父さんのお墓参りに行き、瑞希姉ちゃんと僕は、妹の明日香とばたっり出会った。どうして父さんの墓を明日香が知っているんだろう。母さんと明日香が引っ越して行った街を僕は知らない。明日香はこの街に住んでいたのだろうか。
太陽が西に傾き、影が長く伸びる。シーンと静まりかえる墓地で、僕はどうしていいかわからずに、茫然と突っ立っているしかなかった。
瑞希姉ちゃんが号泣している明日香を抱きかかえ、背中をさすっている。瑞希姉ちゃんの目からも涙が溢れ、頬を伝って、零れ落ちる。
僕はゆっくりと歩いて、明日香に近寄る。僕は明日香の小さい頃の顔しか覚えていない。本当にこの女子は明日香なのか。僕のことを「蒼お兄ちゃん」と言った。そう呼ぶのは妹の明日香だけだ。
僕は覚悟を決めて、僕は腰を屈めて、明日香の肩に手を乗せる。
「僕が蒼お兄ちゃんだよ。明日香だよね。大きくなったね。元気だったかい?」
僕は精一杯の優しい笑顔を作って、明日香に語りかける。すると明日香が僕の首に手を回して、抱き着いてきた。
「蒼お兄ちゃん。蒼お兄ちゃんだ。会いたかった。会いたかったよ」
明日香は僕に会いたかったと連呼する。
僕は明日香の背中をさする。瑞希姉ちゃんは自分の頬に伝う涙を、僕のハンカチで拭いている。
どれくらい明日香は泣いただろうか。ずいぶんと明日香が落ち着いてきた。瑞希姉ちゃんが明日香の背中を優しくポンと叩く。
「もう夕焼けになってるから、この辺りも暗くなってくるわ。一旦、街へ戻りましょう。私、お寺の住職さんに頼んでタクシー呼んでもらってくる」
瑞希姉ちゃんはお寺の隣の建物へ走っていった。僕は明日香の腰に手を回して、明日香を支え、墓地の中をゆっくりと歩く。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
僕と明日香の間に沈黙が流れる。僕は明日香にどう声をかけたらいいのだろう。たぶん明日香も同じことを考えていると思う。
瑞希姉ちゃんと寺の門で合流する。寺の階段に3人で座ってタクシーを待つ。
「タクシー20分ほどで着くらしいわ。明日香ちゃんはこの街に住んでるの?」
明日香は激しく首を横に振った。
「そうか明日香はこの街に住んでないんだ。どこに住んでいるんだい?」
明日香はボソリと街の名前を言った。今、僕が住んでいる街の隣街じゃないか。電車の駅で5つほどだ。
「母さんは元気なの?」
「お母さんは半年前に死んだの。死因は心筋梗塞。私が学校に行ってる間に倒れていたって、隣に住んでるおばさんが見つけてくれたの」
「・・・・・・」
母さんが死んだ。僕は頭の中で、その言葉を何回も繰り返す。不思議と母さんが死んだと聞いても、驚きも何もなかった。涙も出てこない。自分でも不思議だ。
僕は母さんと明日香と別れて暮らすようになってから、極力、母さんのことを思い出すことをやめた。思い出して悲しんでも、母さんが戻ってくることはないから。そのうち、母さんの顔も思い出せなくなった。
僕が覚えているのは、母さんと明日香が家を出て行った時の母さんの後ろ姿と、明日香の泣いている顔だけだ。
「今はどうしてるのかな。母さんの親類の人と暮らしてるのかな?」
また、明日香は首を激しく横に振る。
「私、お母さんと暮らしていた街で独り暮らしをしてる」
「とにかく、明日香ちゃんを送っていきましょう」
瑞希姉ちゃんが明日香の背中をさすっている。
タクシーが到着した。瑞希姉ちゃんと明日香が後部座席に乗り、僕は助手席に乗る。タクシーの運転手に駅まで行ってもらうように伝える。タクシーは街中へ向かって走り始める。
タクシーは街中へ入り、駅へと向かっていく。タクシーの中に沈黙が漂う。明日香は瑞希姉ちゃんにもたれている。
