瑞希姉ちゃんが学校から帰ってきた。僕がベッドの上で目を瞑っていると、部屋の中へ入ってきて、ベッドに座って僕の髪の毛を優しく撫でる。僕は目を覚まして、瑞希姉ちゃんの首へ手を回して抱き着いた。


 瑞希姉ちゃんは何も言わずに背中をさすってくれる。


「お母さんから事情は聞いたわ。明日香ちゃんとは上手くいってないみたいね」

「僕がいけないんだけどね。僕の部屋に母さんの位牌を置こうとしたから、それを拒否したら、上手くいかなくなっちゃった」

「今の明日香ちゃんにとっては、お母さんが1番だものね。だからと言って、いきなり部屋の中に位牌を置かれても蒼ちゃんが困る気持ちもわかるわ」

「僕もどうしていいかわからなくなって、家に退散してきたとういうわけなんだ」


 瑞希姉ちゃんはにっこりと笑って、僕の髪の毛をなでる。


「明日香ちゃんも落ち着いているかもしれないわよ。私の家に、一度、会いに行きましょう」


 僕はコクリと頷いた。そして2人で瑞希姉ちゃんの家に向かう。瑞希姉ちゃんがインターホンを鳴らすと、瑞枝おばさんが玄関を開けてくれる。瑞希姉ちゃんが「ただいま」と言って玄関へ入っていていく。僕も後へ続く。


 瑞希姉ちゃんはリビングのドアを開けて入っていく。中では瑞枝おばさんがテーブルに座っていた。僕と瑞希姉ちゃんはテーブルに座る。


「明日香ちゃんは、あのまま部屋にこもりっきりよ。何度、部屋へ行っても、黙ったままで動こうとしないの」


 瑞希姉ちゃんは「私、着替えてくる」と言って、リビングを出ていった。2階の自分の部屋で私服に着替えるのだろう。


「明日香ちゃん、相当、意固地になってるみたいね。困ったもんだわ」

「すみません、僕が短慮なばっかりに、こんなことになってしまって」

「ううん、そんなことはないわ。明日香ちゃんの位牌に対する執着心はすこし度が過ぎているもの。お母さんを思う気持ちはわかるけど、あれだと何もできなくなるのは当然よ。お母さんが他界されてから時間が止ってしまっているのね」


 そうだ。母さんが他界してから、明日香は学校にも行かずに、あの古びたアパートで独りで閉じこもっていたんだから、時間が止っているという表現はピッタリなのかもしれない。


 瑞枝姉ちゃんが私服に着替えて降りてきた。薄黄色のレースのワンピースを着ている。とても上品だ。そしてポニーテールにしていた髪を、今はクビの横で1つに束ねて、肩から前に垂らしている。とてもお淑やかに見える。


「明日香ちゃんに会いに行くわよ。蒼ちゃんは黙っていてね」

「・・・・・・」


 瑞希姉ちゃんは僕の手を持つと2階の明日香が寝泊まりしている部屋の前まで行くと、ドアをノックする。中からは何も返事がない。


 瑞希姉ちゃんはドアを開けて、勝手に入っていく。 明日香は位牌を抱いて、三角座りをしていた。


「明日香ちゃん、瑞希姉ちゃんよ。今、学校から帰ってきたわ」

「・・・・・・」

「明日香ちゃん、最近、全く髪の毛を切っていないでしょう。私と一緒に髪の毛を切りに行きましょう。女の子なんだから、ちゃんとおしゃれをしないと勿体ないわ」


 明日香は瑞希姉ちゃんの話を聞いているのか、いないのかわからない。ずっと一点を見つめたまま、瑞希姉ちゃんのほうを見向きもしない。


「・・・・・・」


 瑞希姉ちゃんは明日香の隣に座って、明日香の髪の毛を撫でる。


「このまま、だんまりをしていても、何も解決しないでしょう。だから気分転換に行きましょうよ」

「・・・・・・」


 瑞希姉ちゃんは明日香が大事に抱えている位牌をサッと持ち去った。


 すると明日香が瑞希姉ちゃんの顔を見る。


「やっと、私を見てくれたわね。そんなに沈んでいても何も解決にならないわよ」

「私のことは放っておいて、私はお母さんと一緒にいるんだから」

「そう。だったら、また孤独に戻りたいのね。独りになりたいのね。寂しくなりたいのね。それだったら、私は明日香ちゃんを止めないわ。明日香ちゃんの自由にしたらいいと思う」


