実力テストが始まった。毎日のように瑞希姉ちゃんに勉強を教えてもらっていたので、今回の実力テストは案外と良い点数が取れるかもしれない。これは期待できるかも。


 隣の席の咲良は僕に向かって感謝の言葉を伝えてくる。僕が要点を教えた箇所が実力テストで多く出題されたらしい。「本当に蒼に勉強を教わっておいてよかった~。私1人だったらアウトだったわ。ありがとう」と感謝されている。


 瑛太は元々、テストの点数は良いらしく、「今回のテストも僕には楽勝でしたよ」と余裕な言葉を言って、ニコニコと笑っている。


 悠は実力テストが始まってから、言葉数が少ない。それに目の下にクマができている。一夜漬けで勉強を必死にやっていたのだろう。今は話しかけない方が良さそうだ。


 蓮はなぜかハイテンションで「こんなもの気軽に考えればいいのさ~」と言っているが、顔色が冴えない。体もヨロヨロとしている。これは赤点確実コースかも。そうなれば居残りの補習と再テストが待っている。


 芽衣はおっとりとした口調で「今回のテストは難しかったですね~」とにっこり笑っている。まったく困っている様子もない。芽衣のことだから、きちんと勉強して、きっちりと良い点数をゲットすることだろう。


 莉子は「今の私に声をかけるなんて、アンタ死にたいの」と凄まれてしまった。随分、ご機嫌斜めのようだ。しかし、「こんなテストで私の実力なんて測れないのよ」と意味不明な強気発言を繰り返しているから、莉子の実力がどれほどのものなのかわからない。


 こんな感じで実力テストは、過ぎて去っていった。











 実力テストの答案が返却された当日に、廊下にある掲示板に学年の成績1位から50位までが張り出される。みんなは朝、登校してきてから掲示板にくぎ付けだ。


 HRが終わってダル先生が教室から出て、職員室に向かったのを確かめてから、僕はそっと教室を抜け出して、掲示板の成績表を見に行った。この時間であれば、生徒は誰も出てきていないから、ゆっくりと眺めることができる。


 50位から順番に名前を見ていく。なんと僕の名前があった。それも順位が18位だ。瑛太は32位で、芽衣はなんと5位だった。さすが芽衣だな。優しくて、おっとりしていて、お姉さんみたいな包容力があって、成績までいいなんて、芽衣がクラスでも人気があるわけだ。


 成績表に集中しすぎて後ろに誰かがいることに気付かなかった。


「すごいよ~、蒼。順位18位じゃん。やぱり頭良かったんじゃん。蒼に勉強を教えてもらって正解だったわ」


 後から呼びかけられて振り返ると咲良がにっこりと笑って、僕のことを喜んでくれている。「ありがとう」と言って、僕は咲良の手を無意識に握って教室へ戻った。するとそれを見ていた莉子が、立ち上がって僕と咲良を指さす。


「蒼大、なんで咲良と手を繋いでるの。ちょっと成績良かったからって、浮かれすぎなんじゃない」


 莉子に指摘されて、咲良と無意識に手を繋いでしまったことに気が付いた僕は、咲良の手を慌てて放す。僕に手を握られていた咲良は耳まで真っ赤にして、自分の席に座った。


 僕も自分の席について、大人しく授業の用意をする。莉子ったら、そんなことを大声で言わなくてもいいだろう。クラスの皆の注目が僕に集まってしまったじゃないか。これから授業だし、逃げ出すこともできないよ。


 1時間目の科目担当の先生が教室に入ってきたことで、集中していた視線が消えて、僕は安堵の息を吐く。


 帰ったら、すぐに瑞希姉ちゃんに報告しなくちゃ。だって、この成績は瑞希姉ちゃんの助けがなければあり得なかったことだ。何かお礼をしなくちゃな。瑞希姉ちゃん、この成績を聞いたら、絶対に喜んでくれるはずだ。


 授業を聞いていても、自然と顔がほころぶ。ニコニコと笑っていたら、3回も先生に質問された。なんとか全問正解できたけど、浮かれすぎるのも要注意だよな。


 なんとか午前中の授業を無難に乗り越え、昼休みのチャイムがなった。僕、瑛太、蓮、悠は食堂へ向かう。廊下を歩く瑛太、蓮、悠の足取りは重い。


 食堂に入ると4人座れる席を僕が確保する。瑛太、蓮、悠の3人は日替わり定食のトレイを持って席に座る。今日の定食はエビフライだ。今日の定食は美味しそうだな。でもお弁当を食べてから日替わり定食を食べられるほど、僕の胃は大きくない。


 せっかく瑞希姉ちゃんが作ってくれた、美味しいお弁当だ。美味しくいただかないとバチが当たる。


 僕はお弁当の蓋をあけると、今回は卵焼きがハートマークに作られていた。瑞希姉ちゃんって凝り性だよね。ハートマークの卵焼きを口の中へ放り込む。やっぱり旨い。瑞希姉ちゃんの卵焼き、最高です。


