佑香はイタズラな笑みを浮かべると、俺の口元から人差し指を離す。
「緑地公園で、もし私が友也に告白したことが無かったことになるなら、今度は友也から告白してほしいって言ったのは覚えてる?」
「あぁ、覚えてる」
俺が覚えてると言うと同時に、強い海風が吹き抜けて佑香の長い髪が靡いた。
「あのさ、友也の世界の私……生きてるよね?」
「え……?」
今まで佑香が、俺の世界の佑香のことを口に出したことはなかった。俺も、今までそのことには触れていない。ただ、お互いに暗黙の了解のように触れなかっただけだ。
「少し前だけどね。夢を見たの。その夢で、私は足が動かなくて、目の前にいる人のことも分からなかった」
佑香の夢のことは日記にも書かれていなかったことだ。だが、足が動かないというのは、俺の世界にいる佑香と同じだ。
「でも夢から醒めたとき、夢で見た光景をしっかり覚えてて、夢の中で目の前にいたのは友也だということも分かった。ね、不思議だと思わない?」
もう一度、今度は先ほどよりは弱い海風が駆け抜け、佑香の髪を優しく浮かせる。
「夢の中の友也は私を見て酷く怯えていたわ。そのまま逃げるように立ち去ってしまった」
俺も、佑香の夢を見た。気が付いたら記憶を無くした佑香が目の前にいて、俺は怖くなって逃げ出したんだ。もしかしたら佑香と同じ夢を見ていた? いや、そんなこと、あるわけない。
「もしかしてあの夢は、友也の世界にいる私なのかなって思い始めてさ。ただの夢なのに馬鹿みたいでしょ?」
気づいたら佑香の瞳から涙が溢れそうになっていた。
「あぁ、生きてるよ」
俺の言葉を聞いて、佑香の瞳はまん丸に見開いた。そして、次の瞬間には大粒の涙をボロボロとこぼし始めた。
「ほんと、不思議な夢だな。確かに俺の世界の佑香は生きてる。ただ、事故の後遺症で足は動かなくなってしまったし、記憶も失ってしまった」
俺が語り出すと、今度は佑香が泣きながら聞きに回る。
「俺は佑香を守れなかった。俺のせいで佑香は身体の自由も記憶もなくしてしまって……俺はそんな佑香を見るのが怖くて逃げているんだ」
「そっか……そうなんだ。全部夢の通りなんだね」
佑香の涙は気が付いたら止まっていた。
「あのね、友也。過去は変えられないけれど、未来は変えられるって言葉って知ってるよね?」
「どうしたんだ? 突然」
「うん。私ね、そうじゃなくって、きっと、過去も未来も変えられると思うんだ」
日が傾いてきたのか、灯台の陰の角度が変わってきたために、佑香に日が当たるようになってきて、そう言いながら佑香は日陰を求めて俺の方へと寄ってきた。
「過去も……未来も……」
「そう。過去に起きたことは変えられないけれど、自分の中で過去の価値は変えられると思うの」
「過去の価値か。そんなもの本当に……」
変えられるのか? そう言おうとして、佑香の言葉に自分の中でパズルのピースがカチリとはまったように感じた。俺の中で薄れてきていた後悔。これは俺の中で過去の価値が変わってきたことで、後悔という存在も変化してきた……ということなのかもしれない。
「変えられるよ。でも、それは他人の力に頼ることは出来ない。自分の中でしか、過去の価値は変えられないんだ」
「過去の価値が変わったから、俺たちの後悔が薄れてきた……」
「ううん。薄れてきたんじゃないよ。後悔が思い出に変化するんだと思う。そうなると、自然と未来へ目を向けられるんじゃないかな。それが、過去も未来も変えられるということ」
「後悔が思い出に……」
俺の中で最後まで空いていたピースがピッタリとはまった。
「まぁ、これほとんど柳瀬さんの受け売りなんだけどね」
佑香はまた「いひひひひ」と笑った。今日の佑香は事故に遭う前のようによく笑う。佑香の中で後悔はしっかりと思い出に変化しているということなのだろうか。
「俺も、変われるかな」
「大丈夫! 友也はもう変わったよ。私、記憶なくしてるんでしょ? これは私が告白したことが無かったことになってるよね」
佑香は元気になったのか、その場でスッと立ち上がって、俺に右手を差し出してきた。佑香の手を取ると、佑香は俺の手を引きながら高台の道を走った。
「最後にあれやろうよ!」
そう言って、佑香が空いた左手で指さしたのは、小さなウエディングベルのようなオブジェだ。この伊良湖岬は十年以上前に恋人の聖地と認定され、それ以来設置されたものらしい。永遠の愛を誓う鐘と名前がついていて、四角い二本の石柱を天辺で三本目の石柱が繋ぎ、その三本目の真ん中からくす玉サイズの小さな鐘がぶら下がっている。
俺と佑香は二人並んでその鐘を鳴らした。その後、鐘のすぐ横にある願いの叶う鍵にそれぞれ願いを書いて、近くの柵に鍵を掛ける。
「佑香は何を願ったんだ?」
「内緒! 友也は?」
「俺も内緒だ」
そう言って俺たちは互いに笑った。些細な会話だったが、佑香とのお別れが近付いていると思うと急に泣きそうになる。このまま帰って、橋を渡れば、きっと俺はこっちの世界に来ることはないだろう。
