「あ、見て! あれ灯台じゃない?」

 恋路ヶ浜の砂を踏んだところで、佑香が浜の先に見える高台の上の白い塔に気がついて指さした。

「あれは伊良湖岬灯台だな」

「うわー、そのまんまな名前」

 俺が説明しようとして、名前を聞いた佑香は「いひひひひ」と笑った。伊良湖岬にある灯台だから伊良湖岬灯台。確かにそのまんまな名前ではあるが、何が佑香の壺に入ったのかは謎だ。

「あの灯台は灯台百選にも選ばれているんだぞ」

「じゃあ、あの灯台まで競争! よーい、スタート!」

「あ、おい、ちょっと待てって! フライングフライング!」

 実際、灯台百選がどうとかは俺にも佑香にもどうでもいいことだ。佑香はスタートの合図をする前には灯台に向けて走り出していた。浜の柔らかい砂が踏みしめる度に足を呑み込んで、靴の中に太陽によって熱を持った砂が入ってくる。普通ならフライングされても俺は佑香を追い抜かすことが出来るが、体重の軽い佑香は砂浜の上を軽やかに走っていき、なかなか追いつくことが出来ないどころか距離が開いていく。やがて佑香が一着でゴールした。

「友也の負け! 遅いよー」

「まっ……マジで疲れる! 走り難すぎだ」

 佑香の息も切れているが、それ以上に俺は肩で息をするほどに体力を消耗していた。そもそも真夏の太陽の下、照り返す白い砂浜の両方から熱を浴びて、佑香を追い抜かそうと全力で走ったのだ。すぐにでも冷たい飲み物が飲みたいくらいである。

「わー、キレイ! 真っ白!」

 佑香が灯台を見上げながら感動している。俺も息が整ってきたところで、佑香と同じように灯台を見上げた。灯台は真夏の青の世界に栄える純白そのもので、白亜塔型のまさに灯台という形をしていた。灯台の裾には茶色の扉が一つあり、扉の上に梯子が突き出てきた。扉の中から登のではなく、この梯子から上に登るのだろうか? 灯台の上部にも同じように扉があり、中がどうなっているのかとても気になった。

「灯台ってさ、船乗りがちゃんと陸に戻れるように作られたんでしょ? こうして海を眺めると、どこまでも広くて、水平線の向こうもずっと広がってて、あてもないように見えるけれど、灯台があるから安心して海に出られるんだね」

 佑香が灯台に手をあてて、なおも見上げながらそう言った。

「私だったら、目印がないと怖すぎて海になんて出られないよ」

 そう言葉を続けて、佑香は苦笑した。

「でも、灯台ってもっと大きいと思ってた。こんなんでも遠くから見えるんだな」

「どうだろうね。他にも海図とか、コンパスとか、それに太陽や星の位置とかも見てるって聞いたことあるよ。灯台は最後に、陸はここだよーって教えてくれる役割なんじゃないかな」

「そっか。うん多分そうだな」

 灯台と海を交互に見ながら、俺と佑香は他愛ないことを話した。それから、直射日光に耐えかねて二人で灯台の陰に避難する。適度に湿り気を帯びた海風が心地よい涼しさを運んでくれる。灯台にもたれると、思ったより熱くなく、むしろコンクリートの肌触りがヒンヤリとして気持ち良かった。

「ねぇ、友也」

「どうした?」

 灯台のヒンヤリとした感触を背中で味わっていると、同じように灯台に背中をくっつけて座る佑香が突然俺の名前を呼んだ。

「私を助けてくれて、ありがとうね」

 佑香の目は真っ直ぐに俺を見据えている。

「助けたのは、こっちの世界の俺だよ」

 佑香の瞳に写る俺は、佑香の瞳の中で悲しそうな笑みを浮かべながらそう答える。

「俺は佑香を助けられなかったんだ」

「そう言うと思った」

 俺の言葉を聞き、佑香は何故か「いひひひひ」と笑う。

「やっぱり友也は友也だね」

「どういう意味だよ」

 佑香の笑い声を聞くと安心する。つられて俺も笑い出してしまった。以前、佑香とお互いの後悔の話をしたときには考えられなかった光景だ。まして、俺に助けられたことを後悔していると言った佑香が、俺に助けてくれてありがとうと言ってきた。佑香は後悔を乗り越えられたのだろうか。

「私、最初に友也と思返橋で会ったとき、まず友也にお礼が言いたかったの。だけどどうしても言えなくて、今日やっと言えたんだ」

 佑香はアスファルトに視線を下ろし、右手で風に飛ばされてきたであろう浜辺の砂を撫でながら語り始めた。

「あと、これも言いたかった。ごめんなさい」

 そして、今度はまた俺の目を見てから頭を下げて謝ってきた。

「急にどうした。俺が佑香を助けて命を落としたのは仕方のないことだろう」

 仕方がない。実際に俺が命を落としたわけではなく、この世界の友也が命がけで佑香を守ったんだ。俺に仕方がないなんて言う資格はないだろう。けれど、佑香を助けた俺も、きっとこう言うだろうと思った。

「違うの! そうじゃなくて……その、ショッピングモールに一緒に出掛けたとき……大おじさんに友也が見られると思って私、友也を突き飛ばしたよね? その後も気まずくなっちゃって……そのことをずっと謝りたかったの」

 そういえば、確かにショッピングモールへ向かうときに佑香と会話がなくなったが、それは佑香が俺をかばって突き飛ばしてからだった気がする。

「私ね、友也を突き飛ばしたとき、同じように私を突き飛ばした友也が車に跳ねられたときのことを思い出しちゃったの」

 佑香の思いもよらぬ告白に、俺は言葉を詰まらせてしまった。あの時、佑香は一人で苦しんでいたんだ。それなのに俺は佑香に何もしてやれなくて、結局先に声を掛けてきてくれたのは佑香だった。佑香は自分の力で立ち直って、俺に明るく振る舞ってくれたんだ。佑香の様子は明らかに異常だったのに……そう思うと、情けなくなってくる。

「これも言えた! 今日で最後なんだから、言いたいことは全部言ってスッキリしないとね」

 佑香の明るい表情に、俺は胸を締め付けられた。

「俺の方こそ、気付いてあげられなくて、ごめん。辛かったよな」

 上手く言葉がまとめられず、思いつくままに俺は佑香に謝った。

「ううん。いいの。あれは私が悪いから」

「そうじゃない。俺が気付いてあげられれば、あんなに長く佑香は辛い思いをしなくて済んだはずなんだ」

「もう。また後悔の話しになってるよ」

 そう言って、佑香は俺の口元へと人差し指をくっつけた。