朝、高校へ登校していくと、校門が近づくにしたがって、学生の数が多くなっていく。その中でも一際、目立つ長身の男子がけだるそうに、僕と瑞希姉ちゃんの前を歩いている。瑞希姉ちゃんは僕から手を放すと、スルスルと前へ走っていって、その長身の男子の手首を捕まえる。


「悠、おはよう。今日は、あなたにお話しがあるの。蒼ちゃんから聞いたんだけど、昨日の放課後に、スィーツ店へ行って、わたしの過去をバラしたんですってね。悠にしては、いい度胸してるじゃない。私に何か言うことがあるんじゃないかしら」


 手首を掴まれた悠は瑞希姉ちゃんの顔を見て、ゲっという顔をしている。悠は逃げ出したいようだが、しっかりと手首を掴まれているから逃げられない。


「どうして私の過去なんてバラすのよ。そんなことするなら、悠の過去を新聞部に報告するけど、それでもいい?」


「瑞希姉ちゃん、俺達が悪かったよ。許してくれよ。でも、その女子達は瑞希姉ちゃんのファンで、瑞希姉ちゃんのこと尊敬していて、瑞希姉ちゃんの小さい頃を知りたがっていたから、仕方なく話しの流れで、つい話しただけなんだ。それも俺が話したわけじゃない。ほとんどは蓮が話した。俺は横で頷いていただけだ」


 長身で、短髪にしていて、体もガッシリとして、男らしい精悍な顔つきをしている悠が、背が低くて、きれいで可愛い瑞希姉ちゃんに、問い詰められている姿は、なんとなくユーモラスで、心温まるものがある。


「蓮が話したとしても、あなたも横で頷いていたなら同罪よ。蓮に罪をなすりつけるなんて、悠らしくないわ」


「ごめんよ。瑞希姉ちゃん、これからは過去のことは、絶対に言わないから、許してくれよ。こんな校門の近くで、学生が沢山通っている道路で、説教するのだけは止めてくれ。俺が悪かった。ごめんなさい」


 悠がペコペコと頭を下げている。これ以上は可哀そうだと思い、僕は瑞希姉ちゃんと悠に近寄った。


「瑞希姉ちゃん、こんなところで説教されたら、悠もたまらないよ。反省してるみたいだし、許してあげて・・・ね」


「もう、蒼ちゃんがそういうなら、このくらいで許してあがるわ。次は許さないからね」


 僕は悠の背中を優しくポンポンと叩いた。悠も僕の肩をポンポンと叩いてくる。


「あ、そういえばお弁当を渡すの忘れていたわ。はい。蒼ちゃん、お弁当」


 学生が往来する校門前で、お弁当の袋を渡された。他の生徒から視線が僕に集まる。これは恥ずかしい。


「ありがとう。瑞希姉ちゃん。お昼、楽しみに食べさせてもらうよ」


 僕は瑞希姉ちゃんにお礼を言って、歩き始めた。瑞希姉ちゃんもにっこり笑って、僕の横を歩く。悠は僕達の後ろを緊張しながら歩いている。よほど、瑞希姉ちゃんが苦手なようだ。



 僕達が歩いていると、すぐ横をスルスルと走っていく人物がいる。蓮だ。瑞希姉ちゃんから逃れるように、人混みの中をスルスルと走っていく。


「こら~蓮、止まりなさい。私は蓮に話したいことがあるの~」


「俺は瑞希姉ちゃんに話すことなんかな~い」


 蓮は後ろを一瞬、振り向いて、それだけ言うと校門の中へ走っていった。


「あ~もう。蓮は昔から、逃げ足だけは早いのよね。昔も捕まえるのが大変だったけど、高校に入ってから余計に面倒くさくなったわね」


 瑞希姉ちゃんの顔が悔しそうだ。へ~、瑞希姉ちゃんって、こんな顔をする時もあるんだな。僕の前ではいつも、にっこりと笑っている顔しか見たことがないから、新鮮だ。


 校門を潜り抜けて、校舎に入って、靴箱の所で、瑞希姉ちゃんと別れた。悠が僕の隣に立つ。


「蒼大、瑞希姉ちゃんにバラしたな。俺まで怒られたじゃないか。なぜ、お前の所で止めておかないんだよ」


「仕方ないじゃないか。昨日、帰りが遅くなって、家に帰ったら、瑞希姉ちゃんがいて、しつこく、どこに行ってたのか、問い詰められたんだから。僕も被害者の1人だよ」


「なるほどな。蒼大が帰宅するのが遅くなったら、瑞希姉ちゃんが心配するのも無理ないか。昔と変わらないな」


 悠と雑談をしながら、階段を上って、2年3組の自分達の教室へ入る。すると既に蓮は教室にいて、芽衣に何かを話しかけては、顔を逸らされている。たぶん放課後のお誘いを、朝からしているのだろう。


 僕と悠はそれぞれ、自分達の席へ向かった。席に座って、弁当の袋を机の中へ入れる。鞄を机の横へ引っかけて、教室の中を見回すと、蓮がまだ芽衣の周りをちょこまかと動いている。芽衣は困ったような顔をキョロキョロしている。あ、目が合った。


