美穂は十七歳になっていた。諸星さんとは乾杯以降会っていない。『ロード』にすら出入りしていないようだった。諸星さんがいなくなった頃から変な噂を耳にした。むしろ、耳にせざる負えなかった。テレビから流れてくる。
〝宗教法人『ロード』未成年者をレイプか〟
 報道が相次いでいた。ニュースのネタはこうだ。

〝宗教法人『ロード』の教祖である湯浅影由は未成年及び成人した女性に対し、宗教的修行と称しレイプを行っている。さらには激しく抵抗、拒否した女性を殺害している〟という情報がもたらされた。ニュースによれば内部情報ということだった。ということは、『ロード』からの密告ということになる。
 黒岩にそれとなく聞いたことがある。

「事実無根だし、それに関してはノーコメント」
 いつもの饒舌さはなくどことなくいつもの余裕を美穂は感じられなかった。
『ロード』には芸能人も入信していて、なるべく素性をばれないようにしているらしいが、オーラでわかる。やはり芸能人のように先が見えない業界だと最終的には宗教という心の拠り所を求めるのかもしれない。それは一般の人も一緒だが。

 ある一人の芸能関係者が美穂に近づき、「ファッションモデルをやってみないか?いずれは社会にでなければならないんだから、早めの社会勉強と思ってどうだい」と名刺を差し出してきた。そのモデルというのは十七、十八、十九歳の読者を対象としたハイティーン向けのファッション雑誌だった。

 美穂はとくにやりたいこともなかったので、「一回だけ」と言って承諾した。後日、都内にあるスタジオで撮影をした。カメラマンがいて、ディレクターという肩書きの人物が的確な指示を出していた。たった一枚のの写真が雑誌に掲載されるだけなのに、百枚、二百枚と撮影をしシャッターを押す。その度に、「ああ、その角度いいね」「もっと輝いた表情ちょうだい」「嬉しいときはどんなとき?」「心に薔薇は咲いているの?」とよくわからないカメラマンのポーズ要求であったり、指示が飛ぶ。モデルの自然な表情を撮るために仕方なく慣れない冗談を言うらしい。衣装もスタイリストがついて、着せ替え人形のように変えさせられ、メイクも常時入念なチェックが入る。そのきめ細やかさにプロの仕事というのは細部を異様に重要視するものなんだ、と美穂は感じた。そういうプロフェッショナルな仕事ぶりを観察するだけで、自分も成長できそうな感覚にまで襲われた。

「ハイOK」とカメラマンのかけ声と共に撮影は終了し、数ある中から美穂が一番映えるものを選び出し、その日は終了となった。

 それから雑誌が発売されるや否や予想外の事が起こった。「このモデルは誰だ?」「名前を載せろ」「あなたの虜です」「こういう体型になりたい」だとか、女性からも多かったが男性からの反響が多かった。女性向けの雑誌で男性がこういう意見を寄せるのは珍しい、と編集者に言われた。
 それからは専属モデルとして契約を交わしモデル事務所にも所属した。テレビや地方のCMにも出演するようになり美穂の露出は増えていった。忙しくなるにつれ、『ロード』へ行く機会は減り、徐々に遠のいていった。
 気づけば十八歳を終えて春を迎えていた。その年の春は凍えるような寒さでコートが手放せなかった。


「大活躍ですね、美穂さん」
 黒岩からの電話だった。数年ぶりに美穂は声を聞いた。
「お久しぶりです。黒岩さん」
 美穂は張りのある声で言った。

「『ロード』出身者は優秀な人材が多いから。結構。結構。これからも精進していってくださいよ」
 ハハハ、と昔と変わらず黒岩は陽気だった。

「あれ、なんか音楽聴いてます?」
 電話越しだが美穂の耳にメロディーが届いていた。

「おお、気づきましたか。『ビートルズ』の『Oh! Darling』を個室で聴いています」
 美穂は腕時計を確認した。自由時間なのだろう。正午を少し回ったところだった。

