丸い光の球が尾を引いて空へと登った。瞬間、展望ロビーのガラスを振るわす大きな音と共に、空に鮮やかなオレンジの菊が花開く。いよいよ始まったとのだと、背中がゾクゾクした。
展望ロビーは室内ではあるが、打ち上げ場所からほとんど距離もなく、かなりの轟音が室内に響く。臨場感も充分だった。
最初のオレンジ色の大輪を皮切りに、夜空のキャンパスに次々と色とりどりの花火が花開いては消えてゆく様が繰り返された。赤かと思いきや、その右側で青、さらに上では二回りほど大きな鮮やかな黄色。花開いては展望ロビーのガラスが震え、乾いた快音が鼓膜を刺激する。
隣を見ると、佑香の頬や瞳が虹のように様々な色を反射し、目まぐるしく変化していた。
菊の合間に一際大きな柳が夜空に現れ、滝のようにその枝葉を地に向けて伸ばしていく。同時に、紙の上に花あられでもこぼしたかのような軽い音が聞こえた。その音が、俺には称賛の拍手にも聞こえる。その一瞬のために作られ、空に放たれ、多くの人に感動を与える。役目を終えると、花火は夜の闇の中に溶けていくのだ。
打ち上げ花火の開幕は、息つく暇もないスターマインが夜空を彩った。その後、地上の仕掛け花火が始まる。さすがに地上で行われているものは、十三階という高さからは何をやっているのかまでは分からなかった。
「やっぱり花火っていいね。見ててワクワクする」
仕掛け花火に移ってから、佑香は目を輝かせて言った。
「佑香はどんな花火が好きだ?」
この質問にさして意味はなかったが、佑香があまりにも楽しそうで、気になったことをそのまま口にしてみた。
「うーん。こういう、皆で見る花火も好きだけど、仲のいい人同士でワイワイやる花火も好きだなぁ。最後の線香花火のちょっとしんみりした感じとか、あーもう終わっちゃうんだぁって思いながら静かな花火を見るのも、ちょっと好きだったりするかも」
「あー、それ分かる気もする」
「好きとか、嫌いとかとは関係ないけど、線香花火ってさ、なんか今の私たちに似てる気がするんだよね」
「どういうこと?」
何気なく佑香に質問したつもりだったが、佑香が思わぬことを言うものだから、思わず遠目から仕掛け花火を眺めるのも忘れて佑香へ向き直った。
「私たちはお互い、後悔をしてる。友也は私を助けられなくて、私は友也に助けられて」
先ほどまでと違い、佑香の声のトーンが一つ下がったことに気がつく。表情も真剣なものになり、俺と佑香の周囲だけ、周りとは隔絶されたような気さえしてしまう。
仕掛け花火が終わったのか、再び一輪の花が夜空を舞った。
「後悔ってさ、火がついてからしっかりと燃えはじめるまでに時間がかかるんだ。最初はゆっくりジワジワと火種を育てて、次第に火花が弾け出す。私と友也が思返橋で出会ったときが、その状態なんだと思う」
佑香の瞳は、緑や青、ときには赤と、目の前を彩る花火に染められるが、それに惑わされることなく俺の目を真っ直ぐ見据えている。
「一度火花が散れば、それは激しく燃える。私たちはお互いに後悔を胸に秘めながら会っていた。そうでしょ?」
佑香に同意を求められ、俺は小さく首を縦に振る。他よりも頭一つ高く放たれた赤の花が夜空に弾けた。
「でも、火花はいつまでも保たない。私たちは会うことを繰り返すうち、後悔が小さくなっていった。それに合わせて火は小さくなり、夜の暗がりが目立ち始めるの。その暗がりは不安となって心を締め付ける。私は、友也に助けられて後悔している。そのはずなのに、目の前に友也がいて、思い出が増えていく度に、その後悔が小さくなっていくの。それが怖い。怖くて、怖くて仕方ないのよ」
佑香の瞳に映る花火の色の反射が不規則になる。佑香の瞳に涙が浮かんでいたからだ。