 明日香は目から涙を流して、三角座りをして顔を埋める。


「もう、孤独はイヤでしょう。独りはイヤでしょう。寂しいのはイヤでしょう。苦しいのはイヤでしょう。辛いのはイヤでしょう」


 僕も瑞希姉ちゃんも、明日香を助けたいと思ってるけど、明日香が変わりたくないって言うなら、仕方がない。僕も瑞希姉ちゃんが助けの手を伸ばしても、明日香ちゃんが意地を張ってたら、どうしようもない。そんな明日香ちゃんを助けることなんて誰もできないよ。



「それはイヤ。孤独はイヤ。独りはイヤ。寂しいのはイヤ。苦しいのはイヤ。辛いのはイヤ。助けて、瑞希お姉ちゃん」


 瑞希姉ちゃんは僕に位牌を預ける。僕はボストンバックを開けて、ハンカチに包んで、位牌をボストンバックの中へ仕舞う。


 助けてほしかったら、自分でも少しは行動しないとダメだ。


「瑞希お姉ちゃんも明日香ちゃんを助けたい。そのためには少しでも、明日香ちゃんに行動してほしいの。だから髪の毛を切りにいって、ショッピングをしましょう」


 瑞希姉ちゃんがどうして、そんな提案をしているのか、わからないが、部屋で三角座りをしているより、はるかにマシだ。


「髪の毛を少しでも切って、気分転換しましょう。今の明日香ちゃんから変化しないとね」


 瑞希姉ちゃんは明日香と手を繋いで、明日香を立たせる。そして1階へ降りていった。僕も1階へ降りていく。


「お母さん、明日香ちゃんの髪が伸びてるから、美容室へ行ってくる。それとモールで少し買い物してくるね。明日香ちゃんにも気分転換が必要だと思うし」

「それはいいことね。3人で行ってらっしゃい。夕飯は私が用意しておくわ」


 3人で玄関を出る。瑞希姉ちゃんと明日香は手を繋いで歩いていく。時々、瑞希姉ちゃんが明日香の頭を撫でている。僕は2人の姿を眺めながら、後ろからついていく。僕が余計なことをいうと瑞希姉ちゃんの邪魔をしてしまうように思えたから、僕は黙って歩く。


 3人で大通りを歩いて、モールの中へ入っていく。そしてエスカレーターで2階へあがって、瑞希姉ちゃんご用達の美容室へ入っていく。カウンターでは葵さんがレジに立っていた。


 僕達を見ると、葵さんはにっこりと魅力的な笑みを浮かべて歩いてきてくれた。


「こんにちは、瑞希ちゃん、蒼ちゃん、今日はどんなご用かな。隣にいるかわいい子は誰かしら。葵さんにも紹介してくれるかな」

「僕の妹で明日香といいます。今日は明日香の髪をカットしてもらいたくて、葵さん、お願いできますか?」


 葵さんは顎に手を当てて考えているが、すぐにこっとした笑顔になる。


「大丈夫よ。今は手隙だから、私が髪を切ってあげる。明日香ちゃん、私は葵というのよろしくね」

「・・・・・・」

「すみません、少し人見知りが激しくて。ごめんなさい」

「大丈夫よ。葵さんは、可愛い女の子、大好きだもん。絶対にお友達になってみせるわ」


 葵さんは明日香を連れてカット用椅子に座らせて、鏡で自分の顔を見せている。葵さんの表情はいつも笑顔だ。


 そして、洗髪用の椅子まで明日香と連れていって、顔の上にタオルを置いて、髪の毛を丁寧に洗髪する。葵さんは笑顔で明日香に何かを話している。タオルで見えないが、明日香も楽しそうに話しているようだ。


 洗髪が終わって、カット用の椅子に明日香が座る。葵さんが腰のベルトにぶら下げているシザーケースからハサミを取り出して、明日香の髪を切り始めた。伸びていた明日香の髪の毛が大胆に切られていく。


