家に帰って食事と風呂を済まし、寝ようとしたところで佑香の日記のことを思い出した。
今日の佑香の様子の変化はなんだったのだろうか。その答えがもしかしたらこの日記に書かれているかもしれない。俺は逸る気持ちを抑えながら、日記をパラパラと捲る。そして最後の更新のページを見つけると、日付を確認した。その日付は間違いなく、今日の日付で、この内容は佑香が今日家に帰ってから書いたものだと分かった。おそるおそる俺は内容に目を通す。
『六月二十九日
今日は友哉とお買い物に行った。まぁ、何も買わなかったけど。でも楽しかった! 相変わらず友哉はクレーンゲームが苦手なようだ。それにしても、やっぱり友哉は優しい。優しいけど、これからは友哉は自分の道は自分で選ばないといけないんだから、友哉に甘えてばかりはいられないな。結局上手くいかずに、友哉はハンバーグを頼んで分けてくれたんだけど……そんなに食べたそうにしてたのかなぁ? 次は頑張ろうね。私。
バスの中では失敗しちゃって、気まずくなっちゃった。しょうがない。あれは私が悪い。明日も友哉は会いに来てくれる。明日こそ、友哉にもうこっちの世界に来ないでって言わないとね。友哉には、友哉の人生があるんだから。』
一通り読み終え、俺は日記を閉じた。結局、バスの中で佑香が何を考え、どうして気まずくなったのか、その答えは書かれていなかった。フードコートでの佑香のいつもと違う行動はここに書かれている通りなのだろう。そんなこと気にせず、一緒にいるときくらいは甘えて欲しい。
それにしても、何より気になったのは最後の方の一文だ。俺に佑香はあっちの世界に来ないように伝えようとしている。来てほしくないと佑香が考えている? いや、そんなわけはないだろう。きっと佑香には佑香の考えがあってのことだろうけれど……もし明日、本当に佑香にそう伝えられたとして、俺はどう答えるのだろうか。俺には俺の人生、か……
思えば、俺の今までの人生には必ず佑香がいた。今後も俺は世界を渡って佑香に会いに行くのか? いつまで? まさか死ぬまで続けるのだろうか。そもそも、あの橋はずっと世界を繋ぎ続けるのだろうか? いつか渡れなくなる可能性もある。いつだろう? 明日、来週、来月、来年かもしれない。佑香はずっと俺の隣にいた。それなのに、今の俺達の関係はとても不安定だ。明日会う約束をしているのに、それが果たせないかもしれない。もしかしたら明日が最後かもしれない。今日が最後だったとしたならば、あんな別れ方でよかったのだろうか。考えるほどに頭がこんがらがってくる。同時に恐怖が心の底の方から、ゆっくりとせり上がってきた。
俺は考えることをやめ、しばらくベッドで仰向けになったままぼーっとしていた。考えないことで恐怖を押し殺し、自分の心を守る。感じた恐怖は何だったのか。その答えも出ないまま、いつの間にか俺は眠りについた。
ふと、見覚えのある姿が遠くに見えた。その人物に俺は次第に近づいていく。豆粒ほどにしか見えなかったその人物が、親指ほどに大きくなった頃には、それが誰だか認識していた。
「佑香!」
俺はその人物の名を叫ぶように呼んだ。その瞬間、周りの景色がハッキリとする。日差しを遮る木の葉の影。その影の模様を肩の下まで伸ばした黒い髪に映し、俺に背を向けたままの佑香が目の前に立っている。
一陣の風が吹き、木の葉を世話しなく揺らした。佑香の髪に映る影の模様も忙しく変化する。その影の模様の変化は、まるでコロコロと常に表情を変える彼女を体現しているようだった。
「佑香……」
俺はもう一度彼女の名を呼ぶ。今度は消え入るような声だった。佑香は俺の声掛けに全く反応せず、ただ俺に背を見せ立ち尽くしている。
