朝、起きると目の前に知らない女の子の顔が覗き込んでいる。クリクリした瞳に切れ長の二重瞼。長くて多いまつ毛がキラキラしている。きれいに通った鼻筋。ぷっくりと膨らんだ形の良い唇。少しピンクに染まった頬。


 こんな女の子がなんで僕の顔を覗いてるのかな・・・・・・あれ?確か、ここは僕の部屋だったよね?


 目を擦り、首を回して辺りを見回す。確かに引っ越ししてきたばかりの僕の部屋だ。


 ん・・・どこかで見た顔だぞ・・・瑞希姉ちゃんだ。


「・・・・・・瑞希姉ちゃん・・・・・・顔、近い・・・・・・」


 どれだけ近くで、僕の顔を覗いてるの・・・ちょっとビックリしたじゃないか。


「・・・・・・だって、ずっと会ってなかったから、蒼ちゃんの顔をきちんと頭に焼き付けようと思って・・・・・・」


 瑞希姉ちゃんはベッドから離れて、にっこりと笑っている。


「僕の顔なんて、そんなに見ても面白くないですよ」


「さっき、涎を垂らして、寝ている寝顔は可愛かったわ。おもわず、スマホのカメラで撮っちゃった」


 なんてことするんですか。涎を垂らした寝顔なんて、とても恥ずかしくて、誰にも見せられないよ。


「カメラから僕の写真を消去してください」


「だから、他人行儀な言い方はやめてほしいな。丁寧語は禁止。せっかく帰ってきたのに、他人行儀はイヤだよ」


 そんなことを言っても、瑞希姉ちゃんのこと、ほとんど記憶に残ってないんだから、やっぱり丁寧に話してしまう。


「そんなことに悪用するなら、家の鍵を返してください」


「それはダメ。だって、蒼ちゃんのお父さんから家の管理を頼まれてるんだもん」


「それは家に誰もいなかった時の話ですよね。今は僕がいます。悪用するなら返してください」


 いつでも、女の子に入って来られる家なんて、おかしいでしょう。


「蒼ちゃんの意地悪。そうだ、朝食を用意してあるの。一緒に食べよう。1階のテーブルで待ってるね」


 そう言い残すと瑞希姉ちゃんは消えていった。立場が悪くなったので、話を変えたな。


 制服のシャツに着替えて、ズボンを履いて、昨日のうちに用意しておいた、鞄の中を確かめる。まだ7時じゃないか。瑞希姉ちゃんは何時から起きてたんだよ。早起きだな。


 鞄を持って1階へ行って、リビングに鞄を置いて、洗面所へ行く。そして歯と顔を洗う。やっと頭の回転が良くなってきた。基本的に早起きは苦手なんだよな。


 瑞希姉ちゃんは俺の家なのに、自分の家のように台所を使うよね。エプロンまで着ちゃって。それよりも不思議なのは、まだ冷蔵庫の中は空のはずなのに、どこから食材を持ってきてるんだろう・・・・・・あ、隣の自分の家からか~、昨日は挨拶に行けなかったから、今日にでもきちんと挨拶に行かないとな。


 テーブルの上にはご飯に焼き魚、卵焼き、漬物、お味噌汁が並んでいる。出来立ての良い匂いがする。いつも朝は食べない派だけど、これだけ美味しそうな匂いがするとお腹が空いてくるね。


 僕がテーブルに座ると、瑞希姉ちゃんも対面の席に座った。瑞希姉ちゃんが両手を合わせて、小さい声で「いただきます」と言う。つられて僕も「いただきます」と言った。こんな言葉つかったのはいつ頃だろうか。


 2人で静かにご飯を食べる。時々「美味しい?」と聞かれるので、「美味しい」と答える。こんなにゆっくりと朝食を食べたのは久しぶりだ。瑞希姉ちゃんが作った料理は本当に美味しい。


