろ。紙が命!」

「寝室も見せてください。ここですか」
「待て、そこは」

 場所を言い当てた咲久良は、さっさとドアを開く。
 リビングや台所の散らかりっぷりには、あまり動じなかったが、ここだけは違った。

「うわあ、カオスですね、カオス。天・地・創・造」

 寝具はめちゃくちゃに乱れ、ごみやら紙類が落ちていた。
 この部屋だけは、片付けないほうが落ち着くのだ。女が来たときにだけ、散乱物をベッドの下や脇に適当に押し込む、いつも。

「ほうほう。なるほど、これはいわゆるえっちいDVDというやつですね。こういうの、としくんも観るんですねー」
「おい、高校生はだめだ。R18だ」

 拾ったパッケージを凝視してから、ようやく顔を上げる。

「こういうスタイルが好みのタイプですか、ふーん」

 じろじろ見てくる。やっぱり、興味があるのだろうか。

「う、うるさい。返せ」
「同じ人のDVD、棚にも並んでいます。小柄童顔でいわゆる巨乳。この女性、ずいぶんと、物欲しそうな顔つきですねえ。上目遣いで、媚び媚び。あー、教師と女子生徒ものもあるー! やばい! 信じられない!」
「別にいいだろ、フィクションなんだから」

 なんつーか、こいつのペースだな……常時。

「ロリコンなんですね! 私、希望を持てます。ロリコンの高校教師は、ちょっとあぶないですが。あ、今のところは通報しませんので」
「だから違うって」
 第一、お前は巨乳じゃない。『巨』をつけるには、ちょっと足りない。でも、美乳だったらうれしい。そしてウエストがくびれていたら、もっとうれしい。いや、くだらない妄想は消えろ。

「ふだん、としくんは隠していますけど、かなりいやらしいですね。学校では、風紀風紀言っているのに。ひとり暮らしでベッドも広いとか」
「ほとんどの家具は、姉夫婦の持ち物なんだ。引っ越し先まで持っていくのが大変だって言われて。上にのっかっている、寝具は俺のものだが」

「いったい、今までに何人の女性を連れ込んだんでしょうねえ。え、両手指を折っても足りないとか。衝撃」
「そんなん、数えねえな。いちいち」

 正直に、答えてなんかやらない。

「もてる男は発言が違いますね。関係した女性、数知れずなんて。私で何人目ですか、コノヤロウ!」
「お前は数に入らない。圏外」

 きゃあきゃあ言いながら、咲久良はベッドの下まで、くまなく掃除機をかけた。
 正直、高校生の咲久良には、刺激が強過ぎるものまで、いろいろ飛び出してきた。過去の女が忘れて行ったものとか、身に覚えがない逸品まで。
 日ごろから、部屋の整頓は心がけようと本気で誓った。

 たまっていた数日分の洗濯物が、ベランダで乾かされている。ひらひらと、風にたなびいている。
 全部屋、掃除機がかけられ、洗濯物もすっかりたたまれている。
 キッチンからは、おいしそうないい香りがするし、俺はただ座っているだけでよかった。

 いつになく、自宅が家庭的な雰囲気になる。
 ……亭主?

 咲久良は俺にブランチを提供してくれた。サンドイッチとスープ。サラダ。

「うまいな」

 認めざるをえなかった。いろどりもよい。

「ありがとうございます」
「お前は食べないのか?」
「私は、家で済ませてきました」 

 咲久良の前に出ているのは、スープだけだった。もう、十一時だもんな。

「デザートもありますからね、しっかり最後まで食べてくださいよ」
「デザート?」
「はい、極上の美味です。なんて、ただのヨーグルトですが。ブルーベリー入りです。冷凍のブルーベリーを、ヨーグルトに投入するとおいしいですよ」

