瑞希姉ちゃんが僕のベッドに潜り込んできたようだ。良い香りでわかる。僕は微睡みながら、瑞希姉ちゃんを抱き寄せる。とても落ち着く。安心する。昨日の不安なんて一瞬のうちに消えてなくなる。瑞希姉ちゃんの呟きが聞こえる。


『今日は風邪って言って、学校、休んじゃった』

『僕も学校休む』


 僕はあまり意識がハッキリしないまま、瑞希姉ちゃんに言う。瑞希姉ちゃんが、僕のその言葉を聞いて、僕の体を抱き寄せる。僕の頬と瑞希姉ちゃんの頬が当たっている。とてもスベスベして気持ちがいい。僕の意識がまた沈んでいく。


 肩を揺らされて、起こされる。眠た目を擦って時間を見ると8時だった。


「蒼ちゃん、学校に連絡しないと、無断欠席になっちゃうよ」

「うん、学校に連絡する。瑞希姉ちゃんは声を出しちゃダメだよ」


 机の上にあった、スマホを取って、学校へ連絡する。ダル先生が出たので「今日は体調がすぐれないので休みます」と言うと、ダル先生は「わかった」と言って、電話が切れた。ダル先生は色々と聞いてこないので助かる。


 僕はまだヨロヨロしている体でベッドに戻って目を瞑る。瑞希姉ちゃんが髪の毛を優しく撫でてくれる。それだけで安心する。また瑞希姉ちゃんが、僕の体を抱き寄せる。良い香りが僕を包み込む。そのまま眠ってしまう。


 いつまでも背中をさすってくれている手が気持ちいい。どんどん意識がなくなっていく。


 次に目覚めた時は10時過ぎだった。僕の目の前には瑞希姉ちゃんの大きな胸があった。慌てて、布団の中から首を出すと、瑞希姉ちゃんの寝顔がある。とても可愛い。


 指先で頬をツンツンと突く。瑞希姉ちゃんは痒いのか頬を掻く。寝返りをうって、背中を向いてしまった。瑞希姉ちゃんを起こさないように布団から抜け出して、部屋を出て1階へ向かう。台所へ向かい、冷蔵庫を開けて、麦茶を出す。麦茶をコップに注いで、一息に麦茶を飲む。麦茶の冷たさで意識がハッキリしてくる。


 10時過ぎか、結構、よく寝たな。学校も休んじゃったし、これからどうしようかな。


 2階の部屋に戻ると、瑞希姉ちゃんが起きていて、ベッドの布団を抱えて、三角座りをしていた。


「どうしたの?起きちゃったの?」

「急に蒼ちゃんの匂いがなくなったから、目が覚めちゃった」


 僕ってそんなに臭いのかな。自分の体をクンクンと匂ってみるけど、自分の匂いなので、全くわからない。それを見た瑞希姉ちゃんがクスクスと笑っている。


「そんな臭い匂いじゃないの。蒼ちゃんの匂いは蒼ちゃんの匂いなの。ミルクのような匂いがするの」


 それだと、僕の体臭って赤ちゃんと同じじゃないか。僕ってそんなに乳臭いのかな。


 僕がベッドの上に座ると、瑞希姉ちゃんが布団をかけてくる。僕も瑞希姉ちゃんの隣で三角座りをする。


「目がさめちゃったね」

「うん」

「これからどうしようか?」

「うん」

「うんしか言わないの?」

「うん」


 このまま2人で一緒に座っているのが気持ちいい。だから言葉が出てこない。瑞希姉ちゃんが僕の肩にもたれかかってくる。その重さも気持ちいい。瑞希姉ちゃんが目を瞑る。そして僕も目を瞑った。隣から寝息が聞こえる。それを聞いていると、また眠気がきて、僕も微睡んでいく。


