セミの音がフィルターがかかったように一つ遠くなる。俺の意識が外の音より、佑香の声に集中したからだ。

「友也はさ、後悔……してる?」

 佑香の言葉は常に適切に俺の心の奥底に沈めた容器に浮力を与える。先ほどの告白のことだってそう。今言われた後悔だってそう。あの事故の日、俺は佑香を救えなかった。そのことに後悔をしなかった日など、ない。

「私はしてるよ」

 俺が答えずにしばらく二人の間に沈黙が流れると、佑香がその口火を切った。

「私は……友也に助けられて後悔してる」

「な、ど…………」

 どういうことだ? そう、佑香に聞き返そうとして、途中で言葉が発せられなくなった。それほどに佑香の言葉は衝撃的だった。

「もちろん、私の命を救ってくれた友也に対して、あんまりな言い方だと思う。でもさ、きっとあの日に死んでいたのは私の方だった。なのに、私は生きていて、友也は命を落としてしまった」

 佑香は淡々と話しているが、肩が震えているのが触れていなくても分かる。俺にとっても、佑香にとっても、運命が変わったあの事故は、それほどに思い出したくないことなのだ。
 俺はさらに言葉を続けようとする佑香の様子を見守った。

「私ね、友也が私の代わりに命を落としてしまったことを後悔してるの」

 そこまで言い切って、佑香は膝の上で拳を握り締めて涙をこぼした。

「俺は……佑香を助けられなかったことを後悔してる」

 佑香の後悔とは相反する、俺の後悔。それを聞いた佑香は眉一つ動かすことなく、そのまま握った自分の拳を見ている。

「目の前にいたのにさ……この手が届く場所にいたのにさ……守ることが出来なかったんだ」

 なおも動く様子のない佑香に、俺はさらに続けた。

「こっちの世界に来て、無事な姿の佑香を見て、驚いた。あの事故で俺が助けたのだと聞いて、少しだけ嬉しかったんだ。でも同時に、悔しかった」

 そう。悔しかった。何故俺じゃないのだと。あのときの俺は佑香を助けることも出来たんだ。なのに体が動かなかった。

「でもさ、こうして佑香とまた会えてさ、そしたら、なんか後悔が少しずつ薄れていってるんだ。なんだろう。俺は、それが堪らなく怖い」

「うん。私もそう。私は友也に助けられて後悔していた。そのはずなのに、その後悔がどういう形をしていたのか、よく分からなくなってくるんだ」

 佑香の言葉に、俺の心の奥底に無理矢理沈めていたモノが、いよいよ水面から顔を出してしまう。

「なぁ、俺たち、このままで良いのかな?」

 この問いに対する佑香の答えは分かりきっている。

「ねぇ、友也……」

 佑香がそこまで言い掛けて、頬に冷たい何かが落ちた。いつの間にか太陽は分厚い雲に押しやられ、冷たい粒は瞬く間に世界を覆っていく。佑香の言葉は、夏らしいゲリラ豪雨に遮られてしまった。
 俺と佑香は大慌てで近くのコンビニに駆け込み、雨宿りをした。その後、結局、俺も佑香も先ほどのことには触れず、近くのラーメン屋で遅めの昼食を摂り、バスに揺られて思返橋へと帰ってきた。

 家に戻り、自分の部屋に入ったところで、母さんが部屋の前までやってきた。

「友哉、どこ行ってたの?」

「何で?」

 母さんが俺の出先を訪ねてくるのは珍しかったから、思わず聞き返してしまった。

「今日のお昼に直樹君がうちに来たのよ。友哉探してるんだけど家にいないかって。なんか、あんたに電話しても繋がらないって言って心配してたわよ」

 母親の言葉に慌てて携帯を確認すると、不在着信の情報が記載されたメールが携帯会社から届いていた。不在着信は十件近くあり、全て直樹からだった。

「まぁ、どこに行ってもちゃんと帰ってくるなら構わないけど、友達に心配は掛けちゃ駄目だからね」

 そう言い残して、母さんはリビングへと戻っていった。
 直樹からの電話をどうしたものかと悩んでいると、携帯のディスプレイが点灯し、直樹からの着信であることが表示された。俺は意を決して直樹からの電話に出る。

「もしもし! 友也!? ようやく繋がった。お前今まで何処にいたんだよ? 何回掛けても電波届かないし、家行ってもいないし、心配したんだぞ」

 電話越しにも興奮した様子が分かる直樹の声に圧倒され、俺は思わず携帯から耳を離してしまった。それでも直樹の声はしっかりと聞こえてくる。直樹の声の他に、数人の男の声も聞こえてきた。

「すまん。電源切ったまま出掛けちまっててさ。帰ったら母さんに直樹が家に探しに来たって言われて、ようやく電源切れてたことに気付いたんだわ」

 口から出任せでそれっぽい理由をつらつらと述べる。

「そうか。探して損した。太一や藪たちまで呼んで、皆で友也のこと探してたんだぜ?」

「マジでか? それは、本当にすまん」

「ほんと、勘弁してくれよ。こっちはお前が変な気を起こしたかと……っと、すまん、聞かなかったことにしてくれ」

「いや、それは絶対にないよ。直樹、心配してくれてありがとうな」

「おう。とりあえず太一達に代わるわ。皆にもお礼言っとけ」

 直樹はそう言って、一緒に居るであろう人物に通話を代わった。そこから次々に通話が交代していき、俺は全員に謝罪とお礼を言っていった。全員、一年半振りくらいに声を聞く、中学時代の友人たちだった。その全員が、通話を代わる度に「オレオレ、分かる?」なんて言うものだから、数回間違えながらも、無事に全員の名前を言い当てることが出来た。違うなら違うと言ってくれるところが、近年横行している詐欺とは違って親切ではあったが、最初から名乗ってくれればこんなに苦労することはなかっただろう。それも、俺を探して奔走してくれた皆の苦労に比べれば些細なものではあるだろうけれど。改めて、多くの友人に支えられているのだと感謝の気持ちでいっぱいになった。