「あら、可愛いお弁当ね。ずいぶんとハートマークがいっぱいなのね。彼女の手作り?」


 いきなり隣にいた女子生徒に声をかけられた。僕は口の中に入っていた卵焼きを急いで飲みこむ。隣に座っている。ボブカットの女子生徒がにっこりと笑う。今まで見たことない顔だ。誰なんだろう。


「これはお姉ちゃんに作ってもらったお弁当で、お姉ちゃんがハートマークが好きだから。僕も困ってるんですよね」


「あら、そうだったの。今度、瑞希先輩に言わないとね。それ作ったの瑞希先輩なんでしょう。空野蒼大くん」


 どうして、僕の名前を知ってるんだ。一体、誰なんだろう。


「私の名前は藤野香織(フジノカオリ)、現・生徒会長を務めさせてもらっているわ。空野くんは転校生だから、私の記憶に残っていたの。どうぞ、よろしくね」


 すると、藤野さんの目の前に座っている男性が僕に爽やかに微笑む。なんてイケメンなんだ。俳優にでもなれそうだ。モデルにもなれるだろう。


「妹がいきなり声をかけてすまないね。妹はなぜか、瑞希のことをライバル視していてね。僕の名前は藤野健也(フジノケンヤ)、元・生徒副会長だ。君のことは転校する前から瑞希から聞いている。よろしく。瑞希の愛しい幼馴染くん。僕も負けないからね」


 元・生徒会副会長に現、生徒会長で、兄妹か。兄妹そろって美男美女だな。そういえば今回の成績表のトップの人の名前が藤野香織って書いてあった。現・生徒会長だったんだ。それよりも、「僕も負けない」ってどういう意味だろう。


「空野蒼大と言います。はじめまして。よろしくお願いします」


 瑛太、蓮、悠の様子がおかしい。静かすぎる。何か見つかってはいけないモノから身を隠しているようだ。


「今日はたまたま隣に座っただけだから。挨拶だけにしておきましょう。私も瑞希先輩には負けないわ。行きましょう。お兄様」


 2人は席を立って、トレイの返却口まで歩いていく。そして藤野香織は兄の藤野健也に寄り添って、まるで恋人同士のように食堂から出て行った。


 蓮がいきなり背を伸ばして、緊張を解きほぐす。悠も首を回している。瑛太も肩を動かしてリラックスさせているようだ。


 蓮が今までの沈黙がウソのように藤野香織について教えてくれる。


 あの兄妹がこの高校でも有名な藤野兄妹ということだ。現・生徒会長の藤野香織は大のお兄さん好きで、相当なブラコンらしい。「美少女なのにもったいね~」と蓮は言う。


 なにかにつけて、瑞希姉ちゃんをライバル視していることでも有名で、成績は毎回、学年トップ。それも瑞希姉ちゃんと張り合ってるからという噂もあるらしい。


 瑞希姉ちゃんに張り合っている理由が、兄の元・生徒副会長、藤野健也の存在だ。


 学校NO1のイケメンで、スポーツ万能、成績も常に学年2位という。その藤野健也が瑞希姉ちゃんに好意を持っていることでも有名で、瑞希姉ちゃんは藤野健也からアプローチされているにも拘わらず、それを無視しているという噂もあるらしい。


 そのことで気分を害している藤野香織が、瑞希姉ちゃんをライバル視しているという見方が、この高校全体の生徒の見方だということだ。



 悠は1つ咳払いをすると、
「蒼大、藤野兄妹には近づくな。お前のことを瑞希姉ちゃんが可愛がっていることを、あの2人は知っている。特に藤野香織には気をつけろ。瑞希姉ちゃんのことをライバル視しているからな。瑞希姉ちゃんにとってお前は・・・・・・何でもない。とにかく藤野兄妹を見かけたら距離を取れ」
と忠告してきた。


「僕はいくら美人でも、あんな冷たそうな女子とは仲良くしたくない。僕の人生経験では、ああいう女子は心が冷たい。瑞希姉ちゃんと全く違う」


 瑛太まで藤野香織を敬遠しているようだ。


 3人がこれほど忠告してくれているのだから、僕も注意しておいたほうがいいだろう。そんな厄介な兄妹の相手なんてしたくない。


「おい、早く食べないと昼休憩が終わっちまうぞ」


 蓮が急いで日替わり定食を食べだした。僕も急いでお弁当を食べる。瑞希姉ちゃんが作ってくれたお弁当だ。米粒1つも残したりするもんか。


 3人がトレイを返却口に返しに行って、僕が食堂の入り口で待っている時に、昼休憩の終わりのチャイムが鳴った。僕達は廊下を走って、教室に戻った。


 教室に帰ってきたけど、授業の内容が全く頭に入ってこない。藤野兄妹のことばかり考えてしまう。


 現、生徒会長の藤野香織は大のブラコン。その兄である藤野健也が瑞希姉ちゃんのことを好きなことが原因か。


 だとしたら、生徒会長になったのも、学年で成績トップでいるのも瑞希姉ちゃんに対抗しているわけか。凄い根性というか闘争心というか。なんと言ったらいいのかわからないけど、とにかく凄い迫力だな。


