その出会い、運命につき。

戸惑っているとくすりと声もなく笑い、胡桃さんは言う。

「口開けて。」

言われるがまま口を開けると、お肉が優しく口の中に入ってきた。
これは所謂、”あーん”されたわけだ。

恥ずかしすぎて思わず頬を押さえる。
いや、素直に口を開けたのは私だけど。

思わずっていうか、流されたっていうか。

みるみる紅くなっているであろう私の頬。
ぼやっとした間接照明で隠せているだろうか。

そんな私を見て胡桃さんは楽しそうに問う。

「どう?」

口の中いっぱいに広がる芳ばしい香り。
ゆっくりと咀嚼すると、じゅわっと肉汁が溢れてきた。
しかも、想像以上に柔らかい。

恥ずかしさで押さえた頬は、美味しくて頬っぺたが落ちそうになるのを抑えるために役割が変わっていた。
「すごく柔らかくて美味しいです!」

美味しさに感動してテンションが高くなる。

「この店、当たりだね。」

私の反応に胡桃さんは大きく頷きながら、言う。

目の前の鉄板では次のお肉が焼かれ始めていて、また食欲を誘うようなじゅわっといい音が聞こえる。

美味しい料理に舌鼓を打ちながら、胡桃さんとたわいもない話を交えつつ今更ながらお互いの自己紹介をする。

私は処方箋で名前を覚えたけど、胡桃さんは私の白衣に付いている名札を見てくれたそうだ。
そういえば、その名札の上に被さるように、うさ茶んの付いたボールペンが挿してあるんだった。

あんな短時間のやり取りなのによく見てくれてたんだなぁと感慨深くなる。

お腹も心も満たされてお店を出るとき、胡桃さんがスマートにカードでお支払をしてくれていた。
お店の外でお財布を出して半額払おうとすると、それを手で止められる。

「俺が誘ったから、今日は俺の奢りで。」

「でも、私いっぱい食べたし…。」

美味しさのあまり箸が進みまくって、もしかしたら胡桃さんよりもガツガツ食べていたかもしれない。
それくらい、満腹なのだ。
それに、先にこのお店の話を出したのは私だし。

私が譲らない態度でいると、胡桃さんは「じゃあ…」と一呼吸おいて言った。

「またどこか食べに行こう。その時は君が払って。」

それは、頷くしかないと思いませんか?
それ以外の選択肢は、あいにく今の私は持ち合わせていない。

「…お願いします。」

私は素直に従う。
胡桃さんは満足そうな笑みを称えた。
仕事中、職場外へ出ることはあまりない私だけど、今日は処方箋を入れるファイルがたまっていたことと手が空いたことが重なって、それを持って隣接するクリニックへ赴いた。

うちの薬局と隣のクリニックは全くの別会社だけど連携していて、処方箋はクリニック専用のファイルに入れられて患者さんが薬局へ持ってくるのが主流だ。

ファイルの束を持ってクリニックの受付で手渡す。
ほんの数分もかからないこの外出だけど、仕事中に外の空気を吸うのはなかなかいいものだ。

秋の空は高くて澄んでいる。

クリニックの自動ドアを出たところで、歩道を歩く胡桃さんを見つけた。
相変わらずビシッとしたスーツ姿でかっこいい。

でもこんな時間にどうしたんだろう。
手にはピンクに花柄のエコバッグらしきものを持っている。

声をかけようとして、その足は急ブレーキをかける。
いや、むしろ私は身を隠した。

だって、胡桃さんの隣を可愛らしい女性が歩いていたからだ。
その可愛らしい女性と和気あいあいと喋りながら歩いている。

ピンクのエコバッグからはネギの緑の部分が覗いていて、スーパーで買い物してきたのかなと想像する。

「本当に、洋くんったら過保護なんだから。」

「あずささん程ではないけどね。」

ちょっと待って!
何か今、聞き捨てならない言葉が聞こえてきた。
話の内容は全然わからないけど、かなり親しい様子だ。

心臓がドキドキと脈打つ。
気になってこっそり近付いてみたけど、これ以上は無理だ。
私の存在がバレてしまう。

ていうか、何でこそこそしなきゃいけないの。
別に私は何もやましいことはないのに。

私の心の中は大暴れだ。

誰だろう?
あの女性、“あずささん”って名前なんだ。
胡桃さんのこと、“洋くん”って呼んでた。

こ、これはもしや、恋人?!
ズガーンと脳天に衝撃を受けた気がした。

そういえば、胡桃さんに恋人がいるかどうか、聞いたことない。
いや、恋人どころか、年齢からいっても結婚していてもおかしくない歳だ。
指輪は…していなかった…けど。
でも結婚しても指輪しない人だっているし。

私、もしかして一人で浮かれていたのでは?!

もし、もしもだよ?
胡桃さんが結婚してたら、私、不倫にならない?
胡桃さんに恋人がいたら、後ろめたくない?

だけど、このことをどう聞いたらいいの?

こんなプライベートの突っ込んだ質問をしたら、私がまるで胡桃さんのことを好きって言ってるみたいじゃないか。
改めて、自分の気持ちと向き合う。

胡桃さんとメッセージを送り合うのが嬉しくて。
胡桃さんの笑顔を見るとキュンとして。
胡桃さんとお話するのが楽しくて。
胡桃さんの隣に立つとドキドキして。

ああ。
ダメだ。
これは私、完全に“好き”だ。
好きになってしまっている。

胡桃さんと楽しげに歩くあずささんに、嫌な気持ちが生まれてしまう。
こんなの、よくない。
よくないけど、でもこの気持ちの止め方がわからない。

私ったら、嫉妬してしまってるんだ。

今日の仕事はまだ残っている。
だけど全然やる気になれなかった。
もちろん、仕事だし薬剤師としての任務は全うするけれど、隙あらばこのことを考えてしまって頭の中はぐちゃぐちゃだ。
「はぁ~。」

本日、何度目のため息か。
帰宅してからも、私はスマホ片手に正座をしていた。

彼女いるんですか?

聞きたくて聞けない言葉が、私の頭の中をループしている。
しかも、あの親しさからいって私の中ではほぼ彼女決定だ。
もし彼女じゃなかったとして、例えば仲のいい幼なじみとか、それだとしても私に勝つ要素は見当たらない。

「ああ~もう、どうしたらいいの~。」

床に身を投げたしたところで、スマホがメロディーを奏でる。
だらしなくごろりと転がりながら確認すると、渦中の胡桃さんからのメッセージだった。

【インドカレーの店、一緒に行かない?】

しかもお誘いのメッセージだ。
すぐさま【行きます!】と返信したいところ、ぐっと堪える。

嬉しい。
嬉しいのに。
ぐぬぬぬぬ。
悩んで悩んで悩んだ結果、

【胡桃さんに彼女がいるなら、遠慮します】

そう書いたところで、送信ボタンをタップできない私がいた。

だって、行きたいんだもん。
胡桃さんとインドカレーのお店行きたい。
私も気になってたお店。
趣味が合うような気さえしてくる。

ううん、それよりも、胡桃さんに会いたいんだ。

送ろうとしていたメッセージを削除する。
指が勝手に動いて、

【私もそのお店気になってました。行きたいです!】

今度は躊躇うことなく送信していた。

【趣味が合うね。また土曜がいいかな?】

あんなに悩んでいたハズなのに、胡桃さんから“趣味が合う”と言われると嬉しくて顔がにやけてしまう。

もうこの気持ち、止められないよ。