タクシーを降りて、駅近くの喫茶店へ入った。僕と瑞希姉ちゃんがアイスミルクティーとサンドイッチを頼み、明日香はアイスオーレを頼んだ。
ウエイトレスのお姉さんが僕達の注文したメニューを次々と運んでくる。明日香が僕の顔を見る。
「蒼お兄ちゃん、サンドイッチ食べてもいい?」
「うん、いいよ。沢山、食べたらいいよ」
明日香はサンドイッチを手に取ると、小さな口でサンドイッチを食べていく。上品に食べているが、食べる速度が速い。相当、お腹を空かしていたようだ。僕はウェイトレスのお姉さんに追加でサンドイッチを頼む。
明日香はサンドイッチ一皿をペロリと食べてしまった。
「昔から明日香ちゃんは蒼ちゃんとよく似ていたけど、今はもっと似てるわ。まるで双子みたいね」
「・・・・・・」
僕は明日香の顔を見る。確かに僕の顔によく似てるけど、双子は言い過ぎじゃないかな。
瑞希姉ちゃんは優しい眼差しで明日香を見つめている。
「明日香ちゃんは独り暮らしって言ってたけど、今、どうやって暮らしているの?」
「お母さんの親戚から仕送りしてもらって暮らしてる」
「学校には通ってる?学校は楽しいかな?」
「・・・・・・」
会ったばかりだし、色々と言えないこともあるよな。どこまで踏み込んで聞いたらいいんだろうか。
僕は手を伸ばしてサンドイッチを口に運ぶ。すると明日香がジーっとサンドイッチを見ている。
「サンドイッチ食べたいなら、僕の分を食べてもいいよ」
「うん、ありがとう、蒼お兄ちゃん」
明日香はサンドイッチに手を伸ばす。あっという間にサンドイッチがなくなった。
「もしかすると、明日香、あんまり食べられてないのか?」
「お母さんの親戚からの仕送りだから、生活費だけでもギリギリ。食事は1日、1回にしてるけど、それでも足りない時は2日に1回の食事にしてる」
そういえば、明日香の体は妙に痩せているな。そんな苦しい生活をしていたのか。
「今日、明日香の家にお邪魔してもいいかな?母さんの位牌にも手を合わせたいし」
「うん、蒼お兄ちゃんさえいいなら」
「明日香ちゃん、私も蒼ちゃんと一緒に行っていいかな。おばさんの位牌に手を合わせたいの」
「うん、いいよ・・・・・・瑞希お姉ちゃん」
僕と瑞希姉ちゃんもサンドイッチを食べて、アイスミルクティーを飲む。明日香は既にアイスオーレを飲み干していた。僕達は食べ終わって、僕は支払いを済ませて、喫茶店を出る。そして駅に向かった。
明日香に何駅で降りるか、教えてもらって、駅の券売機で切符を3枚買って、明日香と瑞希姉ちゃんに切符を渡して、改札を通ってホームまで歩く。僕達がホームに着くと、運よくすぐに電車が来た。僕達は電車に乗り込む。僕、瑞希姉ちゃん、明日香の順番で席に座る。
電車に乗ってすぐに、明日香は瑞希姉ちゃんにもたれて眠ってしまった。泣き疲れたようだ。僕と瑞希姉ちゃんは手を繋ぐ。
瑞希姉ちゃんが僕の耳元に顔を寄せて小さくささやく。
『さっき、喫茶店でトイレに行くふりをして、お父さんに連絡しておいたの。明日香ちゃんの生活環境が悪いようなら、家に一旦、連れてきなさいって、お父さんが言ってたわ』
『雅之おじさんと瑞枝おばさんにはお世話になりっぱなしだね』
『そんなのはいいのよ。お父さんは蒼ちゃんのお父さんの親友だもの。お父さんは明日香ちゃんも助けたいと思ったはずよ』
『ありがとう』
雅之おじさんと瑞枝おばさんの優しさに感謝する。そして瑞希姉ちゃんの気配りに。
電車に乗って2時間半が過ぎた。瑞希姉ちゃんが明日香を起こす。明日香しか、住んでいる場所がわからないからだ。僕達は10分ほど電車に揺られて後に、明日香に教えてもらい、電車を降りる。そして改札口を出て、駅のロータリーまで歩く。
