翌日、俺は出張で午後からの出勤だった。
調べ物があったので、県立図書館まで出て、それから高校へ行った。高校の教師だ、それぐらいはする。たまに。
今日は受け持ちの授業がない。午後はみっちり、書類の整理に明け暮れる。下校前のクラスホームルームを済ませ、創作文芸部に少し出席するつもりでいた。
遠くから見た限り、咲久良は淡々と過ごしている。
あれほど言ったのに、あいつからはメールも電話も来ない。屈辱を覚えながらも、俺のほうからメールをしてやったのというのに、返事もないのだ。今どきの女子高校生の多くは、携帯依存症ではないのか?
そのくせ、俺を凝視してくる。気がついて、俺が視線を送ると途端に目を逸らしてくる。あからさまに。
放課後。
部の活動を行っている、国語準備室に脚を向けた。
文芸創作部は、作品を仕上げることに重点を置いている。文化祭と年度末に二冊、部誌を発行しているので、それが大目標。
残りの時間は、もっぱら個人の創作時間で、部活のある日は最近読んだ本や観た映画の感想とか、執筆に使うパソコンの環境設定などについて話し合っている。
今どきのやつらは『原稿用紙何枚分』なんて、言わない。『何万字』あるいは『何KB』だ。時代を感じる。
作るものは、文字を基本としていれば、なんでもいいことになっている。小説、詩、短歌、まんがでもコミックエッセイでもいい。高校生の感性で書かれたそれらは、つたないものもあり、しかし光るものも数多い。
いいなと思ったものは、積極的に公募へ出すよう、俺は勧めている。そうやって今までに数人、公募でも入賞できた。もちろんこれは俺の力ではなく、生徒の努力によるものだ。努力は自信につながる。
俺は生徒の背中をそっと押してやったにすぎないし、成果を自慢するつもりもない。
ドアをノックして準備室へ入る。今日は七人、集まっていた。部活のかけもちをしている生徒もいるので、いつもこんなものだ。俺が部屋に入ると、皆一様に驚いた顔をした。
「珍しいですね、土方先生が部活を見に来てくださるなんて」
「俺に構わないで続けてくれ。俺は外野」
異端扱いされてしまった。そう言いながら、俺は部員を見渡した。咲久良がいる。みな、田舎のブンガク少年少女っぽいのに、今どき容姿の咲久良だけひときわ垢抜けていて、まるで異物だ。浮いていた。俺とは異質どうし、なのか?
「差し入れだ」
テーブルの上に、袋を置いた。
売店の自販機で買ってきた飲み物を部員たちに、配ると歓声が上がった。外見はオトナに近づいていても、こういう素直なところは、まだまだ幼いと思う。
「いただきます」
「ありがとうございます」
「どれにしよう?」
ミルクティーを選んだ咲久良は、俺のほうに軽く会釈をしたが、顔は上げなかった。まあ、いい。期待しているわけでもない。(偽装)恋人として、あからさまに親密な態度をとられても困る。なんとなく、俺も直視できないでいる。
俺は残った缶コーヒーを手にし、部員からやや離れた窓際の席に着いて日誌を書くことにした。
この部屋はとにかく資料の入った段ボールが多い。未整理のまま、捨て置かれた紙類がタワーを形成していて、まっすぐ歩けない。
なにか起きたら困るので片づけてほしいと、事務に何度も注文をつけられたけれど、資料の山々は過去の遺物であり、歴代の国語教師になんとなく引き継がれているだけだ。俺も、これを放置したまま数年後に異動するだろう、きっと。
どうにか、集まった人数だけ座れるように配置されているテーブルをよけて、俺は窓際にたどり着いた。
狭いけれど、この部屋で部活をするのは、やっぱり資料が多いからだ。右手を伸ばすだけで国語辞書。左手には百科事典。教科書によく載っている作家や古典作品もすぐ届く位置にある。図書室だと広いので、こうはいかない。ものぐさな人間の部屋、みたいなものだ。
今日の部活では、先日訪問した文学館での感想を述べ合っている。俺は聞いているだけ。口は挟まない。
咲久良は積極的に発言しないものの、問いを投げかければ答えるし、古今東西わりと本を読んでいるらしく、この高校では成績優秀な部長とも対等に議論を交わしていた。
国語のみならず、咲久良は全般的に成績は普通だったはずなのに、かなり聡明だった。成績を上げないよう、わざとコントロールしているのかとさえ疑ってしまう。部には同じクラスの人間がいないぶん、やりやすいのかもしれない。
表面上、咲久良が平均点少女を偽装しているようだと、俺は感づいた。
次回の活動日は翌々週と決まり、それぞれ創作物を持ち込むことに決めた。
「あの、共通のテーマを決めませんか?」
咲久良が発言した。
「それは、競作ってことかい」
部員のひとりが反応する。
「はい。たとえば、恋……とか」
難しいな、と一同がざわついた。
おいおい、よりによって恋とは俺への挑戦状か。咲久良が、俺のほうを睨むように見つめながら、ほほえんでいる。俺の心もざわついた。
「難しいほうが手応えがあっていいと思うよ。ねえ、土方先生?」
部長が全員を叱咤する。新入りの、創作初心者には負けられないのだろう。部長は知識が先走ってしまって、あまりいい小説を書けない。小論文や評論はうまいのだが、いつでも書き手である自分が文章にちらほら顔を出してしまう。
「よし、テーマは恋。短編小説でも、詩でも、短歌でも、なんでもいい。四コマまんがでもね。形式は自由。ただし、全員提出のこと。今日欠席の部員にも厳守させる」
締め切りは部活の前日まで、提出先は部長となった。
調べ物があったので、県立図書館まで出て、それから高校へ行った。高校の教師だ、それぐらいはする。たまに。
今日は受け持ちの授業がない。午後はみっちり、書類の整理に明け暮れる。下校前のクラスホームルームを済ませ、創作文芸部に少し出席するつもりでいた。
遠くから見た限り、咲久良は淡々と過ごしている。
あれほど言ったのに、あいつからはメールも電話も来ない。屈辱を覚えながらも、俺のほうからメールをしてやったのというのに、返事もないのだ。今どきの女子高校生の多くは、携帯依存症ではないのか?