「俺も、佑香を助けられなかったはずなのに、それを心の底から後悔していたはずなのに、こうして佑香と会う度に後悔が小さくなっていってる。このままじゃダメだと思っているけれど、確実に思返橋を渡る前より後悔が薄れているんだ」
このまま小さくなり続ければ、いずれは消えてしまうかもしれない。消える前にどこかに落っこちてしまうかもしれない。きっとそれが、佑香が線香花火を今の俺達に似ていると言った理由、その先だろう。
俺はこの後悔を忘れるわけにはいかない。どうしたって変えることの出来ない過去は、一生背負って生きていくしかないんだ。
「ねぇ、友也……」
佑香の頬に涙が伝っていたのが、花火の反射で分かった。そして、この言葉の先、佑香が何を言うのかも、分かってしまう。本当はあのとき、緑地公園で佑香に伝えられていたはずの言葉。そして、俺は佑香のこの言葉を待っていた。自分の意思で決めるより、他者からの言葉で自分の行動が決まる方が、何倍も楽だから。佑香に緑地公園で告白されたときもそうだ。いつしか俺は、俺の意思で人生を選択していくことを避け、他人の選択に依存している。
「私たち……もう会うのは辞めようよ」
そして、佑香の言葉は俺の待ち望んでいた言葉だった。それなのに、どうしてか胸が締め付けられる。後は俺が頷けば、もしくは了承の言葉を口にすれば、それでこっちの世界の佑香とはお別れだ。俺のことを知る、俺の恋人である佑香。俺と同じで甘いものが大好きで、お腹いっぱいになってもクレープを諦めなかったりもした。無邪気でよく笑っているのに、突然悲しんだり、怒ったり、豊かな表情を見せてくれる、そんな佑香とはもう会えなくなるかもしれない。俺は元の世界の佑香と会うのを恐れている。
今まで聞こえてこなかった周囲の音がクリアになって、同時にワッと歓声が上がった。ガラスの向こう側を見ると、打ち上げ花火は最高潮といわんばかりの、ワイドスターマインが夜の闇を明るく染めていた。
展望ロビーは室内ではあるが、打ち上げ場所からほとんど距離もなく、かなりの轟音が室内に響く。臨場感も充分だった。
最初のオレンジ色の大輪を皮切りに、夜空のキャンパスに次々と色とりどりの花火が花開いては消えてゆく様が繰り返された。赤かと思いきや、その右側で青、さらに上では二回りほど大きな鮮やかな黄色。花開いては展望ロビーのガラスが震え、乾いた快音が鼓膜を刺激する。
隣を見ると、佑香の頬や瞳が虹のように様々な色を反射し、目まぐるしく変化していた。
菊の合間に一際大きな柳が夜空に現れ、滝のようにその枝葉を地に向けて伸ばしていく。同時に、紙の上に花あられでもこぼしたかのような軽い音が聞こえた。その音が、俺には称賛の拍手にも聞こえる。その一瞬のために作られ、空に放たれ、多くの人に感動を与える。役目を終えると、花火は夜の闇の中に溶けていくのだ。
打ち上げ花火の開幕は、息つく暇もないスターマインが夜空を彩った。その後、地上の仕掛け花火が始まる。さすがに地上で行われているものは、十三階という高さからは何をやっているのかまでは分からなかった。
「やっぱり花火っていいね。見ててワクワクする」
仕掛け花火に移ってから、佑香は目を輝かせて言った。
「佑香はどんな花火が好きだ?」
この質問にさして意味はなかったが、佑香があまりにも楽しそうで、気になったことをそのまま口にしてみた。
「うーん。こういう、皆で見る花火も好きだけど、仲のいい人同士でワイワイやる花火も好きだなぁ。最後の線香花火のちょっとしんみりした感じとか、あーもう終わっちゃうんだぁって思いながら静かな花火を見るのも、ちょっと好きだったりするかも」
「あー、それ分かる気もする」
