「花火、すごかったね」
打ち上げ花火が終わって、しばらく余韻に浸っていた周囲の人が一人、また一人と帰りはじめた頃、佑香が俺の耳元で囁いた。
正直、俺は途中から花火よりも佑香のことで頭がいっぱいで、後半の花火がどれだけ綺麗だったかなど覚えていない。それは佑香も同じだと思っている。
「あぁ、また見に来たいな」
俺は叶いもしない言葉を口にする。
「そうだね。また……来たい」
佑香は、俺の言葉を噛み締めるように繰り返し言った。明日で全てが終わるから、“また”なんてことはありはしない。それでも、俺は佑香とまた来たいと思い、それが言葉となって俺の心の外側へと吐き出された。
それと同時に、俺の中である気持ちが芽生える。それは、佑香に会うのを辞めようと言われる瞬間まで存在しなかった気持ちだ。俺は佑香が会うのを辞めようと言ってくれるのを待っていた。それで終わり。だから佑香のことも心から切り離そうとしてきたのかもしれない。好きな人への気持ちを整理し、諦めようとしてきたのかもしれない。これはもう叶わないと決まった恋なのだから……
それは佑香も同じだったのだろう。俺がこっちの世界に来て、今まで通りの日々を過ごしていたつもりでも、佑香が俺の手を握ることはなかった。俺も、佑香の手を握ることをしなかった。それが、今日の縁日では普通の恋人のように手を繫いだ。はぐれないようにするためだったかもしれないが、やはり今日が最後になるだろうと心の何処かで思っていたのもあるだろう。
人気も少なくなってきた今、俺の左手は佑香の右手と触れ合えるほどの距離にあって、佑香の声も俺の耳元に近く、クリアに聞こえる。これ以上は別れるのが辛くなるから駄目だと自分に言い聞かせるが、佑香の方から俺の手を握ってきたときに自分を制御できなくなり、俺と佑香は口づけを交わした。窓の外は闇と溶けあった濃紺に、祭りの屋台や街灯などの灯りが揺らめき、その灯りに沿って色鮮やかな人の波が流れていく。全ては終わりへと向かっているのだ。
月と星の明かりに照らされる展望ロビーで、俺と佑香はそっと唇を放し、互いにはにかんだ。
「なんか、ずいぶん久しぶりな気がするね」
「ん……そうだな」
そんなことを言いながら、俺たちは互いの顔を見て笑った。
「あの……さ、明日で最後にしないか? 明日、ちょっと遠出しよう。行きたいところがあるんだ。それで、終わりにしよう」
俺は佑香から会うのを辞めようと言われるのを待っていた。それで終わりにしようと決めていた。それなのに、いざ佑香に言われて俺の中で芽生えた気持ちを俺はそのまま佑香に伝えた。
「……明日? うん、いいよ。それで最後」
俺の言葉を聞き、佑香が答える。また明日会おうだなんてわがままを言ったはずなのに、佑香の表情は嬉しそうに見えた。
俺たちは展望ロビーからエレベーターを使って地上に降りる。帰ろうとする人の流れに乗り、いつものバス停へと向かう。
「人多いね。路面電車は無理かな」
「そうだな。待つだけで大分時間かかりそうだし、歩いて向かった方が早そうだ」
「うへー」
歩くと聞いて佑香は不満そうな声をあげるも、その表情は明るい。展望ロビーでのキスの後から、俺たちは自然と手を繫いでいた。夕方のような、はぐれないためではない。恋人が互いの体温を伝え合うように、俺と佑香の手はしっかりと握られている。もちろん俺たちは恋人同士なのだが、今は別の世界に生きる者同士だ。ようやく繋がったこの手は、明日には離さなければならない。
「来年も、私はあの場所に花火を見に行くよ」
「急にどうした?」
「いひひひひ」
佑香は突然宣言をしたかと思うと、次の瞬間には幼さの残る笑い声をあげていた。この佑香の笑い声が、俺の心の弱いところをくすぐる。