風が止んだ。木の葉の影の模様も変化を見せなくなる。同時に、佑香が俺の方に振り向いた。それでも、俺と佑香の視線が合うことはない。佑香は俺のずっと後ろ、遙か彼方を見ていた。あんなに喜怒哀楽に満ちていた彼女から、その全てが失われているように見える。
「あなたは……だれ?」
遠くを見つめながら、佑香が言った。
目を開けると、見慣れた天井や壁が朝日に照らされていた。枕のすぐ横には佑香の日記が置かれている。自分の呼吸が荒くなっていることに気がつき、深呼吸をした。
「夢か……」
感情が抜け落ちたかのような佑香の表情と、俺を一切見ることなく放たれた、貴方は誰? という佑香の言葉。俺の迷いが見せた悪夢だった。
時計を見るとまだ朝の七時前で、しかし二度寝する気にもなれずに俺はベッドから抜け出した。体がひどく汗ばんでいたため、そのままシャワーを浴びる。今日も佑香と会う約束していた。時間は昨日と同じ、午前九時。シャワーを浴び終わって自分の部屋に戻ったが、まだ少し時間があった。
それにしても嫌な夢だった。その夢を思い出すだけで、心臓を握られたようにズキズキとした痛みを感じ、動悸が速くなる。吐き気さえしてきた。
俺は気分を落ち着けるため、外に出た。夏の暑さもまだ鳴りを潜めている時間だ。豊かな緑を揺らす風が涼しさを運んできてくれてとても心地よい。少し歩くと、小学校が見えてきた。俺と佑香の母校だ。
小学校のフェンス沿いの歩道を、中のグラウンドを眺めながら歩く。そのまま南に行くと、学校の敷地の一番角にある大きな木が、フェンスに背を預けるように立っていた。その気の前で立ち止まり、腰を落とす。苔が生えて若干見えにくくなっていたが、そこには俺と佑香の名前が、かわいらしい傘の絵と一緒に彫られていた。四年生の頃に彫刻刀をこっそり持ち出して自分達で彫った相合い傘だ。あれから七年は経つが、それはしっかりと残っていた。俺は持っていた携帯でその相合い傘を写真に収め、そこから信号を渡ってすぐのコンビニでサンドイッチとコーヒーを買って家に戻った。
今日の佑香の様子の変化はなんだったのだろうか。その答えがもしかしたらこの日記に書かれているかもしれない。俺は逸る気持ちを抑えながら、日記をパラパラと捲る。そして最後の更新のページを見つけると、日付を確認した。その日付は間違いなく、今日の日付で、この内容は佑香が今日家に帰ってから書いたものだと分かった。おそるおそる俺は内容に目を通す。
『六月二十九日
今日は友哉とお買い物に行った。まぁ、何も買わなかったけど。でも楽しかった! 相変わらず友哉はクレーンゲームが苦手なようだ。それにしても、やっぱり友哉は優しい。優しいけど、これからは友哉は自分の道は自分で選ばないといけないんだから、友哉に甘えてばかりはいられないな。結局上手くいかずに、友哉はハンバーグを頼んで分けてくれたんだけど……そんなに食べたそうにしてたのかなぁ? 次は頑張ろうね。私。
バスの中では失敗しちゃって、気まずくなっちゃった。しょうがない。あれは私が悪い。明日も友哉は会いに来てくれる。明日こそ、友哉にもうこっちの世界に来ないでって言わないとね。友哉には、友哉の人生があるんだから。』
一通り読み終え、俺は日記を閉じた。結局、バスの中で佑香が何を考え、どうして気まずくなったのか、その答えは書かれていなかった。フードコートでの佑香のいつもと違う行動はここに書かれている通りなのだろう。そんなこと気にせず、一緒にいるときくらいは甘えて欲しい。
それにしても、何より気になったのは最後の方の一文だ。俺に佑香はあっちの世界に来ないように伝えようとしている。来てほしくないと佑香が考えている? いや、そんなわけはないだろう。きっと佑香には佑香の考えがあってのことだろうけれど……もし明日、本当に佑香にそう伝えられたとして、俺はどう答えるのだろうか。俺には俺の人生、か……