 葵さんは色々なテクニックを駆使してまるっで魔法でも使っているように明日香の髪の毛を変化させていく。
明日香はマッシュショートヘアになった。


 以前の暗かった印象の明日香とは違って、明るくて垢ぬけたような美少女に見える。明日香も葵さんにお辞儀をして、葵さんと手を繋いで僕と瑞希姉ちゃんも元へ歩いてきた。


「やっぱり、蒼ちゃんの妹さんだけのことはあるわ。髪の毛を切っただけで美少女に大変身よ。葵さんもとても嬉しいわ。今度、また一緒にお茶をしましょうね。その時は蒼ちゃんと明日香ちゃんとお揃いで来てね」

「葵さん、私のことを忘れてますけど」


 瑞希姉ちゃんが頬を膨らませって、プンプンと怒っている。


「もちろん、瑞希ちゃんも一緒よ。説明を省略しただけだから、怒らないで。時々、瑞希ちゃんの愛が重いわ」


 葵さんが冗談を言って笑っている。瑞希姉ちゃんも笑って、明日香も笑っている。やっぱり女の子は髪を切るのが好きなんだな。


 瑞希姉ちゃんが支払いを済ませて、葵さんに手を振って、美容室を出る。


 瑞希姉ちゃんと明日香は洋服店を見て回る。色々な洋服店に入っては、2人楽しそうにしながら、洋服を選んでは、別の店にいく。それを何回も繰り返す。僕がMA-1を買った洋服店へ入っていった。


 店員のお姉さんは僕のことを覚えていたらしく、手を振ってくれる。僕もにっこり笑って手を振る。瑞希姉ちゃんが店員のお姉さんの元へ行き、明日香を紹介する。店員のお姉さんは明日香のことを気に入ったようで握手をしている。


 店員のお姉さんと瑞希姉ちゃんが真剣に洋服を選びだした。明日香はオロオロしている。店員のお姉さんが数点、洋服を選びだしてくる。瑞希姉ちゃんも数点、洋服を選びだしてくる。明日香の体に洋服を当てて、2人で相談している。洋服が決まったようだ。


 明日香は洋服を持たされて、試着室へ強引に入れられて扉が閉められる。着替え終わったのか、扉が開く、明日香は白のフリルのシャツに花柄のスカートを履いている。フリルのシャツがボーイッシュな雰囲気を醸し出していて、髪型によく似合っている。今までの明日香と違って華やかで可愛い。


 すかさず、瑞希姉ちゃんが2つ目の洋服を持たせて、試着室へ明日香を入れ、扉を閉める。しばらくすると扉が開いた。Gジャンにオレンジのニットにスキニーデニムだ。とても恰好がいい。おしゃれだなと思う。
 明日香は2つとも気に入ったようで、満開の笑顔になっている。さすが瑞希姉ちゃんと店員のお姉さんのセンスは凄い。明日香が見違えるように変わった。


 店員のお姉さんが僕に駆け寄ってくる。


「明日香ちゃん恰好よくなったでしょう。Gジャンにニット、スキニーデニムの組み合わせは、お兄ちゃんとお揃いになるように考えたんだよ」


 そういえば、今日の僕の恰好はTシャツにブラックのスキニーデニムの上にMAー1という恰好だ。明日香と歩いていると、似合っていると思う。


 明日香はそのままの姿で僕の前までやってくる。


「よく似合っていると思うよ。今までよりも恰好よくなったし、きれいになった。それに可愛いよ」

「蒼お兄ちゃんとお揃いの服なんだって。私、これを着て帰るね」


 いつの間にか、瑞希姉ちゃんがレジで支払いを済ませている。店のお姉さんは、今まで明日香が着ていた服を畳んで、紙袋の中に入れて、もう1組の買い揃えた服も、一緒の紙袋に入れてくれる。僕はその紙袋を持った。


 店員のお姉さんは「私は草薙弥生(クサナギヤヨイ)というの。いつも、お店で買い物してくれてありがとう」と僕に名前を教えてくれた。


「また会いましょうね。明日香ちゃんに蒼ちゃん」


 店員のお姉さんは手を振っている。いつの間に僕の名前を知ったんだ?瑞希姉ちゃんが教えたのかな。


 瑞希姉ちゃんと明日香は手を繋いでモールの中を見た後に、モールを出て家路についた。僕は紙袋を持って、後ろを歩いていく。


 路地に入ると、明日香が「蒼お兄ちゃんとも手を繋ぐ」と言い出した。仕方なく、僕も明日香と手を繋いで、3人で並んで路地をゆっくりと歩いていく。夕焼けがとてもきれいだ。