 僕と視線が合う度に、瑞希姉ちゃんはにっこりと笑ってくれる。その笑顔になんだか癒される。


 朝からほっこりした気持ちになってしまった。このまま、ゆっくりしていたら、何のために早起きしたのかわからない。朝食を食べたら、早く学校に行かなくちゃ。でも、まだ時間的には余裕あるんだよな。


 僕達2人は同時に「ご馳走様」と言って朝食を食べ終わった。


「瑞希姉ちゃん。朝から食器の片づけって大変でしょう。水に浸けておいてくれたら、僕が家に帰ってきてから洗うから。そのままにしておいてよ」


「大丈夫だよ。5分ほどで終わるから。時間的には余裕あるし、片付けさせてね」


 瑞希姉ちゃんもエプロンの下は制服姿だ。鞄も持ってきているようだし、確かに時間はある。僕も何か手伝いしようかな。待ってるだけだと気分がソワソワする。


 台所に行って、瑞希姉ちゃんが洗った食器を拭いて、食器棚へ片付けていく。確かに5分ほどで終わったな。


「蒼ちゃんが手伝ってくれたから、早く終わったよ。これから学校に行きましょう」


 瑞希姉ちゃんはエプロンを取って、テーブルの椅子にかける。そのエプロンはこの家に置いていくんですね。


 鞄を持って瑞希姉ちゃんが玄関で靴を履いて表に出る。僕もリビングに置いている鞄を持って、靴を履いて玄関を出た。なんで瑞希姉ちゃんが家に鍵を閉める。あの・・・・・・ここは僕の家なんですけど。複雑な気分だ。


 玄関を出て、2人で歩道を歩く。すると瑞希姉ちゃんが僕と手を繋ぎにきた。咄嗟に手を引く。


「なんで逃げるのよ。昔は一緒に手を繋いで歩いてたのよ」


「瑞希姉ちゃん・・・・・・瑞希姉ちゃんは覚えているかもしれないけど、僕はぼんやりしか覚えていないんだよ。それに2人共、体が大きくなっちゃたし、子供の時みたいに気軽に手なんて繋げないよ」


「お願い、私の夢だったの。蒼ちゃんと一緒に手を繋いで学校にいくのが。だからお願い。夢を叶えさせて。蒼ちゃんが恥ずかしいなら、生徒が多くなってきたら、手を放すから。ね・・・お願い」


 そんな上目遣いで目をウルウルされたら、断れないよ。なんだかズルいと思う。おずおずと手を伸ばすと、瑞希姉ちゃんは嬉しそうに、にっこりと笑って僕と手を繋いだ。恥ずかしい~。


 少し歩いていくと、路地から悠が歩いてきた。悠は僕の顔見てにっこりと笑って手を振ろうとしたが、隣にいる瑞希姉ちゃんを見て、走って逃げようとする。


「こら悠。私の顔を見て、走って逃げるなんて失礼よ。ちょっと、こっちまで来なさい」


 悠は背中をピンと伸ばして直立の姿勢になって止まっている。悠と会ったから、瑞希姉ちゃんの手から自分の手を放した。瑞希姉ちゃんはちょっと残念そうな顔をしたけれど、納得してくれたようだ。