「ここからはどうすればいいのかな?バスに乗るの?それとも徒歩でいけるかな?」
「徒歩でも大丈夫。いつも徒歩だから」
明日香は俯いたまま、ボソボソと答える。明日香の手を瑞希姉ちゃんが握っている。明日香が無言で指差す方向へ歩いていく。歩いている間も始終無言だ。時々、明日香が道を教えてくれる。
20分ほど歩いて住宅街に入る。それから細い路地を10分ほど歩くと古い2階建てのアパートが現れた。明日香はそのアパートの2階へ上がっていく。
アパートは建てられてから相当の年月が経っていると思う。塗料は剥げて、サビが浮いている。階段も手すりや床がサビて、小さい穴が所々に空いている。
2階の1番奥の扉で明日香が止って、斜めにかけていた鞄の中から鍵を取り出して、鍵で扉を開けて明日香は家の中へ入る。
瑞希姉ちゃんと明日香の家の中に入ると1DKになっていた。小さい台所には汚れた食器類で山盛りになっている。台所の横にあるテーブルの上にはカップ麺のゴミが、食べカスが転がっている。
部屋の中は薄汚れていて、掃除を相当の間していないのだろう。埃っぽい。僕と瑞希姉ちゃんは靴を脱いで、奥の部屋へと入っていく。
奥の部屋には小さなテレビが置かれていて、ゲーム機が接続されていた。タンスの隣に小さな仏壇が置かれている。位牌の前には小さな写真立てがあり、母さんの写真が飾られている。
その写真を見て、やっと母さんの顔を思い出した。
明日香が仏壇の前に座って、ロウソクを点けて、線香をたく。そして両手を合わせて拝んで、「今日は、蒼お兄ちゃんが会いに来てくれたよ。それと昔に隣に住んでいた瑞希お姉ちゃんも来てくれたよ」と、母さんに話しかけている。
明日香は立つと仏壇の前を空ける。僕は仏壇の前に座って両手を合わせて拝む。母さんのことを思い出せない。涙もでない。なんていえばいいんだろう。母さん、蒼大です。僕は元気です。言葉が浮かばない。どう言っていいかわからない。
僕が仏壇の前を空けると瑞希姉ちゃんが両手を合わせて拝む。ずいぶん長い間、瑞希姉ちゃんは両手を合わせていた。その伏せたまぶたからは涙が溢れて、頬を濡らしている。ポケットからハンカチを出して、顔を拭く。
「ありがとう、明日香ちゃん、おばさんに合わせてくれて」
「ううん、瑞希お姉ちゃんこそ、お母さんを拝んでくれて、ありがとう」
窓際に中学校の制服がかかっている。でも制服の上に埃がかぶっている。
「明日香、お前、中学校に行ってないだろう。制服が埃だらけだぞ」
「・・・・・・」
「学校に行かないで何をしてたんだ?」
明日香の目に涙が溢れる。そして口がワナワナと震えている。
「蒼お兄ちゃんにはわからないのよ。お母さんがいなくなって、私がどんなに寂しかったのか。どんなに孤独だったのか。蒼お兄ちゃんにはわからないのよ。学校に行って、何になるのよ。お母さんもいないのに」
「・・・・・・」
「明日香ちゃんが寂しくて、孤独で、苦しかったことは部屋を見ればわかるわ。お友達からは連絡はなかったの?」
瑞希姉ちゃんが明日香の背中をさすって、涙をハンカチで拭いてあげている。
「友達から連絡はあったけど・・・・・・連絡しなかったら、連絡もなくなった。友達なんてそんなもん」
「友達から何度も連絡もらってたなら、なぜ返事をしなかったんだ?」
「どうしていいかわからなかったの。何を言っていいのかも、わからなかったの。だから返事をしなかった。返事をしなかったら、連絡もなくなった」
「そうだったのか・・・・・・」