 ため息を一つ吐いて、席を立って芽衣の机に向かう。芽衣は相当に困っているようだ。


 少し垂れた目尻が一層、下がっている。優しくきれいな二重に、奥深い瞳が憂いを含んでいるような印象を与える。少し低くて小さい鼻、可愛い唇がきれいさを増す。薄い縁のある眼鏡をかけて、髪の毛は肩の所で1つに結わえられている。すごいなで肩で、おっとりとした雰囲気が、芽衣の周りを包み込んでいる。


 クラスの中では、誰にでも優しくて、おっとりとしていて、お姉さんのような存在だ。


「おはよう。芽衣。何か困っているように見えたけど、どうしたの?」


「うん、困ってたの。朝から蓮が離れてくれないの。今日はまだ咲良が学校に来ていないから、咲良を口説けないって。だから私を放課後にデートに誘いたいって言って、お願いされてるの。私も断ってるんだけど、蓮、全く言うことを聞いてくれないの」


 蓮が俺の横にヒョッコリと現れてニッと笑う。


「前から、咲良もいいと思ってたんだけど、実は芽衣のこともいいと思ってたんだよね~。友達にもなったし、これから、もっと仲良くなるためにも、デートをしたほうがいいと思うんだ。蒼大からも言ってくれよ~。俺を応援してくれよ~」


 蓮が気軽な感じで僕の肩をポンポン叩く。まったく軽い奴だな~。芽衣が困っていることは、わかってるはずなのに。


「蓮、女子の嫌がることをしたら、デートなんてOKもらえないよ。芽衣、困ってるじゃないか。芽衣は、優しいから、はっきりと断れないぐらい、蓮でもわかってるだろう。朝から止めてあげなよ」


「え~。蒼大は俺の応援をしてくれないの~」


 当り前じゃないか。誰にでも優しくて、おっとりしている芽衣が困ってるんだよ。僕は芽衣の友達でもあるし、ここは芽衣の味方をする。


「あ、そういえば、瑞希姉ちゃんが、蓮に会いたがっていたっけ。蓮を連れていけば、瑞希姉ちゃんにも褒めてもらえるかもしれないな~」


「ウヘ~。それだけは勘弁。放課後なんかに瑞希姉ちゃんに捕まったら、日が沈むまで説教浸けだよ。それだけは勘弁してくれ~。今日のとこは、芽衣、デートは中止な~。俺、放課後、早く逃げなくちゃいけなくなったから」


 蓮はそういって、自分の席へ戻っていった。


「ありがとう。蒼大。は~、なんで私が蓮に絡まれないといけないのかな~。今までは咲良の役目だったのに~」


「今日は咲良がまだ登校していないからね。だから今日は芽衣にしたんだと思う。でも蓮のことだから、ダメだと思ったら諦めると思うよ。自分でも飽き性って言ってるぐらいだし、明日になれば、また咲良を口説きに行ってると思うよ」


「あ~あ、なぜ蓮って、女子と見たら口説かないと気が済まないんだろう~。女子としては困るのよね」


 僕に蓮を止めることなんてできないよ。でも蓮って、悪気があって女の子を口説いているような気がしないんだよね。なんか、自分の好きな子がいて、そのことを隠そうとしているような気もする。ま~僕が思っているだけだから、勘違いかもしれないし、このことは黙っていよう。


 僕は芽衣を宥めてから席に戻って椅子に座る。HRのチャイムが鳴る前に、咲良が教室へ走ってきた。僕の隣の席に座って、息をハァハァと言わせている。よほど急いで走ったんだろう。


「どうしたの。今日はずいぶん、ギリギリだね。そんなに急いでどうしたの?」


「家は早くに出たんだけどね。歩きながら鞄の中を確かめてたら、ノートを全部、忘れてきてたの。昨日、夜遅くに宿題したのが失敗だった~。あ~疲れた」


「なるほど、悠が咲良は時々、大きなドジをするって言ってたけど、本当だったんだね。お疲れ様」


「悠の奴。何も知らない蒼大に、なんてことを吹き込んでくれてるのよ。後で文句を言いに行かなくちゃ」


 あ、僕が変なことを言ったから、また悠が怒られることになった。それは悠が可哀そうだ。なんとかしなくちゃ。


「そんなに悠のこと怒らないであげてくれるかな。僕は色々と知らないことがあるから、悠も教えてくれているわけで、悪気があったわけじゃないし、悠の分は僕が謝るよ。ごめんなさい」


「蒼大に謝られると、怒れないじゃない。仕方ないな~。今回だけは許してあげるわ」


 HRのチャイムが鳴って、ダル先生が入ってくる。ダル先生は出席簿で顔を扇いで、いつものように気だるい顔をしている。


「来週から9月の実力考査が行われる。言い換えれば実力テストだ。お前達、赤点を取るようなことだけはしてくれるなよ。そうなったら俺が面倒なことになる。くれぐれも普段の勉強を疎かにしないように」