「悠、私が見てない間に悪さしてないでしょうね」


「そんなことしてないよ。瑞希姉ちゃん。こんな道端で説教しないでくれよ。恥ずかしい」


 悠も瑞希姉ちゃんには頭が上がらないみたいだ。


「あのね、悠。蒼ちゃんが戻ってきたんだよ。悠と同じ学年だから仲良くしてあげないとダメなんだから」


「ああ、蒼大は同じクラスで、昨日のうちに友達になったよ。昔のことも謝った」


 こんな腰の低い悠を、昨日も見たことがない。小さい頃からの習慣って怖いな。


「そうなの。悠と同じクラスということは2年3組ね。確か蓮と瑛太もいたはずよね」


「ああ、昨日のうちに連も瑛太も蒼大と友達になったよ。俺達、ちゃんとやってるから、瑞希姉ちゃんは心配しないでくれ」


 そうか、蓮も瑛太も瑞希姉ちゃんの知り合いなのか。そっか~昔の僕を知ってるくらいだから、昔の瑞希姉ちゃんを知っていてもおかしくない。


「蒼ちゃん、良かったね。昔の幼馴染と一緒のクラスになるなんて。これでお姉ちゃんも少し安心かな」


 何を心配されているのかわからないけど、安心してくれたならよかった。


 学校に着くまで、瑞希ねえちゃんは悠をからかって遊んでいる。悠は顔を真っ赤にして困っていた。校門を潜って、校舎に入った所で瑞希姉ちゃんとは別れた。悠はホッと安堵の息を吐く。お疲れ様。


「蒼大、もう瑞希姉ちゃんに捕まったのか。早すぎないか」


「瑞希姉ちゃんが隣の家だって、悠も教えてくれなかったよね。家に帰ってビックリしたのは僕だよ」


 そうだよ。悠が、瑞希姉ちゃんの家が隣だって教えてくれていれば、もっと心の準備もできていたかもしれないのに・・・・・・それは無理があるかな。


「何があったんだ?」


「実は亡くなった父さんが家の管理を瑞希姉ちゃんの両親に頼んでいたらしいんだよ」


「あっちゃー。それだったら、瑞希姉ちゃんに見つかるのも時間も問題だったわけだ」


 時間の問題というよりも家に帰った時には、既にカレーが出来上がっていたけどね。


 僕と悠は2階へ上って、教室に入って自分達の席に向かう。自分の席に座って、授業の準備をしていると悠と蓮と瑛太が集まってきた。


「蒼大、今日は朝から瑞希姉ちゃんに捕まったんだってな。街に戻ってきてすぐに捕まるなんて、さすが蒼大だわ」


 蓮がケラケラと笑っている。


「蒼大よりも、蒼大が街に帰ってきたことを、感知した瑞希姉ちゃんの凄さに感心したほうがいい」


 瑛太が眼鏡をクィっとあげて腕を組んでいる。


 そんな大そうなことではないと思うんだが・・・・・・家が隣なんだから、見つかるのは時間の問題だよ。


 悠は苦笑いを浮かべている。


「瑞希姉ちゃん、俺達のこと何か言ってたか?」


「特別には何も言ってなかったけど・・・・・・」


 蓮が少し顔を青ざめて、肩に手を回している。なぜ、そんなに瑞希姉ちゃんは蓮達に怖がられているんだろう。


「だってさ~俺が女の子にちょっかいを出す度に、なぜか瑞希姉ちゃんに見つかって説教されんだぞ。それも説教は長いし、逃げられないし、小さい頃からの条件反射で怖いしさ。俺、瑞希姉ちゃん、苦手なんだわ」


 なるほどね。蓮にも苦手な女子がいたわけか。瑞希姉ちゃん、良い働きしてるじゃん。


 僕達は雑談をしていると堂本さんが登校してきて、僕の隣の席に座った。ふんわりとした笑顔で「おはよう」と挨拶してくれる。ついつられて「おはよう」と挨拶すると悠に膝を蹴飛ばされた。


 倉下さんと柏葉さんが登校してくる。2人共、鞄を席に置いて、堂本さんの元へ集まってきた。


「朝から暑苦しい顔がそろってるじゃないの。それでなくても9月なんだから、外は暑くてしかたがないのに」


 倉下さん、俺達が日本の温度を上げてるわけではないですよ。今の日本は異常気象なの。僕達のせいではない。


「それで3人そろって、何の馬鹿話をしてたのよ?」


「瑞希先輩が蒼大の幼馴染だったって話をしてただけだよ」


 悠が苦い顔をして倉下に説明した。


「まあ、瑞希先輩が・・・・・・いつ見ても素敵よね」


 あれ?倉下さんの反応が違う。


「瑞希先輩か、あの人が生徒会長だった時は面白かったし。いろいろな行事も考えてくれたし、下級生にも優しいくて、色々と生徒のために働いてくださって・・・・・・3年になって生徒会長を辞められた時は残念だったな~」