母さんが他界してから、明日香は放心状態だったんだろう。そして無気力になったんだろう。だから友達にも連絡を取ることができなかったんだろう。
「とにかく、ここの生活環境は良くない。今日は一旦、雅之おじさんの所へ行こう」
「私がここを離れたら、お母さんが可哀そう」
「大丈夫、母さんの位牌は持って行こう。それでいいね」
明日香は泣き崩れる。瑞希姉ちゃんはタンスの上にあったボストンバックを開けて、タンスの中から明日香の衣類をボストンバックの中へ整理して入れていく。瑞希姉ちゃんの目が”このまま明日香ちゃんを放っておいてはダメ”と言っている。僕も強引にでも連れ出したほうがいいだろうと判断する。
明日香のハンカチに位牌を包んで、ボストンバックの中へ入れると、明日香は俯いたまま、動かなくなった。
僕は仏壇の前に行って、ロウソクを消して、線香を消す。そしてボストンバックを肩に背負って、明日香の肩を持つ。瑞希姉ちゃんも肩に手を回して、明日香を立たせて、玄関を出る。明日香の鞄の中から鍵を取り出して、玄関に鍵をかける。
路地を歩いて、大通りに出る。そこでタクシーを拾って、明日香を乗せる。そして瑞希姉ちゃんも僕もタクシーの乗り込む。運転手に「駅まで」と伝えると、タクシーはゆっくりと動き始める。
駅のロータリーに着いたタクシーから僕と瑞希姉ちゃんが先に降りて、明日香をタクシーの中から連れ出す。明日香はまるで人形のように黙ったまま、無気力状態だ。
自分達の駅までの切符を買って、改札を通って、駅のホームへと歩いていく。僕と瑞希姉ちゃんで明日香を挟んで、肩と腰に手を回して、明日香を連れていく。駅のホームに出て10分ほど待つと電車がホームに滑り込んできた。僕達は電車の中に乗り込み、3人で座席に座る。
すぐに僕達の街に着いた。3人で電車を降りて、改札口を出る。そしてタクシー乗り場で、タクシーに乗り込む。瑞希姉ちゃんが運転手に自分の家の住所を言う。運転手は頷くとタクシーは走り出した。
10分もしない間に瑞希姉ちゃんの家の前にタクシーが到着する。僕は支払いを済ませ、瑞希姉ちゃんは明日香をタクシーの中から連れて降りる。そしてインターホンのボタンを押す。
「私、瑞希、明日香ちゃんを連れてきたの」と瑞希姉ちゃんがインターホンに話すと、玄関が開かれて、雅之おじさんと瑞枝おばさんが玄関から駆け寄ってきた。雅之おじさんが明日香を抱えて家の中へ入る。瑞枝おばさんが「大変だったわね」と言って、瑞希姉ちゃんと僕を玄関へ誘導する。
雅之おじさんは明日香を支えて、2階の空き部屋へ入っていった。空き部屋には既に布団が敷かれている。明日香は布団の上にペタンと座り込む。
僕はボストンバックを部屋の隅に置いて、ボストンバックの中からハンカチに包まれた位牌を取り出して、布団の上の床に置いた。すると明日香が位牌に飛びついて、位牌を抱え込む。
瑞枝おばさんが僕のほうを見る。
「これから明日香ちゃんをパジャマに着替えさせるわ。蒼ちゃんもお父さんも少しの間、出て行って。瑞希は手伝って」
瑞枝おばさんと瑞希姉ちゃんは部屋の中に入ると、ドアを閉められた。すると雅之おじさんが、僕の肩に手を置く。
「明日香ちゃんは話せるような状態にないみたいだね。今日の所は蒼ちゃんも家に帰ったほうがいい。後のことはおじさんとおばさんに任せてほしい。安心していい。明日香ちゃんが勝手にどこかに行かないように、今日は瑞枝もこの部屋で寝るって言ってるから」
「明日香のことお願いします」
雅之おじさんは頷いた。僕は階段を降りて、廊下と通り、玄関を出る。玄関を出た所で瑞希姉ちゃんの家の2階へ視線を向ける。
明日香、今日はおじさんとおばさんの言うことを聞くんだぞ。無茶なことはするなよ。