 どれだけ、2人で寄り添って寝ていたんだろう。長い時間、寄り添って寝ていたような気がするけど、目が覚めた時には12時になっていた。


 僕が目を覚ますと、瑞希姉ちゃんも目を開けた。


「蒼ちゃんは熟睡マシーンだね。蒼ちゃんと2人でいると、いつまでも寝ちゃえる。こんなだらしないお姉ちゃんでごめんね」

「それは僕も同じ、瑞希姉ちゃんと寄り添っていると、ずーっと眠れる。このままじゃ、ダメダメだね」


 2人で目を合わせて、一緒にクスクスと笑った。


「お昼過ぎちゃったし、少し、外に出ようか?このままだと、いつまでも寝ちゃうから」

「うん。瑞希姉ちゃんと一緒なら、どこでもいいよ」


 最近、気づいたことだが、僕のタンスの中が整理されて、タンスの1段が空になっていた。その中に今は瑞希姉ちゃんの私服が少し入っている。


「それじゃ、私、着替えるね」

「うん。僕、1階のリビングにいるよ」


 僕は部屋を出て、洗面所へ向かい、歯を磨いて、顔を洗う。そして、リビングのソファに座った。瑞希姉ちゃんがこの家にいるというだけで、家の中が明るくなったような気がする。どこにも寂しさはない。


 瑞希姉ちゃんが白のレースのブラウスと花柄のスカートに着替えて1階に降りてきた。僕は瑞希姉ちゃんと交代して2階の自分の部屋で着替える。Tシャツの上からパーカーを羽織って、デニムを履く。着替え終わった僕が1階に降りると、瑞希姉ちゃんがにっこりと笑っている。洗面所でブローしたのだろう。今の瑞希姉ちゃんは髪の毛を下ろして、内巻きに少しカールさせている。とても大人っぽくて、きれいだ。


 僕達は玄関の鍵を閉めて、道路へ出る。2人で手を繋いで、歩道を歩いて、路地を曲がり、大通りへ出る。大通りを歩いていると、道を歩いている男性が瑞希姉ちゃんを見て、一瞬止まったって見惚れたり、チラチラと盗み見して歩いていく。やっぱり瑞希姉ちゃんって他の人から見てもきれいなんだ。僕は嬉しくなる。


 大通りを歩いて駅に向かう。瑞希姉ちゃんはいたずらっ子のような笑顔を見せて、切符を2枚買う。僕達は電車に乗って、2人並んで席に座る。瑞希姉ちゃんに僕はもたれかかって、肩に頭を乗せて目を瞑る。瑞希姉ちゃんがクスクスと笑っている。だってこのほうが良い匂いがするから仕方がない。


 電車は普通電車で、ゆっくりと1駅、1駅止っていく。電車に入って来る人、電車から出て行く人、どんどんと人が入れ替わる。そして景色もどんどんと変わっていく。電車で3時間ほど行った駅で、電車を降りた。


 ここは僕が前に住んでいた街だ。なぜ、瑞希姉ちゃんが知っているのだろう。


「私ね、1度だけこの街に来たことがあるの。お父さんに蒼ちゃんの住んでる街の名前を聞いて、こうやって電車できたの。懐かしい。でも、その時、街の名前しか教えてもらってなくて、結局、駅を降りたんだけど、蒼ちゃんの住んでる住所を知らなくて、電車に乗って帰ったんだよね。まさかお父さんも街の名前だけで、私が電車に乗って、この街へ行くとは思わなかったみたい。お父さんにそのことを話したら、少し怒られちゃって、蒼ちゃんの住所を教えてくれなかった」


