柳瀬の言葉通りだと、俺は未来へ進もうとしているから、思返橋を渡るのを辞めようと思っている、ということになる。けれど、柳瀬の言うように、俺は本当に未来へと進もうとしているのか、分からない。未来へ進もうとしていることはつまり、佑香への後悔を心のどこかに仕舞い込んで鍵を掛け、俺だけが前に進もうとしているということなのだろうか。橋を渡る度、佑香に会う度、佑香への後悔が薄れていくのは、俺が前に進もうとしているからなのだろうか。
俺は、佑香への後悔が薄れていくのが怖い。後悔が薄れ、いつか消えてしまって、自分だけがのうのうと生きていくことが怖い。世界を渡って、別の世界の佑香と思い出を作っていくことで、佑香への後悔が薄れていくのが、とても怖い。
「君は、佑香さんを守れなかったことへの後悔を、一生背負って生きていく気かい?」
柳瀬は困ったような表情で、それでも目元は温和な笑みをたたえたまま聞いてきた。
「後悔が薄れていくのが怖いと言ったけれど、後悔は本当に、ただ薄れて消えてしまうだけなのだろうか。君は、どう思う?」
俺が柳瀬の問いに答えないままでいると、柳瀬は被せるようにもう一つの質問をしてくる。
「どういうことでしょうか?」
柳瀬の言葉の真意が分からず、俺は質問に質問を返した。
「さっきも言ったけれど、思い返すとは、過去も未来も関係した言葉だ。けれど、後悔は過去としか関係しない。君の心が未来へ向けば、当然後悔の存在は薄れていくだろう。でも、その後悔があったからこそ作れる未来もあるってことかな」
柳瀬は横板に雨垂れと感じるほど、ゆっくりと、言葉を吟味しながら話してくれたように思えたが、俺はその内容を理解することが出来なかった。そのまま何も答えられずにいると、再び柳瀬が口を開く。
「君はまだ若いからね。私の言った意味が分かるようになるのはまだまだ先だよ」
「そう……ですか」
柳瀬は右手を顎にあてると、また思案顔になる。顎に触るのは、何か考え事をするときの彼の癖なのだろう。
その後悔があったからこそ作れる未来がある。そう、柳瀬は言った。佑香を守れなかった後悔があるからこそ作れる未来……俺は、そんなものに価値があるとは到底思えなかった。いや、佑香を守れた場合、俺は命を落とすことになる。そんなの、どう転んでも未来がないのと同じではないか。
そんなことを考えていると、柳瀬が何かを思いついたのか、顎から右手を話した。
「さっき私は、後悔は過去としか関係しないと言ったけれど、後悔は未来を作るための大事な隠し味とも考えられるかもしれない」
「隠し味……ですか」
突然何を言い出すのかとも思ったが、俺は自然と柳瀬が例えた隠し味という言葉を繰り返していた。
「例えば、君は私の後悔を知らなかったけれど、私という人物は知ってくれていたよね。君から見た私がどんな人物かは問わないが、君が見て感じた私という人間を形作っている材料には、先ほど君に話した後悔もある。後悔とは、人生を奥行きのある豊かなものにするためになくてはならない材料なのかもしれないね」
柳瀬は俺の目を見ながらも、その言葉はどこか自分に言い聞かせるようにも感じた。
「そもそも、後悔をしていない人間なんていないよ。人生は選択の連続だ。しかも明確な答えなんて存在しない。だからこそ選択する前にも、後にも、悩む」
腑に落ちたのか、柳瀬の言葉は先程の横板に雨垂れとは違い、ハキハキと流れるようなものになっている。
人生は選択の連続。明確な答えはない。柳瀬の言葉がいくつも脳内で反芻される。
佑香を助けるのが正解だったのか、それとも佑香を助けられなかった今が正解なのか、分からなくなってきた。佑香を助けた場合、俺は命を落とす。仮にそうじゃない未来もあるかもしれないが、そうだとしてもどんな未来が待っているかなど知る術はない。
何より、選択した過去を選び直すことなど出来ないのだ。だからこそ後悔というものが存在する。
「私の言葉が少しでも君の力になれれば嬉しいな」
そう言って、柳瀬はバスを車庫に入れるからと、俺をバスから下ろし、車庫の隣に駐めてあった柳瀬の車で俺を家まで送ってくれた。