僕は隣の自分の家に帰り、自分の部屋に戻って、ベッドの上に倒れ込む。今日は色々なことがあり過ぎた。目をそっと瞑る。
太陽が西に傾き、影が長く伸びる。シーンと静まりかえる墓地で、僕はどうしていいかわからずに、茫然と突っ立っているしかなかった。
瑞希姉ちゃんが号泣している明日香を抱きかかえ、背中をさすっている。瑞希姉ちゃんの目からも涙が溢れ、頬を伝って、零れ落ちる。
僕はゆっくりと歩いて、明日香に近寄る。僕は明日香の小さい頃の顔しか覚えていない。本当にこの女子は明日香なのか。僕のことを「蒼お兄ちゃん」と言った。そう呼ぶのは妹の明日香だけだ。
僕は覚悟を決めて、僕は腰を屈めて、明日香の肩に手を乗せる。
「僕が蒼お兄ちゃんだよ。明日香だよね。大きくなったね。元気だったかい?」
僕は精一杯の優しい笑顔を作って、明日香に語りかける。すると明日香が僕の首に手を回して、抱き着いてきた。
「蒼お兄ちゃん。蒼お兄ちゃんだ。会いたかった。会いたかったよ」
明日香は僕に会いたかったと連呼する。
僕は明日香の背中をさする。瑞希姉ちゃんは自分の頬に伝う涙を、僕のハンカチで拭いている。
どれくらい明日香は泣いただろうか。ずいぶんと明日香が落ち着いてきた。瑞希姉ちゃんが明日香の背中を優しくポンと叩く。
「もう夕焼けになってるから、この辺りも暗くなってくるわ。一旦、街へ戻りましょう。私、お寺の住職さんに頼んでタクシー呼んでもらってくる」
瑞希姉ちゃんはお寺の隣の建物へ走っていった。僕は明日香の腰に手を回して、明日香を支え、墓地の中をゆっくりと歩く。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
僕と明日香の間に沈黙が流れる。僕は明日香にどう声をかけたらいいのだろう。たぶん明日香も同じことを考えていると思う。
瑞希姉ちゃんと寺の門で合流する。寺の階段に3人で座ってタクシーを待つ。
「タクシー20分ほどで着くらしいわ。明日香ちゃんはこの街に住んでるの?」
明日香は激しく首を横に振った。
「そうか明日香はこの街に住んでないんだ。どこに住んでいるんだい?」
明日香はボソリと街の名前を言った。今、僕が住んでいる街の隣街じゃないか。電車の駅で5つほどだ。
「母さんは元気なの?」
「お母さんは半年前に死んだの。死因は心筋梗塞。私が学校に行ってる間に倒れていたって、隣に住んでるおばさんが見つけてくれたの」
「・・・・・・」
母さんが死んだ。僕は頭の中で、その言葉を何回も繰り返す。不思議と母さんが死んだと聞いても、驚きも何もなかった。涙も出てこない。自分でも不思議だ。
僕は母さんと明日香と別れて暮らすようになってから、極力、母さんのことを思い出すことをやめた。思い出して悲しんでも、母さんが戻ってくることはないから。そのうち、母さんの顔も思い出せなくなった。
僕が覚えているのは、母さんと明日香が家を出て行った時の母さんの後ろ姿と、明日香の泣いている顔だけだ。
「今はどうしてるのかな。母さんの親類の人と暮らしてるのかな?」
また、明日香は首を激しく横に振る。
「私、お母さんと暮らしていた街で独り暮らしをしてる」
「とにかく、明日香ちゃんを送っていきましょう」
瑞希姉ちゃんが明日香の背中をさすっている。
タクシーが到着した。瑞希姉ちゃんと明日香が後部座席に乗り、僕は助手席に乗る。タクシーの運転手に駅まで行ってもらうように伝える。タクシーは街中へ向かって走り始める。
タクシーは街中へ入り、駅へと向かっていく。タクシーの中に沈黙が漂う。明日香は瑞希姉ちゃんにもたれている。