「アビ・ロードに収録されてる曲ですよね」
 メンバーのポールはこの曲のヴォーカルをレコーディングする際スタジオに一番乗りして一日にワンテイクのみ録音。喉が潰れるのを覚悟した上で、納得がいくまで前のテイクを消してレコーディングしている。美穂はポール・マッカートニーが好きだ。とくに流麗なベースラインが耳を水辺に誘う。心を癒し、落ち着かせ、穏やかにさせる。
「さすがに詳しい。美穂さん。ベースお上手でしたもんね。
 Oh darling, please believe me オーダリン どうか信じてくれ
 I'll never do you no harm   決して君を傷つけたりしない
 Believe me when I tell you 僕の言うことを信じてくれ  
 I'll never do you no harm」  決して君を傷つけたりしない

「さらには、美穂さん歌っちゃってますもんね」

 二人はフフ、と苦笑した。美穂はこの曲が好きだ。人は孤独を抱えて生き、誰かに寄り添いたい生き物なんだな、と。そして男の弱さを露呈し、全てをさらけ出しているのに、好感を抱く。さらにはベースという単語を聞くと、諸星さんを思い出す。彼女はどうしたのだろう。

「諸星さんは、『ロード』に足を運んでます?」
 美穂は訊いた。
 電話越しに無音が続く。

「それはいずれわかるますよ」
 どこか黒岩は陽気さとは無縁の声音を発した。突然天候が急変した空のように。

 気まずい、と思ったのかその後はいつもの黒岩節が戻り、快活な口調で美穂を楽しませてくれた。そして、電話が切れた。
 その黒岩との電話から三ヶ月後だった。
 宗教法人『ロード』に、東京地検特捜部が捜査令状を片手に強制捜査に踏み切った。その映像をテレビ曲の楽屋で美穂は眺めていた。
 うそでしょ?
 なんで?

 突然に見開かれた映像に動揺を隠せない。心を開かせてくれた『ロード』道を示してくれた『ロード』再出発をさせてくれた『ロード』この光景は嘘だと美穂は思いたかった。

「結構、有名人や、財界人も入信してるらしいね。この『ロード』に」
 でっぷりと肥え、女性のことを性処理道具としか思ってない(その天罰か数ヶ月後に過度のセクハラがバレ、本人は謹慎で済むと思ったが予想を裏切り強制退社させられる)テレビプロデューサーが言った。

「そうなんですかあ」
 素知らぬ顔で美穂はぽつりと言う。『ロード』がこんなことになってしまった関係上、黙ってる方が得策と彼女は思った。
「うん。だから寄付金とか相当な額だと思うよ。その金も〝ダーク〟なところに流れているっていうしね」

「ダーク?」

「地下組織とかだよ。まあ、闇組織とでもいうのかな。犯罪に手を染めた資金を洗浄したり、つまりはマネーロンダリングね。海外にはそういうことを可能にしてしてくれるタックスヘイブンたるものがあるからね。まあ、金持ちだけに許された権利でもあるけどさ。それにしても画面みてると、みんな顔が寂しそうだね。孤独って辛いよな。俺も早く結婚したいよ」

 そう言い豚足のような手を美穂の肩に置いた。それを彼女はあっさりと払う。

 セクハラ男の発言は美穂にも理解できる。たしかに寂しいのだ。心にぽっかりと穴があき、みな拠り所を求めてる。今はサラリーマンも学生も。もちろん有名人もどこか先の見えない不安に駆られている。なにか一つの欠落を埋めたい、寄り添い、たいと思うのは当然であり、だからこそ宗教というものがあるのかもしれない。