俺の、佑香への後悔は、俺の未来を作るために必要なものだったのだろうか。だとしたら、思返橋の向こう側にいる佑香がしている後悔も、佑香の未来を作るために必要なものなのだろう。互いの後悔が薄れてきているということは、俺たちはそれぞれ自分の未来を歩いていこうと思い始めているからなのかもしれない。
柳瀬と話したことで、そういう考えが俺の中で生まれつつあった。
俺は、佑香への後悔が薄れていくのが怖い。後悔が薄れ、いつか消えてしまって、自分だけがのうのうと生きていくことが怖い。世界を渡って、別の世界の佑香と思い出を作っていくことで、佑香への後悔が薄れていくのが、とても怖い。
「君は、佑香さんを守れなかったことへの後悔を、一生背負って生きていく気かい?」
柳瀬は困ったような表情で、それでも目元は温和な笑みをたたえたまま聞いてきた。
「後悔が薄れていくのが怖いと言ったけれど、後悔は本当に、ただ薄れて消えてしまうだけなのだろうか。君は、どう思う?」
俺が柳瀬の問いに答えないままでいると、柳瀬は被せるようにもう一つの質問をしてくる。
「どういうことでしょうか?」
柳瀬の言葉の真意が分からず、俺は質問に質問を返した。
「さっきも言ったけれど、思い返すとは、過去も未来も関係した言葉だ。けれど、後悔は過去としか関係しない。君の心が未来へ向けば、当然後悔の存在は薄れていくだろう。でも、その後悔があったからこそ作れる未来もあるってことかな」
柳瀬は横板に雨垂れと感じるほど、ゆっくりと、言葉を吟味しながら話してくれたように思えたが、俺はその内容を理解することが出来なかった。そのまま何も答えられずにいると、再び柳瀬が口を開く。
「君はまだ若いからね。私の言った意味が分かるようになるのはまだまだ先だよ」
「そう……ですか」
柳瀬は右手を顎にあてると、また思案顔になる。顎に触るのは、何か考え事をするときの彼の癖なのだろう。
その後悔があったからこそ作れる未来がある。そう、柳瀬は言った。佑香を守れなかった後悔があるからこそ作れる未来……俺は、そんなものに価値があるとは到底思えなかった。いや、佑香を守れた場合、俺は命を落とすことになる。そんなの、どう転んでも未来がないのと同じではないか。
そんなことを考えていると、柳瀬が何かを思いついたのか、顎から右手を話した。
「さっき私は、後悔は過去としか関係しないと言ったけれど、後悔は未来を作るための大事な隠し味とも考えられるかもしれない」
「隠し味……ですか」
突然何を言い出すのかとも思ったが、俺は自然と柳瀬が例えた隠し味という言葉を繰り返していた。
「例えば、君は私の後悔を知らなかったけれど、私という人物は知ってくれていたよね。君から見た私がどんな人物かは問わないが、君が見て感じた私という人間を形作っている材料には、先ほど君に話した後悔もある。後悔とは、人生を奥行きのある豊かなものにするためになくてはならない材料なのかもしれないね」
柳瀬は俺の目を見ながらも、その言葉はどこか自分に言い聞かせるようにも感じた。
「そもそも、後悔をしていない人間なんていないよ。人生は選択の連続だ。しかも明確な答えなんて存在しない。だからこそ選択する前にも、後にも、悩む」
腑に落ちたのか、柳瀬の言葉は先程の横板に雨垂れとは違い、ハキハキと流れるようなものになっている。
人生は選択の連続。明確な答えはない。柳瀬の言葉がいくつも脳内で反芻される。
佑香を助けるのが正解だったのか、それとも佑香を助けられなかった今が正解なのか、分からなくなってきた。佑香を助けた場合、俺は命を落とす。仮にそうじゃない未来もあるかもしれないが、そうだとしてもどんな未来が待っているかなど知る術はない。
何より、選択した過去を選び直すことなど出来ないのだ。だからこそ後悔というものが存在する。
「私の言葉が少しでも君の力になれれば嬉しいな」
そう言って、柳瀬はバスを車庫に入れるからと、俺をバスから下ろし、車庫の隣に駐めてあった柳瀬の車で俺を家まで送ってくれた。
俺の、佑香への後悔は、俺の未来を作るために必要なものだったのだろうか。だとしたら、思返橋の向こう側にいる佑香がしている後悔も、佑香の未来を作るために必要なものなのだろう。互いの後悔が薄れてきているということは、俺たちはそれぞれ自分の未来を歩いていこうと思い始めているからなのかもしれない。
柳瀬と話したことで、そういう考えが俺の中で生まれつつあった。