タクシーを降りて、駅近くの喫茶店へ入った。僕と瑞希姉ちゃんがアイスミルクティーとサンドイッチを頼み、明日香はアイスオーレを頼んだ。
ウエイトレスのお姉さんが僕達の注文したメニューを次々と運んでくる。明日香が僕の顔を見る。
「蒼お兄ちゃん、サンドイッチ食べてもいい?」
「うん、いいよ。沢山、食べたらいいよ」
明日香はサンドイッチを手に取ると、小さな口でサンドイッチを食べていく。上品に食べているが、食べる速度が速い。相当、お腹を空かしていたようだ。僕はウェイトレスのお姉さんに追加でサンドイッチを頼む。
明日香はサンドイッチ一皿をペロリと食べてしまった。
「昔から明日香ちゃんは蒼ちゃんとよく似ていたけど、今はもっと似てるわ。まるで双子みたいね」
「・・・・・・」
僕は明日香の顔を見る。確かに僕の顔によく似てるけど、双子は言い過ぎじゃないかな。
瑞希姉ちゃんは優しい眼差しで明日香を見つめている。
「明日香ちゃんは独り暮らしって言ってたけど、今、どうやって暮らしているの?」
「お母さんの親戚から仕送りしてもらって暮らしてる」
「学校には通ってる?学校は楽しいかな?」
「・・・・・・」
会ったばかりだし、色々と言えないこともあるよな。どこまで踏み込んで聞いたらいいんだろうか。
僕は手を伸ばしてサンドイッチを口に運ぶ。すると明日香がジーっとサンドイッチを見ている。
「サンドイッチ食べたいなら、僕の分を食べてもいいよ」
「うん、ありがとう、蒼お兄ちゃん」
明日香はサンドイッチに手を伸ばす。あっという間にサンドイッチがなくなった。
「もしかすると、明日香、あんまり食べられてないのか?」
「お母さんの親戚からの仕送りだから、生活費だけでもギリギリ。食事は1日、1回にしてるけど、それでも足りない時は2日に1回の食事にしてる」
そういえば、明日香の体は妙に痩せているな。そんな苦しい生活をしていたのか。
「今日、明日香の家にお邪魔してもいいかな?母さんの位牌にも手を合わせたいし」
「うん、蒼お兄ちゃんさえいいなら」
「明日香ちゃん、私も蒼ちゃんと一緒に行っていいかな。おばさんの位牌に手を合わせたいの」
「うん、いいよ・・・・・・瑞希お姉ちゃん」
僕と瑞希姉ちゃんもサンドイッチを食べて、アイスミルクティーを飲む。明日香は既にアイスオーレを飲み干していた。僕達は食べ終わって、僕は支払いを済ませて、喫茶店を出る。そして駅に向かった。
明日香に何駅で降りるか、教えてもらって、駅の券売機で切符を3枚買って、明日香と瑞希姉ちゃんに切符を渡して、改札を通ってホームまで歩く。僕達がホームに着くと、運よくすぐに電車が来た。僕達は電車に乗り込む。僕、瑞希姉ちゃん、明日香の順番で席に座る。
電車に乗ってすぐに、明日香は瑞希姉ちゃんにもたれて眠ってしまった。泣き疲れたようだ。僕と瑞希姉ちゃんは手を繋ぐ。
瑞希姉ちゃんが僕の耳元に顔を寄せて小さくささやく。
『さっき、喫茶店でトイレに行くふりをして、お父さんに連絡しておいたの。明日香ちゃんの生活環境が悪いようなら、家に一旦、連れてきなさいって、お父さんが言ってたわ』
『雅之おじさんと瑞枝おばさんにはお世話になりっぱなしだね』
『そんなのはいいのよ。お父さんは蒼ちゃんのお父さんの親友だもの。お父さんは明日香ちゃんも助けたいと思ったはずよ』
『ありがとう』
雅之おじさんと瑞枝おばさんの優しさに感謝する。そして瑞希姉ちゃんの気配りに。
電車に乗って2時間半が過ぎた。瑞希姉ちゃんが明日香を起こす。明日香しか、住んでいる場所がわからないからだ。僕達は10分ほど電車に揺られて後に、明日香に教えてもらい、電車を降りる。そして改札口を出て、駅のロータリーまで歩く。