そのくせ、俺を凝視してくる。気がついて、俺が視線を送ると途端に目を逸らしてくる。あからさまに。
放課後。
部の活動を行っている、国語準備室に脚を向けた。
文芸創作部は、作品を仕上げることに重点を置いている。文化祭と年度末に二冊、部誌を発行しているので、それが大目標。
残りの時間は、もっぱら個人の創作時間で、部活のある日は最近読んだ本や観た映画の感想とか、執筆に使うパソコンの環境設定などについて話し合っている。
今どきのやつらは『原稿用紙何枚分』なんて、言わない。『何万字』あるいは『何KB』だ。時代を感じる。
作るものは、文字を基本としていれば、なんでもいいことになっている。小説、詩、短歌、まんがでもコミックエッセイでもいい。高校生の感性で書かれたそれらは、つたないものもあり、しかし光るものも数多い。
いいなと思ったものは、積極的に公募へ出すよう、俺は勧めている。そうやって今までに数人、公募でも入賞できた。もちろんこれは俺の力ではなく、生徒の努力によるものだ。努力は自信につながる。
俺は生徒の背中をそっと押してやったにすぎないし、成果を自慢するつもりもない。
ドアをノックして準備室へ入る。今日は七人、集まっていた。部活のかけもちをしている生徒もいるので、いつもこんなものだ。俺が部屋に入ると、皆一様に驚いた顔をした。
「珍しいですね、土方先生が部活を見に来てくださるなんて」
「俺に構わないで続けてくれ。俺は外野」
異端扱いされてしまった。そう言いながら、俺は部員を見渡した。咲久良がいる。みな、田舎のブンガク少年少女っぽいのに、今どき容姿の咲久良だけひときわ垢抜けていて、まるで異物だ。浮いていた。俺とは異質どうし、なのか?
「差し入れだ」
テーブルの上に、袋を置いた。
売店の自販機で買ってきた飲み物を部員たちに、配ると歓声が上がった。外見はオトナに近づいていても、こういう素直なところは、まだまだ幼いと思う。
「いただきます」
「ありがとうございます」
「どれにしよう?」
ミルクティーを選んだ咲久良は、俺のほうに軽く会釈をしたが、顔は上げなかった。まあ、いい。期待しているわけでもない。(偽装)恋人として、あからさまに親密な態度をとられても困る。なんとなく、俺も直視できないでいる。
俺は残った缶コーヒーを手にし、部員からやや離れた窓際の席に着いて日誌を書くことにした。
この部屋はとにかく資料の入った段ボールが多い。未整理のまま、捨て置かれた紙類がタワーを形成していて、まっすぐ歩けない。
なにか起きたら困るので片づけてほしいと、事務に何度も注文をつけられたけれど、資料の山々は過去の遺物であり、歴代の国語教師になんとなく引き継がれているだけだ。俺も、これを放置したまま数年後に異動するだろう、きっと。
どうにか、集まった人数だけ座れるように配置されているテーブルをよけて、俺は窓際にたどり着いた。
狭いけれど、この部屋で部活をするのは、やっぱり資料が多いからだ。右手を伸ばすだけで国語辞書。左手には百科事典。教科書によく載っている作家や古典作品もすぐ届く位置にある。図書室だと広いので、こうはいかない。ものぐさな人間の部屋、みたいなものだ。
今日の部活では、先日訪問した文学館での感想を述べ合っている。俺は聞いているだけ。口は挟まない。
咲久良は積極的に発言しないものの、問いを投げかければ答えるし、古今東西わりと本を読んでいるらしく、この高校では成績優秀な部長とも対等に議論を交わしていた。
国語のみならず、咲久良は全般的に成績は普通だったはずなのに、かなり聡明だった。成績を上げないよう、わざとコントロールしているのかとさえ疑ってしまう。部には同じクラスの人間がいないぶん、やりやすいのかもしれない。
表面上、咲久良が平均点少女を偽装しているようだと、俺は感づいた。
次回の活動日は翌々週と決まり、それぞれ創作物を持ち込むことに決めた。
「あの、共通のテーマを決めませんか?」
咲久良が発言した。
「それは、競作ってことかい」
部員のひとりが反応する。
「はい。たとえば、恋……とか」
難しいな、と一同がざわついた。
おいおい、よりによって恋とは俺への挑戦状か。咲久良が、俺のほうを睨むように見つめながら、ほほえんでいる。俺の心もざわついた。
「難しいほうが手応えがあっていいと思うよ。ねえ、土方先生?」
部長が全員を叱咤する。新入りの、創作初心者には負けられないのだろう。部長は知識が先走ってしまって、あまりいい小説を書けない。小論文や評論はうまいのだが、いつでも書き手である自分が文章にちらほら顔を出してしまう。
「よし、テーマは恋。短編小説でも、詩でも、短歌でも、なんでもいい。四コマまんがでもね。形式は自由。ただし、全員提出のこと。今日欠席の部員にも厳守させる」
締め切りは部活の前日まで、提出先は部長となった。