 そういえば9月の頭に、実力テストがあるって聞いていたな。たぶん赤点を取ることはないと思うけど、勉強量を増やさないといけないな。転校してきて赤点なんて恥ずかし過ぎるから。


 ダル先生の話を聞いて、教室の中が喧噪に包まれる。蓮などは席に座ったまま、頭を抱えて唸っている。悠は俯いて、両腕を組んでいる。瑛太だけは目をキラキラさせていた。よほど自信があるのだろう。


 隣を見ると、咲良さんも頭を抱えている。もしかして、咲良って、勉強が苦手なタイプかな~。ま~誰でも勉強は嫌いで、好きな人って少ないよね。僕も苦手だけど。


 ダル先生は言うことが終わると、さっさと教室から出て行った。教室内はクラスメイト達の騒めきが止まらない。


 1時間目の科目教科の先生が教室へ入ってきた。僕は教科書を開いて、ノートに先生の言っている要点を書いていく。そして黒板の文字を写していく。隣を見ると、咲良が鞄の中を探している。どうも昨日、渡された数学のプリントを、持ってくるのを忘れたようだ。


 運悪く咲良の列が次々と問題の回答者として当てられていく。


「次の問題は堂本、答えなさい」


 咲良は席をゆっくりと立っているが、顔を真っ赤にして目が泳いでいる。僕は咄嗟に付箋に答えを書いて、咲良の机に貼った。すると咲良がそれを見て、一瞬だけビックリした顔になる。


「答えは5です」


 咲良はいつもよりも少し高音な声で先生の問いに答えた。


「正解」


 咲良が胸に手を当てて、ほっと安堵の息を吐いて、席へ座る。そして僕に両手を合わせている。そんなことすると、目立っちゃうだろう。先生に見つかったら怪しまれるよ。僕は平然とした顔で前を向いたまま、咲良のほうを見ないようにした。


 1時間目の授業が終わって、休憩時間になると、咲良が僕を見てにっこりと笑う。


「私、昨日、渡された数学のプリント、やってきたんだけど、持ってくるの忘れちゃった。答えを教えてもらってありがとう」


「いえいえ、どういたしまして。今度、僕が危ない時には助けてね」


 誰にでも失敗はある。そんな時は助け合いだ。僕はにっこりと笑って、次の授業の用意をする。


「あ~!私、プリントをファイルごと忘れてきてる~、どうしよう~。今日は1日、地獄だよ~」


「忘れた物は仕方ないさ。正直に先生に言おうよ。プリントは僕が見せてあげるから、机を引っ付けて」


 咲良は僕の顔を見て、顔を真っ赤にして俯いてモジモジしている。そんな場合じゃないと思う。


「うん。今日1日、お願いします」


 咲良は僕の席へ机と席をくっつけた。思ったより近い。咲良がモジモジするのも納得できる。僕まで恥ずかしくなってきた。


 でも、咲良はプリントを全部、忘れてきている訳だし、今日1日だけのことだ。ここは我慢してもらおう。


 2時間目以降の授業では、咲良は素直にプリントのファイルを忘れたことを、先生に言って、僕がプリントを見せることになった。時々、わからない点を咲良が質問してくる。僕はできるだけ丁寧に解説をして、咲良が理解できるように教えた。咲良は顔を赤くしたまま、ウン、ウンと頷いて、ノートに要点を書いていく。


 咲良が小さな声でささやく。


『蒼大って教えるの上手いね。見直しちゃった。私、あんまりテスト、自信ないんだ。今度、勉強を教えてくれないかな』


『いいよ。どうせ、僕は帰宅部だし、放課後は暇してるから。僕でわかる範囲なら手伝うよ』


 咲良は小さくガッツポーズをしている。


 咲良は目がクリクリとした猫目の二重瞼で、まつ毛が長くキラキラしていて、眉もきれいな弧を描いている。鼻筋はスーッと通っていて、小さな唇はほんのりとピンク色をしていて、小さな顎が印象的だ。小顔で、髪の色が栗色をしている。髪の毛は肩より少し長くて、緩いカールがかかっている。


 元気で明るくて、よく笑って、すこしドジっ子なところが可愛く、気さくで人懐こくて、男子からも人気が高い。


 咲良は僕の脇を突いて、小さい声でささやく。


『もう実力テストまで、時間がないでしょう。ちょっと焦ってるんだ。いつから教えてくれるかな?』


『さっきもいったけど、僕は帰宅部だから、いつでもいいよ。なんなら今日からでも教えようか?』


『ヤッター!その言葉を期待してたのよ。放課後、どこで勉強する?』


『学校でもいいし、どこでもいいよ。咲良に任せる』


『わかった。昼休みの間に考えておくね。芽衣や莉子にも相談してもいい?』


『かまわないよ』


 咲良が僕のほうをむいて、にっこりと笑った。ん~男子から人気があるだけのことはある。可愛い。


 この日から僕は咲良に勉強を教えることになった。芽衣と莉子はどうするんだろう?