 藤野健也か。俳優でもモデルにでもなれそうなイケメンで、スポーツ万能、勉強の成績は毎回学年で2位。完璧過ぎるくらいの男子だ。蓮の話だと、憧れている女子は1年生から3年生まで相当な数に上るという。


 そんな男子から瑞希姉ちゃんはアプローチを受けてるのか。どうして瑞希姉ちゃんは無視し続けているんだろう。


 あんな良い男子であれば、普通はアプローチをされて嬉しいはずだよ。やっぱり瑞希姉ちゃんも密に喜んでいるのかな。なんでこんなに心臓がドキドキするんだろう。


 もし瑞希姉ちゃんと藤野健也が両想いなら、僕はどうなるのかな。もう瑞希姉ちゃんに相手にしてもらえないのかな。


 なぜ、僕はそんなことを心配してるんだろう。わからない。でも凄く不安だ。


 隣の席から、僕の机に付箋が貼られた。咲良からだ。付箋を見ると「顔色が真っ青よ。体の調子でも悪いの?」と書かれていた。僕は「大丈夫」と書いて、咲良の机に付箋を貼った。


 そんなに僕は青い顔をしてるんだろうか。僕は何を怯えてるんだろう。わからない。


 でも、今日は放課後は一直線に家に帰ろう。そして早く瑞希姉ちゃんの顔を見て安心したい。なんだかとても早く会いたい。安心したい。この不安はなんだろう。こんな経験を今までしたことがない。父さんが他界した時だって、こんなに不安になったことはなかった。僕はどうなったんだろう。


 午後の授業が終わって、ダル先生のHRも終わって、放課後になった。咲良が僕の肩をポンポンと優しく叩く。


「どうしたの、蒼。今日、昼休憩が終わってから、様子が変だよ。ずーっと授業は聞いてなかったようだし、ボーっとしてるし、顔色も青いし、体調が悪いなら一緒に帰ろうか?私、付き添いしてあげるよ」


「大丈夫。今日は家に用事があるから、急いで帰らないといけないんだ。ありがとう、咲良」


 僕は鞄を持つと、教室を飛び出して、1階の靴箱まで走る。そして靴を履き替えて、急いで校舎をでて、家までの道を走った。自分でも何を焦っているのかわからないけど、とにかく早く安心したい。


 家まで続く歩道で僕は力尽きて、息をハァハァと吐いて、肺が苦しい。よく考えれば、こんなに早く帰っても、瑞希姉ちゃんが家にいるはずがない。僕は何を焦っていたんだろう。冷静になれよ。


 少し冷静になって家まで歩道を歩く。そして家の玄関の鍵を開けて、玄関で靴を脱いで、リビングに鞄を置く。すると風呂場の脱衣所のほうからガサゴソと音が聞こえた。こんな時間に瑞希姉ちゃんがまだ帰っているはずがない。一体、なんだろう。


 そっと風呂場の脱衣所を覗くと、そこには髪の毛をバスタオルで巻いて、素っ裸の瑞希姉ちゃんがいた。


「・・・・・・瑞希姉ちゃん・・・・・・」


 瑞希姉ちゃんが僕の声を聞いて振り向く。何か言われると思ったら、瑞希姉ちゃんが両手を広げた。まるでビーナスのようだ。すごくきれいで神々しい。女神様のように、瑞希姉ちゃんは優しく微笑んで、僕に歩み寄ると、裸のまま僕を抱きしめる。そして僕の耳元で優しくささやいた。


『どうしたの、蒼ちゃん。顔が真っ青よ。どしてそんなに体が震えてるの。どうしてそんなに怯えているの。私はここにいるよ。いつも私が蒼ちゃんの傍にいるよ。ずーっと一緒だよ。だから大丈夫。落ち着いて。大丈夫よ。落ち着いてね』


 体を硬直させたまま、僕は情けないけど大粒の涙を流していた。涙が頬を伝う。止まらない。


 瑞希姉ちゃんは髪を束ねていたバスタオルを解くと、僕の涙をバスタオルで拭いてくれる。バスタオルには瑞希姉ちゃんのよい香りがした。


 瑞希姉ちゃんは棚からバスタオルを取り出すと自分の体に巻いて、顔を真っ赤にして唇から舌先を出して笑う。


「蒼ちゃんに全部、見られちゃった」


 僕の頭の中で「全部、見られちゃった」という言葉が何回も繰り返される。僕は一体、何をしてしまったんだ。急に恥ずかしさが込み上げてくる。体温が急上昇するのがわかる。頭がクラクラする。心臓もドキドキして鼓動が激しい。


 僕はよろけながら、必死に脱衣所から出て、リビングのソファに倒れ込んで意識を失った。