そうして、いつものバス停へと着くと、バスが来るのを並んで待った。利用客の少ないバスも、この日は同じように待つ人の姿がポツポツと見られる。やがてバスが到着し、俺たちを含む辺りの人々はバスの中へと呑み込まれた。やはり今日の運転手も柳瀬で、俺たちと目が合うと柳瀬はペコリと頭を下げた。
乗客が他にいても座席は全然余裕で、すぐに下りるからか、他の乗客はみんな前の方に座った。俺と佑香はいつものように最後列の座席へと座る。佑香の座席に体を預けるような豪快な座る音に、他の乗客の視線が一時的に集まる。それでも佑香はお構いなしだ。
珍しく賑わいを見せる車内も、俺と佑香の住む町へと向かう途中で乗客を降ろしていき、最終的にはシンと静まり返った。隣に座る佑香は、俺の肩にもたれていつの間にか寝息を立てている。慣れない人混みと、たくさん歩いた疲れだろう。バスの心地よい揺れの中、俺も佑香と同じように眠りへと落ちていった。
肩を揺すられていることに気がついて目を覚ましたとき、バスの揺れは感じなかった。俺は深く眠ってしまっていたのか、ボーッとする頭で現状を理解しようとする。すると、頭の上から低い声が降ってきた。
「お客さん、やっと起きましたか」
声の主は柳瀬だった。隣を見ると、佑香の姿はない。慌ててバスの中を見渡すが、どうやらバスの中は俺と柳瀬しかいないようだ。
「お客さん、大丈夫です? ずいぶんと焦っているように見えますが……」
「あ、すいません。連れの姿が見えなかったもので」
「お連れ様ですか。寝過ごしたのはお客さん一人だけだと思いますが」
どうやら俺は寝過ごしてしまい、ここはバスの終点のようだ。佑香は途中で降りたのか? だとするならば、寝ていた俺をそのままにして降りたことになる。
「そもそも、お客さん、お一人で乗られませんでした?」
「え……?」
柳瀬の言葉の意味が分からず、俺は返事が出来なかった。
打ち上げ花火が終わって、しばらく余韻に浸っていた周囲の人が一人、また一人と帰りはじめた頃、佑香が俺の耳元で囁いた。
正直、俺は途中から花火よりも佑香のことで頭がいっぱいで、後半の花火がどれだけ綺麗だったかなど覚えていない。それは佑香も同じだと思っている。
「あぁ、また見に来たいな」
俺は叶いもしない言葉を口にする。
「そうだね。また……来たい」
佑香は、俺の言葉を噛み締めるように繰り返し言った。明日で全てが終わるから、“また”なんてことはありはしない。それでも、俺は佑香とまた来たいと思い、それが言葉となって俺の心の外側へと吐き出された。
それと同時に、俺の中である気持ちが芽生える。それは、佑香に会うのを辞めようと言われる瞬間まで存在しなかった気持ちだ。俺は佑香が会うのを辞めようと言ってくれるのを待っていた。それで終わり。だから佑香のことも心から切り離そうとしてきたのかもしれない。好きな人への気持ちを整理し、諦めようとしてきたのかもしれない。これはもう叶わないと決まった恋なのだから……
それは佑香も同じだったのだろう。俺がこっちの世界に来て、今まで通りの日々を過ごしていたつもりでも、佑香が俺の手を握ることはなかった。俺も、佑香の手を握ることをしなかった。それが、今日の縁日では普通の恋人のように手を繫いだ。はぐれないようにするためだったかもしれないが、やはり今日が最後になるだろうと心の何処かで思っていたのもあるだろう。
人気も少なくなってきた今、俺の左手は佑香の右手と触れ合えるほどの距離にあって、佑香の声も俺の耳元に近く、クリアに聞こえる。これ以上は別れるのが辛くなるから駄目だと自分に言い聞かせるが、佑香の方から俺の手を握ってきたときに自分を制御できなくなり、俺と佑香は口づけを交わした。窓の外は闇と溶けあった濃紺に、祭りの屋台や街灯などの灯りが揺らめき、その灯りに沿って色鮮やかな人の波が流れていく。全ては終わりへと向かっているのだ。