「今日のお昼は、蒼お兄ちゃんを困らせてごめんなさい。蒼お兄ちゃんもいきなりだったから困ったんだよね」


 それもあるが、部屋にいきなり位牌を置かれたら誰でもビックリすると思うぞ。


「葵さんが言ってたの、瑞希お姉ちゃんも蒼お兄ちゃんも、きちんと考えてくれる人だって。優しい人達だって言ってたの。葵さん、とてもいい人だね。葵さんと話してるとスーッと心のしこりが取れていくみたい」



 さすが葵さんです。心のアドバイザーは伊達じゃない。葵さんのおかげで助かった。瑞希姉ちゃん、これも計算のうちだったんだよね。ありがとう瑞希姉ちゃん。


 路地を歩いて、家の近くの道に出て、3人で歩道を歩く。そして瑞希姉ちゃんの家に戻った。インターホンを鳴らすと瑞枝おばさんが玄関を開けてくれる。3人で玄関に入る。


 瑞枝おばさんは、明日香の変わりように驚いて、明日香に抱き着いている。「とても可愛くなって、見違えったわ。明日香ちゃん、本当はきれいで可愛いのに、隠してたのね」と顔をほころばせる。


 明日香は照れて、頭を掻いている。


「こうやって見ると、やっぱり蒼ちゃんと明日香ちゃんって兄妹よね。とてもよく似てるわ。蒼ちゃんが女顔だから余計にそう見えるのね」


 瑞枝おばさん、僕の顔の件は放っておいてください。自分でも女顔の自覚ありますから。


「私、洋服を片付けてくる」と言って2階へ明日香は上がっていった。しばらくすると顔を青くした明日香が1階に降りてくる。

「お母さんの位牌がないの。お母さんの位牌が・・・・・・」


 瑞枝おばさんににっこりと微笑む。


「心配ないわ。お母さんの位牌は、私の部屋に飾っておいたから。花も飾ったし、お水も入れてあるわ。この家にいる間、私が管理するわね。明日香ちゃんが拝みたくなったら、私の部屋へ来て、拝みなさい。ちゃんと置いてあげないと、お母さんが可哀そうでしょう」

「ありがとう瑞枝おばさん」

「これで明日香ちゃんも安心してここで暮らせるでしょう」

「はい」


 明日香は笑顔で瑞枝おばさんに抱き着く。さすが瑞枝おばさんだ。僕ができなかったことを簡単にしてしまった。


 瑞枝おばさんにも、瑞希姉ちゃんにも感謝の言葉しかない。ありがとうございます。


「お父さんが帰ってきたら、明日香ちゃんの変身した姿を見せないとね。きっとお父さんも喜ぶわ」


 明日香は照れて、僕の近くへ歩いてくると、そっと僕の手を取った。


「今日は、みんなで楽しく、今日はすき焼きにでもしましょう。お父さんもお肉大好きだから。みんなが洋服を買いにいってる間におばさん、スーパーへ買い物に行ってきたの。明日香ちゃんもいっぱい食べてもいいからね。沢山かってきたから」


 瑞枝おばさんはニコニコ笑って、台所へ夕食の用意をしにいった。瑞希姉ちゃんは明日香と2人でリビングへ座って、話をして笑っている。


「家に帰って、少し勉強してきます」と言って、僕は玄関で靴を履く。瑞希姉ちゃんがリビングから出てきて「今日はすき焼きなんだから、逃げちゃだめよ」とくぎを刺された。僕はコクリと頷いて、玄関を出る。家の中から「来なかったら、誘いにいくから」と瑞希姉ちゃんの声が聞こえてくる。


 僕は道路に出て、瑞希姉ちゃんの家を見る。瑞希姉ちゃんの家なら明日香も明るくなっていくだろう。


 僕は家族団らんが苦手だから、逃げ出したくなるけど、後から瑞希姉ちゃんが呼びにきてくれるだろう。


 玄関のカギを開けて、2階にある自分の部屋へ僕は戻った。