「緑地公園で、もし私が友也に告白したことが無かったことになるなら、今度は友也から告白してほしいって言ったのは覚えてる?」
「あぁ、覚えてる」
俺が覚えてると言うと同時に、強い海風が吹き抜けて佑香の長い髪が靡いた。
「あのさ、友也の世界の私……生きてるよね?」
「え……?」
今まで佑香が、俺の世界の佑香のことを口に出したことはなかった。俺も、今までそのことには触れていない。ただ、お互いに暗黙の了解のように触れなかっただけだ。
「少し前だけどね。夢を見たの。その夢で、私は足が動かなくて、目の前にいる人のことも分からなかった」
佑香の夢のことは日記にも書かれていなかったことだ。だが、足が動かないというのは、俺の世界にいる佑香と同じだ。
「でも夢から醒めたとき、夢で見た光景をしっかり覚えてて、夢の中で目の前にいたのは友也だということも分かった。ね、不思議だと思わない?」
もう一度、今度は先ほどよりは弱い海風が駆け抜け、佑香の髪を優しく浮かせる。
「夢の中の友也は私を見て酷く怯えていたわ。そのまま逃げるように立ち去ってしまった」
俺も、佑香の夢を見た。気が付いたら記憶を無くした佑香が目の前にいて、俺は怖くなって逃げ出したんだ。もしかしたら佑香と同じ夢を見ていた? いや、そんなこと、あるわけない。
「もしかしてあの夢は、友也の世界にいる私なのかなって思い始めてさ。ただの夢なのに馬鹿みたいでしょ?」
気づいたら佑香の瞳から涙が溢れそうになっていた。
「あぁ、生きてるよ」
俺の言葉を聞いて、佑香の瞳はまん丸に見開いた。そして、次の瞬間には大粒の涙をボロボロとこぼし始めた。
「ほんと、不思議な夢だな。確かに俺の世界の佑香は生きてる。ただ、事故の後遺症で足は動かなくなってしまったし、記憶も失ってしまった」
俺が語り出すと、今度は佑香が泣きながら聞きに回る。
「俺は佑香を守れなかった。俺のせいで佑香は身体の自由も記憶もなくしてしまって……俺はそんな佑香を見るのが怖くて逃げているんだ」
「そっか……そうなんだ。全部夢の通りなんだね」
佑香の涙は気が付いたら止まっていた。
「あのね、友也。過去は変えられないけれど、未来は変えられるって言葉って知ってるよね?」
「どうしたんだ? 突然」
「うん。私ね、そうじゃなくって、きっと、過去も未来も変えられると思うんだ」
日が傾いてきたのか、灯台の陰の角度が変わってきたために、佑香に日が当たるようになってきて、そう言いながら佑香は日陰を求めて俺の方へと寄ってきた。
「過去も……未来も……」
「そう。過去に起きたことは変えられないけれど、自分の中で過去の価値は変えられると思うの」
「過去の価値か。そんなもの本当に……」
変えられるのか? そう言おうとして、佑香の言葉に自分の中でパズルのピースがカチリとはまったように感じた。俺の中で薄れてきていた後悔。これは俺の中で過去の価値が変わってきたことで、後悔という存在も変化してきた……ということなのかもしれない。
「変えられるよ。でも、それは他人の力に頼ることは出来ない。自分の中でしか、過去の価値は変えられないんだ」
「過去の価値が変わったから、俺たちの後悔が薄れてきた……」
「ううん。薄れてきたんじゃないよ。後悔が思い出に変化するんだと思う。そうなると、自然と未来へ目を向けられるんじゃないかな。それが、過去も未来も変えられるということ」
「後悔が思い出に……」
俺の中で最後まで空いていたピースがピッタリとはまった。
「まぁ、これほとんど柳瀬さんの受け売りなんだけどね」
佑香はまた「いひひひひ」と笑った。今日の佑香は事故に遭う前のようによく笑う。佑香の中で後悔はしっかりと思い出に変化しているということなのだろうか。
「俺も、変われるかな」
「大丈夫! 友也はもう変わったよ。私、記憶なくしてるんでしょ? これは私が告白したことが無かったことになってるよね」
佑香は元気になったのか、その場でスッと立ち上がって、俺に右手を差し出してきた。佑香の手を取ると、佑香は俺の手を引きながら高台の道を走った。
「最後にあれやろうよ!」
そう言って、佑香が空いた左手で指さしたのは、小さなウエディングベルのようなオブジェだ。この伊良湖岬は十年以上前に恋人の聖地と認定され、それ以来設置されたものらしい。永遠の愛を誓う鐘と名前がついていて、四角い二本の石柱を天辺で三本目の石柱が繋ぎ、その三本目の真ん中からくす玉サイズの小さな鐘がぶら下がっている。
俺と佑香は二人並んでその鐘を鳴らした。その後、鐘のすぐ横にある願いの叶う鍵にそれぞれ願いを書いて、近くの柵に鍵を掛ける。
「佑香は何を願ったんだ?」
「内緒! 友也は?」
「俺も内緒だ」
そう言って俺たちは互いに笑った。些細な会話だったが、佑香とのお別れが近付いていると思うと急に泣きそうになる。このまま帰って、橋を渡れば、きっと俺はこっちの世界に来ることはないだろう。