「和宏……」

歩道に出て、歩き出そうとしたその時。

「お待たせ」

すぐうしろで声がしたので思わず悲鳴をあげてしまう。

「シーッ。俺だよ」

ニヤッと笑う和宏に、胸を押さえながら私は涙ぐんでいた。

「驚かさないでよね……」

「悪い悪い。たぶん普通のサラリーマンみたいだった」

「本当に?」

「ああ。でも結局、見失っちゃってさ。とにかく人通りのある道へ行こう」

そう言って歩き出す和宏に、まだ鼓動の速い胸を落ち着かせながらついて行く。
前を行く和宏が注意深くあたりを観察している。
やがて大通りに出るとようやくホッとできた。

はあ、とため息をつけばひときわ濃く白い息が生まれ宙に溶けた。
「なんだよ、ため息ばっか。芽衣らしくないな」

和宏が笑って顔をのぞきこんでくるので、ムッとする。

「だって怖かったし……」

「まあな。でも気にすることないよ。俺が守ってやるからさ」

こんなときなのに、また胸が痛くなる。うまく返事ができない私に和宏がニヒヒと笑い声をあげた。

「芽衣、なんだか女子みたいだぞ」

「なによ。私だって、一応女の子なんだからね」

「一応、な」

「あんたねぇー!」

パシーーン 
和宏の頭を叩く音が夜の街に響き渡った。
ゲラゲラ笑う和宏につられるように私も笑った。
だけど、私は知ってしまった。
私の胸にはもう、和宏が存在していることを。
結菜への懺悔の気持ちよりももっと強い想い。


私は、和宏のことが好きになってしまったのかもしれない。



【第四章】「ウイルス」





【SideA 香織の日記】



11月11日(金)

『香織様

どうしてあなたは私を苦しめるのですか?
私が贈った花束を、あなたはゴミ箱に捨てましたね?
なぜなのでしょうか?
私はあれから苦しくて苦しくて、食事も喉を通らない毎日です。

もしも裏切るならば、私にも考えがあります。
これ以上、私を怒らせないようにしなさい。
でないと、きっと後悔することになる。

あなたの恋人より』
この手紙をもらってからの記憶があいまいなの。

お兄ちゃんがあとで教えてくれたんだけど、わたしは手紙をビリビリに破りながら泣いていたんだって。


それからは眠れなくなった。

寝てもすぐに起きて、こわくて泣いてばかり。

学校にも行けなくなり、毎日死んだように過ごした。


お母さんやお兄ちゃんにも当たり散らし、暴れて手がつけられなくなったって……。

記憶はないけれど、きっと本当のことなんだろう。

身に覚えのない傷あとが体のあちこちにある。

ぜんぶ痛い。

体も心も痛くてたまらない。
今日はお母さんに連れられて病院へ行った

カウンセリングというのを受けた。

薬を渡されて飲んだらすごく気持ちがラクになった。

頭もすっきりしたので、久しぶりに日記を書くことができたの。

でも、すごく体がだるい。
11月16日(水)

薬がきいているようで、前よりはご飯も食べられるようになった。

だけど、ひとりでいると勝手に体が震えてしまう。

病院にもう一度連れて行ってもらった。

先生に何度も「助けて」ってお願いしたら、入院をすすめてくれた。

病院の建物には精神病棟というのがあって、セキュリティがしっかりしているみたい。

絶対にストーカーは入ってこられないんだって。

それを聞いたとたん、いっぱい泣いた。

なんでこんなことになったんだろう、って。

でも悲しみと同じくらいホッとしたのもあったと思う。

明日から入院することになりました。
11月22日(火)

わん君は毎日学校の帰りに会いにきてくれる。

面会時間が短いせいでゆっくりはできないけれど、毎日の中でうれしいひととき。

家にもストーカーからの手紙は来ていないみたい。

でも、わたしにとってはここが世界でいちばん安全な場所。

むしろもっと早く入院すればよかったと思う。


看護師さんたちもみんな親切。

特に担当の藤本さんはすてきな女性。

まだ怖くてたまにパニックになっちゃうことがあるけれど、藤本さんと話をすればスッと落ち着くの。

症状がおさまれば、病院から学校に通うこともできるって。

きっといつか普通の毎日に戻れる。

それが楽しみ。