「好きとか、嫌いとかとは関係ないけど、線香花火ってさ、なんか今の私たちに似てる気がするんだよね」
「どういうこと?」
何気なく佑香に質問したつもりだったが、佑香が思わぬことを言うものだから、思わず遠目から仕掛け花火を眺めるのも忘れて佑香へ向き直った。
「私たちはお互い、後悔をしてる。友也は私を助けられなくて、私は友也に助けられて」
先ほどまでと違い、佑香の声のトーンが一つ下がったことに気がつく。表情も真剣なものになり、俺と佑香の周囲だけ、周りとは隔絶されたような気さえしてしまう。
仕掛け花火が終わったのか、再び一輪の花が夜空を舞った。
「後悔ってさ、火がついてからしっかりと燃えはじめるまでに時間がかかるんだ。最初はゆっくりジワジワと火種を育てて、次第に火花が弾け出す。私と友也が思返橋で出会ったときが、その状態なんだと思う」
佑香の瞳は、緑や青、ときには赤と、目の前を彩る花火に染められるが、それに惑わされることなく俺の目を真っ直ぐ見据えている。
「一度火花が散れば、それは激しく燃える。私たちはお互いに後悔を胸に秘めながら会っていた。そうでしょ?」
佑香に同意を求められ、俺は小さく首を縦に振る。他よりも頭一つ高く放たれた赤の花が夜空に弾けた。
「でも、火花はいつまでも保たない。私たちは会うことを繰り返すうち、後悔が小さくなっていった。それに合わせて火は小さくなり、夜の暗がりが目立ち始めるの。その暗がりは不安となって心を締め付ける。私は、友也に助けられて後悔している。そのはずなのに、目の前に友也がいて、思い出が増えていく度に、その後悔が小さくなっていくの。それが怖い。怖くて、怖くて仕方ないのよ」
佑香の瞳に映る花火の色の反射が不規則になる。佑香の瞳に涙が浮かんでいたからだ。
「俺も、佑香を助けられなかったはずなのに、それを心の底から後悔していたはずなのに、こうして佑香と会う度に後悔が小さくなっていってる。このままじゃダメだと思っているけれど、確実に思返橋を渡る前より後悔が薄れているんだ」
このまま小さくなり続ければ、いずれは消えてしまうかもしれない。消える前にどこかに落っこちてしまうかもしれない。きっとそれが、佑香が線香花火を今の俺達に似ていると言った理由、その先だろう。
俺はこの後悔を忘れるわけにはいかない。どうしたって変えることの出来ない過去は、一生背負って生きていくしかないんだ。
「ねぇ、友也……」
佑香の頬に涙が伝っていたのが、花火の反射で分かった。そして、この言葉の先、佑香が何を言うのかも、分かってしまう。本当はあのとき、緑地公園で佑香に伝えられていたはずの言葉。そして、俺は佑香のこの言葉を待っていた。自分の意思で決めるより、他者からの言葉で自分の行動が決まる方が、何倍も楽だから。佑香に緑地公園で告白されたときもそうだ。いつしか俺は、俺の意思で人生を選択していくことを避け、他人の選択に依存している。
「私たち……もう会うのは辞めようよ」
そして、佑香の言葉は俺の待ち望んでいた言葉だった。それなのに、どうしてか胸が締め付けられる。後は俺が頷けば、もしくは了承の言葉を口にすれば、それでこっちの世界の佑香とはお別れだ。俺のことを知る、俺の恋人である佑香。俺と同じで甘いものが大好きで、お腹いっぱいになってもクレープを諦めなかったりもした。無邪気でよく笑っているのに、突然悲しんだり、怒ったり、豊かな表情を見せてくれる、そんな佑香とはもう会えなくなるかもしれない。俺は元の世界の佑香と会うのを恐れている。
今まで聞こえてこなかった周囲の音がクリアになって、同時にワッと歓声が上がった。ガラスの向こう側を見ると、打ち上げ花火は最高潮といわんばかりの、ワイドスターマインが夜の闇を明るく染めていた。