「ここからはどうすればいいのかな?バスに乗るの?それとも徒歩でいけるかな?」
「徒歩でも大丈夫。いつも徒歩だから」
明日香は俯いたまま、ボソボソと答える。明日香の手を瑞希姉ちゃんが握っている。明日香が無言で指差す方向へ歩いていく。歩いている間も始終無言だ。時々、明日香が道を教えてくれる。
20分ほど歩いて住宅街に入る。それから細い路地を10分ほど歩くと古い2階建てのアパートが現れた。明日香はそのアパートの2階へ上がっていく。
アパートは建てられてから相当の年月が経っていると思う。塗料は剥げて、サビが浮いている。階段も手すりや床がサビて、小さい穴が所々に空いている。
2階の1番奥の扉で明日香が止って、斜めにかけていた鞄の中から鍵を取り出して、鍵で扉を開けて明日香は家の中へ入る。
瑞希姉ちゃんと明日香の家の中に入ると1DKになっていた。小さい台所には汚れた食器類で山盛りになっている。台所の横にあるテーブルの上にはカップ麺のゴミが、食べカスが転がっている。
部屋の中は薄汚れていて、掃除を相当の間していないのだろう。埃っぽい。僕と瑞希姉ちゃんは靴を脱いで、奥の部屋へと入っていく。
奥の部屋には小さなテレビが置かれていて、ゲーム機が接続されていた。タンスの隣に小さな仏壇が置かれている。位牌の前には小さな写真立てがあり、母さんの写真が飾られている。
その写真を見て、やっと母さんの顔を思い出した。
明日香が仏壇の前に座って、ロウソクを点けて、線香をたく。そして両手を合わせて拝んで、「今日は、蒼お兄ちゃんが会いに来てくれたよ。それと昔に隣に住んでいた瑞希お姉ちゃんも来てくれたよ」と、母さんに話しかけている。
明日香は立つと仏壇の前を空ける。僕は仏壇の前に座って両手を合わせて拝む。母さんのことを思い出せない。涙もでない。なんていえばいいんだろう。母さん、蒼大です。僕は元気です。言葉が浮かばない。どう言っていいかわからない。
僕が仏壇の前を空けると瑞希姉ちゃんが両手を合わせて拝む。ずいぶん長い間、瑞希姉ちゃんは両手を合わせていた。その伏せたまぶたからは涙が溢れて、頬を濡らしている。ポケットからハンカチを出して、顔を拭く。
「ありがとう、明日香ちゃん、おばさんに合わせてくれて」
「ううん、瑞希お姉ちゃんこそ、お母さんを拝んでくれて、ありがとう」
窓際に中学校の制服がかかっている。でも制服の上に埃がかぶっている。
「明日香、お前、中学校に行ってないだろう。制服が埃だらけだぞ」
「・・・・・・」
「学校に行かないで何をしてたんだ?」
明日香の目に涙が溢れる。そして口がワナワナと震えている。
「蒼お兄ちゃんにはわからないのよ。お母さんがいなくなって、私がどんなに寂しかったのか。どんなに孤独だったのか。蒼お兄ちゃんにはわからないのよ。学校に行って、何になるのよ。お母さんもいないのに」
「・・・・・・」
「明日香ちゃんが寂しくて、孤独で、苦しかったことは部屋を見ればわかるわ。お友達からは連絡はなかったの?」
瑞希姉ちゃんが明日香の背中をさすって、涙をハンカチで拭いてあげている。
「友達から連絡はあったけど・・・・・・連絡しなかったら、連絡もなくなった。友達なんてそんなもん」
「友達から何度も連絡もらってたなら、なぜ返事をしなかったんだ?」
「どうしていいかわからなかったの。何を言っていいのかも、わからなかったの。だから返事をしなかった。返事をしなかったら、連絡もなくなった」
「そうだったのか・・・・・・」
母さんが他界してから、明日香は放心状態だったんだろう。そして無気力になったんだろう。だから友達にも連絡を取ることができなかったんだろう。