「それは分かったが、午後はちょっと買い物に出たい」
「車でなら、行けますよ。この近辺では、知人に遭遇する可能性がありますので、遠出しませんか」
「ついてくるのか?」
「当然です。夕食のシチューの煮込みにめどがついたら、いつでもオッケーですよ。私、新しくできたショッピングセンターに行きたいと思っていたところです。ちょっと距離がありますが、車ならすぐです。パンケーキがおいしいそうで。ここです、ここ。見てください!」

 咲久良は携帯電話の画面を見せながら、身体を密着させてくる。

「としくん、甘いものも好きですよね」
「わ、分かった。だから離れろ。暑い」
 サンドイッチを食べ終わると、ふたりで買い物にでかけることになってしまった。
 念のため、変装用に帽子を被る。すっかり咲久良のペースにはまってしまい、婚約者の件など聞けやしない。

 でもとにかく、咲久良は楽しそうだった。笑顔が途切れない。学校で猫をかぶっている平均点少女ではない。
 そんなときに、家の話をしてわざわざ水を差したくないという気持ちが自然と働く。
 なにやってんだ、俺。ある意味、喰われちまっているじゃないか。相手は十歳も違うのに。

 咲久良は俺のランニング用シューズをわりと真剣に吟味してくれた。色、デザイン、フィット感。俺に、似合うかどうか。
 自分の脚に合って走れれば、見た目はあまりこだわらないほうだったが、咲久良はさすが女子だけある。細かい。

「彼女さん、的確なアドバイスですね」

 頷きながら、店員も褒めていた。
『彼女』扱いされて、咲久良はうれしそうに照れた。頬を赤くして。
 結局、咲久良に乗せられるがまま、俺にしては派手めな赤いシューズ(お値段もややお高め)に決まった。普段なら、絶対に選ばなかっただろう。

 お目当てのパンケーキも、咲久良が事前に携帯で予約してくれていたので、並ばずに食べられた。土曜日とあってか、店はとても混んでいて、長蛇の列だった。しっかりしている子だと見直すしかない。

「甘いもの、嫌いだったらどうしようと思いましたが、その調子ならだいじょうぶそうですね」
「今日はお前のせいで、特別カロリーを消費する日だ。しっかり糖分を入れていくぞ。このあとは、どうする。お前、ほしいものは」
「ほしいもの?」
「せっかくだから、なにか買ってやる。ひとつだけなら」

「まじですか! 気前いいですね。じゃ、としくんをください。特別に、えっちい成分を増量してもいいですよ。いやだー、恥ずかしい」
「バ、バカ。外でなにを。しかも、俺は売りもんじゃねえよ!」
「今夜、泊まりますね。お部屋を見て安心しました。理想的です。広いおうちにひとり暮らしで。実家暮らしとか、まさかの同棲済だったら、どうしようかと冷や冷やしていたんですよ、これでも」
「咲久良、俺にとってお前は未成年で教え子。恋人のふりったって、実際にあれこれいたす必要はひとつもない。冗談はやめるんだ」
「冗談なんかじゃありませんよ。明日は日曜ですし、ゆっくりできますよ」

「明日は朝から予定がある」
「つれないですねえ。着替えも下着も持参したのに。新品ですよ」

「あのなあ、俺に対する嫌がらせか? これ以上俺の生活を圧迫するなら、親に報告するぞ。この、ストーカーが」
「わ、逆に脅迫するんですか。これ、学校に提出しますよ。キス抱擁写真、公表されてもいいのかな、風紀を守る土方せ・ん・せ・い?」

 弱味を掌握されていた。

「じゃ、今夜はよろしくお願いします。初めてなので、たっぷりと時間をかけてやさしくしてくださいね。婚約をぶっ潰すには、既成事実がいちばん効果的なんです」

 駐車場まで戻る途中、結局、アクセサリーをねだられて買わされる羽目になった。
 咲久良の誕生石が入ったネックレスだ。ひと目で気に入ったという。お泊りのうえにおねだりかよ……。