 柏葉さんが本気で残念そうな顔をしている。


 え、瑞希姉ちゃんが前生徒会長だったって。


「私もあんな上級生になりたいわ。きれいで可愛くて、責任感が強くて、行動力があって、本当に素敵な女子よね~」


 堂本さんまでウットリしたような顔になってるけど、どういうことなんだ。僕が悠の顔を見ると、悠は複雑な顔をしている。


 そっか、堂本さん達は瑞希姉ちゃんの小さな頃をしらないんだ。僕達とは違う小・中学校から入学してきたんだろうな。僕もあんまり瑞希姉ちゃんのことは思い出せないんだけどね。


 蓮が僕の耳元に手をやって、ささやいた。


『この高校では瑞希姉ちゃんの悪口は絶対に厳禁な。女子全員を敵に回すことになるから。ある意味、この高校の1番のボスは瑞希姉ちゃんだから』


 堂本さん達の様子をみていると何となく感じたが、そこまで女子に人気が高いのか。女子全員を敵に回す勇気なんてないぞ。絶対に素の瑞希姉ちゃんのことは言うのは厳禁だな。心に留めておこう。


 HRのチャイムが鳴り、ダル先生が教室に入ってきた。


「今日のHRは、話すことはあまりない。いつもと言うことは同じだ。学校の迷惑にならないように適度に頑張れ」


「ダル先生に迷惑かけないようにだろう」


 悠が大声でダル先生に話しかける。教室内に笑いが起こる。


「わかってるなら、言うな」とダル先生は独り言を呟いて、


 教室から出て行った。科目担当の先生が教室に入ってきて、授業が始まる。先生が話している内容や要点をノートにまとめて、書いていく。学校の授業はどの学校でも同じだな。僕は欠伸をかみころして、眠たくなってくるので、目を擦ってはノートを書いていく。


 午前中の授業が終わった。机の上に置いていたノートや教科書を机の中へ片付けていく。


 すると、教室内に騒めきが起こった。悠が近寄ってきて、僕の肩をポンポンと叩く。


「ん、どうしたの?」


「蒼大に客だ。教室の後ろのドアを見てみろ。瑞希姉ちゃんがいる」


 僕は急いで後ろを振り返ると瑞希姉ちゃんと目が合った。瑞希姉ちゃんはにっこりと笑う。


「蒼ちゃん、お弁当を渡すのを忘れてたの。これ私が作ったお弁当」


 あっちゃ~。そんなこと大声で言わないで。皆の注目の的になってるよ~。恥ずかしい。


 僕は教室の中を走って、教室の後ろのドアまで走り寄る。悠も後ろを走ってくる。


「はい。蒼ちゃんのお弁当。きちんと食べてね。頑張って作ったんだから」


 瑞希姉ちゃんは僕に弁当を手渡してくれた。瑞希姉ちゃんはまだ教室の中を覗いている。蓮が瑞希姉ちゃんと目が合って、顔を青くしている。


「蓮、見つけたわよ。また女の子を泣かせていたらしいわね。どれだけ女の子を泣かせれば気がすむのよ」


 瑞希姉ちゃんが蓮に向かって、教室の中を歩いていく。すると蓮は大慌てで、教室のドアから走り去っていった。


「まったくもう。蓮ったら、いつでも私に会ったら逃げ出すんだから。悠、連にきちんと説教しておいてね」


「俺が蓮を説教できるはずないだろう。無茶いうな」


 いくら悠が言っても蓮が悠の言うことなど聞かないと思う。だって蓮って軽いんだもん。


「それじゃあ、私は自分の教室に戻るから、蒼ちゃんのこと悠、しっかりと頼んだわよ」


 そういうと瑞希姉ちゃんは廊下を悠々と歩いて去っていった。教室内の騒めきが大きくなる。


「蒼大、とにかく教室から逃げるぞ。学食で弁当は食べればいい」


 悠に背中を押されて、僕は学食まで悠と一緒に走って、教室から逃げた。