月と星の明かりに照らされる展望ロビーで、俺と佑香はそっと唇を放し、互いにはにかんだ。
「なんか、ずいぶん久しぶりな気がするね」
「ん……そうだな」
そんなことを言いながら、俺たちは互いの顔を見て笑った。
「あの……さ、明日で最後にしないか? 明日、ちょっと遠出しよう。行きたいところがあるんだ。それで、終わりにしよう」
俺は佑香から会うのを辞めようと言われるのを待っていた。それで終わりにしようと決めていた。それなのに、いざ佑香に言われて俺の中で芽生えた気持ちを俺はそのまま佑香に伝えた。
「……明日? うん、いいよ。それで最後」
俺の言葉を聞き、佑香が答える。また明日会おうだなんてわがままを言ったはずなのに、佑香の表情は嬉しそうに見えた。
俺たちは展望ロビーからエレベーターを使って地上に降りる。帰ろうとする人の流れに乗り、いつものバス停へと向かう。
「人多いね。路面電車は無理かな」
「そうだな。待つだけで大分時間かかりそうだし、歩いて向かった方が早そうだ」
「うへー」
歩くと聞いて佑香は不満そうな声をあげるも、その表情は明るい。展望ロビーでのキスの後から、俺たちは自然と手を繫いでいた。夕方のような、はぐれないためではない。恋人が互いの体温を伝え合うように、俺と佑香の手はしっかりと握られている。もちろん俺たちは恋人同士なのだが、今は別の世界に生きる者同士だ。ようやく繋がったこの手は、明日には離さなければならない。
「来年も、私はあの場所に花火を見に行くよ」
「急にどうした?」
「いひひひひ」
佑香は突然宣言をしたかと思うと、次の瞬間には幼さの残る笑い声をあげていた。この佑香の笑い声が、俺の心の弱いところをくすぐる。
そうして、いつものバス停へと着くと、バスが来るのを並んで待った。利用客の少ないバスも、この日は同じように待つ人の姿がポツポツと見られる。やがてバスが到着し、俺たちを含む辺りの人々はバスの中へと呑み込まれた。やはり今日の運転手も柳瀬で、俺たちと目が合うと柳瀬はペコリと頭を下げた。
乗客が他にいても座席は全然余裕で、すぐに下りるからか、他の乗客はみんな前の方に座った。俺と佑香はいつものように最後列の座席へと座る。佑香の座席に体を預けるような豪快な座る音に、他の乗客の視線が一時的に集まる。それでも佑香はお構いなしだ。
珍しく賑わいを見せる車内も、俺と佑香の住む町へと向かう途中で乗客を降ろしていき、最終的にはシンと静まり返った。隣に座る佑香は、俺の肩にもたれていつの間にか寝息を立てている。慣れない人混みと、たくさん歩いた疲れだろう。バスの心地よい揺れの中、俺も佑香と同じように眠りへと落ちていった。
肩を揺すられていることに気がついて目を覚ましたとき、バスの揺れは感じなかった。俺は深く眠ってしまっていたのか、ボーッとする頭で現状を理解しようとする。すると、頭の上から低い声が降ってきた。
「お客さん、やっと起きましたか」
声の主は柳瀬だった。隣を見ると、佑香の姿はない。慌ててバスの中を見渡すが、どうやらバスの中は俺と柳瀬しかいないようだ。
「お客さん、大丈夫です? ずいぶんと焦っているように見えますが……」
「あ、すいません。連れの姿が見えなかったもので」
「お連れ様ですか。寝過ごしたのはお客さん一人だけだと思いますが」
どうやら俺は寝過ごしてしまい、ここはバスの終点のようだ。佑香は途中で降りたのか? だとするならば、寝ていた俺をそのままにして降りたことになる。
「そもそも、お客さん、お一人で乗られませんでした?」
「え……?」
柳瀬の言葉の意味が分からず、俺は返事が出来なかった。