「一生大切にします。ありがとうございました」
「ほんとうの彼氏ができたら、即ゴミ箱行きだろ。お前、彼氏を作る気はないのか。そうしたら俺もお役御免できるのに」
「ただの『彼氏』じゃだめなんです、恋人です。結婚を誓った恋人。そのためには、同世代、高校生では無理があります。経済的に包容力がある社会人じゃないと、親を説得できません」
「恋人ったって、エア恋人みたいなものだから、リアルを追及しなくてもいいだろうに。俺の友人を紹介してもいいんだぞ。比較的まじめな、話の分かる無難なやつを選んでやるから。職業は、もちろん教師以外で」

「ダメ。現実感がないと、簡単に見破られます。相手を理解しあった上での深い仲、じゃないと。私の母、冴木鏡子(さえききょうこ)っていう名前で、小説を書いているんですよ、ご存知ですか」
「冴木鏡子? 売れっ子の小説家じゃないか」
「そういうことです」

 なるほど。半端ない妄想力は母譲りか。しかも、冴木鏡子とは。
 俺は頭を掻いた。
 ……冴木鏡子。

 その名前は、忘れられない。

 かつて俺が、つたない原稿をどうにか仕上げて応募した、小説の新人賞で最終候補に挙がったとき、受賞を争った相手だ。
 片方は受賞し、華々しく衝撃の文壇デビュー。もう片方は落選、地味な高校教師に落ち着いている。

 あのとき、もしも冴木鏡子が応募していなければ、あの年の新人賞は自分のものになっていたかもしれない。デビューして小説家になり、思い描いていた夢の道を突き進んでいたかもしれない。

 そう思うと、ちょっとだけ胸が痛んだ。
 とうに諦めたはずなのに、まだ感傷の残滓が己の奥深くに暗く澱んでいた。

「分かった。外泊を、親にうまくいい訳できるなら、泊めてやろう」

 そう答えたのは、なにも冴木鏡子に復讐してやろうというのではないはずだ。咲久良は咲久良なのに。
 俺の心の内を知るはずもない咲久良は、助手席のシートの上で飛び上がるようにして喜んだ。

「うわ! よかったー。今夜も、婚約者が来る予定なんですよ。家の中には絶対にいたくなくて」
「でも、お前の家って豪邸じゃないか。自分の部屋に籠っていたらお客人がいても関係ないだろ」
「関係あります。大ありです! あの人、深夜になると……夜這い、してくるんです。母も公認だから、たちが悪くて。私の部屋の合鍵も持っているし、家には逃げ場がないんです」

「夜這い? 高校生に? 待て、それは犯罪じゃないか。どんな相手なんだ。言いたくなかったら言わなくてもいいが、それは教師としても、としくんとしても許しがたい」
「父の側近。一応、今では秘書扱いですよ。もとは母のスケジュール管理をしていたアルバイトで、母の浮気相手です」

 そのとき、俺はハンドルを握った手が、すっと冷たくなってゆくのを感じた。咲久良の表情を確かめたかったけれど、こういうときに限ってずっと先まで、無情にも青信号が続いている。

「同情してほしいなんて、考えていません。父は、母方の祖父の選挙地盤を継ぐための婿養子で、咲久良家では浮いています。私が小さいときから、咲久良家は変な家でした。坂崎(さかざき)さん……婚約者だって、今は母のお気に入りというだけで、この先はどうなるかまったく分かりません。坂崎さんは、私の三人目の婚約者なんです。母に振られたら、婚約は解消。だから坂崎さんも、私を早く手に入れようと、必死なんです」
「さんにんめ?」
「前のふたりは、母に飽きられて捨てられました」

 普通に見える女子高生の身の上に、重たいものが乗っかっていたとは。俺は、かけるべきことばを探していた。

「父親には、相談したのか?」
「父は、母のやることを黙認しています。毒にも薬にもなりません。母に嫌われた人生おしまいの人です。だから、家にはあまり寄りつきません。私にも関心がないみたいです」
「身内に、味方がいないってわけか」