 瑞希姉ちゃん、僕に会いに来てくれていたんだ。ありがとう。


 僕達は改札を出て、駅を出る。


「この街に蒼ちゃんのお父さんのお墓があるんでしょう。私、蒼ちゃんのお父さんのお墓に行きたいの。一度も手を合わせていないから」

「うん。ありがとう。じゃあ、ちょっと遠いからタクシーで行くね」


 駅前でタクシーに乗って、運転手にお寺の名前を言う。タクシーは発進して僕が言ったお寺に向かって走りだした。


 タクシーは街中を過ぎて少し山間部へ入っていった所にある、お寺で停車した。僕はタクシー代を支払って、瑞希姉ちゃんと一緒にタクシーから降りる。


「ここに蒼ちゃんのお父さんが眠っているのね。蒼ちゃんのお父さんに会いたかったな。とても優しい人だったから」

「・・・・・・」


 僕と瑞希姉ちゃんは手を繋いで、寺の中へ入っていく。


「あ、お花を買ってくるのを忘れた」

「急に来たんだし、手を合わせてもらうだけで、父さんは喜ぶと思うよ」


 きっと父さんは瑞希姉ちゃんを見て、きれいになったと驚くに違いない。そして優しく笑うだろう。


 2人で墓地の中を歩いていく。墓地って不思議な気分になる。この墓石の数だけ死んだ人が眠っている。しーんと静まりかえる、この土地で、静かに眠っている。その眠りを汚しちゃいけないような気がいつもする。


 僕達は父さんの墓についた。瑞希姉ちゃんと僕はしゃがんで墓石に向かって手を合わせる。


 父さん、瑞希姉ちゃんが父さんに会いたいっていうから、連れてきたよ。瑞希姉ちゃん、きれいになって、優しくて、可愛くて、料理が上手で、なんでもできて、僕は今でも瑞希姉ちゃんのことが大好きなんだよ。今、僕は幸せに生きてるよ。心の中で父さんに向けて語る。


 瑞希姉ちゃんが手を合わせて、目を瞑っている。その目から涙が溢れて、頬を伝っている。


「蒼ちゃんとまた、出会うことができました。そして、また一緒に学校に行ったり、一緒に食事をしたり、一緒に勉強をしたり、一緒に遊んだりすることができるようになりました。それもおじさんが家を蒼ちゃんに残してくれたからです。叔父さん、本当にありがとう。叔父さんは私の心も救ってくれました。こうして蒼ちゃんと暮らせるようにしてくれたから。蒼ちゃんのことを一生、大事にします。一生、私がお世話していきます。蒼ちゃんのことが大好きです。蒼ちゃんのことを愛しています。ありがとう叔父さん」


 瑞希姉ちゃんの目から大粒の涙が零れ落ちる。瑞希姉ちゃんは小さな声で父さんに語りかけ続ける。


 僕はポケットからハンカチを出して、瑞希姉ちゃんの頬を拭いた。瑞希姉ちゃんは僕のハンカチを取って、自分で顔を拭く。僕はその様子を黙って見ていた。ありがとう瑞希姉ちゃん。


 父さんの墓には菊の花が飾られていた。誰が花をいけてくれたんだろう。


 僕達の後ろで、バシャーと桶を落として、中から水が零れる音が聞こえる。


 僕と瑞希姉ちゃんは咄嗟に立ち上がって、桶の音がした方向へ振り返る。そこには1人の女子がいた。


 女子は僕の顔を見て、口を押えて、涙を流している。その口から言葉が零れた。


「お兄ちゃん、お兄ちゃんなの?蒼お兄ちゃんなの?」


 瑞希姉ちゃんがハッとした顔をする。


「明日香なのか。妹の明日香か」


 女子は僕に名前を呼ばれて、その場でしゃがみこんで泣き崩れた。


 瑞希姉ちゃんは走って行って、明日香の体を抱きすくめて、背中をさする。


「明日香ちゃん。会いたかったよ。瑞希姉ちゃんだよ。覚えてるかな。今日、会えてよかったよ。」


 瑞希姉ちゃんは泣きながら、明日香の背中を何回もさする。僕はただ茫然とそこ場に立っているだけだった。

 西日が僕達3人を照らす。3人の影が墓地に長く浮かび上がる。