「とにかく、ここの生活環境は良くない。今日は一旦、雅之おじさんの所へ行こう」
「私がここを離れたら、お母さんが可哀そう」
「大丈夫、母さんの位牌は持って行こう。それでいいね」
明日香は泣き崩れる。瑞希姉ちゃんはタンスの上にあったボストンバックを開けて、タンスの中から明日香の衣類をボストンバックの中へ整理して入れていく。瑞希姉ちゃんの目が”このまま明日香ちゃんを放っておいてはダメ”と言っている。僕も強引にでも連れ出したほうがいいだろうと判断する。
明日香のハンカチに位牌を包んで、ボストンバックの中へ入れると、明日香は俯いたまま、動かなくなった。
僕は仏壇の前に行って、ロウソクを消して、線香を消す。そしてボストンバックを肩に背負って、明日香の肩を持つ。瑞希姉ちゃんも肩に手を回して、明日香を立たせて、玄関を出る。明日香の鞄の中から鍵を取り出して、玄関に鍵をかける。
路地を歩いて、大通りに出る。そこでタクシーを拾って、明日香を乗せる。そして瑞希姉ちゃんも僕もタクシーの乗り込む。運転手に「駅まで」と伝えると、タクシーはゆっくりと動き始める。
駅のロータリーに着いたタクシーから僕と瑞希姉ちゃんが先に降りて、明日香をタクシーの中から連れ出す。明日香はまるで人形のように黙ったまま、無気力状態だ。
自分達の駅までの切符を買って、改札を通って、駅のホームへと歩いていく。僕と瑞希姉ちゃんで明日香を挟んで、肩と腰に手を回して、明日香を連れていく。駅のホームに出て10分ほど待つと電車がホームに滑り込んできた。僕達は電車の中に乗り込み、3人で座席に座る。
すぐに僕達の街に着いた。3人で電車を降りて、改札口を出る。そしてタクシー乗り場で、タクシーに乗り込む。瑞希姉ちゃんが運転手に自分の家の住所を言う。運転手は頷くとタクシーは走り出した。
10分もしない間に瑞希姉ちゃんの家の前にタクシーが到着する。僕は支払いを済ませ、瑞希姉ちゃんは明日香をタクシーの中から連れて降りる。そしてインターホンのボタンを押す。
「私、瑞希、明日香ちゃんを連れてきたの」と瑞希姉ちゃんがインターホンに話すと、玄関が開かれて、雅之おじさんと瑞枝おばさんが玄関から駆け寄ってきた。雅之おじさんが明日香を抱えて家の中へ入る。瑞枝おばさんが「大変だったわね」と言って、瑞希姉ちゃんと僕を玄関へ誘導する。
雅之おじさんは明日香を支えて、2階の空き部屋へ入っていった。空き部屋には既に布団が敷かれている。明日香は布団の上にペタンと座り込む。
僕はボストンバックを部屋の隅に置いて、ボストンバックの中からハンカチに包まれた位牌を取り出して、布団の上の床に置いた。すると明日香が位牌に飛びついて、位牌を抱え込む。
瑞枝おばさんが僕のほうを見る。
「これから明日香ちゃんをパジャマに着替えさせるわ。蒼ちゃんもお父さんも少しの間、出て行って。瑞希は手伝って」
瑞枝おばさんと瑞希姉ちゃんは部屋の中に入ると、ドアを閉められた。すると雅之おじさんが、僕の肩に手を置く。
「明日香ちゃんは話せるような状態にないみたいだね。今日の所は蒼ちゃんも家に帰ったほうがいい。後のことはおじさんとおばさんに任せてほしい。安心していい。明日香ちゃんが勝手にどこかに行かないように、今日は瑞枝もこの部屋で寝るって言ってるから」
「明日香のことお願いします」
雅之おじさんは頷いた。僕は階段を降りて、廊下と通り、玄関を出る。玄関を出た所で瑞希姉ちゃんの家の2階へ視線を向ける。
明日香、今日はおじさんとおばさんの言うことを聞くんだぞ。無茶なことはするなよ。
僕は隣の自分の家に帰り、自分の部屋に戻って、ベッドの上に倒れ込む。今日は色々なことがあり過ぎた。目をそっと瞑る。