「お祖母ちゃんが生きている間はよかったんです。母に意見をしてくれました。お祖母ちゃんは離れに住んでいたので、私もそちらに長くいました。ほぼ毎日。脚が悪かったので、身の回りのことをしたり、学校のことを話して聞かせたり、楽しかったです。高校、お祖母ちゃんの母校なんですよ。でも、先月亡くなって。母や坂崎さんの行動も過激になってきて……」

 確かに、咲久良は先月、身内の忌引で数日間休んだ。そういえばあれは、祖母の喪だった。唯一の、味方だったのか。咲久良の調査票には、祖母と同居とあったが、あの記述は今年度当初のものだ。

「それで俺を誘惑した、と」
「母の見よう見まね。襲われて結婚なんて、絶対にイヤ。『源氏物語』に、そういうお姫さま、いましたよね。私は、イヤ! こっちだって、必死なんです」

『源氏』……玉鬘、のことか。光源氏が大切にしていた義理の娘だが、髭もじゃ男に夜這いされ、結婚という形をとって連れ去られてしまった。

「だからって、いつまでも逃げ惑うわけにはいかないだろ」
「……はい」

 そのあとは、マンションの駐車場に着くまで、俺たちは無言だった。
 咲久良を俺のものにすれば、咲久良は安心できるのだろうか。
 いや、本気で俺のことを好きとは思えない。それでも、婚約者よりはいくらかましな位置づけってところだろう。

 駐車場から部屋に戻るエレベーターの中で、咲久良が俺に寄りかかってきた。

「私、学校辞めますから、としくん結婚してください。それなら、問題ないですよね。今すぐに入籍しなくても構いません。あの家にいたくない」
「咲久良、しっかりしろ。お前はまだまだ若い。俺みたいな、収入の少ない三十手前の男に騙されてもいいのか」
「としくんなら、騙されたいです。公務員万歳。あーあ。今夜、としくんの赤ちゃん、できないかなあ。そうしたら絶対責任取ってくれますよね、もちろん」

「泊めるとは言ったが、一緒には寝ないし!」
「冗談ですよ、冗談。あわてているとしくんも、かわいいですね。いろいろ遊んでいそうなのに、うぶで」

 部屋に戻ってくるころには、いつもの咲久良に戻っていた。

 ご丁寧にも、咲久良は家から赤ワインを土産に持参していた。
 豪邸のリビングに飾ってあったのを、くすねて来たらしい。多少、ビーフシチューの煮込みに使ったようだが、残りは俺の胃の中にすっかりおさまった。
 馥郁としていて、実に香りのよいワインだった。なんとなくラベルを見たら、かなりのヴィンテージものだった。料理に使うなんて、もったいないほどの逸品。確かに、すぐに飲まないで、飾っておきたくなるワインかもしれない。

 しかし、酔ってしまった。

 料理はうまいし、酒もよかった。目の前には、生脚をさらけ出した若い女。据え膳というやつだ。

「としくん、もう一杯どうですか」

 しかも、もっと飲めと要求してくる。

「口移しなら飲む」
「いやっ、おやじっぽい」
「『じょしこうせい』から見たら、二十七歳はじゅうぶんおやじだろ」

 そう言いながらも、咲久良は俺の要求に忠実に応えた。咲久良の唇は、熟成された極上の赤ワインよりも甘く、うっとりするほどやわらかい。

「たぶんこのまま、押し倒すと思う。初めてが酔っ払いの勢いで、いいのか」
「ちょっと嫌ですけど、そんな悠長なことは言えません」

 咲久良の首もとで、先ほど買ってやったネックレスが光った。かわいいやつだ、もう身につけているとは。恋人のふりのつもりが、けっこう本気なのかもしれない。
 教え子でも、これは我慢ならない。俺は、咲久良の首筋をなぞるように唇を這わす。咲久良が小さく喘いだ。やばい、本気で野獣モードになってしまう。

「いい声で啼くもんだな、初めてのくせに」

 そのまま俺は、咲久良の上に覆いかぶさって……意識を失った。