 美穂は画面を見た。見知った顔も何人かいた。驚き、訝り、警官を罵倒し、瞑想にふけるものもいた。

 一人の若い警官がインタビューに答える。

「こんな施設が足立区にあるということが驚きです。内部は洗練されていてシンプルな建築構造なんですよ。シリコンバレーにあるオフィスみたいなんです。もしくくは超高級な大学って感じです。優秀な人も多いとです」

 読書感想文のようなことを警官が延々と喋り、画面が俯いたままジャケットを頭に被されてる男の映像に切り替わった。

 この人が教祖?美穂は教祖を見たことがない。いや、それには語弊がある。いつも瞑想場にスクリーンがあり、映写機に映し出される黒いシルエットでしか登場しないからだ。いつも幹部が、「教祖は影だ。黒い影だ。影を操る」と言っていたが、美穂は、それはないだろう、と苦笑した記憶がある。

 が、他の信者たちは、「素晴らしき教祖様」と頭を下げていた。完全に洗脳されていることは明白だった。美穂は、どこか達観していたのか、諸星さんのベース教育のお陰か、はたまた黒岩という幹部と出会ったせいか、とくに洗脳らしき徴候はなかった。それでも、どこか寂しい、という感情はある。この時点で洗脳されているのかもしれない、と彼女は思う。
 テレビ画面に、〝教祖逮捕〟のテロップが流される。

 美穂は教祖を見る。ジョン・レノンのように髪を伸ばしていた。ジョン・レノンのように清潔感はない。やはり日本人がやるには難易度が高い髪形らしい。さらに最大の問題点は、肥えていることだ。お尻も垂れている。脂肪がでっぷりとついていることは誰の目にも明らかだった。
 テレビから次のテロップが流された。〝教団幹部黒岩 殺人供与の疑いで逮捕〟
 これにはさすがに美穂も、「えっ」と声を思わず上げた。
 あの黒岩が殺人?黒岩との電話を美穂は思い出した。一瞬だけ垣間見せた暗い声。井戸の底のような闇を。
 生中継である映像が慌ただしくなる。おい、回せ、回せ、とディレクターらしき声がする。「何か動きがあるぞ」とセクハラ男がテレビマンの勘で言い放った。
 その通りになった。

「多数の死体が四階で発見された模様。未成年にも満たない女性も含まれていることです。四階へ昇るには隠し階段があり、そこに教祖は死体ともに寝そべっていたということです。死体保存のため四階は極寒の地とされている、という情報であります。以上です」
 男性レポーターは興奮と恐怖が織り交ぜになり声を震わせながら言った。

 美穂は四階を知らない。三階までしか知らない。そこでなにを行っていたのか、かつての『ロード』に対する報道が彼女の頭をよぎった。
〝未成年者へのレイプ〟
 これが行われていたのだろうか。美穂にはわからなかった。
「それにしても、この『ロード』という宗教は美人が多いねえ。男の欲求を刺激するよ」セクハラ男の卑猥な声が楽屋に響き渡った。


 教祖逮捕から一年が過ぎ、次第に全貌が明らかになった。教祖は、未成年者及び成人女性に対し、宗教的行為と称してレイプし殺害。被害者の女性は全員〝処女〟とのことだった。黒岩及び幹部達は、その事実を知りながらも黙秘を続けていた。だが、黒岩だけは違った。罪の意識に苛まれ、マスコミ各社に情報をリークしていった。そう、内通者は黒岩とのことだった。『氷河期』という未来の不安、弱者の心につけ込み利用する悪魔的宗教として『ロード』は徹底的にあらゆる方面から糾弾され、信者の数は激変し、小規模の組織体となった。週刊誌には教祖の言葉が載せられていた。
〝処女と交わりはし不老得り〟、と。
 美穂は週刊誌を閉じた。

 一つの解答が得られた。美穂が教祖にレイプされなかったのは、〝処女〟ではなかったからだ。肩の力が抜け、彼女はほっとした。
 が、すぐに涙が頬を伝った。被害者の一人に知っている名前がいたからだ。諸星幸絵、と。