思えば、俺の今までの人生には必ず佑香がいた。今後も俺は世界を渡って佑香に会いに行くのか? いつまで? まさか死ぬまで続けるのだろうか。そもそも、あの橋はずっと世界を繋ぎ続けるのだろうか? いつか渡れなくなる可能性もある。いつだろう? 明日、来週、来月、来年かもしれない。佑香はずっと俺の隣にいた。それなのに、今の俺達の関係はとても不安定だ。明日会う約束をしているのに、それが果たせないかもしれない。もしかしたら明日が最後かもしれない。今日が最後だったとしたならば、あんな別れ方でよかったのだろうか。考えるほどに頭がこんがらがってくる。同時に恐怖が心の底の方から、ゆっくりとせり上がってきた。
俺は考えることをやめ、しばらくベッドで仰向けになったままぼーっとしていた。考えないことで恐怖を押し殺し、自分の心を守る。感じた恐怖は何だったのか。その答えも出ないまま、いつの間にか俺は眠りについた。
ふと、見覚えのある姿が遠くに見えた。その人物に俺は次第に近づいていく。豆粒ほどにしか見えなかったその人物が、親指ほどに大きくなった頃には、それが誰だか認識していた。
「佑香!」
俺はその人物の名を叫ぶように呼んだ。その瞬間、周りの景色がハッキリとする。日差しを遮る木の葉の影。その影の模様を肩の下まで伸ばした黒い髪に映し、俺に背を向けたままの佑香が目の前に立っている。
一陣の風が吹き、木の葉を世話しなく揺らした。佑香の髪に映る影の模様も忙しく変化する。その影の模様の変化は、まるでコロコロと常に表情を変える彼女を体現しているようだった。
「佑香……」
俺はもう一度彼女の名を呼ぶ。今度は消え入るような声だった。佑香は俺の声掛けに全く反応せず、ただ俺に背を見せ立ち尽くしている。
風が止んだ。木の葉の影の模様も変化を見せなくなる。同時に、佑香が俺の方に振り向いた。それでも、俺と佑香の視線が合うことはない。佑香は俺のずっと後ろ、遙か彼方を見ていた。あんなに喜怒哀楽に満ちていた彼女から、その全てが失われているように見える。
「あなたは……だれ?」
遠くを見つめながら、佑香が言った。
目を開けると、見慣れた天井や壁が朝日に照らされていた。枕のすぐ横には佑香の日記が置かれている。自分の呼吸が荒くなっていることに気がつき、深呼吸をした。
「夢か……」
感情が抜け落ちたかのような佑香の表情と、俺を一切見ることなく放たれた、貴方は誰? という佑香の言葉。俺の迷いが見せた悪夢だった。
時計を見るとまだ朝の七時前で、しかし二度寝する気にもなれずに俺はベッドから抜け出した。体がひどく汗ばんでいたため、そのままシャワーを浴びる。今日も佑香と会う約束していた。時間は昨日と同じ、午前九時。シャワーを浴び終わって自分の部屋に戻ったが、まだ少し時間があった。
それにしても嫌な夢だった。その夢を思い出すだけで、心臓を握られたようにズキズキとした痛みを感じ、動悸が速くなる。吐き気さえしてきた。
俺は気分を落ち着けるため、外に出た。夏の暑さもまだ鳴りを潜めている時間だ。豊かな緑を揺らす風が涼しさを運んできてくれてとても心地よい。少し歩くと、小学校が見えてきた。俺と佑香の母校だ。
小学校のフェンス沿いの歩道を、中のグラウンドを眺めながら歩く。そのまま南に行くと、学校の敷地の一番角にある大きな木が、フェンスに背を預けるように立っていた。その気の前で立ち止まり、腰を落とす。苔が生えて若干見えにくくなっていたが、そこには俺と佑香の名前が、かわいらしい傘の絵と一緒に彫られていた。四年生の頃に彫刻刀をこっそり持ち出して自分達で彫った相合い傘だ。あれから七年は経つが、それはしっかりと残っていた。俺は持っていた携帯でその相合い傘を写真に収め、そこから信号を渡ってすぐのコンビニでサンドイッチとコーヒーを買って家に戻った。